- ナノ -

天然ジゴロのお料理教室



 ――赤い雨が降る。

 グッと握り締めたの手の動きに合わせ、まだ青いトマトを潰したような感触がする。そして聞こえる耳をつんざくような悲鳴、怒声。飛んでくるのは己を狙う凶器たち。だがそれらが自分に届くことはない。
 一歩進むごとに悲鳴が飛び交う。視界に入るのは恐れ戦く者、逃げ惑う者、敵対する者、様々だ。そうして向かってきた者たちを全員、容赦なく、圧倒的な膂力を持って引きずり回し、ただの肉塊へと変えていく。
 その都度ボタボタと雨粒に混ざって落ちて来るのは、歪な形をした肉や骨たちだ。それが頭上に降り注ぐのを防ぐかのように傘を広げ――“化け物”を見るかのように青い顔でこちらを見遣る姉兄から目を背けるように視界を閉じた。

「――ッ!!」

 声なき悲鳴を上げながら勢いよく起き上がる。全身が心臓になったかのように体が熱く、鼓動が煩い。
 それでも慌てて周囲を見渡せば、“昔”とは違う、質のいいベッドの上にいることが分かる。体に纏わりつくのは柔らかな毛布であり人だったものの肉片でも何でもない。
 手をついた先には熱を吸い取った枕があり、その隣には時折チカチカと光る硬質な携帯電話もある。
 薄暗い室内に視界が慣れる頃には机上にある観葉植物の数も数えることが出来た。そして隣にある本棚にはぎっしりと本やDVDが詰まっている。如何にも現代的な部屋に座り込んでいた。

「……ああ……」

 そうだ。ここは“俺”の部屋だ。“今の俺”が住む部屋であり、もう“昔”の部屋でも自分でもない。分かっているはずなのに、あまりにも生々しい記憶にシンクロしすぎて自分がどこにいるのか分からなくなっていた。

「酷い夢だ……」

 “夢”と称してはいるが、実際には“過去実際に起きた出来事”であり、記憶だ。記録と言い換えてもいいかもしれない。とはいえ、気持ち的に繰り返し見たいものではない。
 グシャリ、と汗で湿った髪を掻きまわし、深く深呼吸したところであることに気付く。

「雨か……。通りで……」

 しっかりと閉じていたカーテンを開けば、音を立てて降る雨が視界を曇らせる。手探りで探した携帯の電源を入れれば時刻はまだ二時半だった。寝入ってから三時間ほどしか経っていない。
 知らず知らずのうちに上がっていた息は次第に落ち着きを取り戻し、耳の奥でドクドクと鳴り響いていた心音も遠ざかっていく。

 最近はこのような“夢”を見ることも減っていたのだが、やはり己の中から記憶が消えるわけではない。どれほどの時を経ても昇華されることなく刻み込まれた忌まわしい記憶は、時折こうして牙を剥く。

 分かっている。これは自業自得だ。己が背負わねばならぬ業だ。
 数多の人間を、幼かったとはいえ悪戯に手を掛けてきた。その報いだ。前世で償いきれなかった分、今でもこうして定期的に見返しては“忘れるな”と言い聞かせているのだ。
 忘れるわけにはいかない。それが、この平和な世に生まれた俺が出来る唯一の“償い”なのだから。

「しかしどうするか……」

 刺激的な“夢”を見たせいで眠気は完全に飛んでしまった。いつもであればこっそりジョギングにでも出かけるのだが、生憎外は土砂降りだ。こんな中走ってもパフォーマンスは上がらない。むしろ怪我をするリスクの方が高く、損ばかりする。かといってゲームをする気分ではないし、テレビも見たいとは思わない。

 とりあえず、シャワーでも浴びるか。汗を掻いた体が気持ち悪いからな。
 軋み声を上げるベッドから立ち上がり、グッと伸びをする。だがここで一つ思いついた。
 どうせ何もやることがないのだし、シャワーを浴びるのであれば“昔”のように体を鍛えてからでもいいだろう。

