長い夜が明けた朝は、太陽がやけに眩しい。
揺らいでいた不安定な蝋燭も短く溶けてしまった。
今日もきっと肌寒くなる。
涙を乾かすにはちょうどいいけれど、泣いて終わりにはできない。

一睡もしてないからか、少しぼうっとする頭をぶんぶんと振って、私は自分に気合いを入れた。
夜中に出て行った仁王さんを待つために、私は遊郭の裏側で小さく座っていた。
柳生さんが持ってきてくれた羽織りを握り締める。
柳さんが持ってきてくれた提灯は朝日が昇る頃には火が消えてしまった。
ブン太とジャッカルさんが持ってきてくれたおにぎりは半分だけ食べた。


「仁王さん……」


仁王さんは笑って明日までにはって言ってくれたけど、無理なお願いだったかもしれない。

私は白から青に染まっていく空を見た。
空を遮断するように遊郭の壁が高くそびえている。
最初に見た時も思ったけど、立海遊郭はやっぱりとても大きい。
幸村さんの提案で改築するたびに大きくなったらしい。
幸村さんが継ぐ前の遊郭の元の大きさは、今の遊郭の五分の一くらいだったとか。







「精市…入るぞ。」

「…まだ何も言ってないよ。」


精市の返事を待たずに襖を開けた俺に向かって、精市は拗ねたように言葉を投げた。


「いつもの買い出しは?」

「済ませてきた。」

「遅かったね…。」

「呉服屋に寄ったからな。」

「そう…。」


精市は閉め切った窓枠に寄りかかってぼうっとしている。
もうすぐ昼になるというのに昨晩からずっとそのままだったのだろう。
普段なら布団を敷くために動かすはずの蝋燭は昨日と同じ窓際に近い場所でまだ煌々と燃えていた。
横顔からもうかがえるうっすらと朱い目元に昨日の精市を思い出してため息をつき、俺は手拭いにくるんだ氷を出した。


「……氷だ。冷やした方がいい。」

「いい。いらない。」

「ではAにでもあげるとしよう。お前よりは必要だろうからな。」


Aの名前を出すとビクと精市の肩が揺れた。
それを見てクツリと笑うと精市は俺に笑顔で凄んでみせたので咳払いをした。


「……失礼。」

「まぁ昨日世話になったから…今のは流してあげるよ。」

「早めに、何とかすることだ。」

「ああ…わかってる。」


部屋を出ようと振り返ったところで、蝋燭の火が目についた。以前町に出た時に買ってきた長持ちする蝋燭である。遅くまで読み物をしたいからと精市が頼んで俺が買ってきたものだ。
蝋燭を消そうとすると、精市が止めた。


「もう少しつけておいて。」

「……だが」

「気持ちに整理をつけるもう少しの間だけ、夜でいたいんだ…。」

「わかった。しばらく人払いをしておこう。」

「ああ…。」


釈然としないまま俺は精市の部屋を出た。
襖が閉まる瞬間、精市の表情にはもう以前と変わらない強さが漂っていた。
答えは遥か昔からわかっている。
ただ踏み出す勇気が出ないだけだ。
蝋燭の炎が幸村の心を移すかのようにユラリと大きく揺れていた。







仁王さんが戻ってきたのは、もうじきお昼になるであろう時間だった。
いつものようにふらりと軽い足取りで、どこから出てきたのか裏庭の植木の間から銀色の髪を風に揺らす。
仁王さんは私を見つけると目を丸くして寄ってきた。


