通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ




【立海遊郭番外編〜夾竹桃葉の間〜】





全てが静まる冬は耐え難い苦痛だけを生む。


草木も動物も命を終え、まるで世界にたった一人取り残された気分になった。
体から吐き出される息すら白い。
誰からも疎まれる自分の髪と同じ色だ。
この体はあまりに白くて、このまま冷たい雪に埋もれてしまっても、きっと誰も気付いてはくれないだろう。


何のために生きているのか。
俺も、他人も、動物も、草木でさえ、生きて、何を成すというのか。
馬鹿馬鹿しい。


冬が終わって春になると、世界は息を吹き返してしまう。
白雪に全ての生を奪われてしまえばいいのに。
それをただ恨めしく思う。

目を閉じた。













「昨晩はどこに行っていたんですか。先生が心配していましたよ。」

「山に入ったら迷っただけじゃ。」

「また嘘ですか。」

「……。」


嘘がばれても表情一つ崩さない仁王くんに私はため息をついた。
怪我をしているわけでも、着物が汚れているわけでもない。
だが、髪も着物も何一つ乱れていない仁王くんを見ると、逆に何かあったのを綺麗に隠しているのではないかと疑ってしまう。


「貴方が何をしようと私には関係ありませんが、先生と柳生家に迷惑だけはかけないで下さい。」


仁王くんは目を伏せたまま、柳生と私の名前を呼んだ。


「お前さんのとこに泊まったことになっとるんじゃろ。すまん。」

「………いいえ。」


仁王くんはそう言って私の横を通り過ぎた。


「お気になさらず。」


仁王くんの特徴ある銀色の髪が揺れて光を反射した。
きらきらと光るそれは、決して目立たないわけではないのに、仁王くんは驚くほど気配を消すのが上手かった。
生まれつき、そんな風に生きてきたんだろうということがすぐにわかってしまうほどに。
仁王くんは最初から、私と同じ、匂いがした。
他人に気を許すことのない常闇の空間に包まれている。


ここは柳生家の屋敷だ。
江戸時代の初期に剣術で栄華を極めた柳生一族が住んでいる。
柳生十兵衛の愛称で知られた先代が作りあげた剣術は、きちんと私の体にも受け継がれている。
私は直系ではないが、一族の男子は全員剣術を学ぶ習わしだ。

屋敷内は広く、道場の方は朝稽古の声が聞こえるが、他はまだ閑散としている。
去っていく仁王くんの後ろ姿を見つめた。
恐らく先生の元へ行くのだろう。
仁王くんを見た一族の大人は、嫌な顔をしてそそくさと家屋の中へ消えて行った。
仁王くんは一族外の人間だ。
一族の長である先生が許していなければ仁王くんはとうに追い出されていただろう。


仁王くんは生まれてすぐ、その髪の色が不吉だと忌み嫌われてとても苦労したらしい。
それは剣術や禅を極めた者たちが集まるこの場所でも変わらない。
初めて仁王くんの髪を見た時、鬼子という単語が頭に浮かんだ。
白銀の髪は、仁王くんの整った容姿を一層際立たせ、浮き世離れした印象を与えた。
恐怖というよりも、それに似ている神秘的な畏れを感じさせた。

仁王くんは気味悪がられて親に捨てられ、故郷を追われてから、あちこち流れて里の山に迷い込んだらしい。
雪積もる山で倒れていたところを先生が見つけて屋敷へ連れてきた。
最初は暴れて大変だったらしいが、体調の悪さはごまかせず、先生の家で三日三晩意識を失っていた。

仁王くんは他人を信用しようとしないし、自分のことは滅多に話さない。
私も仁王くんのことを詳しく知っているわけじゃないが、とりあえずここにいる人間の中では私と先生が一番仁王くんと言葉を交わすようだ。


仁王くんとは道場で知り合った。
仁王くんのことは一族中で噂になっていたが、私は余所者に興味がなく、実際に道場で会うまで仁王くんを見たことすらなかった。
仁王くんを連れてきて、これから一緒に修行をさせたいと先生が言った。
他の子供たちは渋っていたが、一族の仲間だろうが一族の外者だろうが他人は関係ないと思っていた私は同意した。
それから仁王くんと私だけの特別授業が始まった。
仁王くんを利用すれば、私も先生の特別授業が受けられる。
最初はそれだけの気持ちだった。
多分仁王くんはわかっていただろうが何も言わなかった。
私は仁王くんよりもきっと冷たい人間なのだ。




屋敷内の大きな道場で、一族の子供は剣を学ぶ。
子供の数は多くはなく、先生は絵に描いたような厳格な人で、私はこの道場の緊迫した雰囲気が大好きだった。
先生の屋敷には、私たち一族や仁王くんの他に、門弟たちが沢山いて生活をしている。
私は敷地内にある一族だけの別の屋敷に住んでいるが、仁王くんは先生の屋敷に住んでいた。
だから、仁王くんが先生の屋敷にいること自体は違和感がないのだが、仁王雅治という存在は良い意味でも悪い意味でも異質だった。

