「俺なにやってんだろ…。」


俺は華やかな外装の立海遊郭を見上げて自分の馬鹿さ加減に嘲笑した。
いくら頼る人がいなくても、幸村にこんな立派な遊郭で一晩泊めてくださいなんて言えるはずがない。
客として泊まるのならいいかもしれないが、そんなお金はどこにもなし役人に知らされたら面倒だ。
だんだんと日が暮れて、昼とはまた違う華やかさを纏っていく町にため息をついた。
町の外になら安い宿屋は沢山あるだろうが、一度町を抜ければ明日は入れないかもしれないし、野宿でもしていれば町を見回っている役人に捕まってしまうだろう。
運が悪ければ殺されてしまうかもしれない。

考えなしに遊郭へと来てしまったことを後悔しながら、幸村という権力者に土下座でもして部屋を貸してもらうか俺は頭を抱えて葛藤していた。


「フフ…悩んでるね。」


耳に残るような聞き覚えのある声に俺は勢いよく振り返った。
煙管を吹かしながら、店の入り口で幸村はおかしそうに俺を見ていた。


「さぁ、どうするんだい。」

「………お前、性格悪いって言われんだろぃ。」

「うーん…言われたことないなぁ。」


幸村はにやにやと笑っていた。
吐き出された煙が細く立ち昇っていく。
幸村が簡単な着物を着ているのを見て不思議に思い、店を見ると開けるはずの窓が閉まっていることに気付いた。


「今日は客引きしなくていいのか?」

「今うちは新規オープン前の準備中なんだ。中には新しく雇った花魁候補が何人かいるだけ。」

「お前が花魁やるだけで繁盛するんじゃねぇのかよ?」

「やれやれ。経営方針に説教する気かい?」

「そうじゃねぇよ。思ったことを言っただけで…。」


俺が拗ねて口ごもると幸村は苦笑して素直だねと煙管の灰を落とした。
砂の上に落ちた灰を下駄でにじる。
下品なはずの仕草を幸村がするとなぜかかっこよく見えてしまう。
幸村が入り口から動く様子がないのを見て、なんとなく幸村は俺の言葉を待っているんじゃないかと都合が良い想像をした。
家を飛び出した時点でもう恥も外聞もないと俺は決意して幸村に尋ねた。


「あのさ…。部屋、空いてる?」

「空いてるけど。」

「……泊めてください。」


おずおずと俺が頭を下げて頼むと、幸村は笑ってあっさり頷いた。


「お入り。」


店の入り口の大きな引き戸をガラガラと開けて中へ入るよう促した。
真新しくだだっ広い玄関には所々金箔で装飾してあり、立派な掛け軸や美しい花器が飾ってあった。
初めて見る遊廓の内装に目がチカチカとした。
玄関の奥には中庭の一部が見えている。
番頭の男が幸村を見て軽く会釈するのに手を振って返してから、幸村は広間に大声をかけた。


「みんな!新入りだよ!」

「は!?ちょ、ゆ、幸村…お前!騙したのかよ!」

「人聞き悪いね。部屋代と食事代はつけておくから、ちゃんと働いて返してくれよ。」


何日でもいるといい。あ、なんなら開店準備の下働きだけじゃなくて花魁候補になってもいいんだけど。と淡々と言ってのける幸村に真っ白になりながら、もしかして俺は本格的に騙されているのだろうかと思って引き返そうか悩んだ。


「あいつぜってー鬼だぜ…!!」

「ま、まぁそう言うなって。幸村は悪い奴じゃないんだぜ!」


幸村に与えられた部屋は相部屋だった。
他の部屋はまだ改装が終わっておらず使えないらしい。
相部屋に先に入っていた外国人、名前はジャッカル、は幸村を必死にフォローしていた。

それからしばらくして、“花魁候補”と幸村が呼んでいた奴ら数人と炊事場の横の部屋で食事を取った。
幸村は仕事があると言って部屋に籠っているようでその場にはいなかったので、俺はひとまず安心した。
俺の食いっぷりを見て唖然としているジャッカルを余所に、ご飯を胃に掻き込みながら俺はぐるりと食卓を見回して改めて一人一人を見た。


