真っ暗で相手の顔はよく見えない。


なのにぞっとするほど妖艶な笑みを浮かべているのを想像した。
うつぶせに倒れた私の上に覆いかぶさって、仁王が背中を一舐めすると私はびくっと震えて声をあげた。
繋がったまま、私を焦らすように仁王は少しだけしか動いてくれない。


「先輩…、どこが好き…?ここか?」

「…う、あ…っ。」


足元がふわふわする感覚。
身体が異常なくらい熱くて頭がぼーっとする。
くちゅ、と時折水音がしてぬるぬると擦り合う結合部から太もも。
なんだかすごく気持ちがよくて、生理的に流れる涙が止まらなかった。


「ん…、ん、ぁ…っ。」


ぎゅっと目を閉じて刺激に耐える。
うなじにそっと唇を落として仁王が微かに笑った。
他には何の音も聞こえない中で、仁王の声だけが耳元で囁かれる。


「のう、先輩。…好きにしてもええ?」

「…、…あ…っ。仁王…、だめ…。」









私は罪悪感で頭を抱えた。
窓から爽やかな朝日が差し込んでくる。


「………………!!!」


叫びだしそうな自分を必死で抑えて、私は布団の中で転がりまわった。


(だから、なんでそういう夢を…!!)


今すぐこの頭を開いてこの煩悩を取り去りたい。
私は仁王が好きなのか、と私は自分の頭を叩きながら自問自答を繰り返した。

違う。なんだかそういう感じじゃない。
一番近い感覚で言えば…。つまり。

仁王に欲情した……?

私は本日二度目の声にならない悲鳴をあげた。


「だめだ…、このままじゃ耐えきれなくて死ぬ…。」


自分で叩いたせいで痛む頭を押さえて起き上がりながら、私は小さく呟いた。








朝練では仁王を必死に避けて、自分の教室にさっさと戻った。
自分の席に座るとどっと安堵して疲れを癒すように机にもたれかかる。
「A眠いの〜?」と軽く笑う友達に「違います…」と力なく漏らした。

今日はいつも以上の無気力さで授業を乗り切った。


「ここの答えわかるか?」

「わかりかねます。」

「お前なぁ…。」


先生もあきれた顔をしていた。

今日はなんだかすごく時間が過ぎるのが遅く感じる。
昼休みになった時、私はようやく午前中が終わったのかとうんざりした。
疲労に負けそうな体を引きずって騒がしい教室を抜け出し屋上へ向かう。
屋上へと続く人気のない階段をのぼり、所々が剥げて錆びている扉を開けた。


「………………。」


先客と目が合った。
仁王とその周りを囲むお姉さま方。
色とりどりでいかにも美味しそうなお弁当を広げ、我先にと仁王の口元に箸を運んでいる。
仁王はというと適当に視線を泳がせたりたまに目の前に差し出されたお箸をじっと見つめたりして、何もせずに座っている。


「し、失礼しました。」


私は惨めな気分になって静かに扉を閉めると、すごすごと去って行った。


「見なきゃよかった…。」


ショックを受けた、と言ったらどう解釈されるんだろう。
仁王はモテる。だけど、あまり人になつくタイプじゃなかったから、なんとなく私だけは特別だと思ってた。

大きくため息をついていると、廊下で幸村くんに会った。


「フフ…どうしたんですか?ため息なんかついて。」

「ちょっと疲れただけ…。」

「何に?」

「……………。」


なんともない言葉が一瞬命令形に聞こえたのは気のせいだろうか。
目を白黒させる私に幸村くんは微笑んで、言葉を変えた。


「最近の仁王はどうですか?」

「ど、どうって…。なんで?」

「観察するとか言ってませんでした?」

「あ、あぁ…。た、確かに…。」


とうとうしどろもどろになり始めた私に幸村くんは声をあげて笑った。


「わ、笑わないでよ…。」

「フフ…すみません。Aさん、仁王のことが知りたいなら仁王に直接聞けばいいんじゃないですか?俺ならそうするかな。」

「うーん…。でも何を聞けばいいのか…。」

「そうだな…。仁王と二人になったら…まずは、なにがしたい?…でしょうね。」

「は?」

「そうだ。今度仁王の歓迎会をしようってみんなで言ってたんです。」

「歓迎会…?今さら?」

「やってませんでしたから。」


幸村くんはフフ…と笑って去って行った。
なんでうちのテニス部はこう食えない子たちばかりなんだろう。
私はもう一度溜息をつくと教室に戻った。
放課後、部室に行くとすでにみんな着替え終わっていた。


「ご、ごめん!遅れたかな!?」

「や、俺たちが早めに来ただけっスから。」

「そ、そう…?」


ガムを膨らましながら説明するブン太に返事をしながら私は着替えるために部室へ向かおうとした。
そんな私に幸村くんが声をかける。


「Aさん、先に倉庫からボール用のカートをもう一つ持ってきてくれませんか。」

「あ、うん。」


私は頷いてから方向を変えると倉庫へ向かった。
倉庫の扉が中途半端に開いていたのを不思議に思いながらも中に入ると暗闇に浮かぶ銀色が目についた。


「仁王…?」


狭そうな隙間に入り込んでいるのに楽そうな体勢に見えるのはどうしてだろう。


「ようやっと来たか。」

「は?」


仁王がそう言うと、後ろでガラガラと轟音を立てて扉が閉まった。
かなり重たい扉のはずなのに閉まるのはものすごく素早くて呆気にとられた。
慌てて振り向くと光が遮断される手前一瞬だけ、扉の向こう側に幸村くんがいたようないなかったような。
でもうちの部内で倉庫の扉をあれだけのスピードで閉めることができるのは真田くんか幸村くんくらいなものだろう。
私は静かになった扉を引きつった顔で見ていた。
幸村くんってなんか文句言えない雰囲気あるんだよな…。

