すごい、とそう言って彼女は身を寄せた。

すごい。すごいですね、雅治先輩。

隣にいる頭数個分小さな少女のはしゃぐ様子を見て、自然と顔が綻んだ。
落ち葉が降ってくる秋の日だった。
寄り道をして、街路樹が並ぶ公園を二人歩いた。
小さな頭の上に降り積もる落ち葉を仁王が払う。
驚いた顔で振り返り、笑って仁王の頭を指差す。
彼女は右手に持っていた学校に忘れていたらしい傘を広げて仁王に渡した。
仁王は隣に傘を傾けた。
仁王の頭の上にはまた落ち葉がひらりと落ちたがそれを気にする様子はない。
隣の少女の頭に落ち葉が積もらないよう傘で阻止する。
地面に積もった落ち葉に滑りそうな危うい足取りに仁王が思わず笑うと、彼女は困った顔をして照れた。
風はゆっくりと後ろへ流れていく。
落ち葉の雨はどんどん酷くなる。
仁王が腕で目をこすっても段々埋まっていく視界に不安感を覚えた。
焦りを抑え、彼女の名前を呼ぼうとして唖然とした。


名前、
――――――名前、


思い出せない?

一瞬の強い衝撃の後、体が宙に投げ出される。
浮いたのは一瞬だけで後はひらすら落ちていった。
体重を上乗せして強引に地面に引きずられる様は重力という名の暴力のようだった。
スローになった空に上靴のシルエットが浮かんだ。
屋上から覗く顔は逆光で見えない。

こんなつもりじゃなかった。
彼女を悲しませるつもりは―――…











「A、元気?」


電話越しにリョーマくんが私のことを心配するように聞いた。


「今日、学校休んでるって切原さんに聞いたから。」

「あ…。うん…。心配させてごめん。」

「別に。ていうか、何なわけあの人…。病院でAなら先に帰ったって言ったら、むりやりメアド交換させられたんだけど。」

「あぁ…ははは。赤也は人懐っこいから。」

「人懐っこいっていうか…あんたの番犬のつもりじゃないの?」

「番犬って。赤也が聞いたら怒るよ。」


リョーマくんは少しほっとしたような声で笑った。


「まぁ元気になったら学校行けば。切原さん心配してたみたいだったし、連絡しといた方がいいんじゃない?」

「うん。ありがとう…。」

「それと、親父から伝言。」

「え?」

「来週の土曜日、寺に来れるかって。」

「あ、うん。わかった…。」

「学校終わったら連絡して。駅まで迎えに行くから。」

「うん。」

「元気出して。」

「うん。ありがとうリョーマくん。」

「じゃあね。」


私はケータイを閉じて深い息を吐いた。
じっと天井を見上げても何も解決はしない。
机の方を見た。
机には、幸村先輩がくれたメモが置いてある。
ケータイに登録したまま、未だに送ったことのない幸村先輩のアドレス。
“すみませんでした”
“でも嘘は吐いてません”
“幸村先輩、私の話を”
何かメールしなくちゃと思いながらも、書いては消し書いては消してしまう。
枕の横に放り出したケータイの蓋を指先でバチンと閉じた。
コンコンと扉をノックする音が聞こえぼんやり返事をした。


「A、体調はどう?」

「お母さん…。」

「食欲ある?」


朝食を食べなかったことを思い出して、ゆったりと体を起こした。
お母さんは部屋の真ん中にあった机にトレイを置いた。
食べる?と聞かれて首を振ると、果物が乗ったお皿を渡された。


