穏やかな春の陽。
凛とした夏の命。
豊かな秋の芳醇。
厳かな冬の温度。
燃えた遊郭街はそのまま土に眠り、新しい町が作られていく。
障子を開けて風を通すと気持ちが良い。
幸村さんは読んでいた本を閉じると眩しそうに空を見上げた。
「幸村さん…体の具合はどうですか?」
「もうすっかり良くなったよ。…昨日も言ったじゃないか。」
「だって、あれから半年も経ってないんですよ?」
「今は洋書も入ってきて医術も発展してるんだよ。知り合いの名医についてもらってたんだ。大丈夫だよ。」
幸村さんは真っ白な布団の上でふわりと笑った。
「フフ…それより出掛けようよ。今日は良い天気だし、久々に運動でもしたいな。こんなに寝てたら逆に体に悪いよ。」
「駄目です!」
「A…?俺がデートに誘ってるのに断るのかい?充分元気だって証明してあげようか…布団の上で。」
「イヤアァァ!!来ないでください!!」
助けてと叫ぶとタイミングよく廊下側の襖が開いた。
「おーやっとるのう。」
「相変わらず騒がしいな。…そう嫌そうな顔をするな、精市。真田が廊下で暴れていたぞ。」
「お久しぶりですね。Aさんもお元気そうで何よりです。」
「ほら、お見舞いのケーキ!うちの店の新作。うまそうだろぃ?味は確かだぜ。さっきつまみ食いしたからな。ジャッカルが。」
「俺じゃねぇよ!」
「みんないらっしゃい!お茶いれてくるからゆっくりして行ってね。」
私は幸村さんとみんなだけにするために部屋を出て炊事場に向かった。
積もる話もあるだろう。
火事のあと、私たちは一旦今まで柳さんや仁王さんがお父さんとお母さんを匿っていた家に住むことにした。
それからまだ養生が必要な幸村さんを除いたみんなは別の長屋に移り住んで、それぞれ別の生業をたてて生活をしている。
柳さんと仁王さんと柳生さんは一緒に質屋を営んでいくことにしたらしい。
柳さんは顔が広いし、目が利くし、そろばんが良く似合う。
三人並ぶと恐いとは口が裂けても言えない。
ブン太とジャッカルさんが長屋の中につくった甘味処はこの間オープンした。
私も買いに行くけど本当に美味しい。
そのうちすぐに人気が出るだろうと一人の女の子として私は予想している。
元々みんな要領が良いのか、生活に困ることはないようだ。
たまにこうして遊びに来てくれる。
借金の瓦版が取り下げられてから、お父さんはまた細々と用心棒を始めた。
前の仕事の評判や立海遊郭から逃亡できた事件のこともあって腕が立つ用心棒だと仕事の依頼は少なくない。
でもまだ本調子ではないということで、仕事は選んでいるみたいだ。
前よりもきちんとお母さんに仕事の相談をするようになったとお母さんは喜んでいた。
お父さんは昔ほど私と幸村さんのことをとやかく言わなくなった。
お母さん曰わく、お父さんは幸村さんが私をかばって一緒に階下へ落ちた時に心変わりしたそうだ。
お父さんは何も言わないけれど、本当はお父さんが幸村さんをすごく気に入っているのを私は知ってる。
お茶をいれてお盆に乗せて運んでくると、廊下でお父さんが右に左に歩いていた。
「お父さんも幸村さんたちと一緒にお茶飲む?」
「む…俺は、その…。」
「いい加減入ったら?真田。」
見かねた幸村さんが笑いながら声をかけた。
お父さんは咳払いをしてすごすごと部屋に入った。
私は笑いながらみんなにお茶を配った。
赤也を、あれから一度だけ見た。
新しく建てられた大きな遊郭の一番上で大人びた顔をして座っていた。
偶然開けられた窓から癖のある黒い髪が強烈に魅力的で目を引いた。
窓際で石蕗の花が揺れている。
窓枠に肘をついて、翡翠を思わせる強い瞳が爛々としていた。
赤也が着物の上に着流している山吹色に赤の縞が入った羽織りは、幸村さんが花魁としてトップを極めた時に着ていたものだ。
写真で見せてもらったことがあるけど、幸村さんから赤也に渡ったのか。
赤也がいるそこは、町にいる私にはもう手が届かない場所だ。
幸村さんもお父さんも柳さんも仁王さんも柳生さんもブン太もジャッカルさんも、赤也のことは心配ないと言ってくれたから、私は安心して遠い遊郭を見ることができる。
一度だけ見た赤也は、私と目が合った瞬間、屈託ない笑顔を見せた。
花魁としてじゃない、赤也の笑顔。
あの頃と全く変わっていなかった。
それが嬉しくて私も笑顔を返した。
隣で幸村さんと赤也が睨み合っていたことも知らずに。
幸村さんはこれから何をしようかなと言って笑っていた。
布団の上で上半身だけを起こして、外を見上げる幸村さんの横顔はとても綺麗だった。
お金はあるし、田舎に住んで絵を描きながらゆったりするのも良い。みんなと働くのも楽しそうだ。柳はしつこくスカウトしてくるし。今から学問を始めてもみても良い。読みたい書物がたくさんある。旅をして色んな景色を見るのもいい。外国に行ってみるのもいいかもしれない。
欲張りですねと言うと、何をしてもいいって思うとついねと幸村さんは肩をすくめた。
それでも俺についてきてくれる…?と幸村さんは私を見た。
私ははいと返事をした。
良い返事だと幸村さんは静かに笑った。
「ありがとう。」と、静かに笑った。
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