「あ。」

と、思った時にはもう遅かった。
中身は無惨にも地面の上にぶちまけられ、ペットボトルはカラカラと軽い音をたてて転がった。
ペットボトルを足に引っ掛けてしまった時に、運んでいた大量のタオルを思わず強く抱き締めてしまったため、まだ真新しい洗剤の匂いが鼻を掠める。

うん、フローラルだ。
やっぱり洗剤変えて良かった。


って、そうじゃなくて。


軽い現実逃避から戻ってから、あーやっちゃたとやる気のない独り言をもらして足元を見た。
あっという間に水分補給した地面が、もう元には戻れないことを私に見せつけている。
「マネージャーとしては頑張っているが、お前は周りが見えていない。」とついこの間柳に注意されたばかりだというのにまたやってしまったのか。
ため息をつきながら、私は自己嫌悪に陥った。


「誰なのよ…。大体こんな所に置いておくのが悪……」


コロコロと転がったペットボトルの蓋が私のつま先に当たって止まり、幸村という文字が目に焼き付いた。


「…死ぬ。」



このままでは死ぬ。



私は叫びながら洗濯物を部室まで運ぶと、また叫びながら財布を片手に部室を飛び出した。
途中、ジャッカルにあったがタックルで突き飛ばした。
今はそれどころじゃない。私の命が危ない。

練習が終わるまで後20分くらいのはずだ。
ここから近所のコンビニに行って、スポーツドリンク買って、学校に戻って、蓋を取り替えて、元に戻す。
これでバレないはずだ。
走ればギリギリで間に合うだろうか。
間に合わないかもしれないけどそうも言っていられない。

私は死ぬ気で走った。





「A、遅かったじゃないか。」

「ノオオオオオオオ!!!」


汗だくになった手でドアを開けると、部室の真ん中で悠々と腰掛けている幸村がいた。
幸村の右手にある空のペットボトルを見て、私は目の前が真っ暗になった。


「せ、洗濯物運んでたら…ほら…前が見えてなくてさ……。」

「ふぅん…。」

「急いで買って来たんだけど…。」

「へぇ…。」

「れ、練習は……?」


じりじりと近寄ってくる幸村に一歩ずつ後退っていくしか選択肢がない。


「ヒィィ!死ぬうぅぅ!!!」



壁際まで追いやられて、私は目をぎゅっとつぶった。
しかし、次に来るべき衝撃が来ないため、恐る恐る目を開けるとスッと買ってきたばかりのペットボトルを取られた。


「ありがとう。」


幸村はキリキリと蓋を開け、何事もなかったかのように飲んだ。


「……すみませんでした。」


念のためもう一度謝ると、幸村はペットボトルを私に差し出した。


「ん?」

「記名しといて。間違えるといけないから。」

「あ…うん。」


幸村がにっこり笑ったことに多少違和感を覚えつつ、ポケットから油性ペンを取り出してペットボトルの蓋に幸村の名前を書こうとした。
その瞬間ガシッと腕を掴まれた。


「幸村…?」

「記名しといてって言っただろう。」

「だから記名を…」


幸村は私の手からペンを取ると、私の手の甲に素早く彼の名前を綺麗に綴った。
「幸村」という文字がでかでかと私の手を黒く染めた。


「あああああ!!ちょ、これ油性なんですけど!!」

「Aがいつまで経っても俺の名前覚えてくれないから。」


悪びれた様子もなく悲しそうな声を出す幸村に私は憤慨した。
こいつは乙女のすべすべな手の肌をなんだと思っているのだ。
一刻も早く石鹸で洗いたいのに幸村はいくら睨んでも手を離そうとしない。


「覚えてるってば!」

「じゃあ、そう呼んで。」

「ゆ、ゆ、幸村…………様。」

「名前の方。」

「せ…精市……様。」

「なんで様を付けるんだい。」

「なんとなく…。」


さっぱり意味がわからず、とりあえず幸村の名前を呼ぶと幸村はフフ…と笑った。

そのままご機嫌麗しい幸村は私の手を取ってズルズルと部室の外まで連れて行った。
公開処刑という不吉な単語が頭をよぎって、私は足を突っ張って抵抗したが、幸村の怪力の前にあまり意味はなかった。
何事だと集まってきた部員たちの前に自分の名前が書かれた私の手を掲げながら、幸村は笑顔を浮かべて飄々と告げた。


「俺のだから。誰も手を出すな。……いいね?」



『ウワアァ………。』

青少年達が部活に勤しむ青空の下、皆の気持ちは一つになった。






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