「これだけでも食べなさい。ね?」


フォークで苺を刺して口に入れた。
甘酸っぱい味が口の中で瑞々しく広がって思わず顔が綻んだ。


「美味しい。」

「そうでしょう?林檎食べる?」

「うん。」


果物包丁を持ってきて手際良く林檎を剥いていくお母さんの手元を見つめた。


「体調崩すほど、何かあったの?ふふふ。恋かしら。」

「…内緒。」

「はいはい。」

「ねぇ、お母さんっておばあちゃんに似てる?」

「なあに。突然。そうね。そっくりだったわよ。」

「おばあちゃんって、霊感があったんだよね?」

「ええ。強かったみたい。でも霊感のせいで苦労したらしくてね。」

「え?どんな?」


私はお母さんから林檎をもらって食べながら話を聞いた。


「お母さんには霊感がないからわからないけど…、色んなことがわかるって言うのは、知りたくないことまで知ってしまうってことなのよ。おばあちゃんは若い頃、霊感を自分でコントロールできなくて大変だったみたい。」

「…………。」


私もおばあちゃんくらい霊感が強かったら、仁王の生前のヴィジョンまで見えたのかもしれない。


「お母さん、霊感があったら良かったなと思うことある?」

「あるわよ。霊感があったらカリスマ占い師になって一儲けできそうじゃない?」

「あはは!」

「それに霊感があったら、友達や困ってる大切な人が大変な時に助けられるかもしれないでしょ?」

「……そっか。悪いことばかりじゃないんだね。」


力がなかったら仁王にも出会えなかった。
私は食べ終わったお皿にフォークを置いた。


「やっぱりご飯食べる。」

「うふふ。たくさんあるわよー。」











次の週の土曜日、私はリョーマくんを通じて南次郎さんに呼び出された。
私の霊感を取り戻す訓練をつけてくれるためにわざわざ日を空けてくれたらしい。
申し訳なさそうにしていたらリョーマくんは「親父は毎日暇だから」と真顔で言っていた。
縁起の良い日は悪いものが湧きにくいため、日を選んで私は南次郎さんがいるお寺に足を運んだ。


「よぉーAちゃん。久しぶり!あれから調子はどう?………って、アレ?」


南次郎さんは噛んでいた煙草を地面にぽとりと落として頭を掻いた。


「…なんか雰囲気変わってねぇか?」

「え?そ、そうですか…?」

「ま、別にいーんだけどよ…。」


南次郎さんが私の後ろを見ながら苦々しく笑っていた。


「そうだ。彼が、仁王って名前なんですけど、思い出したんです…!」

「ン?思い出した…?」


南次郎さんが眉をひそめた。


「霊感が戻った…ようにゃ見えねぇが…。突然?」

「仁王は、本当は生きてたんです。病院にいて、ずっと眠ったままで。それで、会ってきました。そうしたら思い出せたんです。」

「生きた魂だったわけか…。ああ、なるほどな。じゃあ、やっぱり間違いじゃなかったんだな。あー良かったぜ。」

「え?どういう意味ですか?」

「お嬢ちゃんがそいつの魂と出会っちまったことがだ。Aちゃんとそいつは、出会う運命だったんだろうよ。」

「…………。」

「しっかり覚えててやれよ。そいつがこっちに戻ってくる時迷わないようにな。」

「覚えていれば、仁王は戻って来られるんですか…?」

「おう。人の気持ちっつーのは、そんだけ強いんだぜ?」


お風呂を借りて身を清め、綺麗な水で手や口を洗い流し、一通り南次郎さんに祓ってもらった。
霊感を取り戻す訓練は、今日一度で上手くいくかはわからない。
焦らず、期待はするなと、南次郎さんは先に釘をさした。


「じっくり集中しろよ。何か不思議な気分になったり、おかしな物を見ても取り乱すな。あーそんな不安そうな顔すんじゃねぇよ。自分の守護霊や守護神、神様仏様、死んだ身内とか、自分を守る存在を意識しろ。ま、オジサマがついてるから心配しなくていいってこった。ね。」


お寺の本堂を借りて、私は座禅を組んで座った。
本堂の扉を閉め、四隅に置いた燭台では蝋燭がほんのりと灯っている。
目の前にも一本蝋燭があって、ぼんやり周りを照らしていた。
リョーマくんは本堂の外で待機するらしい。
よくわからないけどリョーマくんがいると結界のような役割になるらしい。
ただ待つだけで暇そうなリョーマくんに謝ったが、別にとだけ言われてしまった。


