恐ろしい記念日がやってくる。
付き合う前の私と仁王。
「部活お疲れさま。それで…誕生日おめでと。これプレゼントなんだけど…いる?」
ご近所に住む私は、歩いて3分もかからない仁王の家の前で、部活帰りの仁王が帰ってくるのを見計らって待っていた。
近所に住んでいることが発覚してから、ただのクラスメイトだった私たちはなんだかすっかり意気投合してしまい、仁王の誕生日を聞いた私はおずおずと誕生日プレゼントを用意したのだった。
仁王は私とプレゼントを交互に見つめると、ふんふんと頷いて笑った。
「残念じゃが、プレゼントはA以外受け付けとらん。」
「は?…っうわあ!」
急に抱きしめられて、私は驚いた声をあげた。
にやにやと笑いながら近づいてくる仁王の顔をぎゅうぎゅうと押し返す。
「ちょ、な、なに?!なに?!近い!近いんですけど!」
「まだ遠い…。あ、これはAの付属品としてもらうぜよ。」
仁王は私の手からプレゼントをひょいと取り上げた。
あ!と叫んだ瞬間、雰囲気のかけらもないキスをされた。
悪戯に重ねられた仁王の唇は生暖かく、口先でぬるりと混ざる唾液が妙に生々しかったのを覚えている。
詐欺師が私のファーストキスを奪ったのがこの日。
付き合って3ヵ月後の私と仁王。
「付き合って3ヶ月経ったのう。」
「今日は3ヶ月記念だもんね。」
3ヶ月記念をしようと言い出したのは仁王だった。
仁王にそう言ってもらえたのが嬉しくて、私は仁王の部屋にのこのこついて行ったのだ。
「良い記念日じゃのう。」
「良い記念日だよね。」
「もっと良い記念日になったらいいと思わんか。」
「そうだね。もっと良い記念日にねって…あの、さっきからなんか近くないですか…っうわあ!」
「合意の元じゃ。」
「キャ―――!!」
「優しくしてね…。」
「お前が言うな!!」
詐欺師が私の貞操を奪ったのがこの日。
それから3ヶ月後の私と仁王。
「A…」
「今日はしないって約束したでしょ!」
「別に記念日まで普段通りにやろうとは思っとらん。」
「そ…その半笑いはなんですか。」
「今日は趣向を変えてAにはナース服を着てもらおうかと…」
「普段通りにやらないってそういう意味!?嫌!…絶対いや!代わりに何か大事なものを失ってしまいそう!」
「失った分は愛で埋めてやるから心配しなさんな。」
「サムい!」
仁王が投げキッスをお見舞いしたのでバッと避けた瞬間、腕をがっしり掴まれた。
「幸村が病院でナースをはべらせよるのを見た時にひらめいたんじゃ。」
「キャ―――!!」
「好きじゃ…」
「ナースが!?」
詐欺師が自分の変態趣味に私を巻き込んだのがこの日。
3ヶ月の記念日ごとに繰り返される詐欺師の強奪に、私はほとほと困り果てていた。
仁王のことは好きだし、なんだかんだ言って記念日を祝ってくれるのは嬉しい。
毎回微妙な展開になるとはいえ、嫌なはずは…まぁ一応ない。
でも違う。
今回は絶対なにかくる。
私は緊張した面持ちで手帳をばしんと閉じた。
それは昨日、仁王と私で教室でお弁当を食べていた時のことだ。
仁王の機嫌がいいので、何かあったのかと訊けば。
「A、来週の月曜は何の日やったか覚えとるか?」
「…むぐ。し、知らない…。」
「Aが大人になっ…」
「わああ!!ここ教室だから!」
仁王はパアァと効果音がつきそうなくらいの満面の笑みを浮かべた。
「楽しみじゃのう。」
な に が ?
「ヒイィ!死ぬ!」
「うるさいぞ、B!」
私は昨日の出来事を思い出して授業中にもかかわらず思わず叫んでしまった。
飛んでくるチョークを必死に避けたら、後ろの席の真田君に当たった。
憤慨する真田君に私は小声で謝って、再び日記帳を開けた。
1、2、3…記念日まであと5日しかない。
決めた。
今回の仁王の企み、絶対阻止してみせる!
そう決心した時、日記帳の一番後ろのページからぺらりとメモ用紙のようなものが出てきた。
『火曜日学校をサボる言い訳を考えておくこと。』
「ヒイィ!呪いの手紙が!」
紛れもない、特徴ある仁王の字だった。
ていうかなんで火曜日なの。なんで月曜日の翌日なの。嫌な予感するんだけど!私が頭をかかえて机に突っ伏したため、飛んできたチョークは私の髪を掠めて後ろの真田君に当たった。
たるんどる!と言われてびっくりしたのは、私じゃなくて先生だった。
仁王の企みを阻止する。
そんなのできるわけない。一人じゃ。
「参謀!知恵を貸して!」
「騒がしいな。」
私の調査によると、柳は昼食は一人でと決めているらしい。
真田君が柳に断られて弁当片手にしょんぼりしているのを何度か見たことがある。
校舎から離れた人気の少ない閑静な場所でお弁当を広げている柳の前に正座して、私は柳をじっと見た。
「で?」
「仁王の企みを阻止したい。」
柳は私を無視して、お弁当箱に詰め込まれた彩り鮮やかなおかずを口に運んでいた。
「…聞いてる?」
「食事中なのがわからないか。」
「すみません。」
出たな立海テニス部名物ゴーイングマイウェイ!