 物心ついた頃から繰り返し見ている“夢”――もとい“前世の記憶”は、凄まじく内容が濃い。おかげで幼い頃はかなり精神的に不安定で、両親だけでなく姉兄にまで迷惑をかけた。
 何せ記憶の中の自分と、鏡に映る自分があまりにも酷似していたのだ。不安に思うのも無理はない。
 今でこそ『生まれ変わりならそういうこともあるだろう』と割り切って考えることが出来るが、当時は『いつか自分が夢の中の自分になるのではないか』と恐ろしくて仕方がなかった。
 おかげで今生でも不眠症とは友人になってしまった。

 とはいえ、“今”と“昔”では違うところも多々ある。一つは姉兄が俺を恐れなかったことだ。むしろ今でも存命している両親と同じように心配し、なかなか寝付けなかった俺を挟んで手を繋いで眠ってくれたほどに愛情深い。
 今では流石にそんなことはしないが、未だに眠りが浅い俺を心配しているところがある。つくづく情けないとは思うが、同時に家族のありがたみを強く感じてもいる。
 姉兄だけではない。父も母も、今世では元気に過ごしている。それだけでも報われていると言うのに――先日、ついに出会ってしまった。

 ――自身が愛した最初で最後の女性に。

 しかも彼女まで記憶を持っていたというのだから、これを『運命』と言わずして何と云おう。

 幼い頃からずっと夢で見てきた。柔らかな笑みに弾むような声。風に揺れる薄紅は春を代表する花と同じ色で、いつだって俺の目を奪って止まなかった。

 そんな彼女と再会を果たした俺は、傍目から見ても随分と浮かれていたことだろう。
 だからきっと“罰”が下ったのだ。『いつまでも調子に乗るなよ』と。

 正直浮かれていた自覚はある。
 何せ生涯を掛けて愛した女性とまた出会えたのだ。同じ名前で、同じ姿で。時と場所は随分と様変わりしてしまったが、それでも――彼女を見つけた時の感動は筆舌に尽くしがたい。
 とはいえ今は“昔”と違う。俺は彼女の“夫”でもなければ“友人”でもないのだ。見も知らぬ男から名前を呼ばれた気持ち悪いだろうし、そもそも彼女がまた『サクラ』という名前を有しているかは分からない。
 だから慌てて口を閉じて視線を逸らしたのだが、彼女には伝わっていた。

『あなた、私のこと覚えてる?』

 駆け引きなしのストレートな物言いに、揺らぐことのない芯の通った瞳。その色も昔と変わっておらず、呼吸の仕方を一瞬忘れてしまった。

 焦りと、緊張と――それを上回る高揚感――。

 歳を重ねた彼女もそれはそれで魅力的であったが、年頃の姿で『あなた』と呼ばれた時の破壊力と言ったら――。
 待て。話がズレてきたな。元に戻そう。

 どういうわけか彼女も俺と同じく『前世の記憶』を持つ者だった。更には周囲にもかつての仲間がいると聞く。だがやはり、記憶を持っているのは彼女だけのようだった。

『きっとナルトはあなたを見ても『誰?』って言うでしょうね』

 先んじて教えられた事実に胸が痛まなかったと言えば嘘になる。ナルトは俺にとって特別な人間だ。どんなに遠く離れていても、何年経っても、かけがえのない友人だ。
 だからこそナルトと再会した時に言われた『おめーが我愛羅か?』という不審がる瞳を向けられた時は、情けない話喉が詰まって息が出来なかった。サクラと再会した時とは違う、心臓を茨で縛られたかのような酷い痛みを伴ったものだった。

 何だかんだ言って自分は長いこと『友人』として接するナルトを夢で見続けてきたのだ。そんな相手から『初対面の人間』、更に言えば『初恋相手を奪った恋敵』として見られるなど、温度差が激しすぎて風邪をひくどころか凍死しそうだった。
 それでも何とか返事を返した自分には我ながら拍手をしたい。まぁ、隣にサクラが立っていてくれたから強がれた部分も多分にあるのだが。

『ふぅーん? なんか思ったより普通っつーか、パッとしねえんだけど……。サクラちゃん、マジでこんな奴がいいわけ?』

 不服そうに顰められた顔に不躾に向けられた指先。
 ――ああ、本当にナルトは俺の事を覚えていないのだな――。
 そう実感すると共に、彼女はナルトの頬を力いっぱい抓っては横に引っ張った。

『あーら。私の選んだ人に文句があるわけ? そんな生意気言うのはどの口かしら?』
『イレレレ! ひゃくらちゃん、いれーってばよ!!』
『おほほほほほ。何言ってるのかゼンッッッゼンわかんなーい』

