彼は突然現れた。


「お前さん…最近ようここに来るのう。」

「は?」


見たことない奴だった。
それでもって変な奴だった。
うちの制服を着ているからうちの学校の生徒なんだろうけど、銀色の髪となんとなくその、感情が読めない瞳が印象的だった。
晴れ渡った空の真下に不似合いなほど肌の色は白くもう初夏なのに彼はセーターとブレザーを着ていた。


(うわ…暑そ……)


それが第一印象、だけど彼は汗一つかく様子を見せなかった。


「最近よく来るって…会ったの初めてだよね?」

「俺がお前さんをよく見かけるっちゅう話じゃ。」

「ああ…そっか…。」


それから彼は私に名前を要求した。


「Aだけど…。あなたは?」

「当ててみんしゃい。」

「わ、わかるわけないでしょ…!」

「つまらんのう。じゃあ…仁王ってことにしとくぜよ。」

「なんじゃそりゃ。」

「仁王雅治。」


仁王はどうでも良さそうに言った。
思えばそれはどこか寂しげだったかもしれない。


「仁王くんは…三年…?」
「呼び捨てでよか。さあて何年生じゃと思う?」

「仁王は…三年じゃないの?」

「先輩だったりして。」

「もしかして後輩?」

「後輩かもしれんのう。」


私がむっとすると仁王はおかしそうに笑った。
仁王が飄々としているから私も仁王から色々と聞き出すのはやめた。


「Aは変わっとる。こんなところによく来るとは。」

「お互いさまでしょ。」


ここはいわゆる旧校舎ってやつだ。
中学と高校校舎のちょうど真ん中あたりの奥にひっそりとたたずんでいる。
使われなくなった校舎はそんなに古くはないが埃まみれで汚いし暗い。
まさにホラーめいていてあまり近寄りたくはない感じがする。
出入り口は締め切っているけど一つだけ開く非常口があって私はそこから中に入っていた。
すぐ横の階段を登っていけば、屋上に辿り着く。
日当たりは良好で景色もなかなかいい。
しんと静かな場所だった。


「だってここは人がいないから…。」


私が小さく呟くと仁王は黙って空を見た。


「人が嫌いなんか?」


仁王の言葉に私は静かに顔を横に振った。


「傷を癒やすなら人がいない場所じゃないと、ね。」


恋も愛もそれらすべてに関することを失った。
ほんの少し前。

もっと好きな奴ができたからと、彼は少しだけ申し訳なさそうに呟いた。
テニス部でかっこいいとずいぶんモテていた彼は女に困ったことはなさそうだった。
とっかえひっかえしていた彼が私とは三ヶ月も続いたというのは周り曰く奇跡に近いらしいけど、そんなのは私にとってどうでもいいことだ。

傷がまだ癒えない。
教室にいても友達と一緒に騒いでも居たたまれなくなって私はこうして旧校舎に逃げてくる。
別れた時にもう充分泣いたからここには泣きにくるわけじゃない。
座ったり寝ころんだりして、ただ流れていく雲を見ながらぼーっとすると、それだけでなんだか心に自分が戻っていく気がした。


