病室にいると幸村部長が入ってきた。
先に向かったはずのひー子は見あたらず、俺だけが病室にいる。


「あれ…赤也?来てたの?」

「あは、ははは…。おはようございます!」

「なんだ。言ってくれたら一緒に来たのに。」

「いやー、俺はただ、その。思いついて来ただけっすから。」

「あの子は?」

「あの子?あの子って誰?ああ!ひー子か!ひー子は……トイレ?みたいな?」

「赤也?俺に何か隠してない?」

「ええっ!!?いやなんも!?なんでっすか!?何も隠すことないっすよ!!」

「赤也………。」


幸村部長は呆れた顔で慌てる俺を見た。


「今なら許してあげるから正直に話して。」

「うっ…………。」

「赤也。」

「……………あはは。」

「俺を怒らせたいの?」

「すんませんでした!!俺の友達が来たいって言うからちょっと連れて来ただけッス!!」

「え?赤也の友達がどうしてここに来たがるんだい?」

「や……なんとなく……?」


幸村部長は溜め息をついた。


「ねぇ赤也、Aさんのこと好きだったよね。俺がAさんに手出してもいいのかな?」


幸村部長はにっこりと笑った。
冷静に考えれば、俺に本当のことを吐かせるための冗談だってすぐにわかるのに、この時はAの名前に過剰に反応してしまった。
「手を出していいのか」を恋愛的な意味ではなく、病院に来ているAに怒ってもいいのかという意味かと勘違いした。


「え!?A!?なんでAが来てるってわかったんすか!?あ!もしかして見ました…?」


一瞬沈黙が流れた。
幸村部長は目を丸くして俺の言葉を考えている。


「Aさんが、来てるの。どうして?」

「え!?」


幸村部長は俺の肩にポンと手を置いた。
そのちょっとした衝撃に俺は飛び上がった。


「嫌な予感しかしないんだけどな…。Aさん、幽霊が見えるとか言ってたよね。もしかして赤也が仁王のこと頼んだ?」

「違います!A、本当に霊感とかあって仁王先輩の幽霊と会ったって言ってたんすよ!!」

「は?なんだいそれ…。本当の話……?だからAさんが病院に来たいって?」

「見舞いに行こうって言ったのは俺です!Aは悪くないっす!」

「…………。Aさんはどこ?」

「部長!!」


俺はAを探しに行こうとする幸村部長を必死に止めた。


「すんません!俺のせいです!」

「あのね、赤也。君だって馬鹿じゃないんだから、考えもなしにここに関係者以外を連れて来たりしないだろう?幽霊が見えるなんて俺は信じられないよ。Aさんから事情を聞きたいんだ。」

「俺に聞けばいいじゃないすか!」

「話してくれるのかい?」

「……は、はい。」


俺は事情を簡単にまとめた。
Aが俺と別れて、仁王先輩と出会って、お互い好きになったことを順に話した。
仁王先輩が消えて、Aは仁王先輩を探していたことも話した。
話すうちに幸村部長の表情がどんどん険しくなっていくのがわかった。


「信じられない。」


全部話し終わって、幸村部長の反応は予想通りだった。
多分、仁王先輩のことに一番敏感なのは、幸村部長だ。
部長としてなのか友達としてなのか、幸村部長は仁王先輩のことに人一倍責任を感じている。


「そんなドラマみたいな話、信じろっていう方が難しいんじゃない?」

「でも、俺はAを信じてます。好きだから信じてるとかじゃなくて、Aは本当に良い奴なんすよ…。」

「どんなに良い人間でも嘘は吐くし、魔が差すことだってあるんだよ。」

「A、仁王先輩見てぼろぼろ泣いてたっす。演技で泣くような女じゃないってことは、付き合ってた俺が一番よく知ってます!そこらへんの女とは違うんすよ…!!仁王先輩のこと知らないはずなのに、旧校舎の屋上にばっかり行ってたんです。知らないのに、嘘吐けるわけないじゃないすか!」


あの日も、暴風雨の中、Aはたった一人で旧校舎に行った。
危ないのに、外に出られるような状況じゃなかったのに、不気味な旧校舎に一人で向かった。
Aがいないことに気付いて、旧校舎の前で倒れていたのを見た時、血の気が引いた。
怖かった。
事故後、初めて仁王先輩を見た時と同じ気分だった。
雨粒が跳ねる。風が叩きつける。俺の心の中みたいに暴れ回る。
冷たいAの体を必死に抱きかかえて、保健室まで走った。


(バカ…!Aのバカヤロー!!)


