- ナノ -

たのしいガッコウ生活



 いつの間にやら『Aクラス公認“夫婦”』と呼ばれるようになってしまった私たちなのだが――実のところもうすっかり訂正することにも飽きて、というかお互いの関係性が『元夫婦』だったために早々と馴染んでしまい、特に恥ずかしく思うこともなくなっていた。
 それに上級生であり彼の実の姉兄であるテマリさんやカンクロウさんからも認知されているため、完全に『我愛羅くんの嫁』と認知されている。
 まぁ別に文句はないんだけど、この歳で既に『嫁』とか言われるとなぁ……。もう少し高校生ライフを楽しみたかった――っていうかまだ入学して一月も経ってないんだけど?! おかしくない?!

「いや、今更過ぎるでしょ」
「この学校で入学してから三日で彼氏作ったの、お前が初めてなんじゃねえの?」
「クラスが離れてるボクでも聞いたぐらいだから、相当有名だと思うよ」
「うぐぐ……!」

 今日のお昼は久々に同中メンバーで食べていた。そこにはナルトの他にもシカマルとチョウジもおり、私の愚痴に速攻でいのと揃って突っ込んでくる。こういうところは昔とあんまり変わってないのよね。記憶ない癖に魂レベルで相性いいのかしら? ちょっとだけ羨ましい。

「つーか! 俺まだ認めてねえんだけど?! 何でアイツがよかったわけ?! サクラちゃん!」
「うわっ、ナルト。突然顔近付けてこないでよ」

 威勢のいい犬よろしく身を乗り出してきたナルトに若干身を引けば、追従するようにいのも反対側から身を寄せてくる。

「そーよそーよ! 私も何であの『我愛羅くん』を選んだのか謎なんですけど?! なに? どういうエピソードがあったわけ?」
「えぇ? 別にエピソードも何も……」

 強いて言えば『前世で夫婦』でした。なんだけど、言えるわけないし。それ以外のエピソードと言えば――。

「入学式前に偶然目が合ったり」
「ふんふん」
「教室に入ろうとしたらぶつかりそうになったぐらいかしら?」
「何それ。全然ときめく要素なくない?」

 うん。自分で言っておいてアレだけど、大したエピソードではない。分かってる。でも他には特にないのよねぇ。今でこそ登下校や休み時間は一緒にいるけど、放課後の部活見学とかは別行動だし。

「あ。でも必ず家まで送ってくれるわよ」
「あー……。それはまぁ、確かにマメよね」
「うん。あの人結構優しいのよ」

 クラス公認のカレカノになった日の放課後、私はテニス部の見学に行き、彼は園芸部へと足を運んだ。結果として園芸部に入部することにしたらしいけど、やっぱり運動部と兼部している人が多かったみたいで、今は色んな部活動を見学している最中だ。
 本人は特にこだわりがないみたいだけど、中学生の時は弓道部だったって言うし、私としては一度くらい弓道をしている彼が見てみたいので是非入部して欲しいと思っている。
 だって家の庭で弓道なんて出来ないしね。狭いし、設備も整ってないから。

「あのさぁ、サクラちゃん。俺ってばさ、何回聞いても何でサクラちゃんが我愛羅を選んだのか分かんねえんだけど」
「うーん……。こればっかりはねぇ……」

 正直、前世云々がなければここまで早く彼と親密になれたかと聞かれたら微妙だ。彼自身あまり騒がしいタイプではないし、彼を中心に人が集まってくるようなムードメーカーでもない。
 とはいえ孤独だった頃の彼とは違う。一緒に過ごしていくうちに徐々に人が周りに集まってくるような――大器晩成型とでも言うのだろうか。
 彼の魅力って付き合っていくうちに徐々に分かっていくものなのよね。だからナルトやいのとはタイプが違う。それに彼自身かなりマイペースだから、十代のキラキラしい子供の感性では良さが分からないのかもしれない。

 って、私もまだ十代なんだけど! 記憶がある分早熟している気がしなくもないけど、同じ女子高生だから! しっかりするのよ、サクラ!

