「「あ、」」


目の前に落ちた定期を拾おうとしたところ、前から伸びてきた手とぶつかってしまった。
思わず前を見ると、同じくらいの歳の少女と近距離で目が合う。


「…っすまない。」

「あ、その…ごめんなさい…!」


少女は深々と頭を下げると走って去っていった。
ふわりといい香りが鼻を掠める。
少女は立海の制服を着ていた。
可愛いらしい顔立ち。背は俺よりも遥かに小さく。
呟いた声が耳に残った。


このような時、幸村ならば名前を聞き出すことなど造作もないのだろうな…。

俺は女子生徒に人気のある部長の顔を思い浮かべて、ため息をついた。







「真田副部長〜、痴漢したってホントなんスか?」

昼休みに幸村と蓮二と教室で昼食をとっていたところ、パックジュースを飲みながら赤也が教室へやって来た。
行儀がなっていない、と言おうとしたがその衝撃の言葉に阻まれてしまった。あまりの驚愕に俺の手から箸が滑り落ちる。


「……またか、弦一郎。」

「ま、またか…!?蓮二!!俺は一度もそんなことをした覚えはないぞ!!」

「怪しいな。犯人は一様にそういうんだ。」

「幸村まで…!」

「女の子の手触ったんスよね?」

「あ、あれは定期を拾おうとした時に偶然起きたことだ…!」

「偶然、か…。フフ…。」


幸村の辺り一面に黒い靄の様なものが見えるのは気のせいだろうか。蓮二は相変わらずマイペースで弁当を食している。


「幸村、黒いのが出ているぞ。」

「あぁ…すまない。」


やはり気のせいではなかったらしい。
幸村と蓮二はにっこりと笑い合った。幸村にあのような指摘が出来る者は、蓮二以外にはいないだろう。


「そう言えば…赤也、その話は一体誰に聞いたのだ?」


赤也はジュースを飲みながらズルズルと音をたてた。
行儀がなっていない、と言おうとして、


「幸村部長っス。」


本日二度目の衝撃を受けた。
幸村を見やると、幸村は眩いばかりの笑顔を浮かべた。


「あ」


すぐ隣から短い声が聞こえて、びちゃっと頭に冷たいものを感じた。赤也が飲み終わった紙パックを勢い良く潰したところ、若干残っていたジュースが吹き出したらしかった。
わなわなと拳が震える。


「たるんどるァ!!」


ガツンと赤也の頭を殴ると、赤也は「いってぇ!!」と悲鳴をあげた。
フッと幸村が笑みを零した。


「たるんどる、は真田の方だろ。」

「…幸村!」

「俺のものに手を出すとは…大した度胸だ。」


ゴウッと吹き上げる黒い悪寒に顔が青ざめた。
幸村が恐い。
ツタ…とこめかみのあたりからジュースが伝う感触がする。
それを見て、蓮二がものすごく嫌そうな顔を浮かべた。


「あれは幸村の妹だ。」


蓮二は俺にポケットティッシュをグイグイ押し付けながら、サラリと言ってのけ、俺は本日三度目の衝撃を受けた。





「初恋とは儚いもんぜよ…。幸村の妹に一目惚れとは…ククク…真田も男じゃのう…。」

「一目惚れって、要は顔だけ見て好きっつってんのと同じことだろぃ?」

「そそそそうなのですか!?真田くん!見損ないましたよ!!」

「お、おい…お前らいい加減にしとけ。一目惚れも悪いことじゃないだろ?ほら真田…これで鼻水拭けよ。」


噂というものは、何故こんなに回るのが早いのだ。
部室は案の定、このような状態に陥っている。
俺はジャッカルからそっとチッシュを受け取った。


「…かたじけない。俺の味方はお前だけだ…ジャッカル…。」

「………お、おう…………。」


何故顔をそらすのだ。
それについては、今は訊かない方がいいような気がした。
ふと、ノートに何かを書き込んでいた柳が顔をあげた。


「弦一郎、すまないが職員室で第三倉庫の鍵を借りてきてくれないか。」

「第三倉庫…?そんなものうちの学校にあ」

「早めに頼む。」


俺はガックリとうなだれて、部室を出た。
部室の中では嘲笑が響いていた。

………俺が一体なにをしたというのだ。
善を働いたはずなのに、今日一日が全て悪い方へと転じてゆくではないか。
俺はため息をついて、職員室のドアへ手をかけた。


「「あ、」」


ドアの手前で、手がぶつかった。
隣を見ると、今朝の少女が荷物を抱えて立っていた。


「すまない…!」

「あ…こちらこそ。」


少女は申し訳なさそうに柔らかく笑った。
またあの香りがして、俺は不覚にもドキリとした。
俺は慌ててドアを開けると、少女に入るように促した。


「ありがとうございます…。」


少女は照れたように頭を下げた。
可愛い、と率直に思ってしまう。


「あ、あの…今朝も、ありがとうございました。すっかり言いそびれちゃって。」

「ああ…き、気にするな。」

「真田先輩ですよね?お兄ちゃんの友達の…。あ、お兄ちゃんっていうのは幸村精市って言って・・・わ、私、妹なんです。」


少し幸村に似たような笑顔に魅入ってしまい、俺は短く返答するので精一杯だった。
優しい声が頭の中で反芻される。


「…さなだ先輩。」





初めてだった。
幸村から奪い取ってでも、欲しいものができたのは。









>純情浪漫シリーズより

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