「ねぇ雅治…。」
「ん…。」
「私…雅治のこと本気で好きになっちゃったかも。」
「……………。」
もう少し、もう少しで日が昇る。
そうすればこの客も帰ってまた一人になれる。
「聞いてるの?雅治。」
「俺は…ここから出るつもりはないぜよ。」
「どうして?嫌でしょ?こんな毎日違う女と寝る生活なんて。」
「………違うじゃろ。」
嫌なのはお前さんの方じゃろ。
ここに何度も来る客はみんな、そんな顔をしてそんなことを言う。
「私だけの雅治でいてよ…。私だけが雅治のことわかってるのよ。」
何千、何万、嘘を重ねた。
自分にも他人にも。
それでも未だに一番怖いのは嘘だ。
ああ、それとも……。
「…降ってきたね。」
幸村さんは窓枠にはまった障子をパタンと閉めた。
「今日からしばらく冷え込むそうですよ。」
「そうか…。」
幸村さんは雪が降る外を障子越しに見た。
少し曇った顔に私は戸惑う。
「寒いの嫌いですか?」
「病気で療養していた時のことを思い出すんだ。」
「そう…だったんですか…。」
「それに寒いと客足が減るし、暖を取るための炭代だって馬鹿にならない。今はそっちの方が気がかりだ。」
「そ、そうですね。」
「はい、これで終わり。」
私は幸村さんに着物をいただいた。
花魁の傍にいるならそれなりに身綺麗にしていないと、と幸村さんに言われて頷いたけど。
(せ、節約されてる…)
ガーン。
道理で異常に冷え込むなと思った。
炭はなんか量が減ってたし、夏物の着物も寝る時は寒いなら着込めと言わんばかりに引っ張り出されていた。
でもまあ着物は可愛いし満足と言えば満足だ。
幸村さんに部屋に呼ばれたかと思ったら「そのボロ雑巾脱いで」とか笑顔で言われた時は、ああばらばらにされて売られると思ったことなんかはこの際忘れることにしよう。
嫁入り前なのに!って渋ったら「今すぐ違うところに貰われてもいいんだよ?」と脅されたことも忘れよう。
「心配しなくても興奮とかしないから」と言われたことも忘れよう。
全て記憶から抹消しよう。
「そういえば今朝は仁王のところに行った?」
「あ、はい。」
「どう?」
「……手伝うことがなくて困ります。」
幸村さんの言うとおり仁王さんは何でも自分でやってしまう。
というよりは、他人に干渉されたくないのか。
自分の好きにしたいのか。
「仁王、なんだかすごく笑ってたよ。襖がどうとか。」
「うっ。」
それは幸村さんにはあんまり知られたくなかった。
からかわれそうで。
私は話題を変えようと慌てて別の話を出した。
「でも、今朝の仁王さんなんだか元気なかったような…。」
「へぇ……。」
幸村さんは目を丸くして私を見た。
「わかるんだ。」
「な、なんとなくですけど…。でも明け方だからかもしれないし……。」
「フフ…昨日客と揉めたらしいんだ。」
「え?」
「よくあることだよ。」
「そうなんですか…。」
「まあAと仁王がうまくやっていけそうならいいんだ。」
「それは…頑張ります。」
「うん。借金返済のためにも。」
あ……借金のことすっかり忘れてた。
「仁王さんお茶をお持ちし…さ、寒っ!!」
「A、雪じゃ。」
仁王さんの部屋に行くと窓が全開だった。
もうむしろ廊下の方が暖かい。
仁王さんはすでに今日の用意をすませていて、また手伝えなかったと私は肩を落とした。
こうしてお茶や食事を運ぶこと以外、私は役にたっていない。
仁王さんは寒くないのか窓に寄りかかりながら白い息を吐き出して落ちていく雪を眺めていた。
「仁王さん、風邪引きますよ。」
「窓は閉めんで。」
仁王さんにお茶を渡すと仁王さんは私の行動を先読みしてか釘をさした。
「ですがお客様が来る前に部屋を暖めておかないと失礼ですよ。」
「いいじゃろ別に。暖まるようなことするんじゃし。」
「そそそそりゃそうですけど!!」
「なんならお前さんも暖まっていくか?」
「ぎゃー!!!いいです!!寒いの大好きです!!」
半泣きになって仁王さんを押し返すと仁王さんはからからと笑った。
「のう、ダーツって知っちょるか。」
「ダーツ?」
「こういうので的を狙うんじゃ。」
「あ、この間の針。」
仁王さんは箱から針を取り出して私に見せた。
本来なら掛け軸の位置に的がぶら下がっている。
仁王さんは針を的になげた。
綺麗に真ん中に刺さる。
「わー!すごい刺さりますね!!」
「お前さんはいちいちコメントが変じゃのう。」
「え?」
「やってみるか?」
仁王さんは私に一つ針を手渡した。
的を狙って思いっきり投げようとした時、仁王さんが私の横腹をつついた。
「ぎゃああ!!!」
方向が狂った針はものすごいカーブを描いて元気よく廊下に飛び出していった。