「ここには、お前さんの好きな時に来ればいい。」

「仁王は?」

「好きな時に来るぜよ。」

「そっか…。」


仁王は空を見上げると何の気なしに言った。


「今日はいい日じゃのう。」


仁王は変わってる。


「またここで会えたらいいね。」


私は仲間を見つけたようにそんなことをふいに思った。
仁王はなにも言わなかったけど、その代わり静かに微笑んだ。






それから私と仁王はよく会うようになった。
よく他愛のない話をしてよく笑った。
とは言ってもほぼ私が話して仁王が聞く形だったけど。


「仁王は部活とか入ってないの?」

「Aは?」

「私は昔は入ってたけど…ちょっと前にやめちゃった。元彼と別れたしさ。」

「ははは。最悪じゃ。」

「本当にまったく。」


仁王と話すようになって私の傷は確実に癒されていった。
仁王はこの空と同じ一緒にいるのが心地がよくて、最近じゃ友達といるよりも仁王といることの方が多くなっていた。

だけど一つ気がかりなことがあった。
私は仁王のことを何も知らない。
仁王はいつも私の質問をうまくかわしてふざけて笑う。


一度だけ、屋上のドアをこっそり開けたことがある。

あれは確か生ぬるい空気が積もったような曇りの日。
仁王はいつものように屋上に座って空を見上げていた。
その仁王の綺麗な横顔を私は入り口から無言で見つめていた。

切なそうで寂しそうで苦しそうで。

変わらない表情や無機質な瞳にそんなものを感じて眉をひそめた。
どうして仁王はそんなに寂しそうにするんだろう。
私になにかあったように仁王にもなにかあったのかもしれない。
そんなことを考えてうつむいているとふいに横から声をかけられた。


「なーに盗み見しとるんじゃ。」

「うわっ!仁王いつの間に!」


仁王のことをもっと知りたいと思う。
そんな悲しそうな表情をさせたくないし、もっとたくさん笑ってほしい。
私は段々、できればずっと一緒にいたいとそう思うようになっていた。


「仁王はさ…」


並んで寝転がって、私たちは快晴の青に漂う雲を数えていた。
今日もいい天気だ。


「仁王は好きな人いないの?」

「んー…さぁて。」

「またそうやって誤魔化すんだね…。」

「Aは?」

「私は……。」

「元彼とはどうなんじゃ。」


私はそれっきり黙ってしまった。
実は昨日、彼は私の元に戻ってきた。


「ごめん。A…。俺やっぱりAが好き。」

「…………。」

「また…付き合わねぇ?」

「もう、無理だよ………赤也。」


三年の春、私はこっちに引っ越して立海に転校した。
それから同じクラスになって私たちは付き合い始めた。
テニス部の部長である赤也が忙しいのも十分わかってたし、赤也がモテるのも十二分にわかっていた。
テニステニスで放課後もいなかったし、先輩後輩で休みの日も赤也はテニスばっかりでデートもろくにしなかった。

赤也の強さが好きだった。
テニスも、性格も、私にない強さが赤也の象徴だった。
赤也に頼まれて入ったマネージャーも赤也と別れた時にやめた。
それから後に可愛らしい後輩が新しいマネージャー兼赤也の彼女と、私の後がまになった。


「無理って、俺以外に好きな奴ができたってことなのかよ…?」

「そうかも…ね。」

「最近お前があんまり教室にいないって聞いたけどそいつのせい?」

「だったらなによ?」


赤也は怒ったような悲しそうな顔をした。
別れたのは昨日今日じゃない。一ヶ月だ。
30日、普通の人にとってみれば短くても、傷心の私にとっては随分と長かった。
もう過去のことだ。
今さらそんな顔をするのはやめてほしかった。


「新しい彼女は?」

「昨日…別れた…。」


赤也はうつむいて呟いた。
私は赤也のたまにみせる弱さに弱かった。
それでも自分で立ち上がる人だったから、私が赤也を生易しい言葉でじっくりと慰めたことなんかなかった。


「そいつと付き合ってんの?」

「……付き合っては…ないけど。」


赤也は悲しそうな顔をして私を見ると、ぜってぇ諦めねぇから!と切迫した言葉を残して走っていった。
赤也との思い出が巻き戻って蘇る。
同時に仁王との思い出が天秤に乗って激しく揺れ動いた。




「…A。」


黙ってしまったままぼうっとしていた私に、ふと仁王の声が耳に落ちて回想から戻った。
寝転がっていた私の顔を仁王が上から覗きこんでいた。
隣から顔の横につかれた手に逃げ場をなくして呆然とした。


