- ナノ -

うっかりどころの話じゃない



 かつての夫と再会を果たし――たわけじゃないんだけど、同じクラスになって早二日目。入学式も自己紹介も終えたとはいえ、未だに人間関係がキチンと築かれていない教室内はどこか余所余所しい空気に包まれている。
 うーん。もしかしなくて奥手な子が多いのかしら? 私自身同じ学校から進んだ人はいなくもないけどそこまで仲がよかったわけじゃないし、自分から話しかけに行くのも「何だかなぁ」という気持ちになっている。
 だって仲良くする気があるなら中学の時点でそうしてなさいよ。って感じじゃない? それに群れなきゃ生きられない草食動物でもあるまいし。急いで友達作らないと、とはならないのよねぇ。

 なんて一人黙って席について小説を捲っていると、窓際から二列目の席に向かって歩いていく背中を発見する。

 今生でもどこかマイペースな『元夫』は鞄を下すと静かに椅子を引いて着席する。その背中はやっぱりまだ学生らしく小さく見えるけど、今は尾獣がいない分成長を妨げる要素は何もないはずなんけど……。
 何故か隈があるのよねぇ……。もしかして不眠症なのかしら? それとも単なる夜更かしの常習犯? 原因がハッキリしているなら対処のしようがあるんだけど、実際どうなのかしら。
 うーん。でも今生は妻でも何でもない。なのにいきなり『あなた睡眠不足なの? 原因は? 病院には行ったの?』なんて聞けないし。でも何となくだけどあっちも私の事覚えている気がするのよねぇ……。どうしたものか。

 悩んでいるうちにクラスには人が溢れ、殆どの人が席についていた。かくいう私の両サイドにも女子生徒が座っているのだが、どちらも個々人で好きなことをしている。
 片方は受験生もかくやと言わんばかりに数式を解き、片方はノートに必死に何かを書いている。漫画家志望なのか、それとも小説家志望なのか。どちらにせよ互いに熱中しているみたいだし、声を掛けるのは気が引ける。
 いのとヒナタは友達作り順調かなぁ〜。なんてぼんやりしているとバキ先生が訪れ、ホームルームが始まった。


 ◇ ◇ ◇


 こうしてつつがなく、スムーズに始まった学校生活だけど、やっぱりいのとヒナタに比べかなりロースタートを切っているようだった。

「え?! まだ友達出来てないの?!」
「うーん……。だって両隣の子も後ろの子もなんかそれぞれ好きなことしてて、話かけて中断させるのは悪いなぁ〜。って」
「あんたそんな呑気なこと言ってる場合?! 華の女子高生なのよ?! もっとグイグイ行きなさいよ!」

 お昼時。いのとヒナタのクラスにお邪魔してお弁当を突いていると、案の定お節介焼きのいのが声を上げて説得してくる。いや、まぁ、気持ちは分かる。私も我が子がそんなことを言いだしたら「本当に大丈夫?」と思うだろう。
 だけど本当に、本気で焦る気持ちが湧いてこないのだ。まぁ、前世の記憶がなければ焦っていたでしょうけど。かつては一人で他里に嫁いだのだ。これぐらいどうってことはない。

「まあそのうちね」
「あんたって本当、妙なところで呑気と言うか大雑把と言うか……」
「寂しくなったらいつでも来てね。私たちも遊びに行くから」

 優しいヒナタに「ありがとう」と返すが、多分寂しく思う日は来ないだろうなぁ〜。でも気持ちは嬉しいから素直に喜んでおく。やっぱり持つべきものは友ね。

「ていうか、私たちのクラスは結構明るい子がいたから早々に馴染めたけど、そっちはどうなの?」
「そうねぇ……」

 いのとヒナタのクラスは文系科目に強い人が多い。とはいえ芸術学科に秀でた人たちはまた別の特待生クラスにいるから、根本的に明るい人やお喋り好きが多いのだろう。ここにいるいのみたいに。
 対する私のクラスは理系科目に特化したクラスだ。各自コミュニケーションを取るより自身の才能を伸ばすことに重きを置いている人の方が多い気がしなくもない。
 まだ二日目だから何ともいえないけど、休憩時間でも単語帳やノートを手放さない人もいるしね。何人かは別のクラスに遊びに行っているみたいだけど、授業中に無駄話をしたり、教師を揶揄うような生徒は今のところいなかった。

「良くも悪くも大人しい子が多いかなぁ」
「出た。サクラの謎の上から目線」
「上からっていうか、お姉さん目線だよね」
「えぇ? そう?」

 私としてはそんな気持ちはないんだけど、もしかしたら今朝見た夢にまだ意識が引っ張られているのかもしれない。今日は学校に行って子供達に勉強を教えている夢だったから、余計にそういう視線で見ていたのかも。しっかりしなきゃ。

