高等部から中学の方へ帰ってきて、幸村先輩にもらったメモを見ながら歩いていると見慣れた旧校舎の前で小柄な女の子とぶつかった。


「きゃ…!」

「あ、すみません!」


立ち止まって、慌ててふらついた女の子を見ると茶色の綺麗な髪が流れた。


(げ…。この子…赤也の彼女…!)


一瞬青ざめた顔を慌てて元に戻した。
失礼な反応だとは思ったが、赤也の彼女というポジションで泥沼だった間柄だ。
正直な話、ここ最近で一番関わりたくない相手だった。
私にはもう好きな人がいるからとアピールしたいけど、そうするのも変なので結局黙っておくしかない。
可愛らしく揃えられた前髪から、零れそうなほど大きな目がこちらを見上げた。
遠目から見ても可愛いだろうとは思っていたけど、予想した以上に可愛らしかった。
茶色の髪が日の光に透けて綺麗だなと思った。

私の後の、赤也の彼女。
二年生の女の子だ。

私のことは多分あんまり知らないとは思うけど一応気まずい。
気遣うような目を向けると後輩は私を見て首を傾げた。
どうやら顔は覚えられてないらしい。


「ごめんなさい。」

「わ、私の方こそ前見てなくて…!ごめんね。大丈夫?怪我してない…?」

「はい!今日は運勢が良いから大丈夫なんです!」

「…?そう…?」


後輩はふわりと笑顔を浮かべてまた謝った。


「本当にすみませんでした。」


後輩は頭を下げるとフワフワと新校舎まで歩いて行った。
覚束ない足取りはすぐにでも転んでしまいそうでなんだかほっとけない。
ちょっと変わった感じがするけど、悪い子ではなさそうだ。
赤也が好きになったのも頷ける。

短い雑草で埋められた緑の地面に赤茶色の紐が落ちていた。
古びたそれは色落ちしていて、ところどころ糸が切れて中の繊維が剥き出しになっている。
さっきまではなかったからさっきの後輩が落としたんだろう。
ただの紐にもゴムにもミサンガにもストラップの一部にも見える。
こんな状態になっても持ち歩いているってことは相当大切なものに違いない。
私はそれを拾うと、幸村先輩のハンカチを返して空いたポケットに入れて、旧校舎へ入った。
いつものように屋上へ上がって軋む錆びた扉を開ける。


「仁王…?あれ…いない。」


仁王がたまにいないのは別に珍しくなかった。
仁王はいつもどこかふらふらしているところがあるし、前に聞いた時は散歩だとか寝てるだとか言っていた。
時間の流れの感覚が生きている私たちとは違うから、時間がずれるのも仕方はないのかもしれない。


「…………。」


私はいつも仁王が立っている場所に立ってみた。
フェンスに指をかけて、フェンスから向こう側を見てみる。
空は街の向こう側まで続いていて、後ろから吹く風は気持ちがいい。
幸村先輩にもらったメモをポケットから取り出すと、さっき拾った後輩の落とし物が落ちた。


「あ、」


細い紐は風に煽られフェンスの下の隙間を抜けて、建物の端に引っかかった。
フェンスを乗り越えなくては拾えない。


「…………どうしよう…!」


向こう側に行くのは絶対に危ない。
でも後輩の大切なものかもしれない。
私を誘うかのようにひらひらと揺れるそれに、ここ最近身に振りかかった不幸の数々を思い出した。
取りに行ってここから落ちたりしたら…?


「そうだ。このまま下に落ちるまで待って、それから探しに行こう。」


すぐにでも飛ばされてしまいそうだし、壊れる物じゃないし、探すのは大変だけど危ないよりはいい。
おおよその落下地点を見ておこうと私は目を凝らして未だヒラヒラと揺れる紐を凝視した。
強い風が吹いてぱたりと止むと、紐はふわりと宙に浮いて落ちていった。
真っ直ぐ下に緩やかに落ちていく。
ここからだと校舎の真下は見えないため、紐はすぐに私の視界から消えてしまった。

私は屋上を出てすぐ下の階へ向かった。
三階から下を見ると、下の二階部分に一旦屋上があった。
一階の靴箱が飛び出しているため、その屋根部分の平べったいコンクリートの広がりが窓から見える。
紐は無事にそこに落ちていた。
私は二階に降りて、なんとか窓を股越すとコンクリートの上に出た。
窓の桟に埃が溜まっていたのかスカートが黒くなってしまった。
パタパタと強く叩きながら自分が降りたコンクリートの地面を見渡してみる。


「うわ…なにこれ。」


屋外コンクリートの上には沢山の落書きが書かれていた。
白いチョークでよくわからない記号や模様が並んでいて不気味だ。
線が細くて目立たないけど、消えかかっている物から新しそうな物まである。
私はなんとなく落書きを踏まないようにして落ちていた紐を拾いまたポケットにしまった。
再び落書きを避けながら旧校舎の中に戻った。
途中のコンクリートに落書きに混ざって一つだけ読めるものがあった。
小さな丸い文字が六つ並んでいた。


“ ごめんなさい ”