今日からしばらく世話を見ると先生に紹介された時の仁王くんは、感情の籠もらない目と聞いたことのない方言を使って自己紹介をした。
怖そうな見た目に反して、仁王くんは簡単に屋敷に馴染んだ。
周りの大人たちも嫌な顔はしても追い出すことはない。
仁王くんは細心の注意を払って人を不快にしないようにしていた。
仁王くんの剣術の筋や闘いのセンスは門弟の中でも群を抜いていて、先生もとても仁王くんを気にいっていた。

自分の内側に深く入り込ませないくせに、他人と笑い合うコミュニケーションは絶妙で、ちぐはぐな距離を保つ仁王くんに私は複雑な心境だった。
同じ匂いがする。
近付きたくない同族嫌悪か、まるでもう一人の自分といるように満たされる安心感か、どちらを取ればいいのか、子供の私にはまだ分からなかった。
仁王くんが自己紹介をした時、仁王くんの方言が作り物だと、私はすぐに気付いてしまった。
この国にそんな方言は存在しない。
出身地を隠すために、ここに流れつくまで様々な土地の方言を取り入れて、仁王くんは自分の生まれた土地を、


「出身地がバレたら終わりだっちゃ。」


捨てた。
なぜか私の胸が痛んだ。



正反対の存在なのに、不思議と気があう私たちは、自然と一緒にいることが多くなった。
仁王くんが来てから一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月…一年が経とうとしていた。
季節は秋を過ぎ、肌寒くなった。
仁王くんは徐々に内側を見せ始めた。
元々人の世話を焼くのが好きだった私は、すっかり地に足の着かない仁王くんを放っておけなくなった。


仁王くんが、何日も先生の家からいなくなるのは珍しいことではない。
稽古に出ても出なくても、門弟たちは微妙な反応だった。
仁王くんが稽古に出ていれば、その才能に嫉妬し、自分より先生に認められている存在に不安になる。
仁王くんが稽古に出ていなければ、しばらくの間だけとは言え門弟の身で稽古をサボるなどと嫌味を言う。

仁王くんは、いなくなったと思えば早朝に帰ってきて、どこからかまとまったお金を先生に渡しているのを時々見かけた。
受け取れないと言う先生に、仁王くんは半ば強引に押し付けていた。


「もう良いのではないですか?先生は厚意で貴方の面倒を見ているだけですし、多分貴方から頂いたお金を取っていますよ。」

「知っとる。でも、ここにいる限りは渡す。」

「それは…恩義ですか?」

「違う。借りを作ると、ここを出て行っても、また戻って来んといかんくなるじゃろ。」

「それの何がいけないと言うんです。」


訳が分からないという顔をする私に仁王くんは苦笑した。


「俺は同じ場所に二度は戻らんぜよ。全員、俺のことは忘れた方がいいんじゃ。」

「そこには私も、含まれているんでしょうか。」


仁王くんは私の顔を覗き込んで笑った。


「なぁ、柳生。東に行ったことあるか?人が集まるところは金が集まるけぇのう。俺はいつか江戸に行くつもりじゃ。」


仁王くんがへらへらと笑うので、私は真剣な話をしているのにといつものように叱った。
仁王くんはいつか出て行ってしまう。
それはいつも心にあったことなのに、仁王くんがいなくなる不安は想像以上だった。

もしかして私は寂しいと思っているのか。
この私が?たった一人の友人で?


仁王くんはその端正な容姿で女性によくモテる。
一族の中でも仁王くんを見て頬を染める人間は多く、食事を取る時も仁王くんのお椀はサービスされていることが時々ある。
それがまた一族の中での風当たりを強くしていった。
絹糸のような細く真っ直ぐな髪は女性の目を惹きつける。
まとまった金の出どころは、言わずと知れていた。
お金と情報を手に入れて、仁王くんは先生と長に利益をもたらす。
そうして権利者に目をかけてもらう。

それが彼の生き方だ。

私も任務の内で女性を相手にすることは何度かあったが、それが直接生きるために繋がるというイメージはない。
一年、仁王くんは剣客としての技術を吸収した。
時間が空いた時に仁王くんに遊びで教えてもらった弓矢と変装の才能はずば抜けていた。
ここと同じようにどこかで身につけてきたのだろう。
聞いても答えてはくれないだろうけど。
私は仁王くんに外界の常識を教えてもらい、私は仁王くんに上流階級のマナー、茶道や華道などの嗜みを教えた。

屋敷から少し離れたところには栄えた町がある。
町には情報が集まるため、ここは仁王くんにとっても便利だっただろう。

最近は不穏な話が多い。
時代が大きく動こうとしている。
繁栄はことごとく東に集まり、地方は段々と廃れている。
剣の需要は年々減少し、一族を出て剣を捨てた者もいないわけではない。
先生は剣の時代は終わろうとしていると言い渡し、それでも柳生の剣は捨てるなと言った。
捨てたい者は今のうちに柳生の名前を捨てて出ていけと言い、それから数人の門弟と一族の一端が道場のない別の屋敷へ移った。



午後に先生のところへ行くと、予想通り仁王くんがいた。


「柳生。」

「おや、仁王くん。」

「先生が、話があるそうじゃ。」


表情が乏しい仁王くんの目を見ると微かに揺らいだ。
何となく嫌な予感がした。
仁王くんが来て一年、空は冬の分厚い雲を生み出していた。





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