「あんただってまだ子供でしょ。妙に大人ぶるんじゃないっつーの」
「はいはい。ご忠告どーも」
「ほら! そういうとこ!」
「あははっ」

 騒がしくもどこか心温まるやり取りを終え、昼休みが終わる前に鳴る予鈴に合わせてクラスへと戻る。その際廊下を歩いていた彼を見つけ、思わずその背に駆け足で近寄る。

「ねえ」
「ッ!」

 ビクリ。と跳ねた背中。そして恐る恐るこちらを振り返った顔を見て、やっぱり。と言う気持ちが沸き上がってくる。

「あとで話したいことがあるんだけど」
「え」
「放課後空けておいてね」

 言いたいことだけ言って先に教室へと戻れば、困惑した彼が「あ」とか「う」とか声にならない声を上げているのが聞こえてきた。が、無視だ無視。あんなのに構っていたら何時まで経っても話が出来やしない。
 今日は六限までの授業を終えたら下校となる。掃除や帰りのホームルームを終え、いつもならいの達と一緒に下校するのだが、今日は用事があるから先に帰って欲しい。と予めメッセージを飛ばしておく。

「さて。それじゃあちょっとお話しましょうか」
「ああ……」

 徐々に人が減っていく教室の中、彼の前に立って笑みを向ければスッと視線が逸らされる。あまり表情は変わってないけど、何気に動揺しているのよね。コレ。
 それでも容赦なく前の席を引いて腰かければ、彼はサッと周囲を見渡してから小声で話しかけてくる。

「ここで話すのか?」
「あら。何か困ることでも?」
「う、いや……それは……」

 もごもごと詰まる彼には悪いが、こっちだって大声で話すつもりはない。そもそも今は部活の見学やら何やらで皆早々と教室を後にしているのだ。残っている人なんて私たちを残せば数名のみ。彼ら彼女らもそのうち去るだろう。

「大声で話さなきゃいいのよ」
「そうは言ってもだな……」
「はい。つべこべ言わない。あと私駆け引きとか苦手だから。直球で聞くわよ?」

 恋愛の駆け引きだとか潜入先でのやり取りとか、そういうまどろっこしいのは仕事でもないのにしたいとは思わない。というか私たちの間でそんなもの不要では? という気持ちが強かった。
 だからこそ率直に、かつ簡潔に尋ねることにする。

「あなた、私のこと覚えてる?」

 周囲に人がいるからこそ、分かりにくいようで分かりやすい質問を投げかける。例え聞かれたとしても『昔会ったことがあるのかな』と疑問に思われる程度の質問の仕方だ。
 だけどもし彼が本当に、私と同じように『前世の記憶』持ちなら他の意味に聞こえるはず。だからそれに賭けてみる。

「……覚えているか、とは」
「とぼけないで。昨日私と目が合った時も、出入り口で妙なコントしちゃった時も、誤魔化せてなかったでしょ」
「うぐっ」

 本人も自覚があるのだろう。ぐっと詰まったかと思うと再び周囲を軽く見回し――疲れたように額に手を当て項垂れた。

「……情報の擦り合わせをしよう」
「ええ」
「お前は……その……あー……俺の知る『サクラ』で合ってるか」

 やっぱり。彼も記憶持ちらしい。だから強く頷くことでそれに答える。だけど彼が次に何か言う前に、さっさと私から答えを持ち込んだ。

「そんな遠回しに聞かなくてもいいわよ。だって私、あなたのこと“我愛羅くん”って呼ばなかったじゃない。その時点で察しなさいよ」

 そうなのだ。私は生前、結婚した後彼の事を“あなた”と呼んでいた。勿論公的な場や式典などでは『風影様』と呼ぶこともあったけど、名前で呼んでいたのはお付き合いしていた頃の話だ。
 勿論結婚当初は家の中でも「我愛羅くん」なんて呼んでたけど、子供が生まれてからは『あなた』と呼ぶようにしていた。流石に彼相手に『あんた』なんて言えなかったし。まぁ彼に突っ込む時には何回か使ったけど。その程度だ。
 だからまぁ、それだけで察してよ。と暗に期待を込めてみたのだが、やはり彼は彼だ。
 どこか抜けたところのある『元夫』に呆れた目を向ければ、途端に彼は目を丸くし、今度は深く項垂れた。