「………。」

「オイ、ブン太。飯こぼしてるぞ。」


ジャッカルが手ぬぐいで俺のテーブルを拭いてくれるのに曖昧にお礼を言いながら俺はテーブルについている他の奴らに目が釘付けだった。
ここにいる全員がとても整った顔をしている。
一体どこから探してきたんだと感嘆していると、幸村の底知れない笑顔が自然と思い出されてなぜか背筋が寒くなった。
みんな元々役者か何かだろうか。
そう思い、再びじっと見つめていると、銀色の変わった髪色をしている男が鋭い目で睨んだ。


「なん。」

「……。」


冷たい視線に固まっていると、銀髪の男の前にいた眼鏡の男が「仁王くん」とたしなめた。
仁王くんと呼ばれた男は何も言わずにツンとそっぽを向き、眼鏡の男は「貴方も人を不躾に見るのは失礼ですよ」と俺を叱った。
落ち込む俺にジャッカルがおろおろと励ましてくれる。

ここでやっていける気がしなかった。
唯一良い奴であるジャッカルには悪いが、一刻も早く母親を見つけてここを出よう。

食事を済ませて部屋へ戻る途中、すらりとした身長の高い男にあった。
目をつぶったままで歩いていたので思わずガン見してしまったが、もしかしたら目が見えないのかもしれないと慌てて前を向いた。
男は気にした様子もなく、まるできちんと見えているかのように俺をつま先から足のてっぺんまで自然な動作で眺めた。


「お前がブン太か。」

「あ…?あ、ああ…。」

「ふむ…。なるほどな。精市が拾ってくるわけだ。」

「拾…。」


俺は野良猫か何かか。
男は失礼なことを言っておかしそうに笑うと一人納得してまた歩いて行ってしまった。
後でそれが柳で、広間にいた眼鏡の男が柳生であるとジャッカルに教えてもらった。
ついでに、柳はきちんと目も見えるが普段はなぜか目を瞑っていることも。
何か事情があってのことらしいが全く理解できなかった。何かの修行でもしているのだろうか。


「みんな良い奴らだぜ!」


なぜかジャッカルを殴りたくなって殴った。






それから数日、俺は相変わらず遊郭で働く一方で母親の情報を探して回った。
遊郭では「身請け」は一番おめでたいことだ。
母親が身請けされたのなら、どこかに記録が残っていてもおかしくはないはずだった。
しかし、今の母親の居場所の手掛かりはもちろん、母親が昔どこの遊郭にいたかすら全く掴むことができなかった。


「それで、俺に頼みって何?」


打つ手なし。
俺はため息をついて、その日の夜、幸村の部屋にやってきた。
幸村は相変わらず微笑むばかりでその考えは知れない。
幸村は窓辺から町を見渡していて、幸村の代わりに文机では柳が何かを綴りながら俺の様子を静観していた。


「幸村ならこの町で知らないことはないって、町で聞いたんだ。」

「それはまた…大層な言われ様だな。」

「教えてほしいんだ。俺の母親について…。なんでもいいから。」


頼む、と藁をも縋る思いで幸村に頭を下げた。
幸村は窓の外から視線を外して、窓枠に肘をつくと俺の方へ目を向けた。
左右均衡の取れた両目が俺の真意を探ろうとする。


「母親…。前に言っていた探し人のことだね。」

「ああ。昔、遊郭で働いていて身請けされたんだ。」

「丸井の家にかい?」

「……!なんで、名字…!」

「やっぱり、丸井家の人間だったんだね。」


しまった、と俺は苦々しい表情を浮かべて押し黙った。
幸村が蓮二と呼ぶと、柳は黙って立ち上がり部屋を出て行った。
俺が柳が出て行った方を見ていると、幸村は人払いをしてもらったんだと言った。


