雪、ひとひら



『アンタといるとイライラするの。もう顔も見たくない。』



随分と酷いことを言った。

でも、もうこれでルフィも愛想を尽かしたはずだ。
呑気に「友達」だなんて言ってくることもないだろう。















全部、終わった…はず。













「…ナミさん?聞いてる?」
「あっ、ごめん。ボーッとしちゃって…。」


今日で今年最後の部活の日、サンジ君と一緒に帰っている。
帰る方向は全く逆なのに送ってくれる。
他愛ない話をしながら、毎日。

なのに、私は心ここにあらずで会話を途絶えがちにしてしまう。


「今年の大晦日は雪降るらしいよ。」
「本当?積もると良いなぁ。」
「うーん、どうだろう。ナミさん、嬉しそうだね。」
「だって雪なんて滅多に降らないじゃない?サンジ君は嬉しくないの?」
「俺は寒いの苦手だからなぁ。それに積もっちゃうと、店の客足も落ちるしね。」
「そっか…。31日もお店やってるの?」
「うん、うちは元旦以外休みなし。」
「そうなんだ。大変ね。」


サンジ君のお父さんのレストランは隣町にあって、度々テレビや雑誌で取り上げられることもある有名店。

そんなにすごいお店なら、サンジ君の性格からしてもっと周りに触れ回っていそうなのに、クラスでもそのことを知っているのはほとんどいない。


「大変かぁ…大変だって思ったことはないよ。料理してると楽しいし、時間なんてあっという間。…あっ、でも中学上がるまでは皿洗いばっかで、食材にも触らせてもらえなくてさ。あの時は毎日、大変だーとか言ってたかなぁ。」
「そんな小さい頃からお店手伝ってたの?」
「まだ早いって言われても一人前になりたくてね。その癖、皿洗いが辛くなってくるとすぐ逃げて。何度も脱走したけど、何度も親父にぶん殴られて連れ戻されたよ。」
「お父さん怖いの?」
「それがさ、……めちゃくちゃ怖い。ホント、何度殺されかけたか…。」
「殺されるって、そんな大袈裟な。」
「いやいや、マジで!ナミさーん、信じてよー。」
「はいはい。」

私達は、お互いの話をよくするようになった。
学校で見てた姿なんて、本当に一部分に過ぎない。

今までサンジ君のことを何も知らなかった。
だから、少しずつ知っていって、少しずつ2人の関係を始めていく。


ルフィの気紛れな態度にも、言葉にも、もう揺らがない。

そう決めたのに。





今、私の手にはサンジ君からもらった手袋が無い。






あの日───水族館から帰って来た夜、着替えている時に気付いた。


コートのポケットに入れておいたはずの手袋が無い。
いつ落としたかも記憶になくて、駅までの道を戻ってみたけど見つからず、鉄道会社にも水族館にも、最後に立ち寄ったファミレスも調べて電話をしてみたけど、どこにも無かった。



もらったその日に無くしてしまうなんで自分でも信じられなくて、サンジ君に何て言って良いのかわからない。





正直に話せば、きっとサンジ君は許してくれる。優しく笑って、そして少しだけ悲しそうに。



それが嫌だった。



かと言っていつまでも隠しておくわけにもいかない。

同じ物を買おうかとも思って、お店を何軒か見て回ったけど似たようなものすら見つからなかった。
そんなことをしても意味無いのに。


いつかは話さないといけない。なのに、打ち明けられない自分がいる。





サンジ君が時折私の手元を見ているように感じるのは、多分気のせいじゃない。





罪悪感と気まずさを感じながら、家の前に着いた。









「…あ、あのさ、ナミさん。」

サンジ君が口ごもる。何を話そうとしてるのかがわかる。自分が今一番聞かれたくないことだから。

「手袋なんだけど、」

ちゃんと言わなきゃ、誠心誠意で謝らなきゃ、そう思うのに。

「…手袋?え、えっとー、家にあるの!学校にはしてくの忘れちゃって…。」

「そう、なんだ…。」




嘘に嘘を塗り固めて、私はどうしたいんだろう。




「そっか…じゃあ、また31日にね。店終わったら迎えに行くよ。」
「う…うん、わかった。」





バイバイとサンジ君に手を降って見送ってから、しばらく家の前で立ち尽くしていた。







ふと、自分の手荷物が少ないことに気付く。


まさか、そんなはずは…。
その場に落ちているはずもないのに、自分の周りをキョロキョロと見渡す。


部活のバッグとは別に、お財布やポーチが入ったトートバッグを丸ごと忘れて来てしまった。定期券だけポケットに入れておいたから、電車に乗る時も気付かなかった。


「うっそ…信じらんない…。」



明日から学校は閉鎖期間で入ることも出来ない。取りに行くなら今日しかない。


今来たばかりの道をまた往復するとなるとかなり気が重い。
でも、そんなことを言っている場合でもなく、取りに戻るしか選択肢は無かった。















学校に着くと、ほとんどの部活も練習を終えていて静まり返っている。
下校時間は過ぎていて、入り口の守衛さんに嫌な顔をされたけど事情を話して何とか中に入れてもらった。先生達もほとんど残っていないらしい。





