- ナノ -

元夫婦じゃなきゃ事案だよ



 周囲に冷やかされながら教室に戻り、四限を終えて迎えた昼休み。完全に忘れていた人物たちが揃って教室に訪れた。

「我愛羅! 春野! 今度こそ朝の続きを話してもらうよ!」
「そうよ、サクラ! もう逃げられないんだから!」

 揃って現れたのはテマリさんといのだ。その後ろにはカンクロウさんとヒナタだけでなく、目撃者の一人でもあるナルトまで立っていた。

「サクラちゃん! どういうことだってばよ! 俺にも分かるよう説明して欲しいんだけど?!」
「全くじゃん。我愛羅もずっとだんまりだしよ。気になって昼飯どころじゃねえじゃん」

 これまた面倒なことになってきたなぁ。とどこか遠い眼差しになる私たちだが、ある意味打ち解けたせいだろう。近場に座っていた女子生徒たちからもワクワクしたような視線が飛んでくる。

「どうすべきか……」
「ねえ……」

 先に箸が持てそうかどうか確認していたらコレである。こんなことならさっさと逃げればよかった。だが既に逃げ場はない。むしろ私たちを勝手に『夫婦』扱いにしてくれた生徒数名が、意気込むいの達に向かって「はあ?」という顔を向けてしまった。

「どうも何も、あの二人付き合ってんだろ?」
「は?!」
「はあ?!」
「はあああ?!?!」

 援護射撃に見せかけた公開処刑に、思わず頬が引きつる。しかも私たちを問い詰めにきた面々は口をあんぐりと開けて硬直しており、大変いたたまれない空間になっている。
 だけど良くも悪くも学生というのは“ノリ”がある。今まで大人しかったのは嘘だったのかと詰りたくなるほど、周囲の生徒達も頷きだした。

「あれはもう付き合ってるよね?」
「ねえ。だって怪我してすぐに向かった先がヤマト先生じゃなくて春野さんだったもん」
「俺らも春野さんに『指切った』って見せに行った時は『え? そっち?』って思ったしな」
「分かる。我愛羅って意外と天然? と思ったけど、付き合ってんならしょーがねーよなぁ〜」

 しょうがなくない。しょうがなくない。っていうかマジでまだ付き合ってないし。いや、『まだ』って言うと語弊があるんだけど、実際そういう関係じゃないし。

「おま、おまっ、お前っ……! お姉ちゃんに隠れて彼女を……!!」
「違う。というか別にテマリの許可はいらんだろう」

 否定しながらもお弁当を持って立ちあがる彼に周囲の視線が一斉に飛ぶ。だが流石元里長。常に人前に立っていたせいかその視線の嵐に動じることなく、まっすぐテマリさんたちの元へと向かっていく。

「あとサクラに迷惑をかけるのはヤメロ。一年の教室に押しかけて来るな。それでも最上学年か」
「うッ、で、でも! お姉ちゃんはお前を心配して……!」
「心配と過干渉は同義ではないぞ。一度辞書を使ってキッチリ調べるんだな」
「うぅ……!」

 胸を押さえるテマリさんは、昔と違ってかなり年相応に見える。というか我愛羅くんが異常に大人びているだけなんだけど……。それはそれとして、固まるいのたちに私も声を掛ける。

「あー、ちょっと仲良くなり過ぎただけだから。マジで彼氏とかじゃないから」
「そ、そう……なの?」

 混乱しているのだろう。いつもより遥かに勢いのない返答に頷けば、何故かクラスの中からも「えー?」と疑う声が降ってくる。

「でも昨日手ぇ繋いでたよね?」
「え?!」
「突然顔近付けて話し出したかと思えば笑い出したから、俺らもカレカノかと……」
「は?!」

 一体何のことを言っているのかと困惑していると、ピンと来たのだろう。額を押さえる我愛羅くんが小声で「昨日の放課後のことか……」と呟いたことで思い出す。

 あ、アレかーーーーーっ!!! 確かに! 確かに手を握ったり顔を近付けたりしたけれども!! あんなのは日常茶飯事で……って、今私たち“夫婦”じゃないんだから誤解されても当然じゃない!!!

