何かを失った訳じゃない。 何かが変わった訳でもない。 何事も起こらなかった。ただそれだけ。 少し騒がしかった日常が元に戻っただけのこと。 ただただ、一日が過ぎていくだけの平坦な日々に。
12月の期末試験も終わって一段落して、後は冬休みまで消化試合のような気の抜けた毎日が続く。 今までが忙しすぎたせいか何とも退屈で気だるく、体が鉛のように重い。 今日は部活も無いし、ノジコの用事でカフェもお休みにしているから、やることがない。 早く帰ってゆっくり休みたい気もするけど、ひとりぼっちの家に帰る気になれなかった。 ちょうどそんな時だったから、いつもは断るはずのカラオケの誘いも二つ返事で付いていくことにした。 友達みんなで遊びに行ったり盛り上がったりするのは嫌いじゃない。 けれど、常に集団行動をするのが性に合わなくて、学校では特定のグループを作らないでいた。 滅多に学校帰りの寄り道にも参加しない私だから、友達は珍しいと喜んでくれてカラオケで散々歌って騒いだ後も、場所をファーストフードにうつして延々とおしゃべりは続いていた。 「そう言えば気になってたんだけど、ナミとサンジって付き合ってんの?」 「あ!あたしも気になってた!それ、どうなの?」 避けていた話題を急に振られて、さっきまで忘れかけていた体の重さをずしっと肩のあたりに感じる。 「…付き合ってないわ。何でいきなりそんな話になるのよ。」 自分の歯切れの悪さに苛立ちながら、何とかこの話を終わらせたくて素っ気なく返事をする。
「いきなりも何も、サンジがナミにベタ惚れなのはクラス中が気付いてるからね。気付いてないの、あんだだけで。」 「私だって、気付いてないわけじゃ…。」 「まさかもう告白されたの!?」 「…えっ…。」 一瞬の反応の遅れがまずかった。 「もう告白されてんの!?」 「わー、サンジやるじゃん!」 「いや、その…。」 今更否定しても意味はなく、一気に加速をつけて会話は盛り上がる。 「で、付き合ってないってどういうこと?」 「振ったの?」 「あ、返事はまだ…。」 「えー!それ、サンジが可哀想だよ!」 「……え…?」 一瞬、冷や水を浴びせられたような気がした。 「そうだよね。思わせぶりって一番キツイよね。」 「振るなら早く振ってあげないと、次の恋に行けないよ。」 「長引けば長引くほど振られた時が辛いし。」 「私はサンジ良いと思うよ。女好きだけど。」 「そうそう、一途だし良いと思うよ。女好きだけど。」 「それ、一言余計だからー。」 アハハハと盛り上がった後、話はすり替わってもう次の話題に移っていった。 私はその会話をただ見ているだけで、友達の一言がずっと頭の中で響いていた。 友達と別れた帰り道、地元の駅に着いた頃には運悪く大雨になっていた。 予報に無かった突然の雨で、傘を持っている訳も無くそのまま走って家に向かった。 ノジコはまだ帰ってきていないみたいで、家の中は真っ暗だった。 シャワーだけ浴びてその日はすぐに眠ることにした。何も考えたく無かった。 けれど、ベッドに入っても友達の言葉がずっと頭から離れない。 『サンジが可哀想だよ。』 早く返事をしなきゃいけないとは思っていた。 でも、サンジ君にそんなひどいことをしているとは思っていなかった。 私は自分勝手な人間。
友達と遊ぶのは楽しいけど、いつも一緒に行動はしたくない。
いつも、自分の気持ちだけ。 サンジ君の気持ちも考えたことなんて無かった。
サンジ君と付き合うのか、それとも今の関係を終わりにするのか。 二つに一つ。付き合うつもりも無いのに、このまま甘えるなんて出来ない。
サンジ君と付き合ったら、きっと毎日楽しい。 もう、あんな風に惨めな思いをして泣くことも無い。
とても長く感じた12月もあっという間で、終業式になった。
朝から頭が割れるように痛くて、寒気もする。この前から感じていた体の気だるさは、この風邪の前兆だったようだ。 半日だけだし大丈夫だろうと甘く考えていたことを後悔した。
学校に着く頃には、熱を計らなくてもわかるほどフラフラだった。 けれど、表面的にはわからないように強がってしまうのが私の癖。
何事も無いように過ごして、ホームルームも無事に終わる。 やっと帰れると思って、教室を出ようとしたところで担任のエースに呼び止められてしまった。
「これ、図書室に返しといてくれ。」
手渡されたのは何かの資料。
「何で私が?」 「いや、ちょうど目に留まったから。」 「自分で返せば良いじゃないですか。」 「いやー、この後職員会議でさー、1秒でも遅れると学年主任がうるせェんだよ。返却、今日までなの忘れてて。な!よろしく!」
ポンポンと背中を叩かれて、言い返す隙も与えずに居なくなってしまった。
「もう…何で私が…。」