 グネグネとナルトの顔を好き勝手変形させたかと思うと、彼女は赤くなったナルトの頬を軽く叩いてからその手を離した。

『言っとくけど、あんたが何言っても私の気持ちは変わらないから。文句も苦情も受け付けません。悔しかったら彼よりいい男になって出直してくることね』

 フン。と腕を組んでふんぞり返る姿はいっそ頼もしく、人目がなければ涙が滲んでいただろう。あの時彼女に後光が差していた気がするが、見間違いではないと思う。

 彼女は昔からそうだった。
 あらゆるものが木の葉より乏しい砂隠に、沢山の恩恵をもたらしてくれた。

 医療技術を始めとし、様々な病や毒物に対する研究と新薬の開発。それに伴い植物の根付かない砂漠で薬草畑の拡大を行い、後年では量産をも成功させた。
 本来であれば根付かない植物を何年も掛けて研究し、砂の大地に緑を増やすなど生半可な覚悟で出来ることではない。
 数多の時間を掛けた、多大なる献身と尽力。そして里長であることだけが唯一の取り柄であったような俺に、身に余るほどの『愛情』を注いでくれた。

 時には辛い目にもあっただろう。挫折しかけたことだってあるに違いない。
 それでも彼女は弱音を吐かず、俯かず、邁進してくれた。

 そうして俺に、“家族”を与えてくれた。

 彼女と俺しかいなかった家に小さな命がやってきた。
 色鮮やかな小物やおもちゃが増え、怪我に繋がりそうなものは全て奥へと仕舞い込んだ。そうして沢山の人に祝福されながら生まれた子供は、“俺”にとってかけがえのない『宝物』となった。

 そんな愛しい存在を与えてくれたのは紛れもなく彼女だ。
 彼女がいてくれたから、彼女が俺を選び、愛してくたから――でなければ、我が子に会うことなど出来なかった。
 あの子たちがあの過酷な世界を、時には残酷な道をも進まねばならぬ人生であったとしても、笑顔を忘れずにいられたのは彼女の献身と愛があったからだ。

 そんな彼女の愛情を、思慮深さを、あの日改めて実感した。

『大丈夫よ、あなた。いつかきっと、必ずナルトと友達になれるわ』

 ナルトと別れた後、知らず消沈していた俺を励ますように手を握って微笑みかけてくれた。
 “昔”と違い、細く柔い手は強く握ったら折れそうで恐ろしくもあったが、それでも不思議と手放せない魅力があった。

 ――彼女に甘えている。
 今も昔も、それは変わらない。自立した男でいたいのに、どうしても彼女の前では弱くなってしまう。“頼もしい”と評された“里長”のままではいられない。
 愛されたかった頃の、幼く卑屈な自分が顔を出す。

 彼女に愛されたくて、だけど恐れられたくなくて――右にも左にも行けずに蹲るだけの弱い自分が顔を出す。

 そんな情けない自分であっても、彼女は黙って受け入れてくれた。抱きしめてくれた。
 何度も何度も、柔らかな声で『大丈夫よ』と言って、宥めてくれた。

 例え今世でサクラに会えなくとも、昔と変わらず『サクラ』を愛し続けただろう。
 夢の中でしか出会えない女に恋をし、誰と番うこともなく生涯をかけて愛し抜いただろう。

 だが捨てる神あれば拾う神あり。
 彼女は再び俺の前に現れ、飽きることなく俺の手を握ってくれた。

 それが、どれほど有難いことか――。

 きっと彼女は知らない。この弱いばかりの心臓が如何に大きな音を立てて鼓動したのかを。彼女が生まれたことに感謝し、再び出会えたことに泣きたくなるほど歓び、全身を震わせたことなど知らないままでいて欲しい。
 それに、情けない別れ方をしてしまったことも忘れているならそのままでいて欲しい。悔いるのは自分だけで十分だ。遺してしまった彼女への償いは、きっと今世で叶えて見せる。
 そしてあの頃には出来なかったことを、今世ではしたい。

 サクラ。今も昔も変わることなく、俺の視線も心も奪って射止めてしまった愛しい人。彼女は今頃“夢の中”だろう。
 出来れば彼女には幸せな思い出だけ見ていて欲しい。辛いことも苦しい事も、痛いことも悲しいことも、出来る限り思い出さないままでいて欲しい。