「いやーーーーッ!!! 無意識って怖い!!!」
「だなぁ……。やってしまった……」

 思わず天を仰ぐ彼と蹲る私。そんな私たちに周囲は「結局どうなんだ」という意味深な――じゃない。興味津々な視線を向けてくる。ぐぐぐっ、これが針の筵というやつか……!

「で? 結局あんたらそういう関係なの? そうじゃないの?」

 公開処刑発言をしてくれた女生徒にせっつかれ、のろのろと顔を上げて我愛羅くんと視線を合わせる。

 どうする? どうする? これ。もう収拾出来そうにないんだけど。

 目で語りかければ、彼からも『これはもう腹を括るしかないのでは?』という覚悟を決めた目で見返される。そうかぁ……。やっぱりそうなるかぁ……。いやでも、一つ確認したいんだけど、

「あなた、(また)私でいいの?」

 折角新しい時代を、忍としてではない。一般人として生まれ、生活しているのだ。別の女性と付き合っても浮気にはならないのだから罰も当たらない。むしろこの学校には可愛い子や綺麗な子は多いと聞く。それなのに『また』私でいいのかと問いかければ、彼は心底驚いたような顔をした後私と視線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「逆に聞くが、お前こそ俺でいいのか?」

 じっと見つめて来る姿は夢に見る時とは違い、まだ幼い。以前ほどではないけど隈はあるし、天然ジゴロっぷりも健在だ。でもそれで嫌いになるぐらいなら前世で夫婦になどなっていない。
 というか、彼を嫌いになる要素――今世だと特になくない?

「あー……」
「な?」
「うん」

 私たちが勝手に納得して頷く中、周囲は「え? これ別れる感じ?」「まさかの?」なんて聞こえてくるが、実際は逆だ。いやでも宣言するの恥ずかしいなぁ。なんて思っていたところで、テマリさんたちの背後からヤマト先生が顔を出す。

「あれ? 二人ともどうした? お腹痛い?」
「え? あ、いえ。そういうわけじゃないんですけど……」
「そう。じゃあちょっと付き合ってくれる? さっきの授業で確認したいことがあってね」

 流石に先生からの呼び出しであれば無視するわけにもいかない。「お弁当は持ってきていいよ」と言われたので、結局私たちは「結局どっちなんだ?」という視線を痛いほどに受けながら先生の後に続いた。


 ◇ ◇ ◇


 ヤマト先生に呼ばれた理由としては、怪我が起きた時の状況を改めて我愛羅くんの視点から聞く必要があったためというのが一つ。もう一つは負傷した我愛羅くんを連れて行った私への状況確認のためだった。

「うん。他の生徒たちの証言とも食い違いはないし、これでいいだろう」

 きっと始末書的なものがあるのだろう。内容を確認するヤマト先生たちの前で大人しくお昼を食べていると、先生がちらりと視線を向けてくる。

「ところで、君たち付き合ってるの?」
「んぐッ!」

 思わずご飯が喉に詰まりそうになるが、ギリギリのところで嚥下に成功する。あ、危なかった……。

「いえ……。そういうわけではありませんが……」

 一応濁しつつ断ってくれる彼に、そういえばさっきも言葉の上では微妙な流れだったわよね。と思い直す。アレ、結局どっちに取られたんだろうか。

「そうなの? てっきり付き合っているものとばかり……」

 そんなに勘違いされ……るシーンを見られているからヤマト先生に関してはしょうがないとしても、そんなにアレだったかしら? 私たち。

「でも実際問題かなり際どいシーン見ちゃったから、あんまり信じられないんだけどね」

 うすら寒い笑顔で釘を刺してくるあたりあまり『昔』と変わらないなぁ。と思うものの、これに関しては何とも言えないので笑って誤魔化すことにする。
 だって今教室に戻っても質問攻めにされるだけだろうし、皆の前で改めて宣言するとかいい気分じゃないし……。

