ここに来た目的は一つ、母親に会うことだ。
そのために逃げてここまで来たのだ。

俺は一軒一軒母親を知る人を探すために回ることにし、店や遊郭が続く長い道を見て気合いを入れ直した。
「すみません。」「人を探していて…」「俺と同じ髪の色の」と丁寧に尋ねていくが、門前払いされたり知らないと首を横に振る人たちばかりだった。
母親は家にいた時も、親戚内外から優雅だ器量良しだと大層よく褒められていた。
もし母親がここにいるなら噂になっていてもおかしくはない。
遊郭は広いからと諦めきれずに町を走る回るが、そんな俺を無視してゆるやかに時間は過ぎて行く。
午後をすぎても手掛かりは一つも掴めず、俺はひとまず茶屋で休憩することにした。



俺は幕府や皇族とも親交のある名家丸井家の長男として生まれた。

俺は何かに不自由をすることはなく幸せに暮らしていた。
普通なら父親が亡くなった時、そのまま長男の俺が本家の当主を継ぐはずだった。
亡くなった父親の遺品から、母親が遊女だったという証拠が出てくる少し前までは。

金持ちが大金を払って、気に入った花魁を身請けするのは、別に珍しいことじゃない。
でも古い家の頑固親父たちは違った。
それをわかっていた父親は、それでも母親を好きになって、母親の素性を隠して妻としてめとったらしい。
あんなに母親を褒めていた親戚の奴らは、名家の名に傷がつくからと母親を離縁し、俺を追い出して、弟たちを地方へ養子に出した。

お家のためだ、なんて吐き気がするほど真っ赤な嘘だ。
あいつらは名家の本家の座が欲しくて、ここぞとばかりに母親を利用したのだ。
父親が死んだ今、母親とその子供の俺たちを本家から追い出せば、分家の中から当主が選ばれるのは必然だった。
家族と離れ離れになった俺は半ば軟禁状態にされていた分家の家を飛び出して、消えた母親の消息を追うことにした。


「何も考えずに来ちまったな……。」


俺には幼馴染がいた。

Aという名前の、有名な呉服問屋の娘だ。
丸井家も代々贔屓にしており、江戸でも首位を争うほど栄えている店で、よく家まで着物や小物を見せに来ていた。
直系として家の敷地からあまり出られない立場だった俺にとっては、毎週呉服屋にくっついてくるAと遊ぶ時間が何よりも楽しかった。
着物が良く似合うAは呉服屋自慢の看板娘で、いつも笑顔で走り回っては品がないとおじさんに怒られていた。


「ここを出よう。」


父親が亡くなって俺の家の状況が一変してから、Aは自分のことのように悲しんでくれた。
こっそり領地に入り込んでは、俺が閉じ込められている分家の隅の小さな小屋まで来て、城下で流行っているお菓子をくれたり色々な話を聞かせてくれていた。
木製の格子がはまっている窓から必死に顔を出して、部屋の隅から動かない俺を、まるで暗闇の中から救い出そうとしているかのような響きで呼んでいた。
俺がAの話に曖昧に笑うとAは悲しそうな目を伏せて、こんなの酷いと悔しそうに呟いていた。
見たことがない西洋菓子を食べて感動していると次からもっと沢山のお菓子を持ってくるようになった。


「ここを出よう。ブン太は…こんなところにいちゃいけないよ…!」


それを言いだしたのはAだった。
俺は静かに首を横に振っていたが、Aは諦めずにここに来ては何度も俺を説得した。
日中でも日の光があまり入ってこないこの部屋の扉は、質素な食事が運ばれてくる時以外は開くことなく重く閉ざされていた。
分家の子供たちが、庭で遊んでいる声が聞こえる。

かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる

ふと、弟たちのことを思い出した。
元気にやっているだろうか。
遠縁の親戚たちとは以前祝い事の席で会ったことがあるが、とても良い人たちだったから、多分そこまで酷い扱いは受けていないだろう。
養子に出されたとしてもその血の高潔は変わらないと、きっとそう言ってくれる。

母親は、どこへ行ったのだろう。


「A…!!」

「ブン太!今日は元気?って、なに…?どうしたの?」


どうして今まで母親のことを想わなかったんだと俺は妙な焦燥感にかられていた。
Aに母親のことを聞くとAは少し気まずそうに、詳しいことは知らないけど…と話してくれた。