「すまない……。その……自覚がなかったが、相当焦っていたようだ……」
「そうね。かなりテンパってたわね。見てて面白かったけど」
「面白がらないでくれ……」

 ガックリと机に伏せる彼に思わず吹き出し、笑ってしまう。そんな私たちに幾つか視線が飛んで来たが、無視して机に伏せた彼にそっと耳打ちする。

「因みに、Dクラスにはナルトがいるわよ」
「え? ナルトが? いるのか?」
「うん。それからいのやヒナタ、シカマルやチョウジもね。他のクラスだけど、大体皆いるわ」

 懐かしい面々の名を口にすれば、伏せていた顔を上げて「そうか……」とどこか感慨深そうに呟く。その瞳はまろやかな優しい色を帯びていて、「あぁ、懐かしいなぁ」と思う。
 昔は色々あったけど、根は優しい人なのだ。愛情深く慈しみ深い。そんな彼の一面が懐かしく、一緒にいるだけでどこか心があたたかくなっていく。

「でも覚えているのは私だけ。きっとナルトはあなたを見ても『誰?』って言うでしょうね」

 とはいえナルトも私たちと同じだと思えば痛い目を見る。だからこそ先に伝えておけば、彼は存外ショックを受けることなく緩く首を振った。

「だろうな。別にそれに関しては構わないと思っている。実のところテマリやカンクロウも記憶がなくてな。だから親しい者たちから初対面扱いされるのには慣れている」

 それでも本音を言えば寂しいでしょうに。『慣れている』なんて言って強がってはいるけれど、実際には少しだけ寂しそうに笑う彼の手をそっと上から握りしめる。

「でも安心して。記憶はなくてもナルトはナルトだから。相変わらずのドタバタっぷりで、見たらきっと呆れるわ」
「フッ。逆に落ち着きのあるナルトなど、それこそ歳を食ってからしか見た覚えはないな」
「フフッ。それもそうね」

 今はまだ互いに十代。早々と影として仕事をしていた彼とは違い、ナルトはまだあちこち駆けまわっていた頃だ。何だかとても懐かしい気持ちになる。

「だが、そうか。もし俺にしか記憶がないのならどうやってお前と話せばいいのか、と悩んだものだが……。杞憂に終わってよかった」
「それであんなにテンパってたの? 相変わらず変なところで不器用な人ね」

 思わず笑えば、彼は「もう好きなように言ってくれ」と肩を竦めて微苦笑を浮かべる。その顔があまりにもおかしくて、声を上げて笑う。途端に彼は諦めたように息を吐きだしたけど、すぐに重ねたままだった私の手を握り返してきた。

「またこうしてお前に触れられる日が来るとは思ってもみなかった」
「そうね。私もよ」

 何度も何度も夢に見た。穏やかな瞳で私を見つめる姿。柔らかな声音で呼ばれる“私”の名前。伸ばされた指はいつだって大切なものに触れるかのように頬や髪に触れ、私の胸をくすぐっては愛しい気持ちにさせた。

「また逢えることが出来て嬉しい。俺を覚えていてくれてありがとう。サクラ」
「私こそ。あなたが覚えていてくれて嬉しいわ。ありがとう。我愛羅くん」

 昔は何度も『こんな厄介な記憶持っていても』とか『私にどうしろってんのよ』と悪態をつきたくなる時もあった。でも、今はあってよかったと思う。
 だって、またこうして彼のあたたかな瞳に映れたんだもの。
 彼と私が最期どうなったのかはまだ思い出せないけれど、彼と過ごす時間はただただ大切だった。だからこそ、またこうして、昔のように気兼ねなく話せるのがとても嬉しい。

「改めて今世もよろしく頼む」
「ええ。こっちこそ」

 お互いにクスクスと笑っていれば、彼が「そういえば」と話題を切り替える。

「お前は今どの辺に住んでいるんだ?」
「ああ、私の家はね――」

 この後互いに住所を教えあったところ、意外なことに存外近くに住んでいることが判明した。とはいえ運がいいのか悪いのか。区画が違うため小・中学校が違ったのだ。それを知ると互いに深く脱力する。

「何だ。思ったより近くにいたんだな」
「本当。どうして今まで出会わなかったのか、不思議だわ」
「全くだ。通りを二本ぐらいしか離れていないと言うのにな」
「でも小さい頃だと大通り二本分は結構遠いかなぁ〜」
「ああ、それもそうか」

 その後も軽く雑談していると、部活生以外は下校するようアナウンスが流れる。それに慌てて二人して立ちあがれば、教室にはもう誰も残っていなかった。

「もう皆帰っちゃったね」
「だな」
「そういえば、我愛羅くんは部活に入るの?」
「いや。特に決めてないな。園芸部とかあればいいのだが……」
「あれば入るの?」
「ああ。以前の記憶を見ながら育ったせいか、どうにも緑には愛着があってな」