その所在ない文字に、私はなんだか怖くなった。














「ねぇ、旧校舎って実際どうなの?」

「は?」


次の日学校で科学の実験の準備をしていると、友達が急にそんなことを言いだした。


「Aってさ、最近旧校舎に出入りしてるって本当?」

「あはは。うん…時々ね。誰も来ないし、便利だよ。」

「えー!怖くないの?ていうか、あそこはあんまり行かない方がいいよ…?」

「うん…。あ、あの旧校舎ってさ…そんなに古くないんだよね…?なんでみんなそこまで怖がるの?」


友達は隣で盗み聞きしていた別のクラスメイトと顔を見合わせた。


「Aって引っ越してきたのいつだっけ?」

「春休みくらいだったかな。立海に入ったのは三年からだから。」

「入ってきた時にはもう新校舎だった?」

「うん。」

「じゃあなんで旧校舎が閉鎖されたのか知らないんだ。」

「え…?」

「旧校舎、出るんだってよ。」


心臓がどくんと鳴った。
向こうでは先生が実験の諸注意を呼び掛けている。
私は薬品が入った試験管を並べる手を止めて友達を見た。
友達は声をひそめて真面目な声音で言った。


「新校舎は教室を増やすためにずっと前から建てられてたんだけど、その時は旧校舎もそのまま残してまだまだ使う予定だったんだって。これ噂なんだけど、なんでも去年の秋口に一人の生徒が、」

「それ、ま、待って…!」


私が慌てて友達に口止めをしようとした時、教室の向こう側で悲鳴が上がった。
ビーカーが割れる激しい音がして、先生が急いで生徒の元に走っていった。


「どうしたんだ!?」

「わかりません!急に試験管が破裂して…!」

「早く手を洗って!!勝手に薬品を混ぜたりしたのか!?」

「ち、違うんです…。私たちは何も…!」


ガラス片で切ったのか出血が止まらない生徒が一人、友達に連れられて保健室へと向かった。
先生は原因がわからないことを理由に実験を中止して全員教室に戻るように指示した。
ざわざわと落ち着かないクラスメイト全員が不安な顔をしながら教科書を持って移動していく。
私も机の下から教科書を取ってその波の中に入った。


「 屋上から突き落とされたんだよお 」


誰かが場違いな声でそんなことを喋った。

生温い風が一瞬首元に当たってぞっと鳥肌がたつ。
反射的に手で耳と首を覆ってから手が震えた。
私以外にざわつく周りは誰も聞こえなかったようだ。
耳に残る声を思い出し、振り返って確かめる気にはなれなかった。
この実験室から旧校舎の屋上は確かによく見えるのだ。


「つきおとされた……って、誰に………。」


乾いた口の中で小さく呟いたが答える声はどこにもなかった。
何も知りたくないのにと私は握りしめた手に爪を立てた。



私はどこか、仁王は自殺なんじゃないかと思っていた。
失礼な話だとは思うけれど、なんとなく仁王は自分のことに執着しない性格のような気がしていたから。
そうじゃなければきっと、事故だったんだ。
そうであってほしいと思っていた。
恋人を殺した犯人がいるなんて、思いたくもなかった。














「A、昨日はどうじゃった。胡散臭い知り合いは。」


昼休みに屋上へ行くといつものように仁王がいた。
にやにやと笑いながら私の報告を楽しみに待っている。
私は科学の時間のことを頭の隅に追いやって、昨日の幸村先輩とのやり取りを思い出した。
貰ったメモ用紙は、まだスカートの中に入っている。
私は嫌味な笑いを浮かべる仁王を軽く叩いて怒ると仁王はますます笑った。


「……心配された。」

「はあ、霊感のスペシャリストとして上から目線で?」

「ううん。多分、私の頭とかを。」


仁王はそれを聞くとお腹を抱えて爆笑した。


「まともな知り合いで良かったのう。安心したぜよ。」

「仁王には言われたくない!…もしかしたら、ちゃんと信じてくれてたかもしれないもん。」

「その先輩ってやつは賢そうじゃな。でも本音では、自分で見えない物は信じないとか、根拠のない話は信じないとか思っとるタイプじゃ。」

「え!?なんでわかるの!?」

「優しく話聞いてくれたじゃろ。」

「うん。」

「悪い奴じゃなさそうじゃけど、まだあんまり信用せんようにしんしゃい。」

「そうかなぁ…。頼りになりそうな先輩なんだけど。」

「一つ聞きたいんじゃけど…。」

「うん?」

「その知り合いって、女の子じゃろ?」

「男だけど。」

「………お前さん、まさかとは思うがいつでも相談できるようにとか言われてメアド教えたりしてないじゃろうな。」

「え?メアドはもらったけどまだ教えては…ていうか、すごいね。仁王なんでそんなにわかるの?幽霊だから?あ、浮気じゃないからね…!」

「…………あああ、心配じゃ…。」

「え?もしかして、嫉妬してくれてる…?」

「俺もお前さんの頭が心配でならん。」

「怒るよ。」


私は仁王の肩を叩いて顔をしかめた。
幸村先輩に貰った紙が気になって仕方なかった。


「その先輩がさ、お寺紹介してくれたんだよね。どうしよう…。」


お寺っていうとものすごく大げさな気がするけど、行ってみるべきなのかとても悩む。
それとも本当に心療に行った方がいいのかと一人苦笑いを浮かべた。

考え込む私の隣で仁王はじっと黙っていた。
私は全く気付けなかった。
この時、仁王がどんな顔をしていたのか。
仁王がどんな気持ちで私を見ていたのか。






今日はなんだか朝から胸騒ぎがした。





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