それから数刻、ずっと俺は見世の中で人の目に晒されていた。
古びた着物を着て、飾り気もない俺は本当にただの見世物である。
周りの店の華やかな見世と比べるとどれほどお粗末極まりないことか。
覗きこむ人たちをギロリと睨むとみんなそそくさと逃げて行った。


騒がしくなった店頭を上から見下ろしながら、柳は淡々と状況を報告した。


「見世にブン太がいるそうだ。仁王がやったらしい。…叱っておくか?」

「そうだね。後で三人から話を聞くとしよう。」

「柳生とジャッカルもその場にいたとよくわかったな。」

「わかるよ。ジャッカルは止めるだろうし、ブン太が騒いでから仁王と柳生が部屋の近くに来ていただろう。だからブン太を止めなかったんだが…。全く手間のかかる奴ばかりだ。誰が集めたんだか。」


柳はフンと鼻を鳴らして、楽しそうに笑う立海遊郭の主人を見た。
そんな柳を気にする様子もなく、通りでざわめく人の様子を窓から見下ろしながら幸村はあからさまに顔を歪めた。


「見てごらん。蓮二、まるで祭に出る見世物小屋だ。」

「相変わらず見世嫌いは直っていないようだな。」

「ああ、人から品定めされる気分は最悪だ。下劣で虫唾が走る。」

「お前が見世にいた頃はマナーもモラルもあったものではなかったからだろう。今は身分の高い者も出入りするから見回りもいるし、幾分かましになった方だ。」


幸村は自嘲するように笑って、昔の話はいいよと再び外界を見下ろした。
キャアキャアとはしゃぐ年若い女の子もいれば、ただ見ている男もいれば、偵察に来る他の店の者もいる。
一見、ただ面白がっているように見えるが、中にはそうではない者たちも少なからず紛れていた。


「これじゃ丸井家の奴らに見つかるのも時間の問題だな…。」

「仁王がブン太を閉じ込めるのに見世を使う確率は八十八パーセントだった。」

「好都合だと思っておこう。いずれはこうなっていたかもしれないんだ。」


煙管に火をつけながら、幸村は煙管の先で燻ぶる火を眺めた。
夜の街によく映える。


「フフ…あの赤い髪は、どんな髪飾りより魅力的に見えるんだろうね。」

「母親がそうであったようにか。」

「そうだね。本当に綺麗だった。」

「ふむ…。だが、お前の髪色も負けてはいないだろう?客は皆、それを褒めていたじゃないか。海より深い波打つ藍だと。」

「今日はやたらと昔の話をするな。歳じゃないのか、蓮二。」

「昔の話をした時のお前の反応が面白いだけだ。気に入らないか、精市。」


幸村はこれだからお前はと大きなため息を吐いた。
いつもとは僅かに違う落ち着かない幸村の様子を読み取って、柳はできるだけ落ち着いた声を出した。


「なぜブン太に母親のことを黙っていたのか、言わないのか。」

「こういうのは、言ってどうにかなるような問題じゃないだろう。俺の口から言うようなことじゃないし。何も知らない方が幸せだろうに。」

「それは些か押し付けがましい言い分だな。」

「フフ…でも俺の本当の気持ちだ。」


幸村は先日届いた文を思い出した。
差出人は丸井家と懇意にしていた呉服問屋からだ。
立海遊郭も昔から贔屓にしている、江戸一番の店。
そこからの文は、柳を介して幸村に届いた。
内容は淡々としていたが、代々丸井家と親しかった呉服問屋の主人がどんなに悲痛に思ったことだろうと思うには十分だった。
人様の家の内情に踏む込むことを許してほしい。と言う謝罪から始まった手紙は、ブン太を分家から逃がす手助けを娘と一緒にしたこと、俗世とは違う規律で生きている遊郭の方が安全だということ、母親のよしみで行く宛てがないブン太を匿って欲しいこととなどが綺麗な字で綴られていた。
それから、母親がすでに死んでいることを分家の人たちが話していたことも。


「呉服問屋は遊郭にもよく商品を卸しに来る。ブン太の母親が立海遊郭にいた頃からすでに顔馴染みだったんだろうね…。」

「丸井家の当主とも親交のあった問屋の主人は、二人が結婚すると聞いた時も大いに喜んだらしい。自分の娘と同じ年のブン太を息子のように思っていたと話していた。」


酷い話だなと呟く柳に幸村は苦笑して見せた。
煙管からあがる紫煙が緩やかに窓の外へ流れて行く。
幸村はカツンと煙管の灰を落とすと、箱の上にに煙管を置いた。
柳はそれを横目に見ながら幸村に向き直った。