「吸って。」


閉め切った本堂の中は薄暗い。
南次郎さんは私の後ろで変わった歩き方をしながらゆったりと右に左に歩いている。
木の床がきしりきしりと小さく軋む。
最低限の音しかしないこの空間が段々違う雰囲気を帯びて、引き戸の向こう側に本当にさっきまで見ていた世界がそこにあるのか、わからなくなる。


「吐いて。」


ぼんやりと蝋燭の揺らめく火をもう長い時間眺めていた。
ずっと繰り返している深呼吸はもう止まりそうなほどゆっくりになっている。
後ろから聞こえる南次郎さんの声がどこか遠くに聞こえた。


「俺は扉をノックしてやるだけだ。それから先に進めるのはAちゃんだけだぜ。目を閉じて。」


無言で答える。
自然と落ちたまぶたの裏に蝋燭の残像が映り、形を変えていく。
星になったり、動物になったり、物になったり、大きくなったり小さくなったり動いたり、全く法則性のない多様な変化。時間の渦のようなその中を深く奥に進んでいく。光が頭上で遠のいていった。
吐いて、吸って、吐いて、そのたびに沈み込んでいく。
全身の力が程良く溶けて、体が体の重さで動かない。
自分の体じゃないみたいだ。
重たい体を脱ぎ捨てたくなる。


「飛ぶぜ。」


眠たいのとはまた違う意識がどこかへ引っ張られていく。独特な浮遊感。


「そう。そのまま怖がらずに行け。」


私は暗闇の中を突き抜けていった。
蝋燭の残像が、最後におばあちゃんへと変わったような気がした。













パシン!!


「……っ!!」

「Aちゃん。」


目の前で手を叩いて鳴らされ、私はびくっと飛び上がって目を覚ました。
いや寝ていた気はしないが、自分が何をしていたかの記憶は真っ暗闇の中に落ちている。
体も頭も妙なくらいにすっきりしていた。
いつの間にか本堂の扉は全て開けられていて、太陽の光が部屋いっぱいに差し込んでいる。


「大丈夫か?」

「…………は、い。」


私は南次郎さんに引っ張られて立ち上がった。


「気分は?」

「大丈夫です。すっきりしていて…でもちょっとなんだか、変な気分です…。記憶が飛んだせいで、眠る前の世界と今は本当に同じ世界なのか、わからないっていうか…。すみません。変なこと言ってますよね。」

「ふーむ…こんな言葉がある。」


南次郎さんは人差し指を立てて、得意げに語った。


「一日は人生と同じだ。夜寝る時に死んで、朝起きる時に生まれるってな。まぁこれは毎日を大切に生きるための考え方の一つなんだが。昔から、死んで生まれ直すと強い力を手に入れると信じられてきた。さっきまでAちゃんがやったのは瞑想みたいなもんだけど、死ぬことと同じだ。今Aちゃんは生まれ変わったんだ。」

「生まれ変わった…?」

「俗世の余計なもんを落としてまっさらな魂になったところで、霊感を持った俺が道を教える。正しいやり方じゃないし、かなり荒っぽいが、Aちゃんには素質があるから多分キッカケになったはずだぜ。一応、手順は踏んでるから、悪霊に集られるようなことはないだろ。もしかしたら徐々にまた見えるようになるか……ま、これで駄目ならまた別の手考えるか!」

「はい。」

「ただし、だ。」


南次郎さんは私の頭をワシワシと撫でた。


「願いが叶ったら霊感はなくなるぜ。その代わり期間を限定したり、目的を絞ったり、条件を限定すればするほど力が強くなる。能力と引き換えに、目的の達成を買うってことよ。Aちゃんの今後の人生のためにも、その方がいい。」