「まあ、どちらにせよ間違いを起こさない範囲内で仲良くね」

 カカシ先生みたいな台詞が出て来たことにちょっとビックリしたけど、揃って頷けば先生は「じゃあご飯食べたら教室に戻るようにね」と言って自分のお弁当を食べ始めるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 周囲のもの言いたげな視線をどうにか掻い潜り、ようやく迎えた放課後。本当ならテニス部の見学に行くつもりだったけど、気分的にそれどころではなくなってしまった。

「疲れたあ〜」
「そうだな」

 お昼から戻れば早速何人かに囲まれたけど、すぐに五限目が始まったのでどうにか有耶無耶にし、六限目が始まる前はトイレへと逃げ込んだ。彼は彼で「ヤマト先生に確認することがあるから」と適当に述べてその場を抜け出し、掃除時間も見回りをしている先生の視界に入る位置を陣取ったため尋ねに来る勇者はいなかった。
 そしてホームルームが終わった途端バキ先生に我愛羅くんが呼ばれ(事故の確認だそうだ)私自身いのたちから逃げるためさっさと教室を抜け出し今に至る。
 本当はテニス部の見学に行こうかな。と思ったんだけど、クラスの女子を見かけたことで慌ててUターンしたのだ。いわば戦略的撤退である。

 そんなわけで現在、たまたまコンビニでお菓子を物色していた私と、コーヒーを買いに来た彼とが再会し、こして帰路を共にしていた。

「そういえば、テマリさんとカンクロウさんって部活に入ってるの?」
「ああ。テマリはバドミントンでカンクロウは演劇部だな」

 うわぁ……。バドミントンと言ったらいのが入部しようとか言ってたやつじゃん……。テマリさんのスマッシュ速そうだなぁ……。
 考えていたことが顔に出ていたのか、彼は一度疲れたように息を吐きだしてから続ける。

「あれでテマリは全国大会に出場するぐらい強くてな。正直俺とカンクロウでは相手にならん」
「予想通りの展開すぎて逆に何て言えばいいのか分からないわ」
「聞いて驚け。テマリのスマッシュは審判から『見えません』判定を受けるほどの凄さだぞ」
「何それ怖い」
「まぁ記憶がない分年相応だから、扱い易くはあるんだがな」

 今生でも勝気な性格はそのままなようだが、言ってもまだ高校生。私よりもハッキリと記憶を持っていそうな彼からしてみれば子供なのだろう。今日も上手い事あしらってたし。

「これじゃあどっちが年上だか分からないわね」
「色々と覚えている分俺が折れなければならんがな」
「あははっ。それもそうね」

 ひとしきり笑った後、彼から「そういえば」と話を振られる。

「今日はテニス部の見学に行くんじゃなかったのか?」
「あー……。それがクラスの子見つけちゃって、撤退しちゃった」
「ああ……」

 想像するまでもなかったのだろう。頷く彼だったが、ふと何かに気付いたように表情を変える。

「それじゃあ、今からうちに来るか?」
「え?」
「来たがっていただろう。特に用事もなければ案内するが」

 ちょうどそこを曲がってすぐだしな。と指差しながら続けられ、私は悩む間もなく「行く」と答え、急遽彼の家にお邪魔することになった。

「今日は誰もいないの?」
「ああ。母はそのうち帰ってくるだろうが、テマリたちはまだ部活中だからな。六時を過ぎるだろう」
「そっかぁ」

 クリーム色の壁に群青色の屋根。家をぐるりと囲むフェンスの合間からは色とりどりの花が顔を覗かせている。そんなどこかあたたかみのある外観をした二階建ての一軒家が彼の家だった。
 ちらりと見た庭先には、彼とお母さんが一緒に育てているという花が綺麗に咲き誇っている。ぱっと見なので詳しい種類は分からないが、チューリップやデイジーなど見慣れた種類も幾つかあり、どれも気持ちよさそうに風に揺られている。