「さて……。軽く筋トレでもするか」

 かつて眠れなかった時。ただじっと座して夜明けを待つ日もあれば、道具の手入れをしたり、読書をする日もあった。だが大概は体作りに時間を当てていた。
 普段から砂に守られ、砂で戦っていた身だが、忍とは体が全てだ。健全な肉体にこそ良質なチャクラは宿り、またそれを滞りなく使用することが出来るのだ。故に何年経っても怠けることは出来なかった。死に直結するからな。

 そういった理由もあり、今でも体を鍛えることに否やはない。むしろ“昔”と同じように、けれど以前よりずっと情報が的確になった世界で体作りに励んでいる。

「一、二、三……」

 とはいえ目覚めたばかりだ。激しい運動は心臓だけでなく全身に負担がかかる。そのため今はスロートレーニングで我慢する。
 軽いストレッチの後にゆっくりとカウントを数えながらスクワットをし、次に腹筋、腹斜筋、背筋、大殿筋を鍛え、最後に全身を伸ばすストレッチを時間をかけて行い、深く深呼吸をする。

「ふう……。これでもまだ一時間も経っていないか。弱ったな」

 丁寧にしたつもりではあるが、それでも夜明けまでにはたっぷりと時間がある。だがこれ以上するとオーバーワークにもなるため、一先ず汗を掻いた体を流すべく浴室へと直行する。

「さて。どうしたものか……」

 雨の日は比較的古い記憶――特に忌まわしい頃の記憶を見ることが多い。特に雨音が苦手なのか、それ以外の水音――それこそシャワーなどは平気だ。あとは筋トレ中もカウント数や正しいフォームを取ることに意識を向けるからそこまで気にはならない。
 だが風呂から上がった後が問題だ。
 部屋に閉じこもっていてはひたすら苦い記憶を思い出すだけになる。かといって土砂降りの中走りに行くわけにはいかない。では一体何をするのか――と考えたところでふと思いつく。

 そうだ。料理をしよう。

 こんなこと突然言い出せばカンクロウ辺りに「ちょっと何言ってるか分からねえじゃん」と言われそうだが、料理をしている間は無心になれる。
 どうせ夜明けまで時間はあるのだ。たまには母親の代わりに朝食や弁当を作っても罰は当たるまい。

 ……まあ、“昔”からの癖なんだがな。早く目が覚めた時に料理をするのは。

 夢の中のサクラは何を出しても美味しそうに食べてくれた。子供が生まれてからもそれは変わらない。むしろ親子揃って同じような笑みを浮かべては『美味しい』と言ってくれた。それがどんなに嬉しかったか。
 ああ……。今世で出会えるかは分からない我が子たちではあるが、もしまた出会えたら――当時は出来なかったことを沢山してあげたい。遊びにも我儘にも、あの頃よりは付き合ってあげられるだろう。

 かつての家族を慈しみながらシャワーを終え、濡れた髪をタオルでざっくりと乾かしてから台所へと向かう。
 冷蔵庫を開ければそれなりに食材が入っていた。恐らく雨の中買い物に行かなくてもいいように昨日のうちから買い溜めしたのだろう。これならば食材に困ることはないか。
 そうと決まれば調味料と合わせて必要なものを取り出していく。

 まずは鶏肉があるから漬けておこう。今から漬けておけば最低でも三時間は確保される。唐揚げにするにも照り焼きにするにも、まずは下味をつけることが大事だ。

 早速取り出した鶏肉を洗い、まな板の上に並べて一口サイズに切っていく。その際残っていた筋は全て取り除き、タレがよく染みるようにフォークで数回刺して穴をあける。
 タレはオーソドックな醤油ベースで作ることにする。にんにくは仕方ないが、生姜は生のものが残っていたのですりおろして使う。そして出来上がったタレと切った鶏肉をジップロックに入れ、しっかりと揉みこんでから冷蔵庫に入れたら完成だ。
 揚げるのは朝でいいだろう。夜まで漬けると逆に肉の質が落ちるからな。忘れずに覚えておかねば。