「ブン太には、下手に話さずに全て知らないふりをしていた方が良かったんじゃないか?」

「言ったじゃないか。ずっと母親探しばかりされても困る。どこかで生きているかもしれないと思うくらいが丁度良いんだ。それにブン太には、ここ以外に行く場所がないと思ってもらわなくちゃ。俺のためにもね。」


あくまで呉服問屋の主人の願いを叶えたというのが表向きの理由で、と付け加えると柳はやれやれとため息をついた。
願いを聞き届けてくれた暁には今後、安価で商品を譲ってくれるという文の添え書きを思い出して、柳は心の奥でクツリと笑った。
表向きには情に深い人間だと涙を誘う話だ。
わけありのブン太を問屋の主人の頼みを聞いた形で、助けて、匿って。
しかし本当は幸村の計画通りにブン太を導いている。
こうでなくては、この男について行く甲斐がないと柳は密やかに笑った。


「これでお前の夢にまた一歩近づいたわけだ。さて、お前の傲慢な夢はいつ叶うのか。」

「叶えてみせるさ。俺は必ず立海遊郭を国一番の遊郭にしてみせる。そのために、お前にはまだまだ苦労をかけるよ。」


詫びるつもりで幸村が言うと、柳は夜逃げの準備が必要だなと悪びれずに答えた。
それから幸村と柳は窓を離れて下の階へおり、仁王と柳生とジャッカルを呼び集めると、詳しい事情は避けつつブン太の話をした。


「まさかそんな名家の人間だったなんて驚いたぜ。」

「丸井家と言えば、世が世なら一国の主だった血筋ですね。」

「……。」


未だにブン太が幸村と言い争いをしたことに納得がいっていない仁王は拗ねたままで、柳生は肩をすくめた。


「仁王くんは富裕層の世間知らずがお嫌いなんですよ。」


仁王が柳生を睨んだが柳生はしれっとしていた。


「仁王には後でブン太を見世にいれた件で話がある。」


幸村が笑顔を深くすると仁王は柳生に項垂れたが、柳生は自業自得ですと跳ねのけた。
柳生とジャッカルも連帯責任だと幸村が告げると、二人は真っ青になって固まった。
三人が静まったところで柳が幸村に目で促し、幸村は全員を見まわして微笑むと、心の底からの本音を口に出した。


「うちの花魁候補にブン太が欲しい。」


腐り堕ちた名家に返してやることはない、と幸村の声に全員が肯定の沈黙で答えた。









時は深夜を過ぎ、町からは火が消え、静まっていった。
俺はなんとなく眠れず、部屋で月を眺めていた。
月明かりが差し込んで、畳の上に窓の影を作っていた。

あれから客もだいぶ疎らになってから、幸村が戸を開けに来て俺は見世から出してもらえた。
もっと早く助けに来てくれれば良かったのにと思ったけど、先刻言い争った気まずさも相まって何も言えなかった。
広間に行くと三人が正座して怒鳴られていた。
仁王は嫌そうにしていたが、柳に叱られると渋々俺に謝った。


“綺麗な髪色だね。燃える陽の中に咲く椿のようだ。”


母親の髪を、みんな同じように言って褒め称えた。
椿の花言葉が「気取らない気品」だったこともあり、名は体を表すとはこのことだと親戚たちは熱に浮かされたように母親を噂していた。
兄弟の中でもこの髪の色を受け継いだのは俺だけだったから、母親は俺の頭をいつも嬉しそうに撫でていたし、Aもこの色をよく綺麗だと言ってくれた。

いなくなった母親を想って、俺は目を閉じた。
いっそ母親を忘れて、Aのところへ帰ろうか。
でもそのたびに、母親に会えることを願って俺の身代わりになってくれたAの気持ちを無駄にしてしまうような気がして俺は帰れずにいた。
それに帰ればきっと家の奴らに見つかってしまうだろう。
Aにも迷惑がかかるし、見つかったら俺もどうなるかわからない。
ただでさえこの髪は目立つのに、と母親譲りの髪色が今は疎ましかった。