 内心ひっそりと己を鼓舞していると、おにぎりを頬張っていたシカマルが口を開く。

「まぁ、確かにナルトみてえなタイプではねえよな」
「うん。ボクも遠目に見ただけだからハッキリとは言えないけど、独特な雰囲気だよね。彼」

 シカマルとチョウジの言うように、彼はちょっと他の生徒と纏う空気が違う。元々私以上に昔の記憶が強いうえ、本人も『引っ張られている』と言っていたからかなり大人びたところがある。
 前世でも十代後半で里の長になった身だ。ハッキリとは覚えていないけど、丁度このぐらいの歳じゃなかったかしら? それを鑑みれば今の彼はまだ子供らしさを残しているとも言える。だって普通にクラスの男子とお喋りしてるからね。あの人。昔に比べて進歩してるわ。

「でもサクラちゃんと一緒にいる時は優しい顔してるよね。私、いつも『サクラちゃんのこと本当に好きなんだなぁ』って思うもん」
「ええ? そ、そう?」
「ちょ、ヒナタ本気?! だってあの人あんまり話に参加してこないじゃない!」

 だけどここにきて援護射撃が来るとは思ってもみなかった。勢いよく発言者であるヒナタへと視線を向ければ、他の皆も驚いたようにヒナタを見遣る。
 それでもズバッと物を言ういのがすかさず鋭い突っ込みをいれるけど、ヒナタはのほほんとした笑顔を崩すことはなかった。

「うん。でもサクラちゃんがいのちゃんやテマリ先輩と話してる時、我愛羅くんは『参加しない』んじゃなくて、『見守ってる』んだと思うよ」
「へ? 何それ。どういう意味よ」
「あ〜。そういやお前ら朝いつも一緒に登校してんだっけ? 俺らは通学路が違うからその辺よく知らねえんだが……。ヒナタ的には何か思うことがあんのか?」

 首を傾けるいのはアレとして、区画が違うため通学路が別のシカマルたちは朝の登校風景を知らない。だからそこに秘密があると思ったのだろう。ナルトはヒナタにまで顔を近付けて「どういうことだってばよ?」と尋ねている。対するヒナタは顔を赤く染めてあわあわしながらも、シカマルの質問に答えようと慌てて口を開く。

「え、えっと、あのね、実は、いのちゃんとテマリ先輩がサクラちゃんと話してる時、私、我愛羅くんと一緒にいるの」

 私といの、そしてヒナタは家が近所のため昔から一緒に登下校している。そして今では通学路が同じ我愛羅くんたち三姉弟も含めて六人で向かうことが多い。その時大体お喋り好きな私といのが他愛もない話を繰り広げ、時々テマリさんが話題を広げたり、別の話題を持ってきたりする。
 そんな中ヒナタはあまり会話には参加せず、少し後ろでのんびり歩いていた。でも、そうか。私も朝は彼とあんまり喋らないもんね。その間誰と一緒にいるのかと聞かれたら、そりゃあヒナタとカンクロウさんに決まってるわ。
 一人頷く私とは違い、他の面々はヒナタの話に耳を傾けている。

「我愛羅くん、確かにおしゃべりな人じゃないけど、すごく優しい人だなぁ。って思うの。だって私が誰かとぶつかりそうになったり、躓きそうになるとすぐに助けてくれるし、サクラちゃんたちが笑ってるといつも『楽しそうだな』って言って、ちょっとだけ笑うんだよ」

 へぇ。そうなんだ。知らなかった。確かにあの人「お前たちはいつも楽しそうだな」って大人びた顔で笑うけど、ヒナタの前でも言ってたのか。まぁ、単にポロっと出た呟きをヒナタが効き拾っただけかもしれないけど。
 でも朝の風景を知らない男性陣はヒナタと我愛羅くんにそんな接点があるとは思っていなかったのだろう。皆して「へぇ」とか「マジで?」とか呟いている。
 だけどヒナタは相変わらず陽だまりのような笑みを浮かべたまま、彼女から見た“我愛羅くん像”を語っていく。

「それだけじゃないよ。我愛羅くんね、いつも私に『日向は参加しなくていいのか?』って聞いてくれるんだよ。私が仲間外れになってるんじゃないか、って心配してくれてるみたい」

 ああ……。確かにあの人そういうところあるわね。多分“昔”の経験に基づいているんじゃないかしら。今も昔も表に出さない人だけど、小さい頃は愛情を求めていた人だから……。
 ナルトと出会って変わった経験がある分、一人だけ輪に入れずにいる人を放っておけないんだろうな。
 あとは昔、ヒナタとナルトも夫婦だったから。“友人”として余計気になるのかも。