 さて。次は何を作ろうか。
 時計を見上げればまだ時間はある。ならば弁当のおかずになるものを作っておくべきか。

 再度冷蔵庫を開け、今度は野菜室を漁る。ピーマン、人参、玉ねぎといったよく使う主戦力はキチンと揃っている。が、やけに人参とじゃがいもが多いな……。これはうっかり買いすぎたパターンかもしれない。ならば少しばかり使っても文句は言われないだろう。
 他にも幾つか使えそうなものを取り出し、洗ったまな板の上に並べていく。

 まずは根菜類からだ。煮つけにしてもいいし、きんぴらにしてもいい。とりあえず人参がやけに多いので、人参と卵で人参しりしりにしてもいいな。あれ、カンクロウが好きで作った時にはよく食べるんだ。
 時間がない時はピーラーで剥いただけのものをフライパンに投入するのだが、今は時間があるのでキチンと千切りにする。それからボールに出していた卵を溶き、取り出したフライパンに油は敷かず、ツナ缶をオイルごと投入する。その後すぐに千切りにした人参を入れ、しんなりするまで炒める。

 作業をするシンクの所だけ灯りを灯した薄暗い部屋に、雨音に負けじと音を立てて人参を熱していく。
 ジュウジュウと音を立て、ツナが焼ける香ばしい匂いがする。そうして人参も熱が通ったのを確認すると卵を入れ、軽く炒る。最後に調味料を加えて味を調えれば完成だ。
 とはいえ他にも作るので、一先ず手頃なタッパーに入れて粗熱を冷ますことにする。

 次に作るのはじゃがいもを使った料理だ。まずは父さんが好きなジャーマンポテトでも作るか。母さんはポテトサラダも好きだから、それも作っておこう。
 そのためにはまず湯を沸かさなければならない。時短としてまずはケトルで湯を沸かし、その後鍋に投入して沸騰させる。それから切り込みを入れたじゃがいもを幾つか投入し、茹であがるのを待つ。とはいえその間ぼうっとする暇はない。

 ジャーマンポテト用のじゃがいもを切り、耐熱容器に入れ、レンジで適当に温める。その間に玉ねぎとベーコンも切っておく。
 じゃがいもの過熱が終われば先にベーコンをフライパンに入れて火を通し、次に玉ねぎを投入する。最後にじゃがいもを入れ、適度に裏返して焦げ目がつかないよう気を付けながら炒めていく。あとはコンソメと塩コショウを振ったら出来上がりだ。
 少ない過程で大量に出来るから便利でよく作る。だがその分皆よく食べるから、目を離した隙に半分以下になっているなどザラだ。テマリも好んでよく食べるから量だけは確保しておかないと秒で無くなってしまう。

 一先ずジャーマンポテトも下げ、ポテトサラダ用のキュウリをスライスしていく。
 これは無心でやればすぐに終わるので苦にならない。出来上がったものはボールに移し、適度に塩を振ってから揉みこむ。それが終わればハムを適当な大きさに切っていく。
 そうこうしている間にじゃがいもが茹で上がったので、切り込みを入れたところから皮を剥いていく。切り込みを入れていなかったら大変苦労するこの作業だが、切り込みさえ入れておけば存外簡単に終わるのでテマリは面倒くさがらずにやって欲しいものだ。

 などと存外手間がかかることが苦手な姉のことを思い浮かべつつ、マッシャーで一つ一つ丁寧に潰していく。それなりに潰れたら粗熱を取るべく暫く放置し、その後水気を絞ったキュウリやハムと和える。
 あとはマヨネーズやブラックペッパー、お酢を少しずつ足しながら味を見たら完成だ。うん。これでだいぶじゃがいもは減ったな。次は何を作ろうか。

 ああ、そういえば豆腐とひき肉があったから豆腐ハンバーグでも作ろうか。弁当にも入れられるし、あれも皆よく食べるからな。
 まずは豆腐を取り出し、キッチンペーパーに包んでから圧を掛けて水切りをする。レンジを使わずともこれだけで水は十分切れる。場合によってはもう一度同じ工程を繰り返し、再度圧を掛ければより水分はより抜ける。が、今回はそこまでしない。
 次に人参と玉ねぎをみじん切りにし、水切りをした豆腐とひき肉、片栗粉と醤油を少量入れて混ぜていく。あとは弁当箱に入れることを考慮し、少し小さめにタネを掬ってから焼いていく。
 タレはおろしポン酢でも梅を叩いてペーストにしたものを掛けても美味いので、好みに合わせて選べばいい。

