「つまり、つまりだ…俺は、えーっと。おかしいな。こんなはずでは…。」

「貞治、私もう帰っていい?」

「ま、待て!昨日一晩中寝ずに考えたメモが確かポケットに…!しまった!穴が空いている!は…はは…理屈じゃない…か。A。」

「なに。」

「万事休すだ。どうしたらいいんだろう。」


知るかこの眼鏡!!!


と、声を大にして言ってやりたかったけど、冷や汗を流しながら真っ青になった貞治の顔を見たら何も言えなくなった。
考えたくはないが多分メガネの下から出てるのは汗じゃなくて涙なんだろう。
一体全体何がしたいんだ、このクラスメイトは。


土曜日。
日曜日前のちょっとしたお休み。
学校の補習があったり部活があったり休日とは言い難いけど、ゆとり教育が生んだ自由時間を私は決して嫌いじゃなかった。
この曜日、課外補習も午前中で終わるし、その流れで友達と遊びに行けるし、近所の某ファーストフードではかっこいいお兄さんがバイトしているからここに寄るのも忘れない。
今日もまさにそんな土曜日になるはずだった。


「今日は珍しく部活が休みなんだ。」

「へぇ。良かったじゃん。」


隣の席の貞治とは、中学一年から三年間同じクラスという腐れ縁だ。
隣の席になるのももう何度目だろう。
いや、正確に言えば席が前後になることが多いのだ。
「せんせー。乾くんが邪魔で黒板が見えません。」と、そういうわけでなぜか隣に移る。
なにしろ私と貞治の身長差はゆうに30センチを超える。
前後を入れ替えればいいのではないかと先生は言うけど、後ろからノートの落書きを覗きこまれたり「データ」とかいうわけがわからないもっともらしい言い訳で私の様子を観察した前科があるので、周りのクラスメイトに頼み込んでなんとか隣に落ち着くのである。
正直言うと、本当は隣も勘弁してほしい。
私だって花も恥じらう乙女だ。
勉強したり居眠りをしている無防備な姿をダイレクトにお隣から好きでもない男に凝視されるのはいくら色気がない私でもやっぱり嫌だ。


「フ…Aがあくびするといつも俺にうつるんだが、それ気づいてた?ふあぁ…。ほら!データ通りだ。」

「どうでもいいよそんな事。」

「………そうか。」

いつのまに呼び方が苗字から名前になったのかももう定かではないが、仲が良くなった覚えは少なくとも私にはない。
だっていつもの会話だって二言三言で一方的に終了する。
それが今日は、貞治が引かなかった。


「今日は部活がないんだ。」


二回繰り返された言葉に、荷物をカバンに詰めていた手を止めて貞治を見る。
いつものようにこちら側に向けられた顔。メガネに遮られて、貞治が何を言いたいのかわからなくなった。


「うん。それはわかった。」

「そしてAも、今日は特に予定がないはずだ。」

「まぁそうだね…。」


でた。「データ」。
今のはシャレじゃないけど、なんとなく貞治はこういうの好きそうだと思ったのであえて口にするのは止めた。


「じゃ、ちょっと付き合ってくれないか。」


貞治と知り合って三年。平行線だった私たちの関係に僅かなズレが生じた。
怪訝な顔をしながらも私は頷いた。


「別に…いいけど。」

「………い、いいのか?」

「暇だし。」

「そ、そうか…。すぐにイエスとは少し予想外だったよ。」


貞治は頬を指でかきながら照れたように特徴ある低い声で笑った。

別に貞治のことは嫌いじゃない。
データとか予測とかを気にする貞治とは違って私は野生動物よろしくなんとなくで生きてるから、こんなのを気が合うと言えるのかどうかはよくわからないけど、貞治と一緒にいるのは楽だったりする。
不本意ながら、まぁどちらかと言えば仲が良い友達の部類に入るわけだし、遊びに行くくらい学校の延長でいけると思っていた。
だからまさか、こうなるとは思ってなかった。