 そんな中、いのは日頃の自分たちを鑑みて気付いたのだろう。「あ」と口に手を当てている。

「ご、ごめん、ヒナタ。別にそんなつもりはなかったんだけど……」
「ううん。いいの。私もね、朝はぼーっとしてるから、いのちゃんたちのお話を聞いてる方が楽しいの」

 いのとヒナタとは小学生の頃からの付き合いだ。当時から記憶を見ていた私は『ヒナタって朝が弱い子なのね』と分かっていたからあまり話を振ることはなかったけど、いのは意外と気配屋だから分かっていてもショックだったみたい。現にちょっとだけ心配そうに「本当に?」と伺っている。

「うん。だからね、歩くのもゆっくりになっちゃうんだけど、我愛羅くん、私たちにペース合わせてくれてるんだよ」
「え? そうだったの?」

 驚くいのに対し、私は特に驚きはしない。基本的にあの人マイペースだし何考えているか分からない顔してるけど、あれで周りの事はよく見ているのだ。
 だから子供や女性、高齢者と一緒に歩く時は自然と歩幅を合わせる器用さを持っている。だからいつもゆっくり歩いているイメージがあるんだけど、意外にも一人でいる時は結構早い。特に急いでいるようには見えなくても、歩幅が広いのか足を動かすのが早いのか。「あ」と思った時には通り過ぎている。
 そういえばこの間も体育で五十メートル走のタイムを計ったんだけど、めちゃくちゃ足速かったのよね。陸上部とほぼ同じタイムで、皆から『俊足』とか『韋駄天』とか呼ばれて微妙な顔をしてたっけ。
 あの時の不満げな表情が面白かったなぁ。なんて一人別の事を考えている私を尻目に、話は続いていく。

「うん。あのね、最初カンクロウ先輩歩くのが早くて、私たちと話しながらだったから前を歩いてたサクラちゃんたちに気付かなくて、ぶつかりそうになったことがあるの。だけどすぐに我愛羅くんが先輩の手を掴んで、『スピードを落とせ。彼女たちに合わせろ』って注意してたんだよ」
「え! 嘘?! 知らなかった! めっちゃ紳士じゃん!」
「うっわ。マジかよ。本当に俺らと同い年かぁ?」
「へ〜。優しいんだね」

 各々が感心する中、ナルトだけは「サクラちゃんと一緒に登下校出来るのが羨ましすぎてそれどころじゃねえってばよ……」とぶつくさ呟いていた。でもナルトだって案外人のペースに無自覚に歩幅を合わせていたりするので、その辺は我愛羅くんといい勝負だと思っている。
 何だかんだ言ってナルトもいい子なのよね。やんちゃが過ぎるけど。まぁそれでこそ『ナルト』って感じなんだけどさ。

「だからね、そんな人がサクラちゃんと一緒にいてくれるなら安心出来るなぁ。って思ってたの」
「……まぁ、確かにサクラってやたらとお姉さんぶるというか、お母さんっぽいとこあるけど、私たちと同い年だし……。サクラに甘えるような男よりはマシだけどさぁ……」

 いのの言う通り、私は小・中と続けて同級生たちから『お母さん』とか『ママ』と呼ばれていた。だって皆より年上としての記憶があるせいか、つい色々と面倒見ちゃうのよねぇ……。おかげで不本意なあだ名をつけられたわけだけど、何度訂正しても直らなかったのでもう諦めている。
 シカマルとチョウジも思い当たる節があるのだろう。「成程」と頷いていた。あんまり頷いて欲しくはない理由だったけど、相手がヒナタだしなぁ……。
 それに皆が知らないだけで彼は彼で結構甘えたなところはある。そこが可愛くもあり胸キュンポイントでもあるんだけど……。
 うん。これは黙っておこう。何を言われるか分からないし、自分からからかいのネタを増やしたくはない。
 ……それに私だけが知っておきたい。っていう欲目もあるしね。これは絶対、彼にも言わないけど。

「うーん……。なんかヒナタにそう言われるといい人に見えてくるから不思議だわ」
「いい人に見えてくる、じゃなくて実際に『いい人』なのよ。ああ見えて結構優しいんだからね?」