「マジでこれからどうしよう…。」


俺が床を転がってため息をついた時、部屋の襖の向こうから柳が俺を呼んだ。
俺が返事をすると柳は襖を開けて俺を見た。


「起きていたのか。」

「ああ…なんか用か?」

「お前に客だ。」

「こんな時間に?」

「ああ。今幸村が話をしている。幸村曰く、『来なくてもいい』そうだが…どうする?」


柳の妙な言い回しに俺は表情を歪めた。


「……客って誰だ?」

「丸井家と名乗っている。」

「……!」


俺が逃げ出せば、行くところは限られている。
この遊郭にもいつ分家の人間が訪ねてくるかと不安に思っていたが、見世の騒ぎで居場所が特定されてしまったのかもしれない。
でもここで行かなければ、多分幸村たちに迷惑がかかるんだろう。


「案内してくれ。」

「こっちだ。」


柳が持っている蝋燭が薄暗い廊下の床を頼りなく照らしている。


「いてっ!」

「足元に気をつけろ。」


見えねーんだよとは言わなかった。
煌びやかだった家と比較するのも馬鹿げている。
俺は柳の後ろを伏せ目がちについて行った。
案内された一室の前の廊下には仁王と柳生がいた。


「なんで仁王と柳生までいるんだ…?」

「……。」

「用心棒のようなものです。お気になさらず。」


何も答えない仁王に代わって柳生が答えた。
柳が襖越しに中に声をかけ、了承を得て襖を開けると俺に中に入るように促した。
俺は頷いて汗ばむ手を握りしめると中に入った。
薄暗い部屋の中には幸村と、上座に見覚えのある男が見えた。
男の後ろには数人の男たちが一歩下がって控えている。
全員袴に丸井の家紋が入っていて、全員が分家の人間であることを知った。


「叔父さん…。」

「ブン太、こっちに座って。」


真ん中に座っている男を見て思わず言葉を漏らすと、幸村が座るように促し、叔父は俺に頭をさげた。


「お元気そうでなによりです。ブン太様。」


叔父は言わば分家のトップのようなものだ。
父親の弟で、兄弟が権力争いをしないようにと生まれた時から分家の人間として兄とは違うように育てられたらしい。


「夜も更けているため、こんな薄暗い部屋に通してしまって申し訳ありません。」

「いいえ、こちらこそこのような夜分に押し掛けてしまった非礼をお詫び致します。ですが、ブン太様らしきお方を見たという噂を聞き、早急にお迎えに上がりたく、こちらまで赴いたというわけです。ブン太様がお屋敷を出て行かれてから、我ら一同ずっとブン太様の安否を祈って探しておりました。」

「顔をあげてください…叔父さん…。」


叔父は涙をこらえたような声で話し、ずっと頭をさげたままだった。
家にいた時は、母親を侮辱した分家の奴らが全部悪いんだと思っていたが、今の叔父の様子を見るとどうしても怒る気にはなれなかった。
家族をばらばらにされたことや、分家に閉じ込められたこと。
嫌なことは沢山あったけれど、もしかしたら叔父は叔父なりに家のことを思ってだったのかもしれない。
小さい頃叔父に遊んでもらった記憶がふわりふわりと思い出された。


「ブン太様、お屋敷に参りましょう。」

「でも…。」


もう屋敷に帰っても、俺の居場所はない。
叔父は俺にお願いしますと何度も頼んだ。
後ろにいた分家の人たちも同じように頭をさげた。


「お母上様もお屋敷でお待ちになっております。」

「え…?」

「ブン太様が出て行かれてからしばらく後にお屋敷にお戻りになったのです。ブン太様が帰られるのを心待ちにしていますよ。」

「本当か!?」


俺はこれまでの苦労が報われて心が満たされたような気分になった。
無事だった。また会える。
俺は良かったと笑って叔父にお礼を言った。
幸村は終始何も言わなかった。


「数日の間だったけど、世話んなったな。お前らも元気に暮らせよ。」

「フフ…またね。」


俺は荷物をまとめると、玄関で全員に挨拶をした。
見送られながら叔父と一緒に遊郭を出て満月が照らす明るい道を歩いた。
屋敷に戻ったらもうここにはこれなくなるかもしれないと思うと、たった数日いただけのこの景色が名残惜しく思えた。
母親が過ごしていた場所、幸村たちがこれから生きていく場所、酸いも甘いも噛み締める別世界の箱庭。
隣にいる叔父の顔を見上げたが月明かりで表情はあまり分からなかった。
叔父は後ろを振り返り、後ろで列をなしていた他の奴らに何か合図を送った。


「叔父さん…?」

「少し寄り道をさせてください。」


叔父はそう言うと大門の方ではなく、堀の川がある方向へ俺の肩を押した。






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