「ここでずっと待っとったんか。」

「あ…はい。」

「部屋で待てって言ったじゃろ。風邪引いたらどうするんじゃ。」

「…すみません。じっとしてられなくて…。」


仁王さんは頭をかいて、あーとかんーとか曖昧な返事をした。


「あの、仁王さん…」

「大丈夫じゃ。言ったじゃろ。詐欺師に不可能はないぜよ。…真田。」


仁王さんが呼ぶと仁王さんの後ろから周りを警戒しながら、がっしりした男の人がコソコソと歩いてきた。
何ヶ月ぶりに見る、お父さんの姿だ。


「お父さん…っ!!!」


私に気付いていなかったのか、大きく呼ぶとお父さんはぎょっとしていた。
自然と溢れる涙に色んな想いがこみ上げてきて、私はお父さんの傍まで走った。


「お父さん…!!」


少し痩せたかな。
今までどこにいたんだろう。
お父さんがまた消えてしまわないように私はお父さんの着物の袖をぎゅうっと掴んだ。
久しぶりの再会に、うつむくとまたポタポタと涙が流れた。


「む、その……A…。」

「お父さん………!」

「……………、…すまなかった。」

「……!」

「元気で…良かった…」


お父さんは離れていた長い間を埋めるようにぎゅうっと私を抱き締めた。
もう一度お父さんに会ったら、たくさん文句を言ってやろうと思ってたのに何も言えなかった。


「元気だったの…?」

「うむ。心配はいらん。」

「…今までどこにいたの?」

「そ、それは…」

「すぐ近くじゃ。」

「むう…。」

「仁王さん…ありがとう…。」

「ん、気にせんでええよ。」

「……お父さん、私聞きたいことが沢山ある。」

「…ああ、……全て話そう。」


お父さんに向き直って私がしっかりとそう告げると、お父さんはここに来るまでにすでに覚悟を決めてきたようだった。


「お前たち、もう少し静かにしてくれ。俺は構わないが、精市にバレたら真田の命はないぞ。」


裏庭の反対側から柳さんが来て淡々と言った。
柳さんは私に氷を差し出して目を冷やすように言ってくれた。
それから柳さんに連れられて私たちは柳さんの部屋に入った。
初めて見る柳さんの部屋は、綺麗に整理された沢山の書物で埋め尽くされていた。
床の間には立派な盛り花と掛け軸が飾ってある。
墨と香の混ざった風流な匂いが鼻をかすめた。


「ここで二人じっくり話すといい。」

「A、結論が出てもし助けが必要だったら何でも言いんしゃい。」

「はい…ありがとうございます。」


静かに襖が閉められたのを見て、私はお父さんに切り出した。





「参謀…もうじき全部終わるのう。」

「ああ…後はどうなろうと当人達次第だ。だが、互いの想いに気づくのも時間の問題だろう。」

「クク…全くその通りじゃ。」

「去年の夏の赤也の一件があってからもうじき一年か、……早いものだな。」

「俺たちが真田とAの母親を幸村から匿って、一年近く経つんじゃな。」

「真田をかくまってたことを幸村が知ったら怒るじゃろうな。」
「あれだけ探して見つからない、情報すら流れてこないとなれば、あるいは感づいていたかもしれないな。Aが精市を好きになるまでは…真田に会わせるわけにはいかなかった。」

「会えば真田がAを連れて逃げるかもしれない、か。あれだけ腕が立つ真田なら見つけても捕まえるのは骨がいるじゃろうし、かくまって真田の動向を把握しておいた方が都合が良いからのう。Aの様子を毎日教えておけば真田も逃げようとは思わん。最後の詰めに、Aが幸村を選んで自らここにとどまるなら、真田も今までみたいに強くは言えんぜよ。」

「たった一つの恋情を結びつけるのにこうも手間がかかるとは、難儀なものだ。」

「なあに。恩人のためじゃ。」






「仁王さんに頼んで、お父さんを連れてきてもらったの。直接聞きたいことがあったから。」

「…うむ。」

「全部聞いて、気持ちに整理をつけたら、前に進めるような気がした。」


それから私は家を出てからここであったこと、赤也から聞いたことを全て話した。
お父さんが家を出ていった理由もわかった。
お父さんがいなくなって、私が幸村さんに連れられてから、柳さんと仁王さんがお母さんを匿ってくれていたことや、赤也とお父さんが半年間住んでいた空き家も二人が用意してくれたこと、今はお母さんもお父さんと一緒に隠れていたことを聞いて一安心した。