後悔した。
Aを置いて、ひー子を選んだこと。
Aは強いから俺がいなくても大丈夫だなんて、どうして思ったりしたんだろう。
だけどあの頃ひー子が、どうしようもないあの後輩の小さな女の子が、仁王先輩が大切に大切にしていた女の子が、可哀想で仕方なかった。
傍にいてやりたかった。
どっちも大事だったから、どっちかなんて選べなかった。

どんなに後悔して言い訳をしても、気付いた時にはもうAは俺から離れてしまっていた。
保健室で眠るAの顔を見ながら、なんで旧校舎に行ったんだとしか思えなくて、気がおかしくなったんじゃないかとまで思って、言うことを聞かないAに腹が立って怒鳴って。
今ならわかる。
Aは、仁王先輩が心配だったんだ。
Aは他のことが見えなくなるくらい仁王先輩を好きになったんだ。
比べても仕方がない。
負けたんだ。
俺は仁王先輩に負けた。


「仁王のことは噂になってたし、ちょっと調べたらわかるんじゃない?」

「………そんなの、わからないっすよ…。」

「赤也……。」

「………すんません。でも、俺、まじで言ってますから。」


俺が真っ直ぐ幸村部長を見ると部長は困った表情を浮かべた。


「もしそれが本当だとして、赤也は、Aさんと仁王を取り持つのかい?Aさんのこと好きなんじゃなかったっけ。そんなことしていいの?」

「そうっすけど…。」

「じゃあどうして。」


幸村部長は理解できないという顔で俺を見つめた。


「どうして、好きな人のために自分を犠牲にするんだい………?」












俺には理解できない。











去年の秋に部活を引退した後、俺はしばらく通院していた。
全国大会での無理が祟って、少し体調を崩していた。
手足が痺れていて、病気が再発したのかと一昨年の凄絶な闘病生活を思い出し、怖くなった。
だけど医者からはしばらく休めばすぐに良くなると言われて、俺は検査も含めて三週間ほど入院した。
俺が心配で毎日のようにお見舞いに来てくれたみんなの方がよっぽど慌てていたのを思い出すと、今でもくすぐったい気分になる。
退院してからは大事を取って、二、三日学校を休んだ。

明日からは久しぶりの学校だ。
勉強は真田や柳から聞いていたから大丈夫だと思うけど、もう一度復習しておこうか。
部活の練習メニューも新しく考えたい。
久しぶりにみんなで放課後遊びに行ってもいいな。
そういえば学校の花壇に植える花も考えないと、水曜日に委員会議があるんだった。

仁王が屋上から落ちて、病院に運ばれたと真田から連絡が入ったのは、俺がそんな日常生活を思い描いていた時だった。




「……………ッ!!」


握り締めた拳の側面で、ガツンと屋上の壁を殴った。
泣いて走って行ったAさんの顔が頭に蘇る。

泣かせてしまった。
覚悟はしていたけど、やっぱり女の子を泣かせるのは辛い。
どうして仁王が落ちたのかを問い詰めてひー子を泣かせてしまった時も酷いものだった。
柳生やジャッカルが止めなかったらもっときつい言葉をかけていたかもしれない。

仁王が落ちたのは俺のせいでもある。
その責任感から、仁王が目覚めるまでは、仁王を守らなくちゃいけないと思っていたけど、女の子を二人も泣かせたなんて仁王が知ったらさすがに怒られるだろう。
Aさん…はわからないけど、ひー子が泣いたら絶対に怒るだろうな。
あんなに好きだったんだから。

