血の匂いに酔う。

私はあまり剣術には向いていなかった。
外道な内容の仕事も、粗野で横暴な剣客の力も好ましいとは思えなかったが、それが私の運命だと諦めていた。
一族に生まれた運命だと。
私はどちらかと言えば、情緒味わう詩や句をしたためたり、あくまで精神統一のための武道を好んだ。

血の匂いに酔う。

振り降ろした剣は否が応でも、的確に相手の急所へ吸い込まれていく。
当たり前だ。
そう鍛錬したのだから。当たり前だ。
眼鏡のレンズに返り血が飛んだ。

血の匂いは好きでも嫌いでもない。
倒れていく人間が良いか悪いかも知らない。
ただ任務の為に働く。
殺せ殺せと叫ぶ君主、一族の為、剣の為、自分の為。
眼鏡を外して無造作に捨てると血の海に落ちていった。
見えづらくなった視界の中、唯一明るい月を見る。
白くぼんやりと私を照らす。血で汚れた私を避けることなく照らしてくれる。

頭に良い句が浮かんだ。

我ながら良い出来だ。
屋敷に帰って早く半紙に書かなければ忘れてしまいそうだ。

そう思ったはずなのにもう二度と思い出せなかった。
殺めた者の血海の中で自分が何を感じ何に思いを馳せたのか、知りたくとも術はない。
それから何度仕事に出て人を殺めても思い出せなかった。
思い出せなかった。
人の命の重さに、泣いた。

何のために生きているのか。
生きて何を成すというのか。
私は奪うばかりじゃないか。

皆が道場を出ていく中、私の足は鉛のように動かない。
今なら一族を抜けても追われたりはしないのに。
あんなに剣客なんか辞めてしまいたかったのに。
柳生の名前を捨てると、沢山の命を奪った理由を失う気がした。
他人の命を背負う力が私にはなかった。
時代は変化し、武士は肩書きだけ、刀はもはやただの飾りになっていく。
仁王くんが来た辺りから剣術の必要性はほとんどなくなっていた。
私は変わらず武道や勉学に励んだ。
詩や句だけは書けなくなった。

考えるのを止めた。










柳生は俺が今まで会った人間の中で一番不思議なやつだった。
子供らしくない。
俺と同じように他人を拒絶して、無作為に過ごしている。
生きているというよりも、死ぬまでの時間を必死にこなしているだけに見えた。
きっと可哀想な生き方をしてきたんだろう。
俺がそう言えばきっと柳生の逆鱗に触れだろうから言わない。

柳生は一言で言えば、良い奴だ。
頭が良くて、要領がいい。
気難しい俺に最適な距離を保ってくれる。
なんだかんだで面倒を見てくれるし、俺の出生や生い立ちを無理に聞き出すこともないし、俺が何をしていても黙認してくれる。
他人に興味を持たないようにしている。
そうすれば楽だと言うかのように。
この一族に柳生として生まれなければ、さぞや優しい人間になっただろうと思うが、無駄な想像なのでやっぱり柳生には言わない。


柳生と俺はよく似ている。
寂しいと思うことが、自分が他人と触れ合うことが、まるで大罪であるかのように感じてしまう。

鬼の子だと忌み嫌われたり、自分勝手な妄想で神の使者だと追いすがったり、人攫いに遭って売られそうになったこともあったし、普通の人間にいきなり殺されそうになったこともあった。
雪深い山でとうとう行き倒れ、先生に拾われていなければ俺はあの時死んでいたはずだ。
軽い冗談でそれで良かったのにと言ったら、先生に道場でズタボロにされたからもう口にはしないが。

先生は俺を正式な門弟のように可愛がってくれた。
行くところもないのに出るなと先生に引き止められて、気がつけば一年が経っていた。


柳生には親がいなかった。
昔は刀を必要とする戦も多く、父親は柳生が生まれる前に亡くなったらしい。
父親がいなくなってから肩身が狭くなったのか母親は柳生を置いて故郷に帰ってしまったようだ。
まだまだ幼い門弟たちのように先生の元で暮らすのではなく、一人で屋敷に住んで、一人で生活をしていた。
柳生の部屋はいつ行っても綺麗で、一族以外が入ってはいけない場所なのに俺が勝手に入り込んでも何も言わなかった。
俺は柳生が本を読んでいるのを見ながらよく昼寝をした。
柳生のページを捲る音が耳に心地良い。

できたことがないから、これが友達と言うのかは分からない。
でも柳生が友達なら良いとは思う。
聞いてみようと思うけど、柳生に否定されると悲しくなるだろうから柳生には言わない。
柳生には言えないことばかりだ。


俺は人目を盗んでよく屋敷を出る。
屋敷を離れたところには町があって、そこには金を持った奴が掃いて捨てるほどいた。


「あら、それ地毛?珍しい色。外国船の猫の毛色みたいね。手触りが良くて好き。」
「いくつ?どこの出身?秘密なの?教えてくれてもいいじゃない。」
「ねぇ、今夜相手してよ。」
「ちょっと、私が先に声掛けようと思ってたんだから。」

「いくら?」

「え?」

「いくらで俺を買ってくれるんかのう?」


挑発するように笑うとごくりと女たちの喉が鳴った。
金を得るのに、女は簡単でいい。
黙っていても相手は見つかる。
笑顔を浮かべていくらで買うのか手短にやり取りして一番高い物件を選ぶ。
それから女が泊まっている旅籠へ一緒に行く。
翌朝は日が昇る前に女の隣を抜け出して、音と気配を消して屋敷へ戻る。
柳生は目敏く俺を見つけて声をかけるが、心配してくれてのことだから俺は何も言い返さない。