 結局次から次へと時間が許す限り作っていくうちに日は昇り――。最終的には煮物が完成するまでの間にお菓子作りにまで手を広げ、早起きをした父親から驚かれたのは無理もない話だった。


 ◇ ◇ ◇


「お。来た来た。おはよう。春野、山中、日向」
「よぉ、おはようじゃん」
「おはようございます!」
「皆おはよう。というわけで、おすそ分けだ」
「いや、どういうわけよ」
「うわっ! なにコレ、すごっ!!」

 久方ぶりに雨が降り注ぐ朝。いつも通り待ち合わせ場所に皆で向かえば、先に待っていた三姉弟が揃って挨拶をしてくる――かと思えばコレだ。彼は挨拶もそこそこに、私たちにラッピングされた袋を手渡してくる。
 確かに。確かに“昔”から料理得意だったな。とは思ってたけど、だからって――!

「こんな可愛いお菓子食べられるわけないじゃない……!!」
「いや、そこ?! そこなのアンタ?! つっこむとこもっと他にもあると思うんだけど?!」

 手渡された透明のビニール袋の中には、小さなカップケーキが二つほど入っている。でも購買でも買えるような蒸しパンじみたカップケーキではなく、がっつりデコレーションが施された可愛らしいものだった。正直「ケーキ屋さんが作ったカップケーキだ」と言われたら信じるわ。

 カップケーキの上に掛かっているのはバタークリームだろうか。淡く優しいクリーム色をしたソレは綺麗に螺旋を描き、その上には、メレンゲ細工だろうか? 桜の花が飾られている。
 正直言ってめちゃくちゃ可愛い。え? これ本当に手作り? お店で買ったものではなく? 我愛羅くんパティシエの才能もあったの?

 あ。そういえば“昔”子供にもお菓子作ってあげては喜ばれてたわね。思い出したわ。そんな夢見たことあるもの。昔と変わらず器用なのねぇ。この人。

「あ。見て見て、二人共。上に乗ってるお花、皆違うよ」
「え? 嘘。マジで?」

 ヒナタがどこか嬉しそうに受け取ったカップケーキを見せてくる。そこにはマーガレットに似た白い花と、カスミソウのように小さな花を幾つか乗せたケーキがある。
 それだけでも十分器用だと思うのに、いのが受け取ったものにはアサガオを象ったものと、簡略化した薔薇がそれぞれ乗っている。
 そして私の分には名前と同じ『桜』が乗っているものと、クリームそのものを薔薇に見立てた一風変わったケーキが入っていた。

「サクラのだけ気合の入り方違くない? いや、どっちにしろめっちゃ凄いんだけどさ」
「うん! すごくかわいい! 食べるのもったいないねぇ」

 ニコニコと心底嬉しそうに微笑むヒナタと違い、憎まれ口を叩いてはいるがいのも頬がにやけている。何だかんだ言ってこういうサプライズに弱いのよね、この子。そういうところが可愛くて憎めないんだけどさ。

「でも本当に手が込んでるわね? タダで貰っていいの?」
「金など取るか。そもそも押しつけだしな。いらなかったらカンクロウにでも食わせておけ」
「いや、流石に俺だって受け取れねえじゃん。ちゃんと食ってもらえよ。頑張って作ったんだからよ」

 苦笑いするカンクロウさん曰く、朝起きた時点で既に彼のお菓子作りは佳境を迎えていたらしい。 

「朝起きたらビックリしたじゃん。すげー色々出来上がってたからよぉ。一瞬まだ夢の中にいるのかと思っちまったじゃん」
「そうそう。いい匂いがするなぁ〜。なんて思って起きて見りゃ、母さんと一緒にお菓子作ってんだから驚いたよ」
「父さんなんか『どんな顔すりゃいいんだ』的な顔でチラチラ見てたしな」
「そうそう。まあ、我愛羅が作るものは大体何でも美味いんだけどさ」

 どうやら最初は一人で作っていたお菓子作りも、途中からお母さまも参加してこうなったらしい。もとは単なるカップケーキだったけど、お母さまから「可愛くデコレーションした方が女の子は喜ぶわよ?」と助言され、最終的にこうなったのだと。