くそうと柳を睨んで、柳が食事を終えるのを私は静かに待った。
柳は最後に美しく箸を置くと、湯気の上がるお茶を一口飲んだ。
「無理だな。」
「………。あ、えぇ?!」
急に柳が口を開き、老人のように「今日は…天気がいいね…風が気持ちいいね…」とそよ風に吹かれる木の葉を見ていた私はポカンと柳を見た。
柳は金粉が散りばめられた黒光りする箱からお団子を取り出すと、ぽけっと開いている私の口に一串突っ込んだ。
「あ、美味しい…じゃなくて!無理!?」
「ああ。100%無理だ。」
「そこをなんとか…!」
「仁王が何を企んでいるのかがわからなければ対策のしようがない。例えばナース服を着させようと仁王が考えているのなら、先回りしてメイド服を着ればナース服を回避できる。」
「あのね、非常に論理的で柳らしい考え方なんだけどその回避…そもそもその例え話はどうなんだろう。」
「お前はナース服を着たんじゃないのか。」
「…なんで知ってんの?」
「幸村の見舞いに行った時、仁王がナースを見る目が違っていたのでな。」
「………そ。」
どうして仁王といい柳といい…幸村もだけど、恐いと人に思わせるのがこんなに得意なんだろう。
私は柳から目をそらして涙を飲んだ。
右手に持っているお団子を落ち込んだようにかじる。
今の救いはお団子が美味しいということだけだ。
「仁王の考えは読みにくい。対策なしで企みを阻止するためには、その場に応じて仁王を凌駕する考えを瞬時にひねり出さなければならない。お前には無理だ。」
「う…っ!じゃ、じゃあ、仁王が何を企んでるのか先にわかれば対策の仕様があるんだよね?仁王が企みそうなことのデータとか取ってない?」
「仁王のデータは役に立たない。特にお前のことになるとな。……A、手を出してみろ。」
「は?手?」
私は首を傾げたが柳が催促するので、しかたなく左手を出した。
お団子をかじりながら成り行きを見守る。
柳は私の手を見た。
「参謀、手相にも詳しいの?」
「理論的証拠のないものはあまり好かないが…生命線は長いな。なるほど、しぶとそうだ。」
「……悪かったわね。…それで?」
「例え話をしよう。」
柳は私の手のひらにトンと人差し指を置いた。
「ここに仁王がいるとしよう。お前の掌の上だ。」
「はあ、仁王がねぇ…。」
「お前は仁王に何でもできる。仁王が何をしているかも全てわかる。」
「うん。」
「つまりそういうことだ。」
「は?どういうこと?」
全く意味がわからないんですけど、という視線を私は柳に向けた。
柳はお茶を一口飲んでから私を見た。
「お前は仁王の掌の上で転がされているということだ。仁王がAに何をしようかと何を企んでもおかしくはないし、Aがここにいたのでは仁王の一部しかわからない。仁王の企みを阻止するためには企みを事前に知ることが必要であり、仁王の企みを事前に知るためにはここから出なければいけない。」
「それ…無理じゃない?」
「だから始めから無理だと言っている。」
私はがっくりと肩を落とした。
「そうがっかりするな。お前にはまだ企みを事前に知る方法が一つだけ残されている。」
「なに?!」
柳はそっと私の両肩を手を置いた。
「…………?」
柳は顔を少し斜めにすると私の顔に近づけた。
これってもしかしてキスの仕方じゃ…と私が拒否しようとした瞬間。
「なにしよる。」
どこから現れたのか、仁王は大きな手で私の口を後ろから塞ぐとグイッと自分の腕の中に引き寄せた。
「参謀。」
「A、直接仁王に聞いてみろ。それが一番早くて正確だ。」
柳はそれだけ言うと、お弁当を持ってさっさと校舎へ戻っていった。
私が仁王を見上げると、仁王は深いため息をついた。
「やられた…。」
「に、仁王……。」
仁王は私を後ろから抱きしめたまま肩に頭を乗せた。
「A。」
「はい。」
「頼むから他の男の前で無防備にならんでくれんか。」
「うん…。」
「心配するじゃろ。」
「うん…。」
「俺の傍におらんと不安になるぜよ。」
仁王がこんな弱々しい声を出すなんて。
仁王の腕に優しく力がこもる。
温かいその腕と肩にかかる心地よい重みを感じながら、私は仁王の頭に頬を寄せた。
「傍にいるよ。」
「ずっと?」
「うん。」
途端に仁王は顔をあげると、私の耳に唇を寄せた。
「…月曜日も、な。」
薄く笑い、耳元から離れていく仁王の熱に、しまった…!と急いで振り返った時にはもう仁王の姿はどこにもなく。
柳の無駄に長ったらしかったけれど役に立つアドバイスを実行する間もなく逃げられてしまった。
敵わないなぁ。
私はこういう時いつも思う。
ため息をついて、ふと右手にあったはずの食べかけのお団子がないことに気づき、私は再度ため息をついたのだった。
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