ひー子を見つめる仁王の眼差しを思い出して拳を握りしめた。
ぼんやりと泳ぐシーツと空を眺める。


「精市先輩……」


キィ…と扉が開く音が頼りなく響いた。
か細い声が後ろから重なって聞こえる。


「先輩……A先輩、泣いてましたよ…?」


泣きそうな顔でひー子が言った。
俺はベンチに座って、背もたれの上に肘をつくと頭痛を訴える頭を支えた。


「赤也のところに行ってって言わなかった?」


俺は素っ気なく突き放した。
これは八つ当たりだ。
ひー子は謝って、静かに俺の隣に座った。


「精市先輩は、悪くないです…。」

「……………。」

「私何もわからないけど、精市先輩は優しいから、頭良いし、ちゃんとみんなのこと考えて……」

「君に何がわかるのかな。」


静かにして。と言うとひー子は大人しく黙った。
いっそ言い返してくれたらいいのにと、また自分勝手なことを思う。
こうして俺の言うことなら何でも聞いてしまうこの子が、昔から煩わしくも大切だった。

妹みたいな女の子。
俺なんかじゃなくて仁王を好きになれば良いのに。
そうすれば全部うまくいくのに。

そんな最悪なことを考えていた。
ひー子の気持ちに応えられない俺はそれとなくひー子を避けるしかなかった。
突き放されて一人ぼっちになるひー子をいつも仁王が助けていた。
仁王は「すまんのう。」なんて苦々しく笑って、気にするなとでも言うように俺の肩を叩く。
最初は仕方ないと開き直っていたけど、何年も俺だけを追いかけてくる彼女と、その後ろにいる仁王に、段々自分が悪者のように思えてきて、なんとなく気まずくなった。

ひー子は悪くない。
俺を好きでいるだけで、何か悪いことをしたわけじゃない。
だから俺は未だにこの子を突き放せないんだろう。
仁王の事故に、俺が責任を感じているのをわかっていて、俺を責めずに全部自分が悪いと公言するこの子の優しさが、憎かった。


「仁王がどれだけ君を大切にしていたと思ってるんだ!!」


仁王の事故の後、俺はこの子にそう怒鳴った。
こんなことになってもまだ、仁王に目を向けずに俺を好きでいる彼女に、そう言わずにはいられなかった。


「そんなの…、だって、私…先輩がすきだから…。雅治先輩じゃなくて、精市先輩が、ずっとずっと好きだったから…。ごめんなさい。ごめんなさい…。」


泣きだしたひー子の言い分はもっともだ。
仁王がひー子を好きだから、仁王を好きになれと言うのは変だ。
俺だって逆の立場なら怒るだろう。
でも、どんなに理不尽だろうと、俺は仁王が不憫で仕方なかった。
眠り続けている仁王に申し訳なかった。
仁王が命を懸けた彼女は、俺のことが好きだと言う。


もうやめてくれ。
俺を自由にしてくれよ。
好きになってくれなくてもいいからなんて言わないでくれ。
君の気持ちが苦しいんだよ。重たいんだよ。
俺は何も悪くないのに、どうして俺は、大切な友達を二人も苦しめなくちゃいけないんだ。
傷つけ続けなくちゃいけないんだ。


「精市先輩の力になりたいんです……。」


ぼんやりと空を眺めていた俺の横で、大人しくしていたひー子が小さく呟いた。
今ここで、君の気持ちが重いのだと言ってしまえたらどんなに良いだろう。
だけど、仁王が目覚めるまで、この子を守れるのは俺しかいない。
俺のためなら何をしてしまうかわからないこの子から目を離すわけにはいかない。