仁王は突然閉まった扉に驚くこともなく一瞥すると突っ立っている私に声をかけた。


「俺に話があるんじゃろ?」

「え?」

「幸村がそう言いよった。ここで待っとけばええよって。」

「ええ!?」


昼休み、幸村くんに会ったことを私は猛絶に後悔した。
脳裏に幸村くんの「歓迎会」という言葉が頭をよぎった。
いや、まさか…ね。


「なん?」


微かに歪めた口元で指を遊ばせながら、おかしそうに笑う仁王。
どくんと心臓が跳ねあがった。


「今日…昼休み、ごめん…。なんか邪魔しちゃったみたいで。」


仁王は一拍おいてから答えた。


「あんなん…別になんでもいいぜよ。」

「別にって…。」

「どうせ明日になったら来ん。俺にずっとかまってくれる奴なんかおらんけ…。」


無表情で言う仁王の言葉は少し寂しげで、私は「そんな…。」しか言えなかった。
仁王は入り込んでいた隙間から出ると私の前に来た。


「先輩がしたい話って言うんは、」


自然と片足が後ろに下がる。


「それじゃないんじゃろ?」


なにも言えない私に仁王がフと口元を歪める。
またそんな笑い方、と私はむきになって仁王を見返した。


「あ、あのね…。幸村にアドバイスもらったんだけど…。」

「…。」

「質問していい?」

「うん。」

「仁王は……なにがしたい?」


賭けみたいなものだった。
仁王はなんて答えるだろう。

つい最近どこかでよく感じたことのある暗がりの中、握りしめた手のひらがうっすら汗ばんでいる。
脈が速い。

仁王は少し呆気にとられたような顔をしたが、細く束ねた髪先を指先で弄って考えているような動作をした。


「なんでもいいんか?」

「…、うん。」

「じゃあ。」

「……………………。」

「膝枕。」


私は呆然と仁王を見つめた。


「ひざまくら……膝枕!?」


仁王は物欲しげな顔で首を傾げると「だめか?」とたずねた。


「こ、ここで?」


仁王がうんと頷いたので私は適当に座った。
嬉しそうに膝の上に頭を乗せる仁王を見て私は間の抜けた顔をしていた。

なにを期待してたんだろう、私。
仁王は猫みたいな可愛い後輩、それだけなのに。

なんだか一人だけで舞い上がって恥ずかしい。
ぎゅうっとくっついて無防備な寝顔をさらす仁王を見て、私は仁王の頭を優しく撫でてやった。


「なんであんな夢見たんだろうな…。」


小さく独り言を呟いてばかばかしいと笑い飛ばした。
ていうか、なんで倉庫に閉じ込められてこんなことになってるんだろう。
幸村くんは何がしたかったんだろう。
いや、部活が早めに始ったところを見るとみんな共犯だったのかもしれない。
なにしろ倉庫を閉めたら練習につかう道具は取れなくなってしまうんだから。


突然静かな倉庫内にケータイの着信が響いた。
先ほどまで仁王が座っていたところに点灯する光が見える。


「仁王、ケータイ鳴ってるよ?」

「んー…。」


仁王は不機嫌そうな低い声を出してゆっくり起き上がると、緩慢な動作でケータイを取った。
ぶかぶかのセーターが肩寄りにずれていて、私はなんとなく目のやり場に困った。
仁王は無言で電話に出るとしばらく黙っていたが、なぜか振り向いて私を手招きした。
私は呼ばれるままに仁王の傍に行く。
仁王はケータイを指さして、私にかわった。私はわけが分からずに電話に出る。


「はい。」


しかしすでに通話は切れていた。
その代わりに、後ろからゆっくりと回される腕と温もり。
衣擦れの音にどくんと心臓が飛びあがって、声が出なかった。


「に……、」


仁王は私の頬や耳のあたりに自分の顔を寄せた。
振り返ろうとしても身体が言うことを聞いてくれない。
甘い毒牙にかかったように私は何もできなかった。
仁王は私の手から自分のケータイを抜き取ると、私の目の前に私のケータイをぶら下げた。


「電話番号、もらった。」

「…え?」


私は自分のポケットに自分のケータイがないことにようやく気付いた。
膝枕をした時に取られてしまったのだろう。
非難しようとしても仁王のたった少し動きでさえ気になって言葉が詰まる。


「のう、さっき言ってた夢ってなん…?先輩は俺が出てくる夢見たんか?」

「き、聞いてたの…?」

「聞いとった。」


なんだか一歩一歩追い詰められている感じがする。
仁王は笑みを浮かべて、後ろから少し体重をかけた。


「先輩…なんか緊張しとう…?」

「…っ!」

「いつもようくっついとるじゃろ…?」

「そ、れは…。」


おかしい。体が言うことを聞かない。
意思に反して上がる心拍数もビクビクとぎこちない体も一体どうしたって言うんだ。
お腹に回した手で横腹を撫でる仁王の手を掴むと、仁王はぎゅうっと私を抱きしめた。


「先輩……。」

「…っ、…!」


じわりと浸水するような静かさであげられていく体温に、今からなにがあるのかなんて容易く想像がつく。
だけど仁王がどんな行動に出るのか何を言い出すのかは一向わからなくて、それがこの容易い想像を酷く難しいものに変えていった。
ぞくっ…と背中が粟立って身を捩る。
付き合ってもないのにと心の中では思っているのに抵抗ができない。
こうなるのを望んでいたかのように。

擦り寄るように首の辺りに唇を押し当てて仁王が微笑した。


「さて、なんしようか…?」












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