忙しなく動き回っているのは朝練が始まる前のマネージャーの仕事がたくさんあるからだ。
私に付き添って早く学校に来た精市はまだ眠いのか部室の机にもたれて、動き回る私を見ていた。
「ねぇ…、A。」
「んーなに?」
バタバタとドリンクを量産しながら私は振り返らずに返事をした。
「体がだるいんだ…。」
私は手を止めて振り返った。
精市は相変わらず机にうつぶせになっている。
声に抑揚がなく、白く抜けるような肌は微かに血色が悪い。
「まさかまた病気が……………なんて、もうその手には乗らないからね!」
精市はむっとした顔をして私の名前を呼んだ。
怯みそうになるオーラにさっと身構えて立ち向かう。
「可愛くない。」
「か、可愛くなくて結構です!」
「俺は可愛いAが好きだな。」
「じゃあ嫌いで結構!」
私は精市にビシッと言ってやった。
「A。」
「なに?」
それはちょっと前のこと。
部活途中精市が私の方に来るから何事かと思えば、「話があるんだ。」と手を引っ張られてむりやり部室裏に連れていかれた。
「幸村、部活抜けていいの?」
「真田が全部やってくれるから俺も楽だよ。」
「たるんどる!」と部員を怒るそんな真田の声を遠くに聞きながら私は荒んだ目でにこやかな幸村を見ていた。
部室裏は木が生い茂っているせいか建物で日が遮られているせいか薄暗い。
怪しい。
とにかく怪しい。
「ゆ、幸村…?」
逃げていいのかと精市の隙をうかがっている間に精市は素早く私の両手を取るとそのまま壁に押し付けた。
一瞬何が起きたのかと硬直する私に精市はいつもの優しげな笑顔を浮かべていた。
「逃げられなくなってしまったね。さあ、どうする?」
精市が本当に楽しそうにフフ…と笑うから、私はとにかく慌てた。
「幸村…っ!なに…っ。」
「Aが無防備すぎるからつい。それに逃げ出しそうだったし。」
「は!?」
精市がニヤリと笑って顔を近づける。
私はびくっと震えて眉を寄せた。
「好きだ。」
あの時の衝撃と言ったらなかった。
今まで普通の友達だった精市に急に壁際に追い詰められて、その上投下されたその言葉にもう心臓が保たなかった。
「付き合ってくれる?」
「や…、えっと、その…」
「俺、曖昧な答えって嫌いなんだ。だからはっきり言って欲しい。」
「(恐い恐い恐いよ幸村………!!)」
「ちょっと、聞いてる?」
「でも今までそんな風に幸村のことみたことなかっ…」
最後まで言い終わる前に唇を重ねられた。
「……………!い、今、キス…っ!」
「ん?」
自分は何も悪いことはしていないとでもいうような顔で精市はしれっと言った。
カアッと顔が赤くなって精市を睨むと、拘束されたままの両腕に力を込めた。
「幸村なんかきら…っ!ん…、…っ!」
「なに?」
「や、やめて…!や…っ!ん…!」
それから精市は私が必死に何か否定的な言葉を口にしようとするたびに、それを楽しむように何度も私の口を塞いだ。
ようやく私が小さく頷いた時には、もう部活はほとんど終わりかけていた。
「思ったより粘ってくれたね。フフ…躍起になってしまったよ。」
力が入らない私を支えながら精市は笑った。
呼吸もままならない私は精市の腕にすがりつくような体勢になっている。
舌まで入れるつもりはなかったんだけど、と精市がそう呟いた。
「あ、もしかしてキスしたかった?」
「だ、誰が…っ!」
「遠慮しなくていいよ。A…、俺今すごく機嫌が良いんだ…。」
「ぎゃー!!誰か助けてー!!」
精市の熱烈なる告白(脅迫?)によって、ついこの間から付き合うことになった私たち。
それから呼び方も幸村から精市に変わって。
精市のことを今まで少しも考えたことなかったから、精市と付き合ったことで周りが面白がって色々詮索してくるんじゃないか冷やかされるんじゃないかと思ったが、誰一人としてなにも言わなかった。
さすが精市…というかなんというか。
そして最近。
付き合ってるんだから当たり前なのかもしれないけど、私は全くそんな気はなくて、デート感覚で精市の家に遊びに行ったら案の定押し倒されてしまった。
「精市!」
「なに?」
「なに?じゃなくて…っ!ま、まだ心の準備が…!」
「え…?準備がいるようなことはしてないと思うけど。」
「してる!してるって…!だから…!……っ!うわぁぁあお母さーん!!!」
「A、手どけて。無理矢理するよ?」
「さ…最低…っ!」
「フフ…褒め言葉として受け取っておくよ。大丈夫、怖くないよ。ほら…。」
「……っ、ん!…っぁ。」
初めて、だったのに。
いきなり3回もやって平気なはずがない。
怖いし、わけがわからないし、意識は飛ぶし、体中痛いし、しばらく私はろくに動けず部活も休んでしまった。
部室で精市が部誌を書くのを大人しくみながら、文句を言ってみると精市はさも当然のように言った。
「うーん…あれで手加減したつもりだったんだけどな。」
「どこが!!」
「Aは体力が無さ過ぎるよ。普段からちゃんと運動してる?言っておくけど、次は手加減しないからね。」
私は怒りでぎゅっと手を握り締めた。
どうしていつも強引なの。私のことなんて本当はどうでもいいんじゃないの。
いくらなんでも酷すぎる。
「精市とはもうしない!精市のバカ!」
バカ!ともう一度大きく叫んで部室を出ようと走ると、痛む腰に前のめりになりそうになった。
ちょうどドアを開けて入ってきた真田に支えられる。
「A…?だ、大丈夫か?」
「真田…。」
「どうした。気分でも悪いのか?少し顔色が悪いぞ。」
「大丈夫…。」
「A。」
精市が低い声で私の名前を呼んだ。
恐くて後ろが振り向けない。真田もただならぬ雰囲気に少し固まっていた。
「せ、精市が悪いんだからね…!」
私は精市を見ずにそう言うと部室を出ていった。
「ゆ、幸村…?何かあったのか?」
「真田、今から買い出し行って。」
「買い出しはマネージャーの仕事だろう。」
「仕方ないだろ。マネージャーは今出ていったんだから。はいこれ。リストとお金。」
「う、うむ。……む、幸村、交通費が含まれていないぞ。電車とバスでないと隣町までは随分…」
「走って行けばいいだろ。」
「走………!?」
精市に禁止令を出してから一週間。
精市とは部活で顔を合わせるし、一緒に帰ったりもするけど、それ以上何もないように私は徹底的に精市を避けていた。
「体がだるいんだ…。」
精市は朝からぐったりしている。
「一週間もほったらかしだなんて身体に悪いよ…。」
「まだ一週間じゃん。」
「俺だって男なんだから色々と大変なんだよ。一人でさせる気?酷いねAは。」
「う…。そ、それとこれとは話が別だもん…。」
「俺が病気になったらAのせいだ…。」
「病気になるわけないでしょ!」
精市は重いため息をついた。
朝練が始まっても、精市は元気がないように見えた。
機嫌も悪いのか他の部員に当たり散らしていた。
他のレギュラーメンバーから頼むから精市と仲直りしてくれとお願いされてしまった。
[←] | [→]