あの跡部景吾。

そう言えば、通じない人はいない。
跡部財閥の御曹司、氷帝学園生徒会長、男子テニス部部長。容姿端麗、成績優秀、あらゆる物において頂点に立つような男。跡部親衛隊なんてものまで存在している。


そんな跡部景吾と付き合える神経を持つ女の子がいるなら見てみたい、というのが私の口癖だった。
つい昨日、とうとう彼に彼女ができたらしい。
噂は氷帝だけにとどまらず、近隣校にまで広がっていた。

ざわつく教室の中、私は隣の席の宍戸に話しかける。


「ねぇ宍戸………跡部の彼女ってさ………」

「お前だろ。」


嘘だ。
いつからそうなった。



「ねぇ宍戸……跡部の」

「だー!!うるせー!!さっきから何回訊けば気がすむんだよ。跡部の女はお前!!お前だ!!」

「そんなー!!聞いてないよ宍戸ー!!どうしよう!なんで!?なんで!!?」

「俺が知るかよ…。」


よし、ここは落ち着いて考えてみよう。
私と跡部はただの部活仲間だったはずだ。私がマネージャーで、跡部は部長で。友達で。それだけのはずで。


「よおA。昼はまだ食べてないよな?一緒に来い。」

「ああああ跡部様…どどどうしたのこんなとこで…ね、宍戸。宍戸も何か言ってやりなさいよ。ほらほら!!」


私は混乱した頭を必死に整理しながら、宍戸を叩いた。


「いてぇよバカ!俺を巻き込むなバカ!」

「ひどい!!助けてくれたっていいじゃない!!友達だと思ってたのに!」

「A。」

「ギャー!!なんでございますか跡部様!!」


跡部は名前を呼ぶと誰もが見惚れるような仕草で私の手を握った。
鳥肌が…と総毛立つ私をよそに、跡部はものすごく不機嫌そうな顔で宍戸を睨んでいる。


「A、悩み事があるならまず俺に相談するのが普通だろうが。アーン?」

「え、部長だから…?」


シーンと教室が静まり返った。
教室中から痛々しい程の視線が突き刺さる。


「おい…B。」

「A、行くぞ。」


居たたまれなくなった宍戸が見かねて声をかけてくれたけど、それを遮るように跡部は私の手を握ったまま歩き出した。「な、なんで!?どこに!?跡部!!」


宍戸はただ哀れんだ目で私を見ていた。
宍戸のそんな顔、私見るの初めてだよ。





跡部に連れて来られたのは部室だった。
部室の机の上には豪華な料理がズラリと並べられている。


「何のパーティー?」

「昼飯だ。うちのシェフに作らせた。」

「跡部…お昼の間いつもどこに行ってるのかと思ったらこんなとこで食べてたの…。」

「昼まだなんだろ。」


まだ少し機嫌の悪い跡部はそれだけ言うと座った。
仕方なく私も跡部の向かい側に座る。


「い、いただきます…。」


黙々と食べる跡部の手つきの優雅さに見とれながら、私は一番手前にあるお皿に手をつけた。
飾り付けも素晴らしく、材料の種類も豊富らしい。
何の料理なのかすら私にはわからないが、跡部邸のシェフが作ったというくらいなのだから味はもちろん。


「うわー!!おいしい!!」

「フン、当然だ。」


私がおいしいと繰り返すうちに気を良くした跡部は、これも食えこれも食えとお皿を次々と私の前に差し出しす。
「跡部、さすがにこんなには食べれないんだけど…。」

「どうだ。美味いだろ。」


人の話を聞け。


これも跡部の好意だと自分に言い聞かせて、私はちまちまと食べ続けた。
跡部は満足そうに私を見ていた。


「あのさ、跡部。」

「なんだ。」

「私たちって付き合ってるの?」


跡部は飲んでいたお茶を吹き出した。


「わああ!!跡部大丈夫!?」

「ゲホゴホ…」


跡部は机に突っ伏して激しく咳き込んだ。
私のせいなのかと葛藤しながら、私は跡部の背中をさすった。


「わかった…」


しばらくすると、弱々しい跡部の声が聞こえてきた。


「え?」

「お前が変だった理由だ。」

「理由?」


おかしいのはお前だ!という言葉を必死に飲みこんで、私は更に尋ねる。
跡部は顔を上げると、ふぅとため息をついて髪をかきあげた。
その無駄に色気を振りまくのやめてほしいんだけど…というのが部員一同の切実な願いであることをこの部長は知らない。


「俺様としたことが…悪かった。そうだな、きちんと言葉にしていなかったか。」

「は?」

「A、安心しろ。俺たちは正真正銘の恋人同士だ。」

「な…!!」

「嬉しいだろ?アーン?…A、食事はまた後にしろ。こっちに来い。」


跡部は笑いながら部室の奥の部屋へと入って行った。
その後ろ姿を呆然としながら見送る。
跡部が消えてから、私はそっと席を立った。


「A、早く来い。照れてんのか?クク…案外可愛いとこあるじゃねーか。」


何かぞっとするような台詞が聞こえたが、あれは幻聴に違いない。そうに違いない。
こっそり部室を抜け出して、私は教室にダッシュで帰った。
教室に戻ると、宍戸がこっちを見た。