廊下を歩いても階段を昇っても誰にも会うこともない。

来たときは体育館からボールの弾む音がしていたけど、今はその音も止んでいる。



この広い学校に私1人しかいないような錯覚を起こして不思議な気分だ。













教室に入ると、トートバッグは机の上にぽつんと取り残されていた。

もしかしたら帰り道のどこかで落としてしまったのかもしれないと不安も過ぎっていたから、ちゃんとあったことに取りあえずホッとする。

最近は意識散漫だな…。何をやっても上手くいかない。

誰かに引き止められているかのように前に進めない。



そんな気さえする。





ゆっくりと机に近付いていく。教室には私の足音だけが響いている。



荷物を取って、さっさと帰ろう。

トートバッグを手にして、勢いをつけてくるりと教室のドアに向き直った。







「……っ!」





誰もいないと思い込んでいたから、突然現れた人影に悲鳴が上がりそうになったのをすんでの所で何とか堪えた。







「び、びっくりした…。いつから居たの?」
「いつからって、今。」





教室のドア口には、まさに今部活上がりというジャージ姿のルフィがいた。





「 お前何してんだ?サッカー部はもう帰ったんじゃねぇの?」
「あ、うん…忘れ物しちゃって…。」
「ふーん。」



あんなことがあった後なのに、ルフィは至って普通だ。
私は居たたまれなくて、目も合わせられないというのに。



「私、もう帰るから。」

足早に、ルフィがいない方のドアに向かう。

早く帰らなきゃ。

揺らがないと決意したのに、顔を見ただけで呆気なく崩れ去りそうで、怖い。





「なあ、ブタの手袋ってお前のだろ?」


投げかけられた言葉に、教室から出ようとした足が止まる。
振り向いたルフィの顔は無表情だ。


「…手袋ってグレーの?」
「ああ、ブタがついた灰色の。」
「それは…ブタじゃなくて、猫。…何で…」
「何でって、耳が尖ってるからブタだろ?」
「そうじゃなくて!何でアンタがっ…」
「お前が帰った後、テーブルの下に落ちてた。」
「アンタが持ってるの?返して。今どこにあるの!?」


帰ろうとしていた足を引き返して、ルフィに詰め寄る。


「もう無ぇよ。」
「無いって…。何で?!」
「サンジに渡した。」
「……え……?」
「返したって…いつ…?」
「その日に返した。夜、サンジんち行って。」



足元がぐらりと歪む。
自分がどうやって立っているのかわからない。



『手袋なんだけど、』



サンジ君の声が聞こえる。


今日の帰り道、サンジ君が聞きたかったのは手袋を持ってるかどうかなんかじゃなかった。



私が嘘をついて、ルフィと二人でいたのも全部知ってた。



「何で!何でそんなことするのよ!!」
「何でって、お前んち知らねーもん。サンジに返した方が早いだろ。」
「何でよ!何でいつも意地悪するの!?」


ルフィは悪くない。わかってる。
言ってることがメチャクチャだ。


サンジ君を傷付けたくないなんて、嘘。


私は自分を守りたかっただけ。



「意地悪って何だよ。返さないで捨てれば良かったのか?」
「アンタのせいで全部台無しよ…。」
「な、何の話だ?意味わかんねぇぞ。」



最悪だ。こんなの、ただの八つ当たり。
だけど、止められない。


「私のこと好きでも何でもないくせに振り回すのはもう止めて!!」


堰を切ったように感情が溢れ出す。



「ナミ、俺は…」
「嫌!アンタの話なんか聞きたくない!」
「聞けよ。俺は、」
「アンタなんか大っ嫌い!大きら…!」




突然強い力で押さえ付けられて、言葉が喉の奥に詰まる。

一瞬、何が起きたのかわからなかった。



けれど、すぐ後から現実が押し寄せてくる。



頬に当たるジャージの感触、汗の匂い、背中に回された腕、心臓の鼓動。

ドクンドクンと波打つ音。

それがルフィのものか私のものかわからないほど隙間なく抱きすくめられている。



私はその場から崩れ落ちないように、何とか震える足で立っているのがやっとだった。





何で?何で?何で?

考えてもわからない疑問で埋めつくされる。




このまま溶けてしまうんじゃないかというぐらい体が熱い。






思考が停止して頭の中は真っ白。





「ナミ。」





耳元で囁かれた声に落ちそうだった意識が呼び戻される。

触れられていないはずの耳が熱い。



「は…離、して…。」



それはルフィにというより、自分に言い聞かせるように発した言葉だった。



腕が緩められて解放されたかと思った次の瞬間、ダンっと壁に押し付けられる。鈍い痛みに一瞬息が詰まる。

窓から差し込む光を背にしたルフィの顔が逆光でよく見えない。





視界の端に映る窓の外は、夕日のオレンジと夕闇の紫が混ざり合っている。



ルフィの顔がゆっくりと近付いてくる。

見詰め合ったまま、その距離がゼロに近付く。





視界はルフィだけになって、それ以外は何も見えない。









二人きりの教室。





空気は冷えて凍えるように寒いのに、頭の中は芯まで熱い。





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