「家を出てから…どこへ行ったかは誰も知らないの…。親しくさせてもらっていたから、父様もすごく心配していて……もしかしたら前にいた江戸の遊郭に戻ったんじゃないかって言ってた。知り合いがいるだろうから、そのツテを辿っていけば住むところくらいは見つかるはずだ…って。そうであって欲しいって。」


窓の格子を掴んだままずるずると項垂れた俺を見て、Aは泣きそうな声で俺を心配した。


「……ここを出たい…っ。」


小さな声で言った願いは、Aにはしっかりと届いていた。


「出よう…!」


Aの言葉に俺はしっかりと頷いた。

食事が運ばれてくる夜、俺は給仕してくれていた女の子の不意をついて外へ飛び出した。
すっかり憔悴していた俺にそんなことができるわけがないと甘く見られていたようで、監視はつけられていないことは知っていた。
俺がいた小屋から悲鳴があがり、何事だと屋敷が騒がしくなった。
俺はすぐに庭の茂みに入り、止まることなく走り続ける。


「ブン太!こっち…!」


抜け道に詳しいAが茂みの中に待機していて、俺たちは合流すると手を繋いでまっすぐ走った。
門の外に出ると、角の向こうから提灯の明かりが見えた。


「この辺りだ!!」


どうやら先回りされたらしい。
門の抜け穴から様子を見ながら、あちこちへと動く明かりをせわしなく目で追った。
俺はいいとしてもAが協力者になればAも問屋も咎められてしまう。
俺がAの腕を掴むと、Aは何?と振り返った。


「俺が走ったらお前はその隙に逃げろよ。」

「それは駄目。」


屋敷の領地の中にいた時は暗くてわからなかったけど、よく見るとAは髪を真っ赤に染めていて俺は目を見張った。


「西洋の変わった被り物を店から借りてきたんだよ。ブン太と同じ、赤い髪。えへへ似合う?」

「お前…っ!」

「ブン太、私が囮になるから逃げて。」


止まらないでね。とAは俺の背中を突き飛ばすと、迫りくる提灯の明かりを目印にして、引きつけるように真っ直ぐ走り出した。
そっちに行ったぞと荒々しい声がRが消えて行った方向へと集まっていく。


「A…!…A!!」


ちくしょうと奥歯を噛みながら俺は何度も呟いてただがむしゃらに走った。


「私もブン太も、大丈夫だよ。お母さんに会えるといいね。」

「馬鹿!お前何考えてんだよ…!身代わりなんかいらねぇって!」

「身代わりじゃないよ。私はブン太の…」


Aは一瞬躊躇ってから言葉を続けた。


「友達、だから。何かしたいだけ。」


#name1はAの腕を握っていた俺の手をゆっくり剥がしていつものように笑った。
暗い中でもその笑顔だけははっきりと見える。
いつもいつも傍にあったこの笑顔を、もう目を閉じても俺は鮮明に思い出せるのに、どうして何度も見なくちゃ落ち着かないのか。


「さようなら。」


白くなるまで握りしめた拳が震えた。
Aの手を握りしめて、絶対また会おうなと言うと、Aは照れたように笑った。


「絶対ね。」


Aはそう言うとどんな危険があるかもわからない路地へ飛び出して行った。
Aが作ってくれた隙を縫ってがむしゃらに夜の町を走り抜けながら、Aとの最後の会話を俺は何度も思い返した。

それ以来、Aがどうなったかはわからないが、呉服問屋は相変わらず繁盛していて俺はただそれだけにほっとしていた。
身を隠しながら歩いて、俺は遊郭が集まるこの町に辿り着いた。



さてと、と俺は茶屋に小銭を渡してから立ち上がった。
まずは聞き込みからだ。
数打てば当たるだろうと俺は手始めにメインストリートの端の店から尋ねていくことにした。

Aをあんな危険な目にあわせておきながら、俺は母親に会って何をしたいのかわからずにいる。
帰ろうとせがむのか、ばらばらに生きることを決意するためか。
ただもう一度、母親に会いたかっただけなのかもしれない。
遊女だとばれて家族みんなが家にいられなくなるとわかった時、あんなに明るく強かった母親が泣いて俺たちに頭を下げたのだ。

“卑しい身分でごめんなさい”と。









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