『じゃあ大きくなったら私たち結婚しようね!絶対!絶対ね。』

『うん、約束。』


生意気にも仲の良かった男の子とそんな指切りをしていたあの頃は、将来私は一国のお姫様になれるような気がしていた。
見上げるだけで近づけない天へとそびえ立つお城に憧れて、私はよく親を困らせたものだった。

大きくなるにつれて、夢は夢でしかないと知った。
子供はそれなりに現実を受け止めて、身分相応の生活を親から受け継ぐのだ。
だけどこれはあまりにも。


「理不尽だ……」


延々と続いているような廊下を私は延々と雑巾片手に這いずり回っている。
もともと使い古しだった安い着物も汚れてしまっている。これじゃ私が雑巾だ。
同じ年頃の女の子たちは綺麗な着物を着て好きなかんざしをさして、城下の町を友達と歩いている。
男の子と目が合ったら騒いで、近所のおじさんやおばさんからは綺麗だとお世辞を言われて嬉しくなったり。

私はため息をついた。
広い遊郭は1日じゃ掃除できない。
夕方から明け方まで営業している立海遊郭はこのお昼前の時間しんと静かで気持ちが良い。
遊郭の中には遊女たちが寝泊まりする部屋もあるけれど、ほとんどはぐっすり眠っているらしく遊郭は静まり返っていた。
毎日朝方に眠りにつくのだろう。
不健康な生活だと心配していれば、たまに障子の向こうから物音や話し声が聞こえてきたりする。
朝日が眩しい。
手をとめて廊下から見える立派な日本庭園に見入っていると、後ろから声がした。


「お前こんなところでなにしてんだ?」


振り返ると綺麗に着飾った遊女がいた。


(うわ…可愛い…。)


赤い着物に上品な刺繍。錦の帯に流行り物の帯止め。赤い髪を軽くまとめて、かんざしが横でキラリと光った。
ぼさぼさになった髪も崩れた着物すら綺麗で妖艶に見える。


「あ、その…雑用で働いてまして…。」

「ふーん。」


遊女は眠そうな目をこすると私の前にしゃがんだ。
大きな瞳を不機嫌そうに細めている。
何か粗相があったかもしれないと私が謝ろうとした時、遊女は私にもたれかかった。
その意外な重さを支えきれずに二人床に倒れこんだ。


「ひいぃぃ!!」


悲鳴をあげてガシッと肩を掴むとこれまた意外にがっしりしている。
頭にハテナを浮かべていると遊女は元気のない声を出した。


「飯………。」


(え?もしかして、お…男の子!?)









「いや〜。まじ助かったぜ!サンキューな!」

「いえ…。おかわりは。」

「もらうもらう!俺腹減って死ぬところだった。」

「昨晩はなにもお召し上がりにならなかったのですか?」

「いや食った。でもあれだけじゃ足りねぇんだよ。幸村に言ったって聞いちゃくれねーし。ひでぇだろぃ?遊郭に貢献してやってるってのに。」

「はあ…。さようでございますか。」

「なあ…その喋り方やめねぇ?屋敷にいたジジイ思い出すから。」

「おじいさんですか…。」

「お付きのな。それよかお前の名前は?」

「Aです。」

「俺はブン太。」

「ブン太さん。」

「ブン太でいいぜ。俺もお前のことAって呼ぶし。同じ歳くらいだろぃ?」


ブン太はそう言ってにかっと笑ってみせた。


(やっぱり可愛い……)


男の子なのにこの色気はなんだ。
私は自分の汚れた着物を見てため息をついた。

綺麗な着物…高そうなかんざし…。
きっとブン太は遊女なんて安いものじゃなくて、花魁なんだろう。
気品があるのは元の身分がいいからだ。お付きの者がいたって言ったし。

どうして花魁になったんだろう。

誰かからの贈り物であろう高価な着物を引きずるブン太はたまに顔をしかめる。



「は〜食った食った!ごちそーさん。」


ブン太はご飯を全てたいらげると、唇に引かれていた紅を手の甲で拭った。
その動作に目を奪われる。

普段良いもの食べてるんだろうなぁ…。
私が作ったもの口に合わなかったかもしれない。


「ごめんね…。庶民の食事しか作れなくて。」

「別に、なんでもいいし。」


なんでもって……。
花魁がそんなんでいいのかと思ってブン太を見ればブン太はにっこり笑った。


「すっげーうまかったぜぃ。」


私は嬉しいような恥ずかしいような気分になって無言で頷いた。


「じゃ、俺は寝るけど仕事頑張れよ。」

「あ、うん…。」


私が頭を下げて炊事場から出ていこうとすると、ブン太は私の腕をがっしりつかんだ。


「あの…。」

「わり。飯食ったら眠くなった。うるさい新造呼ぶのも面倒だし、着替え手伝ってくんねぇ?女もんの着物さっぱりわかんねぇんだよ。」

「え、ええ!?」


ブン太はさも当然と言わんばかりに待っている。
私が呆然としているとブン太はオーイと私の顔の前で手を振った。


「早くしろって。眠ぃんだけど。」

「こ、ここで!?」

「どこでもいいだろぃ。お前が片付けるんだし。」


な、なにこいつ!!


「じじじ自分でやればいいじゃん!私だってそんな豪華な着物わかんないし…。女物いつも着てるんじゃないの?」

「あのなァ。これは昨日の客の趣味だっつの!幸村に言われなきゃこんなめんどくせーもん誰が着るかよ。」

「あ、あれ、そうなんだ。似合ってるのに…。」

「似合っても嬉しくねぇよ。つーかお前顔真っ赤。なに、もしかして照れてんの?」


違う!と否定する私を見てブン太は意地悪そうに笑って自分で着物を脱ぎ始めた。
自分で脱げるんじゃん!ってそれよりも!


「ブン太さんのえっちィーーー!!」

「あ、オイ!なんだよそれ!」


私は某国民的アニメのヒロインのように顔を隠して炊事場から走り去った。


遊郭って、恐い。



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