「に…、」

「A……。」

「仁王…。」

「A…。」


仁王は私の肩に顔を埋めて縋るように私の名前を呼んだ。


「まだ傍におって……。」

「仁王……。」


それは初めてみる仁王の本音だった。
私は仁王の頭を撫でながら仁王の肩越しに見える呑気に流れていく雲を見つめていた。


どれくらいそうしていたかわからない。
私はいつの間にか寝ていたみたいで、誰かに肩を揺らされて目を覚ました。


「A!A…っ!」

「赤…也……?」

「なんでこんなところで寝てんだよ!」

「あれ…?」


しんと静まり返った屋上には赤也と私以外の気配はない。


「お前どこにもいねぇし…誰も知らねぇし…散々探したんだぜ。心配するだろバカ!」

「ごめ……。」


起き上がると赤也は私をぎゅっと抱き締めた。
ぼやけた頭のまま大人しく赤也に抱きつかれていた。
ふと、赤也の後ろの少し離れた向こう側に仁王が立っているのが見えた。


「に、お………?」


小さく呟くと赤也が私を離して首を傾げた。


「A?」

「仁王…。」


今度ははっきり呟くと赤也が不思議そうに振り返った。


「なんだ。誰もいねぇじゃん。」

「え、でも…。」


私は慌てて赤也を押しのけて見ると仁王はどこにもいなくなっていた。


「寝ぼけてないで教室に戻ろうぜ。」

「う…ん……。」


私は赤也に引っ張られるままに屋上を後にした。
旧校舎にもやけに大きく学校のチャイムが響く。

校舎に戻ると授業はちょうど終わったところで廊下は人が溢れていた。
赤也が通ると周りの女の子が黄色い声をあげた。
私は静かに赤也の手から離れた。


「……放課後、テニス部にちょっと顔出したら迎えに来るから。教室にいろよ。」


赤也は拗ねたようにそれだけ言って、先に教室に戻っていった。
私は赤也の後ろ姿を見送って複雑な気分で佇んでいた。


仁王にとって私ってどういう存在なんだろう。

そういえば私が見る限り仁王はいつも屋上にいたしいつ授業受けてるんだろう。
季節感なんかまるでなくて、だけど仁王の周りはいつも冬のような雰囲気が漂っていた。


「…、…A!おいA!」

「え?」

「ひっでー。今絶対聞いてなかったろ。」

「ご、ごめん。ぼーっとしちゃって。」


帰り道を二人で歩きながら、赤也は口を尖らせてふいと私に背を向けた。
私の前を機嫌が悪そうに歩く赤也。
付き合っていた頃もこんな感じだったけど、なんていうか全部「可愛い」ですませてた。
恋は盲目ってこういうことを言うんだろう。
昔はこうして赤也の部活がない時、たまに一緒に帰ってたけど特に内容のない話をしてお別れ、なんて恋愛ごっこよりもお粗末なものだった。


「なぁ、A…。」


赤也は立ち止ってぽつんと呟いた。
私たちの隣を帰る途中の子供たちが笑いながら通り過ぎていった。


「俺たちって、もう駄目?」

「一回終わったのに…?」

「ごめん。でも、Aのことまだすっげー好き…。」


赤也はうつむいた。
私が気まずそうにしていると、不意に耳元ではっきり聞こえた声に目を見開く。


「赤也もまだまだ子供じゃのう。」

「え……っ!」


振り返るとおかしそうに笑う仁王が平然と立っていた。
屋上以外で会うのは初めてで嬉しさ半分戸惑い半分だった。


「ちょっと、何―――……」

「おいAってば。なに独りごと言ってんだよ。」


赤也がまだ話の途中だと言うように不機嫌そうな声を出す。
一瞬赤也が何を言ったのかわからなくて全身を硬直させた私の左肩に手を置きながら、耳元で仁王がにやりと口角を吊り上げて胡散臭そうに笑った。
耳元で囁く仁王の顔を見ることさえもできなかった。


「無駄じゃ。」

「…………。」

「おーい。A?どうしたんだよ?何かあんの?」


私の顔を覗き込む赤也にも何も言葉が返せない。
肩に置かれた仁王の手からまるで氷でも当てられたかのようにぞわりと冷たくなって自然と鳥肌がたった。
青ざめて笑顔が引きつったまま固まった私の背後で仁王がふざけた軽い口調で告げる。


「お前さんにしか見えんのよ。」


そう言って仁王が両肩から腕を回して私を抱きしめた時、恐怖とは違う何かが心の中でざわめき出すのを私は確かに感じていた。
悪魔の囁きなんてメルヘンチックなことを信じるほど私はロマンチストでもないけど、少しだけ剥き出しにされた嫉妬とも呼べるような仁王の低い声がまさにその言葉を連想させた。
私の頭を蝕んでいく。


「悪いが赤也とは別れてもらうぜよ。お前さんは俺と付き合うんじゃ。」









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