「何もしなくていいよ。」


心配するから。と期待を持たせるような優しい言葉をかけることもできず、俺はいつものように突き放さない程度に冷たい言葉を選んだ。


「ごめんなさい…。」

「謝らないで。俺が大人げなかっただけだから。」

「違うんです…私が悪いから…。」


赤也がひー子と付き合うことにしたと報告しに来た時、一体俺はどんな顔をしていたんだろう。
二人がどんな話をして、付き合うに至ったのかはわからない。
実際二人は「付き合ってる」なんて言えるようなものでもなかった。
俺に突き放されても、助けてくれる仁王はもういなくて、ふらふらしているあの子が、赤也は見てられなかっただけだ。
赤也は根が優しいから。

俺も理由は聞いても、止めはしなかった。
赤也はその頃Aさんと付き合っていたけど、関係は低迷していたらしい。
別れたのは、赤也なりのケジメだったんだろう。
ひー子を部活のマネージャーにしたのも、赤也が一緒にいて楽しく盛り上げようとしたのも、一瞬でもひー子が俺や仁王を忘れられたらと赤也が望んだからだった。
忘れるどころか、部室を見ては仁王や俺を思い出す彼女に、赤也はようやく付き合ったことに意味がなかったことを悟った。
俺じゃ駄目でしたと、赤也は笑って言った。
別の子に目を向けたことで、失ったAさんの大切さに気付くなんて、赤也も、それにひー子も、本当に不毛だ。
仁王が眠ってから、俺たちはただ出口の見えない場所で不毛なことばかりを繰り返している。


「A先輩、悪い人じゃないと思います…。私、いっぱい失礼なこと言ったのに、全然怒られませんでした…。赤也先輩のこと、また好きになってくださいって言っても、ごめんねって、好きな人がいるからごめんって、謝ってくれました。普通そんなこと言われたら怒るのに。赤也先輩取ったの、私だから。」

「うん。」

「精市先輩のことも褒めてました。私、A先輩と仲良くなりたいです…。」

「そう。」

「A先輩、精市先輩が来る前に、赤也先輩に逃げろって電話で言われてました。ふふふ赤也先輩、声大きいから。でもA先輩、じっとしてました。精市先輩に怒られるのわかってて、待ってたんですよね?何かあったのかな…。雅治先輩の病室にいた後も、目真っ赤で。A先輩の話、少し聞きたかったです…。」

「フフ…堂々と盗み聞きしてたこと言われても困るな…。」

「ごめんなさい…。A先輩、美人だから…その…気になって…。すみません。」

「君は本当に正直だよね。」

「嘘ついても、精市先輩には隠せないですから…。」

「そう。」


俺にはわからない。
みんな当たり前のように自分を犠牲にしていく。
好きな人のためなら、好きな人が幸せになれるなら、そんな綺麗事もううんざりだ。
お願いだから。
叶いもしないような恋愛なんかで、簡単に自分を犠牲にしてみせないでくれ。
俺にとってはみんな大事な仲間なのに。
大事な人が誰かのために不幸になるのは、俺にとっても不幸なのに。
ひー子を好きな仁王も、俺を好きなひー子も、Aさんを好きな赤也も、Aさんも。
たった一人の誰かを、自分の全てに代えても好きになる。
俺にはそんな恋愛できる気がしない。


「どうして、好きな人のために自分を犠牲にするんだい…?」


赤也は俺の言葉に心底きょとんとしていた。


「そんなの当たり前じゃないっすか。」

「だから、どうして?」


赤也は俺の言っている意味がわからないようで乱暴に頭を掻くと照れたように笑った。
まだまだ年下だ子供だと思っていた赤也が、大人びた顔で眩しく笑う。


「好きなやつが幸せだと、俺も幸せだからっす!」


じゃあ、きっと。俺は幸せにはなれないな。

俺はそんな誰かを見つけられる気がしないし、そんな風に綺麗に愛してあげられる気もしない。
なんとなく生きて、それとなく適度に人を好きになって、それなりに幸せになるのが現実だろう?
所詮みんな一番大切なのは自分なんだろう?
自分の幸せを守るために好きな人を守るんだろう?

俺だってそんな子見つけられるなら見つけてみたい。
自分よりも優先できる大事な子で、その子が幸せなら俺が不幸でもいいくらい好きな子なんてそれこそ、運命の相手じゃないか。




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