「はい。それでいいです。」

「うっし!今日は終わり!リョーマが茶淹れてくれてっから、休憩しに行くぞー。」

「あはは。はーい。」


その日の夜、私は南次郎さんが言っていたことを思い出した。
寝る時に死んで、明日目を覚ましたら生まれ変わる。
なんだか不思議な話だ。考えたこともなかった。
その夜私は変わった夢を見た。
私を守っている人たちが、輪になって無言で話している。
全員が期限付きで霊感を戻すことに納得したようだった。
私を護ろうと決めて、全員が消えた瞬間、私は目を覚ました。
見慣れた天井、馴染んだ壁紙、何一つ変わらない私の部屋だ。


「おばあちゃん……。ありがとね…。」


何もない空間に呟いた。
嬉しくて涙が溢れた。

それからじわじわと体に馴染むように日に日に幽霊が見え始めた。
以前とは違い、向こうからみだりに近寄ってくることはない。
悪いものと害がないものが分かるようになり、集中すれば人についている守護霊の類も見えるようになった。




一週間して霊感が落ち着いた頃、私は旧校舎へ入った。
速まる動悸を抑えて、屋上までの階段をゆっくり上った。
所々幽霊の気配がするが、人がいなくなった建物はどこもこんなものだろう。
前の自分がどれだけ危うかったのか今ならよくわかった。
屋上のドアを押すと錆びた金属の音がした。
吹きさらされた屋上は、私が来なくなってから一気に古びた気がする。


「仁王?」


私は屋上を歩いて探してみた。
何かがいた気配はあるけどもう幽霊は一人もいない。


「仁王……。」


やっぱりいないか。
私は適当にフェンスの前に立ってみた。


「ごめんね。」


一人にして、ごめんね。
一緒にいてあげられなくてごめん。
私は仁王に届くと信じて話しかけた。


「幸村先輩、怒らせちゃったんだよね。あはは。仁王の友達なのに、ごめん。でも会えたよ。短い時間だったけど、仁王に。生きてた。仁王はまだ戻れるかもしれない。」


体から抜けた魂は戻る場所を見失って、たどり着いたのは屋上だった。
そこから停滞。
仁王の魂は、徐々に地縛霊へと近付いていた。
早く魂を体に戻すか、それが駄目なら成仏しないと、本当にここに縛られてしまう。


「あんなに髪型気にしてたのに、入院してたら伸ばせないよ。ちゃんと病院が切ってくれるしね。でも髪が短い仁王もかっこ良かった!なんてね!」


屋上から下を見る。
三階建ての校舎は病院で見るほど高くはなかった。
一階の靴箱の屋根が平べったく飛び出していて、そこに落ちれば実質的には二階分しかない。
だから仁王は助かった。


「聞いたよ。ひーちゃんのこと好きだったんだってね。」


仁王が自分の命を投げ出しても、助けたかった最愛の女の子。


「馬鹿だなぁ。ふふ。かっこつけすぎだよ。でもそんな仁王が私好きなんだ。だから私も、私の恋が叶わなくても、仁王を助けたい。仁王と同じ場所に立ちたい。」


それは最後の足掻きかもしれない。
仁王がひーちゃんを想うのと同じくらい私も仁王が好きだってことを、意地汚く見せつけようとしているだけなのかもしれない。

幸村先輩は。
仁王はひーちゃんをかばって落ちたと言っていた。
でも私が幽霊に聞いたのは、仁王が突き落とされたという話だ。
赤也は事故だって聞いたらしいし、みんなの話は不自然に食い違っている。
幸村先輩はあの様子じゃ、もう少し切り札を揃えていかなければ多分また簡単にあしらわれるだけだ。
事件の中心人物はまだいる。

なぜか仁王のお見舞いに来ていたひーちゃん、それから救急車を呼んだという柳生先輩だ。
赤也にも、ひーちゃんのことを詳しく聞いてみる必要がある。


「よし。頑張ろう!」


私は一人で気合いを入れ直し、屋上を後にした。
まずは赤也だ。
先輩の事故だろうが、元カノだろうが、関係ない。
心の傷をほじくり返して、一つ残らず吐き出させてやる。
私が不敵に高笑いをしながら階段を下りていくと浮遊していた人魂が慌てて逃げていった。




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