たった一つの約束を、馬鹿みたいに覚えてる。


「真田A…さん、だね。」

「え……?」


久しぶりに聞いた声はやっぱり昔と違っていた。
もう日が暮れかけているためか、町は影が伸びきってAの不安げな様子を助長している。
真っ暗になる前に見つけられて良かった。
額を自然と拭う腕に、自分が随分長く走り回っていたことに気付いた。

そう遠くには行かないだろうという蓮二の予測は当たっていたけれど、それでも町はとても広い。
人を使えば良かったのだが、借金という名目でAを探していたため、人に見つけられてAに手荒なことをされるのはどうしても嫌だった。

声は違うけど、顔は昔の面影があったのですぐにわかった。
ようやく、会えた。
自然と浮かぶ笑顔をそのままに怖がらせないようにAの腕をなるべくゆっくり掴む。
積年の想いが溢れるのを抑えて触れると、びく、と思った以上に細い腕が揺れた。


「…こんばんは。ああ、嫌だな。逃げないで。」

「ギャアァすみませんすみません!!できれば腕を離してください!!」

「駄目だよ。逃げられると困るんだ。フフ…逃げるってことは事情はわかってるみたいだね。」

「死ぬのは嫌アァァ!!すみませんほんと見逃してください!!」

「殺したりしないよ。…フフ。」

「ヒィィ!!」

「落ち着いて、ほら。迎えに来たのが俺で良かったじゃないか。」

「えっと…あの…」


浮かれていたと思う。
久々に会えたから。
俺のことを覚えているなんて思っていなかったけれど。


「あなたは…誰ですか…?」


笑える、だけで、いいよ。
またこうして会えた。
これからは一緒に暮らせる。


「初めまして。俺の名前は幸村精市。父親のツケは…払ってもらうよ。」

「………っ!」

「ついておいで。行くところないんだろう?悪いようにはしないから。」

「……で、でも、私…」

「悪いようにしない。…約束する。」

「約…束……。」


何度も思い返すうちに、もう体の一部になってしまった。
職業柄、昔の約束だなんて滑稽にしか見えないのだろう。

遊郭にAを置くのは簡単だ。
だけど、理由がないと周りに示しがつかない。
大切にしすぎても客の嫉妬を買うだろう。
だから借金返済として遊郭で働かせることにした。
それに借金を名目にしておけば、町や奉行所から情報が入ってきて真田を探しやすい。

俺にはどうしても探さなければいけない理由があった。
できればAに知られる前に、真田ともう一度話がしたかった。







「精市…。」

「……ああ。ようやく帰ってきたみたいだな。一人だけだ…。」

「本来なら遊郭の掟では抜け出した者は死罪に値する。お前が遊郭街の門番に口利きしていたから良かったが、放っておくとうちの評判に支障が出るぞ。」

「わかっている。フフ…最後の我が儘だよ…。」

「冗談だ。言うまでもない。評判や利益くらいすぐに挽回できるからな。…客人を通すぞ。」


そう笑って蓮二が出て行った後の襖に微笑みを返した。
雪が雨に変わり始めた空から顔をそらし、指を伸ばして締め切った窓はパタンと乾いた音をたてた。
密室になった暗い部屋にあかりを灯す。
窓の外から客引きの騒がしい声が聞こえた。
夜だ。何度そう思って想いを馳せただろう。
それも今日で最後かもしれない。

赤也と出て行ったA。
それは俺じゃなく、命を賭して赤也を選んだということだ。
どちらかは戻ってくる、その自信はあるけれど、もう前のようには戻れない。
それが掟でもあるし、俺の意志でもあった。
赤也か、Aか。
戻ってきたのはどっちだろう。



するすると、背後で静かに動いた襖に向かって独り言のように言葉をもらした。


「呆れるね…。」

「幸村…さん…。」


予想に自信は持っていたが、低くない声にホッとした。
Aを中に引き入れながら襖を閉めると、いつかの晩を思い返す。
考えることは同じなのかAの少し固まった雰囲気を死角から眺めて嘲笑った。


