「さ、寒っ!ていうか寒っ!!」
降ってくる雪が風で煽られては私の上に積もる。
私はきょろきょろと見回して氷がないか探した。
岩の上に積もっている雪をいじって綺麗かどうか見極める。
食べられるか食べられないかと口に運ぼうとした時、後ろから声をかけられた。
「Aさん…?」
「…!ぎゃっ!目が!目がアァ!」
私は目の前に持ち上げて睨めっこしていた雪を驚いて自分にかぶせてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「はい…。」
柳生さんは怪訝な顔をして自分の傘に私もいれてくれた。
「こんな雪の日に庭に出ては風邪を引きますよ。」
「すみません…。」
「何をしておられたのですか?」
「あ、いえ……その…。」
私の頭の中にはさっきまでガミガミ言っていたおばちゃんが浮かんでいた。
柳生さんにあんな非常識なことを言ってしまってもいいんだろうか。
私が黙っていると柳生さんの眼鏡が光った。
「ま、まさか死体を…。」
「ええっ!?ち、違いますよ!」
私が思いっきり顔を横に振ると柳生さんは「はぁ…」と曖昧な返事をした。
ちょっと残念そうに見えるのは、気のせいだってことにしておこう。
「かき氷を…作りたくて…。」
「かき氷……ですか?」
柳生さんは自分の袖を引っ張ると私の肩についた雪を払った。
「あ、ありがとうございます。」
「女性の肩に雪を乗せたままにしておくわけにはいけませんから。それで、なんですって?かき氷…ですか?」
「はい。仁王さんが食べたいそうなので。」
柳生さんはまたかという風にため息をついた。
「そのような無茶なお願い、聞かなくてもよろしいのですよ?さあもう入りましょう。風邪を引きます。」
柳生さんは私の背中を押すと建物の中に入るように促した。
「Aさん…?」
「すみません。柳生さんやっぱり私……。」
「Aさん…。」
「仁王さんって…不思議な人ですよね。」
あの部屋にいる仁王さんはまるで何かを待っているみたいだ。
いつだって出入り口は開いてるのに、仁王さんは一日中部屋から出ようとはしない。
「寒いのが嫌いなのに窓を開けるんです…。今日もかき氷って…夏が恋しいのでしょうか。」
「………。」
柳生さんは少し黙ってそれから目を伏せた。
「昔、夏にある女の方がここへいらしたんです。」
「はぁ…。」
「あの仁王くんが、その方とはずいぶんと打ち解けていたものです。」
それ以外に、柳生さんは何も語ってはくれなかった。
その意味を私はなんとなくわかったのかもしれない。
雪の冷たさが急に増した気がした。
ブン太といい仁王さんといい、私は派手な遊郭の裏側を全く知らないのかもしれない。
柳生さんは私に傘を渡すと頭を下げて中に入っていった。
「………。」
私は傘を握る手に力をいれて中庭をぐるりと歩いて雪を見て回った。
手が赤くて感覚がない。
手をすり合わせて息をかけると少しだけ感覚が戻った。
雪はますます降り続く一方だ。
「一番綺麗な雪なら、その灯籠の上だ。」
「え……。」
中庭に面した廊下の欄干に肘をついて男の人がこっちを見ていた。
和装が似合う男の人。
閉じられ目が興味深そうに私を観察している。
「Aだったか。仁王の新しい新造だと幸村に聞いている。そして恐らく今は仁王のために雪を集めている。それも綺麗な。違うか?」
「違いません…けど。」
男の人は無言で私を見つめた。
「言っておくが、雪は空気中の汚れを多く含んでいるため食すには適さないぞ。だがお前が食べたいのならあえて止める理由はない。火を通すならまた別の話だが。」
「………。」
目を点にしていると男の人は微かに笑った。
「ああ…すまない。久々に面白いものを見たからつい喋りすぎてしまったようだ。」
「あ、いえ…。」
「気にせず続けてくれ。」
私はなにがなんだかわからないまま男の人を見ていた。
「……かき氷、作りたいんです。」
「なぜだ?」
「夏が恋しい…から…。」
私はどう言ったものかと悩んだ挙げ句それしか言えなかった。
男の人はフと笑うと中に戻っていった。
呆れられたのかも。
私は灯籠に厚く積もった雪の上の方だけを取ると持ってきていた入れ物にいれた。