「正直時間内で作り終えるにはコレが限界だったんだ。許せ」
「いやいやいや。これもうお店出せるレベルだから。お金取っても許されるやつだから」
「今回ばかりはマジでサクラに全面同意だわ。普通女の子でもここまで手の込んだお菓子作らないわよ?」
「む? そうなのか?」
「う、うん。流石にバレンタインとかは頑張るけど、いつもはここまで飾らないかな」

 控えめにフォローするヒナタに、彼は「成程」と顎に手を当てて頷いている。これねえ、内容はアレだけどマジで、本気で感心してるのよ。この人。
 お菓子作りでさえこれなのだ。基本どんなことにも誠心誠意、言葉を換えれば全力投球気味な彼はほどほどに手を抜くということをしないのである。特に人に渡すものに関しては一切手を抜かない。
 だからこそ「朝の許された時間内」で作り上げたものだから「許せ」って言ったんだろうなぁ。時間さえあればもっと凄いのが出来ていたのかもしれないと思うとちょっと苦笑いしたくなる。まったくもう。本当に肩の力を抜くのが下手くそな人なんだから。

「でも、本当に私たちが貰ってもいいの?」
「構わん。最終的には母も一緒になって作ったものだからな。一から十まで俺の手作りと言うわけでもない」
「つっても八割ぐらいはお前じゃん」
「そうそう。私たちは食べる専門だからな」

 胸を張るテマリさんに彼は残念な目を向けたが、すぐに質問したヒナタに向き直った。

「こう言ってはアレだが、お前たちには日頃世話になっているからな。少しばかり感謝の気持ちを示しただけに過ぎん」
「え。私たち我愛羅くんに何かしたっけ」

 首を傾けるいのとヒナタだけど、彼は残念がることなく、むしろどこか穏やかに表情を緩めて二人を見遣る。

「お前たちといる時のサクラは幸せそうだからな。そのおこぼれを預かることが出来るだけで俺は幸せだ」

 ああああああああああああ!!!! ちょっ……! もう!!! この天然ジゴロめ……!!!!

「もうっ! もう! あなたって人は本当に……!!」
「何だ?」

 ボスボスと力なくパンチを繰り出しつつ、周りを見てみろと視線で促す。
 そうして彼はくるりと辺りを見回し、真っ赤になって黙りこくるヒナタと、同じように頬を赤らめ、笑えばいいのか照れればいいのか分からず必死に頬を噛むいの、弟の思わぬ発言に私の代わりに憤死する姉兄の姿を見て首を傾ける。

「何かおかしなことを言っただろうか?」
「ホラそこ! そういうところ!」
「うん? どういうところだ?」

 普通、それこそ周囲の思春期男子はこんなこと言わない。というか言えるわけがない。この年代の男の子と言うのは総じて見栄っ張りで、格好つけたがりで、女の子に簡単に「好き」とか「可愛い」とか面と向かって言えないものだ。
 それなのにこの人と来たら……! なに実年齢にそぐわぬ爆弾発言をしてくれちゃってるわけ?!

「んもうっ! 本当におとぼけさんなんだから!」
「うん? 何故怒られているのか本当に分からないんだが。率直に、かつ純然たる事実を述べたまでなんだが」
「本ッッッ当、そういうところ! そういうところだからね?!」

 頑張って言い募るも、全く気付いていないというか理解していないというか。彼の発言がメレンゲ細工も一瞬で無味乾燥に思えるほどの甘さを伴ったものだと何故気付かないのか。無自覚って怖い。本当に。
 でもここで言いあっていたら時間がいくらあっても足りない。だからこそどうしていいか分からず硬直する周囲を動かすためにも、彼の背を押して歩き出す。

「いいから行くわよ! 遅刻しちゃうわ!」
「そうだな」
「もうっ! 何でちょっと嬉しそうなのよっ!」
「さあ? 何でだろうな」

 クスクスと笑う彼の背中をもう一度叩き、のろのろと歩き出した皆と一緒に学校へと向かう。
 その後はいつも通り――と言うにはまだちょっと照れくささが残っていたけれど、私たちは会話を楽しみながら通学路を歩いた。

 ほんの少しだけ、気がかりを残したまま――。