 歩くペースを合わせてくれることもそうだけど、さりげなく重たい荷物を持ってくれたり、高い所にある物を取ってくれたり。“昔”の話を加えれば、歳を重ねた私にもずっと『綺麗だ』って言ってくれた愛情深い人なのだ。
 だから胸を張ってしっかりと主張すれば、背後から「過大評価だな」と落ち着いた声が降ってきて慌てて振り返る。

「うわっ! 我愛羅くん!」
「げっ! 我愛羅! お前何しに来たんだってばよ?!」

 声もなく驚いた私とは違い、いのとナルトは素直に声を上げている。ヒナタは恥ずかしそうに俯いたけど、シカマルとチョウジは呑気に「よぉーっす」「やっほー」と片手をあげて挨拶をしていた。
 そんな私たちが昼食を囲んでいたのは学校の中庭だ。ここには他にもお弁当を広げている生徒が複数名おり、別段昼食としては珍しい光景ではない。でも彼は今日姉兄と一緒にご飯を食べていたはずだ。そんな彼がどうしてここにいるのかと全員で見上げれば、彼はいつも通りの涼しい声で「迎えに来た」と手短に目的だけを告げた。

「もうすぐで昼休憩が終わるだろう? 次の授業、俺たちは移動教室なのでな。サクラが遅れないよう忠告しに来たんだが……。思わぬ収穫だ。お前たちが俺の事をそんな風に見ていたとはな」
「何言ってんのよ。知ってた癖に」

 何気に日々彼の優しさにお世話になっている身である。ノコギリ事件の時もそうだったけど、空回る私を助けてくれるのはいつだって彼だ。
 だからこそ照れ隠しの意味も込めて呆れたような目で見上げれば、途端に彼はおかしそうに口元を緩めた。

「そんな顔をするな。たまには外部の評価を聞いておかないと独善的になってしまうからな」
「だからって盗み聞きはよくないと思うけど。ま、いいわ。ボリュームを落とさなかったのは私たちだしね」

 それほど声の大きくないヒナタの言葉がどこまで聞こえていたのかは謎だが、最後の私の言葉はしっかりと聞いていたはずだ。
 現に穏やかに目を細める彼に一つ息を吐き、お弁当箱を片付ける。

「では行くか」
「はーい。それじゃあ皆、またね」

 お弁当箱を仕舞った鞄を片手に立ち上がろうとすれば、すかさず彼の手が差し出される。だから有難くその手を取って立ち上がれば、いのが小さく「え? これって“エスコート”ってやつ?」と呟いた。
 あ。つい流れるような動作だったから自然に受け入れちゃったけど、普通子供がするもんじゃないわよね。エスコートなんて。昔はよくやってくれたからつい受けてしまった。ま、いっか。過ぎたことを言ってもしょうがない。次は気を付けよう。

「あ! サクラちゃん!」
「じゃあまた明日ね、ナルト。ちゃんと授業受けるのよ?」
「またね、サクラちゃん」

 ヒラヒラと手を振ってくれるヒナタに笑みを返し、どこか呆然としている皆に背を向けて歩き出す。
 五限目は確か化学だったから……。そうか。隣接する特別教室まで行かなきゃいけないんだ。うちの学校無駄に大きいから移動にも時間が掛かるのよね。だから今のうちに教室に戻らないと間に合わないんだけど……。話に夢中になっていてすっかり失念していた。だから改めて彼にお礼を言う。

「ありがとう。迎えに来てくれて」
「いや。あいつらと話すのは楽しいだろうからな。時間を忘れてしまうのも無理はない」
「フフッ。でも、ナルトには嫌われちゃったね」
「それは仕方ないことだ。今と昔ではナルトが暮らす環境は違う。愛する女性を横から奪われれば憎まれても当然だ」
「相変わらずお上手ですこと」

 でも口ではそんなことを言っても本当は寂しいと思う。だから重ねた手に力を込めれば、彼は観念するかのように小さく息を吐きだした。

「……お前は、何でもお見通しなんだな」
「そういうわけじゃないけど、これに関しては別。だって、ナルトはあなたにとって特別な人だもの。今は仕方ないとしても、“寂しい”と思うことは当然よ」

 むしろ私が先に行動したせいで彼から“ナルトの友人”という立場を奪ってしまったのかもしれない。そう思うと私自身やるせない気持ちになるが、彼は緩く首を振ってから顔を上げる。