「A、」
落ち着いたような、だけどどこか面白そうに弾んだ声がする。
「これをお前にあげよう。」
「風鈴…?」
男の人は欄干から手を伸ばして私に手渡した。
綺麗な絵柄の上品な風鈴だった。
季節に惑わされないほど、夏の気品がある。
「いいんですか?こんな良い物…。」
「ああ、もらってくれ。」
「ありがとうございます!」
「それと、かき氷をどうしても食べたいのなら食べた後に暖かい緑茶を飲むといい。本当は日本酒がいいんだが、客入り前に飲むのはまずいからな。緑茶にも殺菌の効果があるといわれている。体を冷やすのもいけない。」
「色々とありがとうございます…!」
「礼には及ばない。」
男の人は軽く手をあげて再び部屋の奥に消えた。
「あ、名前…聞きそびれた。」
手の中で渡された夏色の風鈴だけがちりんと鳴った。
「風鈴じゃ…。」
宇治金時のかき氷と緑茶が乗ったお盆と風鈴を持って夾竹桃の間に入ると仁王さんはかき氷を見る前に風鈴に興味を持った。
かき氷を手渡しても食べずに、私が窓に風鈴を取り付けるのを仁王さんはずっと見ていた。
ちりんと音がするたびに寒さ倍増なんだけど、と今更ながら思っても仁王さんが気に入ったんなら仕方ない。
「美味しいですか?」
「うまい。」
仁王さんはかき氷を頬張って少しだけ微笑んだ。
私の手元に仁王さんの視線が落ちる。
寒さで真っ赤になった指。
私は隠すように急須から湯のみにお茶をついだ。
「お茶も飲んで下さいね。」
「A。」
「はい。」
「ありがとさん。」
仁王さんはごちそうさま、と手を合わせた。
「…夏、好きですか?」
「そうじゃのう…。」
仁王さんは湯のみをかかえると湯気がたつ緑茶に口をつけて息を吐いた。
窓から入る外気で息が白く染まる。
仁王さんはちょっとだけ黙ってから視線遠く微笑んだ。
「冬も悪くないぜよ…。」
そう言った仁王さんは、少しだけ幸せそうに見えた。
風に鳴る風鈴の音がふわふわと舞う粉雪のように聞こえる。
「仁王さん…私、夾竹桃の花言葉は危険ですけど、小菊の花言葉は真実っていうの思い出したんです。」
部屋割りは幸村さんがしたって聞いてたけど、今ならなんとなく幸村さんの気持ちがわかる。
私は夾竹桃の間よりも小菊の間の方が仁王さんには合ってると思った。
「そ…。」
仁王さんは微笑むそれだけ呟いて、再び緑茶に口をつけた。
何千、何万と嘘を重ねてきた。
自分にも他人にも嘘を重ねた。
なのに未だに嘘が一番怖い。
それとも、嘘に隠れた真実がばれることを恐れていたのか。
小菊の花は静かに語る。
ここに居続ける、意味は。
「……よく来たね。」
「ここが、江戸で一番人気だって聞いた。」
「うん、そうだな。立海遊郭はどこにも負けない。」
「俺はここでぜってぇナンバー1になってやる。」
「フフ…楽しみだな。」
「幸村。」
「ああ、入って。」
襖を開けて入ってきた三人に、幸村は座るよう促した。
「新しく入ることになったんだ。ブン太、先輩としてなにかと目をかけてやってくれ。」
「任せとけって。しっかり世話するからさ。ジャッカルが。」
「俺かよっ!」
「二人でね。じゃあこの子を連れて回ってきて。柳は少し残って。」
「ほら、行くぜ。」
「あんた誰。」
「うわ、生意気!お前なぁ、先輩には敬語だろ!」
「おい、ブン太。あんまり言っても…」
「ジャッカルは黙ってろぃ。」
三人を見送ってから幸村は柳に向き直った。
「大丈夫なのか。あの三人で。」
「大丈夫だろう。」
「そうか。お前が言うのなら大丈夫なんだろう。」
「新しく入った今の子、どう見る?フフ…ナンバー1になるんだって、一人でここにやってきたんだ。」
「ほう…なかなか肝が座っているようだ。」
「それから面白い話があって。」
クスリと口元を歪めた幸村を柳はやれやれといったように見ていた。
「覚えてるかい?真田のこと。」
「弦一郎のことか?失踪したAの父親だったな。」
柳は文机の上に乗っている紙に目を落とした。
「赤也か…。この名前は…。」
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