文句を言いつつも重い足を引きずって図書室に向かう。 返した終わったところで、本当に限界だった。
図書室から出て階段を降りている時に目眩がして、思わず踊り場でしゃがみこんだ。
そのまま踞っていても誰も来てくれるわけじゃない。 自分で何とか立ち上がって帰らないといけない。
私は、ひとり。
体が弱っていると思考も弱気になってくるから嫌だ。 何だか泣きたくなってきた。
「お前何やってんだ?大丈夫か?」
聞きなれた声に肩が震える。
何でこんな時にタイミング悪く現れるんだろう。
「…大丈夫。何でもないわ。」
手すりに掴まりながら何とか立ち上がる。出来るだけ、ルフィと目を合わせないようにしてその場を立ち去ろうとしたけど、強い力で手首を捕まえられた。
「大丈夫そうに見えねぇぞ。」
ふいに額に当てられた掌に息が詰まる。
「熱っ!お前、やべーじゃねぇか。保健室行くぞ。」
強引に私の体を支えようと回してきたルフィの腕を、反射的に振り払う。
「本当に大丈夫だから!ほっといてよ!」 「何でそんな辛そうなのに無理すんだよ…。」 「あんたには関係ない!」
これは、前にルフィに言われたセリフと同じだ。 言われたことを言い返すなんて、まるで子供のケンカ。
「関係無くねぇよ。友達だろ?」
もう一度伸ばしてきた手を、今度こそ自分の意思で振り払った。
「私は、あんたを友達だなんて思ったことは、一度も無い。」
ルフィに背を向けて、一気に階段を駆け下りた。さっきまでは立つことすら限界だったのに、弱っているところを見られたくなかった。
ルフィは追いかけて来なかった。
友達だなんて思ったことは無い。
それは本心だった。
きっと、出会った時からずっと好きだった。 ずっとずっと意識してた。
彼女になれないなら、優しくして欲しくなんかない。
まるで身勝手な言い分。
ルフィの傷ついたような顔が頭から離れない。
けれど、もっと傷つけば良いと思った。 私が傷ついたのと同じ分、傷ついて傷ついて、私のことを忘れられなくなれば良いと思った。
なのに、どうして私が傷ついているんだろう。 いつからこんなに涙脆くなったんだろう。
今でも声を聞くだけで、目と目が合うだけで、手が触れるだけで、息が出来なくなる。
こんなにも好きなのに、私が想いを伝えることはきっと無いまま、消えていく。
ルフィのことを嫌いになりたいのに、顔を見ればやっぱり好きで。 突き放されても、優しくされても、苦しいだけ。
鞄を取りに教室に戻るともう誰もいないはずなのに明かりがついていた。
泣きすぎたせいか熱のせいか、頭がボーッとする。 誰かに泣き顔を見られても、もうどうでも良かった。
扉を開けると、誰かを待っているように机に腰掛けている後ろ姿が見えた。 窓から差し込む光に金髪が照らされてキラキラしてる。
「サンジくん…。」
思わず名前を呼んでしまった。
「あー、ナミさん。鞄が残ってるから何かあったのかと思って…。」
振り向いたサンジ君の笑顔が消える。
「ナミさん、どうしたの?」
サンジ君に言われてから、泣き顔のままだったことを思い出す。
「あ、えっと、あの…。」
言い訳も思い浮かばずに、言葉を濁す。
「アイツに、何か言われた?」
サンジ君の突き刺さるような視線が怖い。
「ルフィは全然関係ない!」
言ってから、慌てて自分の口を塞ぐ。
「そっか。」
サンジ君は何故か寂しそうに呟いた。 ポケットからハンカチを取り出して私に差し出す。
「はい、涙拭いて。」 「ありがとう…。」
サンジ君のハンカチは柔軟剤の香りがする。 深呼吸をすると良い香りに包まれて、心が落ち着く気がした。
「ハンカチ、洗って返すわ。」 「大丈夫。気にしないで。」
見上げると、サンジ君の笑顔がふわりと優しく包む。
この優しさに甘えちゃいけない。
咄嗟に目を逸らした。
「わ、私もう帰らなきゃ。」
自分の鞄を取ろうと伸ばした腕をサンジ君が掴む。 力はそんなに強くないはずなのに振り払えなかった。
この前とは違う。
私もきっとこうなると、どこかで気付いていた。なのに、逃げなかった。
サンジ君が私を引き寄せる。
抱きしめられた腕の中は、想像していた通りに暖かい。 どうして私はこの腕を振り払うことが出来ないんだろう。
「アイツのこと、無理して嫌いにならなくても良いから。」
初めて聞くようなサンジ君の声。 少し震えている。
サンジ君と付き合う。そういう選択肢もある。
誰かのことを好きになるって、何が正解なのかよくわからない。
頭がボーッとして何も考えられない。
体が重くて、重力に引っ張られるようにバランスを崩した。
「ナミさん!?」
遠くでサンジ君の声が聞こえる。
そのまま、目の前が真っ暗になった。
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