「ナルトとはそのうち分かり合える日が来ると信じている。お前もいてくれるしな」
「……そう。じゃあその時はあなたたちが仲良くなれるよう、頑張って橋渡しをするわ」

 今はまだ無理でも、いつかまた、彼とナルトが楽しそうに笑いあえる日が来るといい。
 そんなことを考えながら教室に戻れば、早速私たちを見つけたクラスメイト数人から「仲良しかっ」「流石夫婦」と揶揄われてしまった。
 あー……。うっかり手を握ったままだったわ。

「いい加減慣れないとねぇ……」
「ん? 揶揄われることにか?」
「ううん。今と昔じゃ色々と違うんだ、ってことに。どうしてだか時々抜け落ちちゃうのよねぇ」
「ああ……。それは分かる。つい昔と同じように振舞ってしまう」
「やっぱり? あなたもそうなら、私もそうなのね。きっと」

 お弁当箱を置いて教科書を取り出し、改めて化学室へと向かう。その間にも同じ中学校出身の同級生数人とすれ違ったが、皆興味深そうにこちらを見てきた。
 ……そんなに噂になっているのかしら? 私たちって。

「でもまずはこの視線にも慣れないとね」
「そのうちほとぼりも冷めるだろう。それまでの辛抱だ」
「そうだといいんだけど」

 昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴る中、私と彼は辿り着いた化学室に揃って入室するのだった。

 ◇ ◇ ◇


 そんな出来事があってから数日。すっかり噂にも視線にも慣れてしまった私たちは、もう開き直って『好きにしよう』と決めていた。

「ねえ、あなた。手ぇ出してくれる?」
「ん? ん」

 一度目の「ん?」は「何だ?」という意味の「ん?」で、二度目の「ん」は「はい」の意味の「ん」だ。
 そんな端的な返事と共に差し出された手を両手で掴み、そのままマッサージするようにグリグリと指や手の平を押し付ける。
 が、普通ならカレカノのちょっと恥ずかしい触れ合いに感じるだろうに、彼の表情は一気に険しくなる。

「おい。何をする」
「ハンドクリーム出しすぎちゃったの。あげる」
「せめて許可を取れ……」

 彼が嫌な顔をするのも頷ける。それほどまでにうっかり出し過ぎてしまったハンドクリームを彼の手に塗り込んでいれば、すぐさま「べたべたする……」と不満が飛んでくる。
 でも出し過ぎた私の手なんてベタベタ通り越してねちゃねちゃだからね? 分かる? この残念な気持ち。

「でもこれいい匂いがするのよ? 『春限定、桜の香り』なんだから」
「ほお。桜か」
「うん。匂いもきつくないの。ね? 嗅いでみて?」

 ハンドクリームを譲渡していた彼の手を離し、自分の手を近付ければ彼も素直に私の手を取り、顔を近付けてスンと匂いを嗅ぐ。

「ああ、いい匂いだな」
「でしょ? 柑橘系とか薔薇とかも好きだけど、この香りが一番落ち着くのよね」
「べたつくのは好きではないが、この匂いはいいな。ほのかに香るのが気に入った」

 元忍だからなのか、それとも単なる嗅覚の問題か。私も彼も香水などの強い匂いが苦手だ。
 花の香りは好きだけど、人工的な香料はどうもねぇ……。でもこのメーカーはふんわりとした控えめの香りが人気で、特に季節ごとに出る限定商品はどれもいい香りがするのだ。その分ちょっと値段は張るけど、節約しつつ使っているから減りは早くない。
 ……まあ、今回は勢い余って出しすぎちゃったんだけど。