「綺麗だね」
「ん? ああ、ありがとう。今年も綺麗に咲いたからな。母も喜んでいた」

 微笑む彼に促され、「お邪魔します」と上がった家の中も隅々まで綺麗にされている。フローリングなど輝かんばかりだ。
 彼の部屋は二階にあるそうで、玄関から入ってすぐの階段を上って一番奥の扉を開ける。

「さして広くもないが、ゆっくりするといい」
「わあ、ありがとう」

 早速足を踏み入れた彼の部屋は、分かっていたけどかなりシンプルだ。物が少ないわけじゃないけど、綺麗に片付けられているからモデルルームのような清潔感がある。
 だけどよく見てみれば机の上や窓際、ベッド脇のサイドボードの上に置かれた観葉植物があたたかさを醸し出している。
 内装は全然違うのに、何故か時折夢で見る部屋と似ている気がしてつい笑ってしまう。

「あなたらしい部屋ね」
「あまり派手なのは落ち着かん」
「それはそれで見てみたいかも」
「勘弁してくれ」

 彼は軽く肩を竦めると机の上に鞄を置く。私も鞄を置き、改めて彼の部屋をぐるりと見回す。
 机と併設している大きめの本棚には小説の他にも参考書や様々な辞典、図鑑、単語帳があり、上段にはCD、中段にはDVDと携帯型のゲームソフトが数点納められていた。

「ゲーム好きなの?」
「いや。特に好きと言うわけではないが、何故かこの部屋で集まってやるのでな。仕方なく置いている」

 ふう。と眉間に皺を寄せて溜息を吐く姿はまるで子供の遊びに付き合わされている父親だ。ついつい“昔”のことを思い出して笑えば、彼も肩を竦めた後そっと口角を上げる。

「ゲームが一番上手いのはカンクロウでな。テマリは意外と下手なんだ」
「へえ〜、そうなんだ。テマリさん何でも出来そうなのに」
「いや。追い詰められていくうちに焦って自爆することが多い」
「あ〜。確かに。追い詰めるのは得意でも、逆は慣れてなさそう」

 今も気が強そうなテマリさんのことだ。負けるのも追いつめられるのも好きではないのだろう。結果として熱くなって墓穴掘っちゃうんだろうなぁ。身内が相手だと特に。

「我愛羅くんはどうなの?」
「俺か? 別にどっちでもないな。カンクロウに比べれば下手なのは間違いないが、あれはちょっと異常だからな。色んな称号やらトロフィーやらを集めるほど熱中はしないから、恐らく普通の腕前だと思う」

 所謂『やり込み要素』に関しては淡泊なのだろう。でも一通りクリア出来る程度には腕があると。その点カンクロウさんはトロフィーも称号もフルコンプを目指すタイプらしく、一つのゲームに何百時間も注ぎ込むようだ。
 昔は昔でそれなりに娯楽はあったけど、今ほどではなかった。そう思うと彼もそれなりに遊ぶようになったのだな。なんて考えていると、ふと下段に収められた幾つかの箱を見つける。

「あ。ボードゲームもある」
「俺はそっちの方が好きだからな」

 近付いてきた彼が言うように、オセロや将棋など見慣れたものが出てくる。私もこっちの方が好きだなぁ。

「ねえ。オセロしようよ」
「ああ、いいぞ」

 折り畳み式の机を広げ、臙脂色のカーペットの上に紺地の丸形クッションを置き、その上に座す。最初は「本当にクッションに座っていいの?」と思ったけど、座布団がないからこれでいいらしい。だから心置きなくクッションの上に座り、広げられたオセロの盤面を見つめる。

「専攻と後攻はじゃんけんで決めるか」
「いいわよ。最初はグー、じゃんけん……」

 私が負けたので後攻になってしまったけれど、攻め方は多様にある。それからは数回勝負し、久方ぶりにオセロを楽しんだ。勝った時もあれば負けた時もあるけど、純粋に楽しかった。