「赤也は?」

「赤也は…その…」

「置いてきたんだ。」

「ゆ、幸村さ…」

「困った顔をするな。」


口をついてでた言葉は責めるような強い言い方になった。
困惑したAに自分の余裕の無さを確認してしまう。


「幸村さん…私、聞きたいことがあって…だから、戻ってきました…。」

「なに?赤也のこと?遊郭のこと?父親のこと?お前のことかい?」


眉間に皺を寄せて、Aの普段の恐々している表情じゃなく、怒った目を向けられた。
無造作にぐしゃりと髪をかきあげて口の横を歪めるとAの瞳が揺らいだ。


「遊郭の外は楽しかった?」

「幸村さん……」


音もなく近寄るとAは一歩一歩下がっていく。


「…、……っ」

「男と一緒に逃げるなんて…お前にはまだ早いと思っていたのに。」

「や…っ!」


追い詰めて、いっそ全て奪ってしまいたい。
視界も感触も、その五感を俺だけのものにしてしまいたい。

荒々しくAの両手首を掴んで壁に押し付けた。
体を密着させて逃げる隙をなくす。
自分と壁に押しつぶされている小さな身体に煽られた。

今すぐにでも自らの腕で抱き込みたくなる衝動を抑えるために自然と拳を握り締めた。
優しく棘を刺していくように耳元に唇を寄せる。


「…拾われた身で、よくやるね。お前は恩を仇で返すような人間だったのかな。」

「違います…私は…っ」

「お前から自由を奪うなんて簡単にできるんだよ。赤也をどうすることだって俺にはできる。」

「やだ…幸村さ…!」


スルリと着物の紐を解くと弛んだ襟から見える首筋に舌を這わせて歯の先を押し当てた。
びくっと反応するAの着物を崩していく。
それに気付いたのかAは抵抗を強め始めた。


「…っ、話を…聞いてください…!!幸村さん…!やめ…、こんな事やめてください…!!きゃ…!」

「……、」


暴れるAを押さえ切れず、壁から剥がして今度は畳へ押し付けた。
馬乗りになると、着物の隙間から脚が触れ合ってぞくっとした。


「…っ、ぃ…、や…」


目眩がする。
こんなことをするつもりじゃなかった。
ただ少し、追い詰めてやるだけだったはずなのに。



俺は子供の頃、住んでいたところを差し押さえられて、家族とばらばらになった。

それまでの裕福ではなかったけれど平凡だった暮らしは早くに壊れ、俺は一人で生きていくために働かなければいけなかった。
家柄も血筋もない俺が富を得るには遊郭に入るしかない。
運良く俺は客受けする容姿と才能で人気はすぐに高まり、栄華を極めた。
そのまま華々しく遊郭の主人の座を貰いうけ、遊郭で出会った様々な良い人材を手駒に立海遊郭を盛り上げて行った。

彼女をいつ迎えに行こうか。
今なら一生、贅沢をさせてあげられる。

だけど、ただ一つの犠牲を払った代償は大きかったのかもしれない。
こんな大事になるだなんて、全く考えもしなかった。

いつか聞いた真田の声が遠い。
だけど、辛い。
諦められない。
Aを、この小さな女の子を、二度と離したくないと強く思った。
こんなに泣かして、言えることじゃないけれど。


「……っ、幸…村さ…」

「……どうして。」

「え…?」

「大人しく俺の傍にいれば…幸せにしてあげられたのに。どうして…。」

「………幸村さん?」


それまで泣きそうな顔をしていたAが俺の顔を見てはっとした。


「酷いな…。久しぶりに会えて、ようやく傍にいられるようになったのに…。俺を忘れてしまった。」

寂しかった。

何度考えたって、浮かぶのはAの顔ばかりだ。
病気になった時も、もう駄目かもしれないって、このままAに会えないで終わるかもしれないって考えたら、痛いほど胸が苦しくなった。

そうだ。
遊郭を大きくしたのも、不治の病から立ち直ったのも、全部、全部、お前のためなんだよ。
俺の人生は、お前のためにあったんだよ。

早くから生活が崩れた俺にはまともな思い出がなかった。
その中で唯一俺を支えていたのは、本当にくだらないただの口約束だったから、Aが忘れてしまうことくらいわかっていたけれど、そんなのこれから先どうにでもなると思っていた。

Aは何も知らない。
こうして感情をぶつけてもAは何が何だかわからないって言うのに、止められなかった。

あの日と同じように唇を重ねる。
優しく頬を撫でるとAの抵抗がなくなった。
唇を離すと、どちらともなく息が零れた。


「…俺の前で、他の男を選ぶなんて…。」


目を見開いたAの上から退き、背中を向けたまま静かに部屋を出た。


どうか俺を、覚えていて。

お前を傷つけてまで奪った口付けの痛みまで、余すことなく忘れないで。
たとえ俺じゃない誰かを、赤也を好きになったとしても。
俺を嫌って、憎んだとしても。


「精市…話は終わったのか。…………精市?」


しばらく歩いて、見越したように来てくれた蓮二の腕を掴んだ瞬間、全て崩れたように俺はずるずると廊下に座り込んだ。
風邪を引くぞ、と蓮二の声を聞きながら瞳から落ちていく冷たい泪にぞわりと寒くなった。

泣くAを前に、囲えなかった。
無理矢理、自分のものにしてしまおうと思った。
でも出来なかった。
そうしてしまえば良かった。
だけど、この手は止まってくれた。
これ以上この子を傷つけないように。

病にかかって死ぬかもしれないと考えた時でさえ、泣いたりはしなかったのに今はとても。


「寒い…」

「精市…」

「風邪…引いたかな。」


ああ、俺はもう、あの笑顔で暖をとることはなくなったのだ。
ゆるゆると歪む視界の中笑うと、蓮二が悲しげに俺の頭を撫でた。

雪は止んでくれない。



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