「うーん……。でも流石にあなたの手だけじゃ足りないわね」
「もう諦めてティッシュで拭けばいいだろう」

 そう言って呆れたような顔で鞄の中からポケットティッシュを取り出すと、さっさと両手を拭き出す彼に「だってー」と唇を尖らせてみる。

「折角お金出して買ったんだもの。もったいないじゃない」
「もったいない精神は結構だが、どうせ手を洗ったらまた塗るんだろう? 消耗品なんだから割り切ってしまえ」

 そう言って更に水気を払うかのようにブンブンと上下に手を振る彼に「それもそうだけど」と呟けばティッシュを差し出される。

「ほら、さっさと拭いて席に戻れ。もうすぐ次が始まるぞ」
「はーい」

 渋々受け取ったティッシュで手を拭いてから席に戻れば、隣の席に座る黒ツチさん似の同級生が飽きもせず揶揄ってくる。

「今日も見せつけてくれるねェ」
「違うから。何ならあなたにもしてあげるわよ?」
「やなこった」
「ダーメ。あげる〜」
「うわあ! いらねえ!」

 嫌がりながらも絶対に手を振り払わない彼女につい笑ってしまう。ついでに周りの子たちにもおすすめしていると予鈴が鳴ってしまい、慌てて教科書を取り出した。

 今更だが、私たちがいるAクラスは先日行われた試験でぶっちぎりの高得点を叩き出した『進学クラス』だ。進学校だから当然とはいえ、AからCに向かって成績は落ちていく。
 だけどナルトのようにスポーツ推薦で入学した生徒はDクラスに、美術や書道などの芸術科目で推薦入学した生徒たちはEクラスとなっている。
 いのとヒナタとシカマルは隣のBクラスで、チョウジはCクラス。本当はシカマルもAクラスじゃないと可笑しいんだけど、入試で手抜きをしたのだろう。結果シカマルはBクラスでマイペースに学生生活を満喫しているようだった。

「それでは授業を始める。起立! 礼! 着席!」

 バキ先生の号令に合わせて席を立ち、一礼してから着席する。元々どの科目でも平均点が高い我がクラスだけど、特に理数科目を得意とする生徒は多い。そのためバキ先生の授業は人気がある。

「それでは昨日の続きから行くぞ。まずは教科書四十七ページ……」

 私はどちらかというと暗記科目の方が得意なんだけど、数学が得意な彼と日々課題をクリアしているせいか割と簡単に解けている。でも油断しているとあっという間に置いていかれそうなので、課題と合わせて予習と復習は欠かせない。
 因みに私の席の周りにいる女子達も皆数学が得意で、特にやんちゃ女子代表でもある隣の席の彼女は先日の試験で満点を取っていた。だけど古典は苦手らしく、数学の時と違って目が死んでいる。
 そんな個性豊かな生徒たちに囲まれながら、存外楽しく学生生活を満喫していた。

「サクラ。今日も昨日と同じ時間に、同じ場所でいいか?」
「うん。今日もお互い頑張りましょうね」

 部活見学を繰り返した結果、最終的に私はいのと同じくバドミントン部に、彼は園芸部と弓道部に入部した。
 最初はテニス部にしようかな、って思ってたんだけど、テマリさんに誘われたのだ。断れるはずがない。それにまたいのと競い合うのも悪くはないわよね。ダブルスで組んでも楽しそうだけど、それは追々。実力をつけてからの話だ。

 その点彼は経験者ということもあり――っていうか何気に有名人だったらしく――他の経験者と混じって時折弓を引いているらしい。普通新入生はすぐ引けないみたいだけど、彼は成績優秀だから……。
 実際、先日改めてお邪魔した彼の家のリビングにはテマリさんが獲ってきたものも含めてかなりの数のトロフィーと賞状が飾られており、その中に彼の名前も沢山あった。
 聞けば中学では全国大会に進むほどの強豪校だったらしく、テマリさん曰く『試合で的を外したことがない』という、文字通り『百発百中』の腕前なのだという。
 実際練習試合含めて成績表を見せて貰ったけど、彼だけ命中率が異常で思わず頬を引きつらせてしまった。本当にブレない人である。

 そうなると良くも悪くも噂になるわけで。彼を見たことがある人もいれば、中学時代先輩だった人もいる。だからすごく歓迎されたらしい。

『過剰に喜ばれていっそドッキリかと思ったぐらいだ』
『そんなドッキリ新入生にする?』

 なんて会話をしたのがもはや懐かしい。いや、大して日付経ってないんだけどさ。
 でもいつか彼が弓を引くところを見てみたいなぁ〜。
 練習風景は公開されないけど、練習試合は時折見学可になるみたいだから、その時覗いてみようと今から楽しみにしている。

「サクラー! 部活行くわよ!」
「はーい!」

 そんな彼とは対照的に、私はバドミントンを遊びでやったことしかない。競技、というよりは皆で楽しくワイワイやっていただけだ。だから実際見学に行った先でテマリさんの本気スマッシュを見た時は正直ゾッとした。