「俺は何でも知ってるわけじゃないよ。」

「……それでも、頼むよ。」


幸村は少し切なそうな顔をして俺の顔を見た。


「綺麗な髪色だね。燃える陽の中に咲く椿のようだ。」


思わず自分の髪に手をやった。
自分と全く同じ母親の髪の色を思い出して、俺は何とも言えない表情を浮かべた。


「家で何があったのか、聞いてもいいかな。」


丸井の家の恥をさらすのは多少はばかられたが、もう俺はあの家の人間ではないのだと思うとそんな誇りも虚しく感じられた。
幸村は控えめに俺の様子をうかがっている。
今はそんな家の矜持よりも、母親の手掛かりを追わなくては俺はRに顔向けできないと決心して、俺は家で起きた出来事を話した。
幸村は何の反応もすることなく、俺が話し終わるまで静かに待っていてくれた。


「…だからこの町まで来たんだ。」


幸村は沈痛な面持ちのままだった。


「家とは関係ない俺に、話してくれてありがとう。」

「できれば、他人には話さないで欲しいんだけど…。」

「約束する。じゃあ、俺が話す番だね。」


幸村が窓から離れて俺の前に座り直すと、部屋の雰囲気は一層重くなった。


「お前の母親が身請けされた話は、ここでは禁忌なんだ。身請けされた時にその記録は全て改ざんされた。身請けというのは店と引受人以外には完全に秘密で、ブン太の母親は流行り病で死んだものとされたんだ。」

「父親がそうさせたんだな…。」

「ああ、それが名家の当主としての意向だったんだろう。お前の母親の身分を隠すためのね…。身請けの話が決まってから半年は、お前の母親は一切表には出なかった。みんなの記憶から、赤い髪が消えるまで。だから幸いお前の母親が丸井の家に嫁いでも、あの花魁だと疑われることはなかったらしい。もっとも、名家の人間が俗世の遊郭に詳しいはずはなかっただろうけどね。でも嫁ぐ人間の素性くらいは調べるのが普通だ。」

「……その遊廓は、今はどこにあるんだ?」

「お前の母親が働いていたのはこの立海遊郭だ。」

「…っ!ここで!?」

「そして、入ってきたばかりの俺はその新造をしていた。その頃にはもう身請けが決まっていたんだけどね。」

「…!」

「丸井の家の関係者に、新造の俺は誰にも口外しないという誓約書を書かされたよ。まぁブン太になら当主も許してくださるだろう。……名家の当代に赤い髪の美人が嫁入りしたらしいという噂は後で聞いた。ここでは他愛ない世間話だけど、俺はきっとあの人だろうと思った。だから最初にお前を見た時は驚いたよ。目が冴えるようなその髪の色は、あの人の血筋だろうと。……当代が亡くなってから本家と分家が対立しているという噂は耳に入ってきていた。お前が一人でここに来たことから、対立の噂は本当で、本家が負けて、あの人の行方がわからなくなったんだろうという予測くらいはできた。だから咄嗟に、門の番兵からお前を助けたんだ。」


本当にブン太に確認するまでは断定することはできなかったけどね。と幸村は付け加えた。
頭が真っ白になった。
なんとか幸村の言葉を理解しようと何度も幸村が言った言葉を思い出す。


「………。」

「立海遊郭は俺が引き継いだ時に一旦閉店した形を取ったんだ。こう言うのもなんだが、前の立海遊郭は裏では悲惨なものだったんだよ。ここにいた人たちは俺が全員故郷に返してしまった。ここにはもう、お前の母親の知り合いはいない。お前の母親はここには来ていないし、俺にも居場所はわからないんだ。黙っていて……すまない。」

「まだ、混乱してるけど…。つまり、お前は…色々知ってたんじゃねぇか。」

「………すまない。」


俺は畳をずって幸村の胸倉を思いっきり掴んだ。


「なんで…っ、なんで黙ってたんだよ…!!」

「……。」

「どうして話してくれなかったんだよ!」


いつの間に部屋に入ってきたのか、幸村に掴みかかる俺の腕を柳が止めた。
部屋の中の異変を感じて入ってきたんだろう。
俺は柳に離せよと睨んで、強引に幸村に掴みかかろうともがいた。