「B…大丈夫か?顔色悪いぞ?…跡部は?」

「跡部は…壊れた。」

「あ?何言ってんだお前。」

「誰だあれは。」


今日ほど部活にでたくないと思った日はなかったと思う。








「てめぇら声もまともに出せねぇのか?才能がないんなら努力でもしろ!そんなんじゃ到底レギュラーにはなれねぇぞ。それとも一生球拾いしてぇのか?アーン?」


怖い。
跡部が怖い。
後輩たちも怯えきっている。


「なんであんなに荒れとんのや…。」

「B、お前のせいだろ。なんとかしろよ。」

「私のせいじゃない。私のせいじゃない。」

「なぁなぁ、Bは跡部と付き合ってんだろ?」

「がっくん、私と跡部は友達なの。もう友達すらやめようか悩んでるんだからね。」

「ほんまかいな…。昨日跡部からさんざん電話でノロケられたんやで。羨ましいだろとか可愛いだろとか…半分以上聞き捨ててもうたけどなぁ。」

「なんじゃそりゃ…。」


忍足に詳しく訊こうとした時、レギュラーの召集がかかった。
皆がぞろぞろと監督の元へ集まっていく。
行き際に、がっくんがポツリと呟いた。


「昨日、跡部すっげぇ機嫌良かったんだぜ。気持ち悪ィくらい。」


気持ち悪いって。
がっくん、悪意がなければ何でも言っていいわけじゃないのよ。
ていうか……昨日?
私は昨日を思い返した。
昨日って言えば…。


「B、」

「なに?跡部。」

「ケータイの番号を教えろ。アドレスもだ。」

「…いいけど。」

「ありがとな。これが俺の番号とアドレスだ。嬉しいか?」

「はぁ…どうも。」


跡部メル友欲しいのかなくらいしか思わなかったが、原因がそれしか見あたらない。


「跡部!」


誰かが大声で叫んで、レギュラーが集まっている方向に急いで目をやると、跡部が倒れているのが見えた。









「なんで私が…」


保健室のベッドに横たわる跡部。
熱があるらしい。

それでおかしかったのかと私が納得していると、朝は熱がなかったと樺地が言った。
いくら樺地が付き人だとしてもなぜそこまで知っているのかと私がまくし立てると、「昼休み中部室で跡部さんは裸でAさんを待っていました」という樺地の言葉によって私の心は今度こそ粉々に砕け散った。
他のレギュラー陣も引いていた。

この変態は部室奥の部屋で何してたんだ!と暴れる私を、宍戸と忍足が含み笑いで励ますのにもさらに苛々して。
ジローが監督に私と跡部が付き合っていることを告げると、監督は有無を言わせず私に跡部を押し付けた。
あの43歳はああ見えて忍足とはるぐらいロマンチストなのだ。

私はため息をつくと、跡部の額に冷却シートを張った。


「跡部…」


本気で具合が悪そうな跡部に同情して、私はベッド横でうなだれた。
いくら理解不能でもやっぱり跡部は元気で俺様でいた方がいい。


「…ん。…A?」

「跡部、大丈夫?」

「…保健室か?」

「熱があるんだよ。急に倒れて…まだ眠ってて。」


起き上がろとする跡部を押さえようとすると、逆に腕を引かれた。
ぎゃあと叫んで勢いよく顔からベッドに突っ込むと、跡部は私を抱き締めた。
抱き締めたというよりは抱き枕にされたと言った方が正しいかもしれない。


「うあ…あ、跡部…!」

「お前冷たいな…気持ちいい…。」

「暑い!跡部暑い!離れて!」

「アーン?離すかよ。」


寝ている間、暑かったのか大きくはだけたシャツから美しい鎖骨が見えて慌てて目をそらした。
熱があるせいか跡部は顔が赤くて、うっすらと汗ばんでいる。

(だから無駄な色気を振りまくのやめてって…!)


「A…好きだ…。」


耳元で直に囁かれて、ぞわりとした。
熱に浮かされたような声はいつもより少し低い。
私は顔がだんだん熱くなるのを感じて布団に顔をうずめた。

ずるいよ。跡部。
反則だ。







翌日、完全復活した跡部様。

その隣にいるのは、覚悟を決めた私。
跡部の彼女である。


「良かったね跡部〜!すっげぇお似合いだC〜!」

「当たり前だろ?なぁ、A。」

「ウス。」

「A、樺地化してまで跡部の彼女に…ほんまに健気な女やで…。」

「うるせーぞエセ関西人。そのメガネ割ってフレームだけにしたろうか。」

「誉めてんねや…。」

「口を閉じろ。目を閉じろ。耳も閉じろ。鼻も閉じておけ。」

「死ぬ。」

「なんだ。やっぱりお前ら付き合ってんじゃねぇか。」

「いや…昨日までは付き合ってなかった。」

「アーン?まだ意地はってんのか。」

「張る意地なんてございませんが。」

「なんだ。忘れちまったのか?」

「忘れ………?」


跡部が部室に爆弾を落とすまであと五秒。


「ケータイの番号とアドレスを交換するのは恋人がやることだろ。」


偉そうに言う跡部様と言葉を失くす仲間達。
私はどこか誇らしげな跡部に溜息をつきながら、どうやら浮気の心配はなさそうだと見当違いな事を考えていた。










跡部はアホでも可愛い。



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