「に、仁王さん!!」
「あーあ。」
私が横腹を抑えて仁王さんに抗議しようとしたら後ろから勢い良く柳生さんがやってきた。
「仁王くん!何度目ですか!今日という今日は許しませんよ!」
「Aのせいじゃけぇ。」
「ええ!?」
「Aさん!!」
「ええっ!?」
私はそれから柳生さんの長い説教を正座で聞かされて襖の補修までさせられた。
柳生さんは紳士だと思って甘くみてたら少々殺意を抱くほど紳士じゃなくていいところまで几帳面だった。
仁王さんはその間ずっと雪を眺めていた。
町の提灯がつき始める頃私は柳生さんから解放され、仁王さんはゆっくり背伸びをした。
「A。」
「そろそろ下がらせていただきます。」
私が刺々しくそう言うと仁王さんは何もなかったかのように返事をした。
「………仁王さん。」
「…………。」
「何かお手伝いすることありますか?」
「なんも。」
仁王さんはテキパキと片付けをしていた。
私はすることもなく部屋の隅でちょこんと座っていた。
最初は部屋の真ん中あたりに座っていたのに、人も物と同じで必要ないと段々隅っこに寄っていくらしい。
仁王さんは片付け終えると今日も全開の窓際に落ち着いた。
さっぱりした部屋はなんとなく寒い。
良い言い方をすればシンプルで、悪い言い方をすればこの部屋は寂しい。
「A、かき氷が食べとうなった。」
「仁王さん今は冬ですよ。」
「かき氷食べたいのう。」
「…………。」
「食べたい。」
仁王さんの視線に根負けして私はため息をつくと立ち上がった。
「お持ちします…。」
「宇治金時。」
「へいへい。じゃなかった!はい喜んで!」
やばい地がでた!!
面倒そうに返事をした後、焦って仁王さんを見ると仁王さんは興味なさそうに窓の外を見ていた。
何がしたいんだろうこの人は。
私は仁王さんの後ろ姿を見ながら夾竹桃の間を後にした。
「かき氷ィ?あんたこんな寒い時にそんなもん食べたいなんて頭おかしいんじゃないのかい?宇治金時なら抹茶と小豆の和菓子でいいだろ?腹壊しちまうよ!」
「すみません。そうですね。共同トイレでそれは厳しいですよね。」
「あんたっ!そういう問題じゃないでしょうが!まったくもう!」
「そうですね。まったくもうすみません。」
「ぷんぷんですよーだ!」
「………………。」
炊事場に行ってそこでお米を研いでいたおばちゃんに相談してみると案の定な結果だった。
ぷんぷんって……よくわかんないけどおばちゃんいくつなんだろう。
お抹茶と小豆はあるみたいだけど肝心の氷がない。
私がどうしたものかと悩んでいると後ろからちょっと懐かしい声がした。
「おばちゃーん。飯ー!」
「あらあらブン太ちゃん。はいはい待ってね。」
「ブン太…さん…。」
私が振り返るとブン太はパアッと笑顔を浮かべた。
「おっ!Aじゃん。久しぶりだなー。てか、一週間も会わねぇうちにさん付けに戻ってるし。ブン太でいいって。」
「ははは、久しぶり。」
おばちゃんの前でブン太を呼び捨てにするとなんだか怒られそうなんだけどなと思ったけど、ブン太は気にする様子もなく、明るい笑顔を浮かべて私の隣に来た。
相変わらずブン太は可愛らしい。
鼻歌を歌いながら炊事するおばちゃんを見ながら「ほんとはこんな風に飯ねだっちゃいけねぇんだけどさ。ここのおばちゃん、俺に甘いんだぜ。」とこっそり耳打ちしてウインクした。
ああなんか懐かしいな。
こういう明るさ。
「おま、なに泣いてんだよ。腹減ったのか?」
「ううん。ブン太って明るくていい奴だね。飯、飯、ばっかりしか言わないけど。」
「なんだそりゃ。褒めてんのかよ?」
「褒めてるよ。明るいねって、褒め言葉。」
「あー…。」
ブン太はどこか遠い目をしながら呟いた。
「昨日は客来なかったからかも。」
私はブン太の言葉に固まった。
ブン太は私に向き直るとまた明るい笑顔を浮かべた。
「それよりお前こんなとこで何してんの?また掃除?」
ブン太はおばちゃんからおむすびをもらって嬉しそうに頬張った。
「あ………いや、今はかき氷を作ろうかと、」
「かき氷!?くれ!」
「いや、作ろうかと思って。」
ブン太はいかにも残念そうに顔をしかめた。
「氷ないよね?」
「水張って外に出しときゃいいんじゃねぇ?」
「あ、そっか。」
「やっぱ俺って天才的だろぃ!」
でも仁王さんは今すぐ食べたいみたいだったし……。
私は部屋を出る前の仁王さんの姿を思い出した。
どこか寂しげな、遠い。
心もなく。
「…………。」
私はブン太にもかき氷を渡すことを約束して別れを告げると中庭に出てみた。
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