険しい表情をした先生に話があると言われて、俺は柳生を呼びに行った。
丁度道場に来たらしい柳生に玄関の辺りで会った。
柳生は俺の顔を見て何かを悟ったのか、黙って二人で先生の部屋に入った。


「先生、お話というのは何でしょう。」

「近々、幕府の手がこの道場に伸びることになった。」

「…!なぜですか?私たちは幕府とも親密な間柄ではないですか!」

「昔我々は、沢山の血を流す仕事を請け負ってきた。その皺寄せが来ただけの話だ。藩や領地が大きくなれば敵も生む。真っ向からでは勝負ができない腰抜け共が、我々が幕府に逆らうなどという妙な噂を立てている。」

「そんな…。」

「柳生、仁王。お前たちは二人で江戸に行け。柳生を滅ぼそうとしている幕府の代官を、探し出して殺せ。これは内密に行う。まだ門下生であるお前たちなら江戸にいても使いだと言えば怪しまれないだろうし、門弟の中でも随一のお前たちの力があればできる。」


ひゅっと柳生の喉が鳴った。
柳生の顔色がざっと変わったのがわかった。
いつでも冷静で柔和な柳生の雰囲気が緊張に包まれた。


「金なら今まで仁王が渡してくれたものを取っておいた。これで江戸へ行ける。」


俺と柳生が並んでいる前に、金でぱんぱんに膨れた袋が置かれた。
先生は苦々しい表情で小さく続けた。


「…仕事が終わったら、お前たちの好きに生きろ。お前たちはまだ若い。江戸には仕事も沢山ある。食っていくには困らないだろう。ただし、剣の道以外でだ。柳生の名は、ここに置いていけ。」


柳生と俺は目を見開いた。
先生の言葉は遠回しに、ここを出ていけと告げている。
一族の危機と知った大人たちが、余所者の仁王と両親のいない柳生に目をつけたのだ。
俺は良い。
どうせいつかはここを出ていく身だ。
でも柳生は、柳生一族の全員が親戚なのに。
この任務に失敗すれば確実に俺たちは打ち首だ。
柳生が選ばれたのは、柳生の腕が良いのはもちろんだが、ただ単に両親がいない柳生が、一番、都合が良いからだ。
剣を捨てろ、と先生の言葉が柳生に突き刺さる。
柳生の表情は、眼鏡で分からない。

何の反応も示さない柳生を、先生が怪訝な顔で見た。


「比呂士?わかったのか?」

「は、はい…。一族のため必ず私が、」

「先生。俺が一人で行くぜよ。」

「お前一人で…?」

「俺はここの一族でも門弟でもないけぇ疑われにくいじゃろ。そろそろここを出て江戸に行こうと思っとったところじゃ。丁度いいぜよ。先生、世話んなった。達者でな。」

「ああ。お前も、元気にやれよ。」


俺は金が入った袋を掴んで立ちあがりさっさと部屋を出た。
柳生が慌てて追いかけてくる。


「仁王くん…!仁王くん!」


心なしか弱々しい柳生の声を無視する。
俺は必要最小限の自分の荷物をまとめて先生の屋敷を出た。


「待ってください!!」


柳生は俺の前に立ちはだかって大きな声で叫んだ。


「退きんしゃい。」

「一人でできるような仕事じゃなかったでしょう…!?少し落ち着きたまえ!」

「もし俺一人じゃ不可能なら誰か雇うだけじゃ。」

「私も行きます!私も…、」

「お前さん嫌なんじゃろ。」

「………え?」

「ここを出て行くことでも、剣を捨てることでも、柳生を捨てることでもなく、」

「それは嫌じゃありません、仕方ないことですよ。一族の皺寄せは一族がどうにかするべきですし、一族を守って剣の最後を飾れるのなら、私は誇りを持って江戸へ行けます。」

「ちがう。嫌なんじゃろ。人殺すのが。」

「……っ!」

「柳生。」

「違います…。」


柳生は苦虫を噛み潰したような顔をした。
表情を読みにくくするための眼鏡が台無しだ。
思わず笑ってしまった。


「はは、お前さんは嘘が下手じゃな。会った時からちっとも変わらんぜよ。」

「あ、あなたこそ…。その下手な優しさは変わらないと思いますけど。」

「それでいいぜよ柳生。」


俺は項垂れている柳生の肩に手を置いた。
柳生の目が微かに潤んでいた。
寂れた風景を更に寂しくさせる。


「それでいいんじゃ。」

「仁王くんは、怖くないのですか。あなたは、人を殺したことなんか、ないでしょう。貴方こそそんな仕事を受けるべきじゃなかったんですよ…。」

「俺は汚れた人間じゃ。お前さんなんかよりずっと汚いぜよ。」

「ご冗談を。沢山の人を殺めた私よりも汚いはずがありません。」

「剣のためじゃろ?俺は盗みもしたし体も売った。それでもそれを悪いだなんて思ったことはないぜよ。」

「それこそ生きるためでしょう。」

「じゃ、お互い様じゃな。俺たちには汚れ仕事がお似合いぜよ。」


俺と柳生は顔を見合わせて笑った。
先ほどまでの緊迫した雰囲気はもうない。
柳生の覚悟を決めた目が俺を射抜く。
柔らかく穏やかで、強く暖かい。


「ご一緒します。仁王くん。」

「おう。きっと江戸は楽しいぜよ。柳生。」






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