「やったー! 私の勝ちね!」
「意外と強いな、サクラは」
「昔は将棋で負けまくったからね〜。これぐらいは勝たないと」

 前世では将棋対決で何度も敗退した身だ。オセロでも二回ほど負けてしまったけど、どちらかと言えばオセロの方が得意だし、将棋に比べ勝算もある。
 ルンルン気分で勝ちを喜んでいたけど、流石にちょっと頭使いすぎたわ。グッと凝り固まった肩や背中を伸ばすように両手を上げて背中を反らす。

「ん〜……、でもやっぱりオセロは頭使うわねぇ」
「心理戦に加えて頭脳戦だからな。疲れただろう。少し休むといい」

 ぽんぽん。と背後にあるベッドを叩く彼に促され、一応「お邪魔します」と告げてから遠慮も躊躇もなく彼の匂いがするそこへと体を転がす。

「フフ、あなたの匂いがする」
「当たり前だろう」

 どこか可笑しそうに返事をする彼も、ベッドに腰かけたかと思うとそのまま横になってくる。

「ちょっと! 狭い!」
「シングルだからなぁ」
「そういう意味じゃなくて!」

 壁際に追いやられた体を反転させ、彼の体を軽く叩けば「暴力反対」と鼻で笑われる。昔ほど威力のないパンチがそんなに可笑しいかっ。思わず唇を尖らせてジト目で睨めば、彼は楽しそうに目を細めて手を伸ばしてくる。

「何だか懐かしいな。こうしてお前と過ごすのは」
「そうね。今世では昨日会ったばかりなのに、ずっと夢で見てたから変な感じだわ」

 実のところ、“夢”を見るのは茶飯事だ。いや、他人がどのくらいの頻度で夢を見るか分からないからアレなんだけど、週に二、三度ぐらいの感覚で見る。別にそれで寝不足になったことはないからいいんだけど、記憶以外の夢を見ることが少ないから正直どうなんだろう? とは思う。
 特に最近では彼と一緒に過ごした時間の夢をよく見るようになったから、懐かしいようなそうでもないような、何とも変な感じだった。

「我愛羅くんは、いつから、どんな時に“記憶”を見るの?」
「そうだな。物心ついて少ししたぐらいから見始めただろうか。一番多いのは寝ている時だが、ふと既視感を覚えて突然思い出す時もある。状況によりけりだな」

 ということは、寝ている時にしか記憶を見ない私より多くのことを思い出していそうだ。その中にはきっと今日みたいに痛々しい思い出もあるだろうに、彼は相変わらずドッシリと構え、受け入れ、昇華しているのだから尊敬する。

「嫌な記憶とか、あった?」
「ああ……。それは、まあ……な。おかげで一時期不眠症になって家族に心配をかけたものだ」

 やっぱりそういう時期があったんだ。無意識に彼の目元に指を馳せれば、くすぐったそうに瞼を閉じて微笑む。

「でも今は平気だ。むしろ最近はお前と過ごした時のことばかり夢に見る。おかげで寝ても覚めても頭の中がサクラ一色だ」
「あら、情熱的な口説き文句ですこと」

 相変わらずの天然ジゴロに笑みを向ければ、彼もクツクツと肩を揺らして笑う。そうしてふと互いに無言になり、似た色の瞳を重ねあう。

「……また会えることは勿論だが、お前が覚えているとは思っていなかった」
「うん。それは私も同じよ」
「見知った顔ばかりいるのに、誰も覚えていないというのは存外切ないものでな。特に今は、誰も傷つけなくてよくなっただろう? だからテマリやカンクロウも以前とは少し性格が違う。それが何というか……。いや、いいんだがな。ただ俺が過去に引っ張られすぎているだけなのだろう。分かってはいるんだが、時折あの時代に――一人、取り残されたような気分になる」

 彼の言いたいことはよく分かる。私もいのやヒナタ、ナルトが何も覚えていないことが不思議でならなかった。
 どうして私だけが覚えているんだろう? どうして私だけがこんな夢を見続けているのだろう。
 答えの出ない問いを何度も頭の中で繰り返してはいじけたり、拗ねたり、時には怒ったり泣いたりと、子供らしく癇癪を起した時もあった。その都度周りに迷惑をかけ、次第に『ああ、これは私にだけ与えられたものなんだ』と受け入れるようになった。
 ……いや、違うか。受け入れたのではない。“諦めた”のだ。誰も理解してくれない。誰にも通じないからと、私は“夢”の話を誰かにすることはなくなった。