「一つわからないことがあるの。」

「なんだ。」

「お父さんはどうして、幸村さんと知り合いなの…?ここに出入りしていたことが、全ての始まりだったと思うから。そりゃここは遊郭だからお父さんが出入りしても、べ、別におかしくないんだけど…!お、お父さんが浮気するはずないかなって…!」

「な…っ!ち、違うのだ!!!」


お父さんは真っ赤になって慌てながら、これにはわけがとか俺も意地になっていたのだとかを必死に叫んでいた。
それを冷静に見つめる私はずいぶん成長したと思う。
もちろん私はお父さんが遊郭に出入りするようなタイプの人じゃないことを重々承知だったけど、こう言えばお父さんが娘の誤解を解くために正直に話すだろうと考えての言葉だった。
色んな人に守られてではあったけど、私だって半年間幸村さんや柳さんや仁王さんにからかわれながらたくましく生きたのだ。
もうごまかして欲しくはない。
これで、幸村さんとお父さんが昔からの知り合いでも、そうでなくてもいい。
幸村さんが私を大切にしてくれたのは、知り合いの娘だからでもいい。
お父さんと話が終わったら私は幸村さんに好きって言いに行こう。
それでさっぱりして、駄目ならお父さんと、お母さんがいる家にまた、戻るんだ。
私は正座している膝の上で手を握りしめ、決心してお父さんの言葉を待った。


「幸村は…二年程前、その、つまり一昨年の春…」

「………うん。」

「お、俺の大切な娘であるお前を、」

「……う、うん?」

「嫁に欲しいと言ってきた。」

「……………、……え?…え?………えぇぇ!?なんでそうなるの!?」

「それは俺が聞きたいくらいだ!幸村はお前と幼い頃結婚の約束をした仲だと言っていたぞ。どこかで見た顔だと思ってはいたが幼い頃に確かにお前とよく遊んでいた近所の子供だった。幸村は本来ならば俺のような身分では会えるはずないほど高尚な花魁だったようが、花魁を引退したとは言え、花魁は花魁、遊郭の主人は遊郭の主人だ。そんな奴に娘をやるなど、俺の許すところではなかったのだ。何度も断ったのだが幸村は諦めなくて…………………A?聞いているのか?」

「…………うそ」


嘘、嘘だ、幸村さんって。

蘇る記憶に目を見開いた。
あの子の名前はなんだっけ。
昔よく一緒に遊んだ男の子。


「A…!!!」


私はお父さんが止めるのも聞かずに、部屋を飛び出した。
廊下から柳さんと仁王さんが呼ぶ声が聞こえたけど、ただ全力で走った。





『じゃあ大きくなったら私たち結婚しようね!絶対!絶対ね。』

『うん、約束。』


生意気にも仲の良かった男の子とそんな指切りをしていたあの頃は、将来私は一国のお姫様になれるような気がしていた。


「約束だよ、精市。」


見上げるだけで近づけない天へとそびえ立つお城に憧れて、私はよく親を困らせたものだった。
大きくなるにつれて、夢は夢でしかないと知った。
子供はそれなりに現実を受け止めて、身分相応の生活を親から受け継ぐのだ。

ここに来た時にも、そんなことを考えていた。

だからそれが、普通だと思っていた。
立海遊郭はどの遊郭よりも大きく、何度も改築されて、高く高く、町が一望できるほどになっていった。
最上階の幸村さんの部屋から見る眺めはどんなものだったんだろう。
そこから私を探してくれていたんだろうか。
何年もの長い間、ずっとずっと、私だけを。
遊郭の中を走り回って、一つ下の階の吹き抜けから身を乗り出して幸村さんの部屋を見上げた。
閉め切ってある窓に向かって私は精一杯の大声を出して、大好きな人の名前を呼んだ。


「精市!!!」


遊郭はそびえ立つ。
まるで幼い頃私が憧れたお城のように。




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