『テマリさん……速すぎない?』
『マジで見えなかったんだけど。あれ取らなきゃいけないの?』

 いのと一緒に見学に行った時、テマリさんが「私がお手本見せてやるよ」と言って目の前で打ってくれたのだが――正直“シャトル”ではなく“弾丸”に改名したくなるほどに凄まじい剛速球だった。
 そんな最上学年でもあるテマリさんは、一番成績もいいうえに引率力もあるので、期待を裏切らず部長に任命されていた。逆に部長じゃなかったらどうしようかと思ったから心底ほっとしたことは秘密だ。

 一応テニス部も覗いたんだけどね。やっぱり花形なのかものすごく見学人数が多くて、正直体験入部的な活動は出来なかった。
 でもいつかチャレンジしてみたいな。彼、私がバドミントン部に入ると聞いた時ちょっと残念そうな顔したし。意外とテニスっていうスポーツそのものが好きなのかも。今度聞いてみようかしら?

「よし。全員揃ったな。今日もウォーミングアップ後はストレッチをし、その後一年は往復ダッシュ、二年はサーキットトレーニング、三年はチャイナステップで体を温めるぞ。その後は通常通りノックに入るから、全員気合入れてやるように!」
「はい!」

 テマリさんのキビキビとした引率の元、私たち一年生は主に体力・体作りをメインに練習が組まれている。二年生はそこに更に細かな指導が入り、三年生は技術面を磨くメニューが多い。顧問は基本的に毎日顔を出してくれるけど、時間帯はまちまちだ。早く顔を出しに来る時もあれば終わる間際の時もある。一応経験者らしいけど、正直言ってテマリさんの方が上手だった。

「はあ……はあ……。マジで、ずっと、バド部に入ってから走ってばっかなんだけど……」
「あたしも……足パンパン……」

 同じく初心者としてバドミントン部に入部した一年生たちが後ろでぶつぶつと呟いている。正直彼女たちの気持ちも分からなくもないが、テニス部だろうがバスケ部だろうがやることは変わらないと思う。
 他の運動部員達も体育館内を走っていたり、外周に行っていたりと『走る』行為は必ずメニューに組み込まれている。むしろコート内の面積を考えればこの程度、優しい方ではないだろうか。バドミントンなんて。

「意外と、サクラは走るの平気よね。昔から」
「あー、言われてみればそうかも」

 小さい頃から『忍』としてあちこち駆けまわる夢を見ていたせいか、女の子にしてはお転婆だったのよね。私。
 だからいのとヒナタと再会する前からかなり体力があり、よく男の子たちと一緒に公園を駆けまわっていた。今でこそそんな無茶はしないが、やっぱり『走る』ことに関しては人より優れていると自負している。先日の体力テストも五十メートル走もかなりいい記録出せたしね。
 とはいえ、いのも同級生の中では体力がある方だ。終盤はバテるけど、しっかり着いて来ているからそのうち平気な顔で走り出すだろう。

「こうなったら、ダイエットだと思って、頑張るわ、私……!」
「そうそう。その調子その調子」
「キーッ! むかつく! アンタまじで何目線なの?! それ!」
「そこ! 無駄話しない!」
「はいっ!」

 騒ぐいのの声で先を走るテマリさんに気付かれてしまった。思いっきり注意されてしまう。おかげで一周増やされてしまったけど、その後はお互い自分のペースを守りつつ周回を終え、上級生たちがトレーニングをする中今度は本格的なダッシュに入る。
 とはいえまだ入部したばかり。ダッシュも一往復を五回繰り返し、合計三セットしたら終わりだ。でも夏が終わる頃には五往復×三回、それが三セットに増えると聞かされている。正直戦々恐々としなくもないのだが、まぁ慣れるでしょう。というか慣れないとキツイから慣れるしかないんだけどね。

「それじゃあ一年生、タイマーセットするから用意しろ」
「はいっ」

 指示を飛ばすテマリさんの横に立つのは副部長だ。彼女はマネージャーの役割も兼任しているのか、それとも性分なのか。進んで雑用をする人だった。現に今もタイマーの用意をしてくれている。
 でもそれに甘えるのはどうかと思うので、すかさず駆け寄り手伝った。

「それじゃあ行くぞ! 位置について……始め!」

 テマリさんの号令に続き、ピーッ! と副部長が鳴らした笛の合図に合わせて先陣を切る。体育館内に響く足音に笛の音、そうして皆の息切れする声なき声や熱気に包まれながら、私は学生らしく今日も部活に勤しむのだった。