「卑怯だわ。」
「なにをそんなに怒っている。」
拗ねた私に蓮二は呆れたように立ち止まった。
両端に並ぶ本棚の間。
ここは図書室、私が愛すべき蓮二の好きな場所だ。
「手伝うのが嫌なら教室で待っていてくれ。向こうの方がここより幾分暖かい。」
「…そういうことじゃないのよ。」
「ではどういうことだ。」
私はますます拗ねて一番近くにあった机の丸椅子を引いて座った。
蓮二はそれを確認すると「あと10分程度で終わるが待てるか?」と私に尋ねた。
蓮二の言い種になんだか私は駄々をこねる子供のようだと、私は苛立ちと自責で気を落とす他なかった。
素っ気ない返事をした私を見て蓮二はふと笑うと再び作業に戻った。
私と蓮二は一応、付き合っている。
付き合い始めてからはよく一緒に帰えるようになったけど、部活が遅くなったり試験が近くなると蓮二は私に先に家に帰るように言った。
この時期、早く日が沈むようになってからはますますだ。
暗い時間に一人で帰るのは危ないからと言ってくれるのはありがたいし、嬉しいし、仕方がないとは思っていても、やっぱりそう簡単に首を縦に振る乙女心ではない。
今日は久しぶりに部活がないから一緒に帰れるのだけど、図書委員がやり残した仕事をしなくてはならないという旨のメールが放課後私の携帯電話に届けられた。
なぜ蓮二が図書委員の仕事を、というのが私の正直な気持ちだったけど、生徒会役員であり図書委員より図書室に詳しい蓮二に仕事が回ってくるのは当然の事らしい。
そんな蓮二の説明を聞いたって図書委員の仕事内容も生徒会の内情も知らない私には本当かどうか判断することができないというのに。
そしてそのまま今に至る。
どこで蓮二を待っていればいいのかわからなかった私はとりあえず図書室に出向いてみた。
蓮二はまるで私が来ることなど容易にわかっていたかのように、書物庫から出した本を私に手渡した。
説明もなく私はただ手渡された本を棚に運んだ。
いいえ、私が図書室に来ることは最早蓮二の中では決定事項だったに違いない。
そして説明がなくともすべきことが伝わるということも、私が蓮二の頼みを断るわけがないということも。
なんというか蓮二はとても卑怯だ。
告白をしたのもほとんど私からだったようなものだし、散々言葉巧みに私を一喜一憂させておいて私の気持ちはとうの昔から知っていたと言うのだ。
「A、すまないが少し手伝ってくれないか。」
私は無言で椅子から立ち上がると蓮二のところに行った。
素直に従った私を蓮二は薄く細めた目で面白そうに見た。
「手伝うのが嫌じゃなかったのか。」
「別に…手伝うのは嫌じゃないわ。」
「ではなぜ機嫌を損ねているのか聞こう。」
「だって蓮二が卑怯だから…。」
私が小さく呟くと蓮二は首を傾げた。
足元にある分厚い本を蓮二に渡すと蓮二は順に棚に並べる。
この簡単な作業に本当に私の助けが必要だったのかと疑えばすぐに結論が出た。
それが私の機嫌をなおすための蓮二と私の討論会の始まりの合図だ。
飛んで火に入る夏の虫。
そして私はこの勝負に勝ったことがない。
「卑怯…。Aは俺のどこをどう見て卑怯だと思ったんだろうか。」
蓮二が本棚に入れた本がパタンと将棋倒しになって斜めに倒れていく。
長い指がそれを丁寧になおしていくのを私は横目で見ていた。
私の身長では難しい高さは蓮二にとってちょうどいい。
「全部よ。」
「ふむ…お前にしては曖昧な言葉だな。」
「………。」
「そう拗ねるな。」
蓮二は面白そうにくすくすと笑った。
こうやってよく蓮二は私をからかって面白がる。
「すまない。具体的に言ってもらえたら反省しよう。」
「私が蓮二を手伝うのを当たり前だと思っているところ。私が蓮二の仕事が終わるのを絶対に待ってると思っているところ。まだまだあるわ。きりがないほど。」
「なるほど。」
「反論があるなら聞くわよ。」
「反論はない。Aの言い分を認めよう。だが俺がAに謝るべきところはないように思うが?」
「その根拠は?」
蓮二はきっちり並び終わった本棚を確認してから時計を見た。
その様子に仕事が終わったことを知る。
何事も始まりと終わりに時間を見るのはデータを大切にする蓮二ならではの癖だ。
「Aは俺を好いているからだ。」
予想だにしなかった答えに私はぽかんとした。
その顔を見た蓮二がまたフと笑う。
「お前が俺を手伝うのも、俺と一緒に帰るために待っているのも当然ではないのか?」
そういうのをなんと言うか知っているかと尋ねられて私は唇を噛んだ。
「惚れた弱み…。」
「正解だ。」
また負けてしまった。
そんな答え、やっぱり卑怯だ。
「卑怯だわ…。」
きっと蓮二を好きな限り私は一生蓮二には勝てない。
肩を落とす私にそろそろ帰るかとマイペースに蓮二が言う。
「帰りは本屋に寄って帰ろう。」
「寄り道?珍しいわね。」
「Aが好きな作家の新刊の発売日だからだ。」
「え…。」
「本屋の次は大通りの甘味処だ。」
「甘味処って…。」
「食べたかったのだろう?大通りの甘味処はAが贔屓している店だというのは以前教えてもらった。」
「どうして食べたいってわかったの…。」
「菓子作りの料理の本やカフェ特集の雑誌を気にしていたではないか。」
私はこれに心底驚いた。
「一瞬目が泳いだだけなのに…。」
「お前のことはデータ収集済みだ。誰よりもわかっていると自負している。」
「……それは、嬉しいけど。」
「そしてお前の不満は全て俺が満たすというところまでがデータ通りだ。」
「…………。」
私は蓮二の言葉に伸ばしていた手を止めた。
図書室の扉の前で固まる私に後ろから蓮二が不思議そうに声をかけた。
「どうかしたか?」
「…いえ、意外だったから。」
「そうだろうか。」
「そうよ。それじゃまるで蓮二が私を好きみたいだわ。」
「なにを突拍子もないことを…。それが恋人に対する言葉か?」
「で、でも…。」
「言っておくが、好きでもない人間と付き合う趣味など俺にはないぞ。」
「そうだけど…。」
「もう一つ言っておくが、Aの願いを叶えるのは俺の特権だ。だから今日本屋に行くのも甘味処に行くのも当然だ。」
「…おかしな話ね。」
「そうだな。わかりやすくいえば、それも惚れた弱みというやつだ。」
私がくすりと笑うと蓮二はドアに手をついて私の顔を覗き込んだ。
「ちなみに俺は見返りを求めるタイプだぞ?」
「それに応えるのが私の特権でしょう。」
「ああ、好きだ。」
「同感。」
わかってはいたけれど。
蓮二に振り回されるのは、私が蓮二を好きだからだ。
だけど蓮二に振り回されるのは私だけの特権だ。
蓮二が私を振り回すことができるのは私が蓮二を好きだからで、蓮二が私を振り回すのは蓮二の特権だ。
いつか幸村くんから、君たちほどお似合いの二人を見たことがないと笑われたことを頭の隅で思い出した。
今度は何を考えているのだと、微かに角度が変わった唇から蓮二の思いが伝わる。
重なった唇の熱さは、お互い様。
そういうことにしておこう。
for いいこ様