幸か不幸か、校内で不動の人気を誇るテニス部で恋人と別れるのがブームになった時、俺は一人を傍に置くようになった。
ブームになったというのは語弊がある。
ついこの間まであんなに恋人の自慢をしていた赤也が些細な事で大喧嘩したようで、そのまま悲惨な別れに至ってしまったらしい。
ちなみにその些細な原因が何だったのか赤也は誰から訊かれても言わなかった。
当然俺はそれを知っているが、本当に大した原因ではなかったというのはまぁ黙っておくことにする。
泣いて愚痴を言う赤也を皆で慰めていたが、悲しみは伝染するらしく誰もが次々に普段溜め込んでいた愚痴を零しはじめた。
結果、恋仲が壊れる部員が続出したのだ。
平気だったのは、恋愛絡みで困ることがほとんどない幸村と、特定がいない仁王、それから話についていけていない真田くらいなものだった。
まだまだブームが続くテニス部の部室で、現に今も愚痴の言い合いが飛び交っている。
俺の予感が正しければ、まだ恋人と別れる気配がない俺にそろそろとばっちりがくる頃合いだろうか。
「柳は彼女と上手くいってんのかよ?」
「………ああ。」
こういう時、俺は自分のデータが正確すぎることに嫌気がさす。
丸井につられて集まってきた赤也や仁王、幸村が次々に俺のプライバシーに突っ込んできた。
「柳先輩の彼女ってどういう人なんすか?」
「これが地味なんだけど可愛いんだよなー。」
「美人聡明でおまけに秀才。」
「高嶺の花ってやつじゃのう。」
「ゲー!!まじっすか!!」
「俺何回か喋ったことあるけど、性格もすげー良さそうでさー。なんで柳なんだろうなって思ったぜ。」
「昔、柳生が狙っとった女ナリ。俺もつい出来心で手出そうかと思ったんじゃけど邪魔されたしな。」
「残念だなぁ。俺だって彼女候補に入れてたのに。」
「うわー柳先輩そんな顔してなかなかやりますね!!」
「こう見えて参謀は恋愛マスターでもあるけぇのう。」
「羨ましいよなぁ。俺もあんな彼女だったらぜってぇ上手くいくのに。」
「柳先輩!今度紹介してくださいね!」
「お前なぁ後輩のくせに抜け駆けすんなよ!」
「面白そうじゃのう。じゃ、誰が参謀からお姫さまを略奪するか競争じゃな。」
「フフ…救い出すの間違いだろう?いいね。暇だし、やろうか。」
筆を置いて俺はため息をついた。
「はぁ…頼むから騒がないでくれ。集中できないだろう。」
俺はデータをまとめる作業を諦めて、使い古したノートを閉じた。
眉間に皺を寄せて困った顔をする俺に皆は大げさなため息をついた。
「はあー……。これなんだよなー。彼女が取られるかもしれないってのになんでそう冷静なわけ?」
「冷たいっすよ柳さん!」
「彼女もよく我慢できるのう。」
「もっと大切に守らないと、本当にさらっちゃうよ。」
俺は壁にかけてある時計を見てコートを取った。
あの時計は2分15秒程遅れている。
部活が終わって俺が出てくる頃かとあいつが教室から靴箱におりてくるはずだ。
教室にいるようにとあんなに言ったのに、寒い中そうやっていつも俺が迎えに来るのを待っている。
「すまないが先に帰らせてもらうぞ。」
「ノリ悪いぜ柳ー。」
「彼女迎えに行くんじゃろ。」
「へへっ。ついて行ってもいいっすかー?」
パイプイスに座ったまま俺のコートの裾を引っ張る赤也の頭を軽く叩いて叱咤する。
挑発的な笑顔を浮かべて俺を見る四人を前に口の端を吊り上げてみせた。
「勘違いするな。俺はただ確信しただけだ。お前たちでは到底相手にならない。」
ついでに、生憎くだらない事に時間を割く程俺は暇ではないと心の中で追記しておく。
「ちぇー。」
「フフ…言われてしまったね。」
お前たちはあいつのことを何一つわかってはいない。
わかっているのなら俺からあいつを奪えるはずがないことなど想像に易い。
「蓮二、お疲れさま。」
「A…やはりここにいたか。」
「靴箱でいいのよ。蓮二が向こうから歩いてくるのを見…」
言い終わる前に靴箱に押し付けて唇を重ねた。
寒さで冷たくなった唇を温めるように、わざとそういう口付けを交わす。
「、ま…って、蓮…っ」
あんな子供騙しな冗談で熱くなるなんて、俺もまだまだ幼いということか。
息苦しそうに、だが俺に告白してきた時と同じ顔をしていることに少しだけ安心してしまった。
ずるずると落ちていく細い体を半ば強引に拘束していた自らの腕から逃がしてやる。
肩から落ちたコートを直してボタンを留めてやる間、Aはずっと赤い顔をそらして黙り込んでいた。
「…れ、蓮…二…っ、いきなり何なの!」
「帰るぞ。いつまでもそう座りこんでいては体を冷やす。」
「……っ、わかってる…っ。」
ちらりと見た壁の向こうによく知った人の気配を感じてため息をついた。
物好きな奴らだ。
そこからじゃ靴棚で死角になって何をしていたかはわからないだろう。
だが勘がいい奴らならすぐにわかるはずだ。
最初からそういう計算だった。
追いかけてきて俺の隣に落ち着くこの小さな存在を目に焼き付けて、それからじっくり思い知ればいいのだ。
俺が彼女の何なのかを。