「だが、お前は覚えていた。またこうして出会えただけでも奇跡だというのに、不思議なこともあるものだ」
「そうね。本当、運命の神様って悪戯好きよね」

 もし、私が覚えていなかったら。もし、彼が覚えていなかったら。きっと私たちは「はじめまして」から始まり、こんなにも親し気に話すことはなかったかもしれない。
 もしかしたら卒業するまでの間会話がないかもしれないし、逆にいつかはこうなっていたのかもしれない。
 分からないけど、私たちはお互いに覚えていた。

 早咲きの桜が舞う中で、お互い目が合った瞬間――直感的に思ったのだ。

 彼は、私を覚えているはずだ、って。

「私、またあなたと会えて嬉しいわ」
「俺もだ」

 夢の中の私は、いつも彼に愛されていた。時折触れる指先から、向けられる眼差しから、起きたら忘れてしまう言葉の数々から、愛情を受け取っていた。そうして時には唇で、触れ合っては甘い気持ちになっていた。

「あ。そういえば」
「ん?」
「あの時、保健室であなた私にキスしたじゃない?」
「……口にはしてないぞ?」
「そうだけど、突然だからビックリしちゃった」

 付き合ってもいないのに、突然目尻や頬にキスをされたら普通は驚く。というかセクハラ案件だ。だけど私たちは偶然にも過去の記憶があり、また関係が“夫婦”だったから受け入れることが出来た。だけど普通に考えればアウトである。
 それを伝えれば、彼は「お前以外にそんなことするか」と顔を顰めてしまった。

「それに殆ど無意識と言うか、咄嗟の行動と言うか……。毎日のようにお前と触れ合う夢を見ていたのだから、仕方なかろう」
「うっふふ。やーらしい」
「そういう意味ではない」

 どこかムッとした顔をする彼だけど、その頬はほんのりと染まっている。存外正直な反応にクスクスと笑えば、彼は拗ねたように顔を背けてしまった。

「フフ。それじゃああなた、私に会えなかったら今世では独り身だったのかしら?」
「さあ? どうだろうな。生憎と最愛の女に会えたから分からん」
「相変わらず達者なお口ですこと」

 無口な割に時折驚くほど口が回る男を揶揄えば、先程は拗ねていた彼もどこか可笑しそうに笑んでから私の唇に指を当て、軽く撫でてくる。

「お前こそ、今生では“サスケ”を追いかけなくていいのか?」
「それがねぇ、生憎と会えていないのよ」

 もしかしたら住んでいる場所が違うのかもしれない。年齢が違うのかもしれない。あるいはまだ生まれていないのか、それとももう亡くなったのか。流石にそれは分からない。
 それにサスケくん以外にも他にも会えていない人たちは沢山いる。だからナルトたちに会えたのは彼が言うように『奇跡』なのだろう。
 それに、彼と触れ合えている今も。まるで『夢』を見ているみたいで、少しだけ不安になる。

「……ねえ。あなたは、本当にここにいるのよね?」

 同じように手を伸ばした先。柔らかな皮膚越しに彼の体温を感じれば、彼は「当然だ」としっかりとした声と口調で肯定してくれる。それが嬉しくて自然と頬を緩ませれば、彼の顔が近付き、コツン。と額を重ねてくる。

「例え望まれなくとも、俺はここにいる」
「……うん。ありがとう」

 ピントの合わない瞳を隠すように瞼を閉じ、彼の熱と吐息を間近に感じながらそっと目を瞬く。そうしてどちらからともなく唇を重ね合わせれば、彼の手がギュッと背中に回って抱き寄せてきた。