「で?付き合ってほしいところって公園なの?」

「……そうだな。」

「なんで?」

「いや!?ど、どうしてかを聞かれると困るんだが。今日の一番の本題の核心部分に触れてしまうことになる。」

「はぁ…。なんかわかんないけど、つまり公園に来た理由は私に話があったってことでいいの?」

「は、そ、そうか。そうだな。そう、話があったんだ。すごい。よく俺の言いたいことがわかったな。」


それから一時間、貞治はぶつぶつとよくわからないことを言い始めた。
途中、二回のトイレ休憩を挟んだ。
公園で遊んでいた子供たちがおやつを取りに家へ戻っていった辺りで、私はようやくもう帰っていいかと貞治に言えた。
私にしてはよく我慢した方だと思う。
それもこれも、なんだか貞治が必死だったからだ。
それから何度尋ねて、何度「待った」をされただろう。


「万事休すだ。」


お前はなんなんだ一体。
今日の貞治はおかしい。
空は赤くなりはじめて、私は考えるのも疲れてただベンチに座ってぼけっとしていた。
そういえば今日はいつも行くファーストフード店のかっこいいお兄さんに会いに行かなかった。


「貞治、もう帰ろうよ。明日も部活あるんでしょ。」


貞治は真っ青になった顔をうつむけてうなだれていた。
ポーズだけ見ればリストラを宣告されて家に帰れなくなったサラリーマンのようだった。
こんなに優しく言っても無反応で落ち込む貞治に私はとうとうキレた。いや、あくまで呆れ半分だったのだが。


「いい加減にしろよ眼鏡。」


ちょっと強くそう言うと、貞治の肩がびくりと動いた。
それでもまだ顔をあげない貞治を横目で見る。


(大きいなぁ…。)


身長が高いだけじゃない。
さすがはテニス部レギュラーだ。それなりに筋肉もついてる。
レギュラー落ちして以来、普段の生活の時からもつけるようになったパワーリスト。
一度遊び半分で貸してもらったら即筋肉痛になってまともに動けなくなった苦い思い出がある。
よく見るとリストのそこだけがうっすら日焼けしていて、努力の跡を人知れず教えていた。
まだパワーリストに慣れない頃、掃除の時でさえ苦労していた貞治の姿を思い出して、なんとなく胸のあたりがもやもやした。


「付き合ってください。」


独り言を言うのはやめたのか、貞治は突然はっきりとそう言った。
私はため息をついて答える。


「次はどこに。」

「いや、そう…じゃなくて。」

「は?」

「つまり、その、」


私は今でも、選択を誤ったんじゃないかと不安になる。


「お付き合い…していただけませんか。この俺と。」

「ま、まじですか!!!!」

「あ、ああ。まじだ。」

「まじで!!!!」


私はどちらかと言えば、あのファーストフード店のお兄さんのようなキラキラした感じの人が好みだ。
うちの学校で言えば手塚くんとか不二くんとか大石くんとか。


「……別に。彼女になってもいいけど。」

「そうだな…。いや、気にしないでくれ。お前が断るのはデータ通りだ…。ん?」


頭の中で貞治と一緒に過ごした三年間が高速で通り抜けていった分、返事をするのが遅くなってしまったけれど、私は確かに、貞治の告白を、断ろうと思っていたのだ。
毎日ストーカーされて、一挙一動をノートに書き込まれるのにはもううんざりしていた。
それでも私の一言に喜んだり落ち込んだりする背中は案外嫌いじゃなかった。

「貞治のことはお友達として好きなんです」とそう言おうとして、そう、うっかり言い間違えたのだ。

貞治が大量の汗をタオルで拭おうと眼鏡を外した瞬間に、激しく熱い衝撃が私の胸を突き刺した。


「…ん?んんん…?」


腕を組んでまだ考え込んでいる貞治の顔を穴があくほど見つめた。
これを罪と言うのなら、三年も私に片想いをしておいてデータ不足だった貞治が悪いのだ。
容姿が好みなら他の欠点も甘く見える、そんな風に作られた女の子の遺伝子を恨む理由は貞治にはない。
そんなとか、嘘だとか、データが間違っていたのかとか、奇跡か、はたまた幻聴かと、信じられない顔で今の状況を考え込んでいる貞治の手から眼鏡を取ると私はレンズを指で弾いた。
眼鏡が曇ってるから見えるものも見えなくなるんじゃない?と言うと、貞治はパチリと切れ長の瞳でまばたきをした。

とりあえず明日からこれは要保管だ。








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