「やめないか!落ち着けブン太。精市、外まで聞こえるぞ。」

「ブン太…。」

「俺は…何のためにここにいるんだ…?家も好きな奴も捨ててここに来たってのに…、俺はなんでこんなところに留まってるんだ…?さっさと話して、追い出せば済む話だったんじゃねぇのかよ…。」


馬鹿みてぇ。と震える声のまま鼻で笑うと、ふらふらと立ちあがった俺の背中に幸村が苦しそうな声をかけた。


「だったら、お前は今さらどこへ帰るって言うんだ。」

「帰る場所がないことくらいわかってる。……出て行くよ。ここにはもう、用はない。」

「母親を追うのかい?」

「お前には関係ないだろぃ。」


俺が出て行こうとすると、柳が幸村に小声で呟いたのが聞こえた。


「精市。」

「好きにさせてやれ。」


俺は襖を閉めて、自分の部屋へ荷物を取りに行った。
今は夜で人通りも多いから、多分簡単に門を抜けられるだろう。
ここを出れば、母親の手掛かりが本当に全くなくなることに不安が募ったけど、もうここにはいたくなかった。
ここにも手掛かりなんかないんだと言い聞かせて、俺は荷物を取ると部屋を出た。
部屋の前の廊下でばったり鉢合わせしたジャッカルが、俺の荷物に気付いて俺の肩を掴んだ。


「おい、ブン太…!どこに行くんだ?」

「うるせぇ。」


急にどうしたんだと焦るジャッカルに申し訳ない気分になったが、ジャッカルが止めるのを無視して出口まで歩いて行った。


「ブン太…!待てよ!もう夜だし今からどこに行くってんだよ!」

「ほっといてくれよ!」

「騒がしいですね。」


反対側の廊下から柳生と仁王が出てきた。
お前らも止めてくれ!と頼むジャッカルに柳生は困惑した表情を浮かべていた。
仁王は相変わらず無表情のまま俺を見つめていた。
俺は一瞬たじろいでから、無視して仁王の横を通り過ぎようとした。


「待ちんしゃい。」


初めて聞いた仁王の声に、まさか止められるとは思っていなかった俺は自然と足を止めてしまった。


「…なんだよ。」

「こっち。」


仁王は素っ気なく言うとついてこいと言うかのようにふらりと歩き出した。
俺が突っ立っていると、仁王が振り返った。


「…………。」


俺は仁王の視線に負けて渋々仁王の後ろをついて行った。
最後だからこいつの我が儘に付き合ってやるのもいいかもしれないと、仁王の後を追って長い廊下を進んでいく。
後ろから柳生とジャッカルもついてきて成り行きを見守っていた。

辿り着いたのは見世と呼ばれる所だった。
今は窓が閉まっているが、本来ならここに遊女たちが並び、外から見た客が好きな遊女を指名するための部屋だ。
仁王は窓を開けると閉じないように固定し、ジャッカルと柳生を部屋から追い出して、自分も出ると俺を閉じ込めようとした。


「ま、仁王!何すんだよ!」

「そこでよう考えんしゃい。」


仁王はそう言ってぴしゃりと戸を閉めた。
戸の向こう側で柳生とジャッカルが仁王に何か言っていたが、仁王は一言「幸村に楯つく奴は敵じゃ」と一蹴していた。
閉まっているはずの見世に明かりが灯り、外を歩いている大勢の人間がなんだなんだと好奇の目で俺を見ていた。
俺は戸を叩いたり思いっきり力を込めたりしてみたが、棒がつっかえられているのか全く開かない。


「仁王オォォ!!!開けろってお前!!ジャッカル!柳生!そこにいるんだろ!仁王!!マジで、なんなんだよ…っ!」





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