「……お前は、どこまで覚えている?」
「さあ? よく分からないわ」
「そうか……。じゃあ、俺とお前が最期にどうなったのかは?」

 それはきっと『別れ』のことを言っているのだろう。この場合は昨今よく聞くようになった『離婚』ではなく、『死別』の方だ。だけどそんな“夢”は見たことがないと首を横に振れば、彼は安心したように目を細めて「そうか」と囁いた。

「ならば知らないままでいい。お前はそのままでいてくれ」
「なによう。気になるじゃない」
「いや、いいんだ。お前がここにいてくれる。それだけで、俺は幸せだ」

 再び重ねられた唇によって返事は奪われ、代わりに何度も啄むようにくっついては離れていく。そうして時には、保健室での時のように頬や目元に唇が落ち、更には耳元にまで口付けられ、ビクリ、と肩が震える。

「ぁ、ねえ、ちょっと、これ以上は、ダメ、だから、ね?」
「勿論だ。分かってる」
「ひうっ」

 ちゅっ、と耳たぶに吸い付くように口付けられ、いつの間にかしっかりと抱きかかえられていた腕の中で背中を震わせてしまう。
 そうしてそのまま、ベッドの硬いようで柔らかな感触を背中に受けながら彼のまだ成長途中の体を真正面から抱き留め、キスをする。

「んッ、も、我愛羅くんッ」
「ん……すまない。がっつきすぎたな」

 気付けば首筋を下りて鎖骨のところまで唇を寄せていた彼の肩を強めに叩けば、存外あっさりと彼の体は離れていった。

「今更だが、飲み物を取りに行ってくる」
「ん……。分かった」

 何度もキスをしたことで軽い酸欠に陥っているのだろう。いつもより火照った体で脱力する。でも、少しだけ離れた体温が口惜しい。それでも彼は昔と変わらずするりと部屋を出て行き、残された私は熱い吐息を零しながら両手で口元を覆った。

「……ファーストキスどころの話じゃないわね、コレ」

 何度も何度も、浴びる程に繰り返されたキスの嵐に今更ながら全身が熱くなる。別に舌を入れられたわけでも、体を弄られたわけでもないのに、どうしてこんなにも体が疼くのか。
 相変わらず言葉の代わりに情熱的な口付けをするんだから。困った人だ。でも、一番大変なのは彼の方だろう。

「……ちょっと反応してたもんね」

 最後、うっかり当たったアレは絶対に反応してた。完全に、ではなかったけど、やっぱり彼の肉体は性欲旺盛な十代のものらしくしっかりと兆しを見せていた。
 多分アレを収めるためにも一旦離れたんだろうな。私が「ダメ」って言ったから。律義に守ってくれたのだろう。彼の理性には感謝しなければ。

「はあ……。でも、どうしよう」

 昔は、彼とそういう行為を何度だってした。子供まで産んだのだからそりゃあ当然だ。でも、今は違う。昔も彼と結ばれたのはもう少し年を重ねてからだった。
 だから、何というか……。この年齢でこれ以上先に進んでいいものなのか分からない。

 そりゃあね?! 最近の子は早々と初体験を済ませている〜、なんて話も聞きますけど! それでも、今は昔とは違うのだ。色の任務があった頃ならいざ知らず、今は平和な世の中である。
 お酒もたばこも二十歳を過ぎてから。一時の欲に流されてセックスをして、望まぬ妊娠なんてしたら洒落にもならない。
 親にも周りにも迷惑をかけるし、何より宿ってしまった命に申し訳が立たない。
 勿論彼が無責任な男だとは言わないが、正直まだ受け入れられるかどうかは謎だ。

 だって私は“私”でもあるけれど、今と昔は別の『私』なのだから。困惑しても、拒否してもいいと思うんだ。まだ高校生になったばかりなんだもの。親の世話になっているうちは余計な火種を持ち込みたくはない。

「はあ……」

 ゴロリ。と寝返りを打ったベッドはシングルサイズのはずなのに、彼がいなくなっただけで途端に広く寂しく感じるのだから、私も随分と都合のいい女だな。と呆れかえるのだった。