 そういえば自己紹介の時にも言っていたな。趣味は観葉植物や庭の花を育てることだって。前世でもサボテンを複数育てていたから、きっと今もそうなのだろう。

「ねえ、今度遊びに行ってもいい?」
「ああ。構わんぞ」
「やった! じゃあまた今度ね」
「ああ」

 いのが口にする『友達』とはちょっと違うけど、話し相手が出来たのは純粋に嬉しい。と言ってもお互い記憶持ち。元夫婦だ。他の人たちとスタート地点が随分と違うから関係の進め方も異なるだろうけど、それはそれ。
 今の私は今の私。今の彼は今の彼なのだ。これから少しずつ、お互いを知っていけばいい。

「ところで、サクラ」
「うん? なあに?」
「お前は部活に入るのか?」
「あー……。どうしようかなぁ……」

 いのはバドミントン、ヒナタは料理部にするって言ってたっけ。私はどうしようかなぁ〜。

「クイズ研究会とかあればいいけど……」
「ああ、そういえば得意だったな」
「うん。クロスワードパズルとか、今でも好きよ」

 それこそ前世の記憶云々を抜きにしてクイズは好きだ。今でも毎週欠かさずクイズ番組は見ているし、漢字や地理、外国の文化とあらゆる知識を覚えていくのが楽しい。そしてそれが解けた時の快感と言ったら……!

「掲示板に一覧が貼りだされていたはずだが……。今からでも見に行くか?」
「え? いいの?」
「ああ。どうせ暇だしな」

 肩を竦める彼と共に一階にある掲示板を見に行く。そこには沢山の部活勧誘のポスターが貼り出されており、中には園芸部もあった。

「あ。あったよ、園芸部」
「本当だ。……ふむ。活動は週に二回程度なのか」
「運動部と兼部している人が多いんじゃない?」
「ああ、成程な」

 彼としてはようやく仕事に追われる日々から解放され、自由の身となったのだ。もっと緑に触れあいたいのだろう。だけど所詮は子供の部活動。そこまで本格的に園芸に力を入れているわけではないから、これが妥当な活動量だろう。
 逆に私が探し求めているクイズ研究会は生憎見つからず、無意識に肩を落としてしまった。

「あーあ。折角高校生クイズに出られると思ったのに」
「そんなにやりたいなら自分で立ち上げたらどうだ? 俺も入ってやるぞ?」
「うーん……。それは嬉しいけど、そこまで出たいのかと聞かれたら……」

 確かに『機会があるならチャレンジしたい』とは思うけど、わざわざ教師に掛け合ってまで続くかどうか分からない部活動を始めるのもなぁ〜。

「いっそのこと私もヒナタと同じ料理部にするかなぁ」

 運動も嫌いじゃないけど、バレーをするにはちょっと身長が足りない。別に低くはないんだけど、やっぱりバレー部所望の子って皆背が高いから。

「テニスとかいいんじゃないか?」
「え? なんで?」
「お前の剛速球を受けられる相手がいなさそうで」
「怒るわよ?」

 ていうか今は昔と違って怪力じゃないし! 地面を割ったりボールで壁に穴開けたり出来ないから!!

「だが、確か『スコート』だったか? 似合うと思うんだが」
「ちょっと、どこ見てんのよ」

 スコートと言えば女性テニスプレイヤーが履くズボンとスカートが一体になった丈の短いスポーツウェアのことだ。まさか他の女性プレイヤー達を厭らしい目で見てるんじゃないでしょうね。と睨みを利かせれば、途端に「誤解だ」と顔を顰められる。

「お前に似合いそうだと思っただけで、他の女性たちにセクハラをしたいわけではない」
「どーだか。健康的で可愛くて、もしくは美人の生足を見て喜んでたんじゃないの?」

 ミニスカやショートパンツを履く子は高確率で男性の嫌な視線に晒されるものだ。それでも本人が着たいから着ているんだけど、見られるストレスは相当だ。
 思わずジト目になってしまうが、彼は「そんなわけあるか」とものすごく嫌そうに顔を顰めた。

「生憎と昔の記憶があるせいか、どうにも『異性』ではなく『年頃の娘たち』という眼でしか見られなくてな。卑しい気持ちは一切ない」
「あー……。あなたもそのタイプかぁ」

 私もそうだが、やはり記憶持ちの彼もそうらしい。まったく難儀なものだと改めて実感する。
 特に彼は長年里長を務めていたせいか、年齢・役職問わず様々な女性と接し続けてきた。中には体のラインが分かる衣装を纏っていた人もいたが、彼が問題を起こしたことは一度としてない。おそらくそれで鍛えられてきたのだろう。今更十代の生足を見たところで何も思わないらしい。

「ん? じゃあ何で私には勧めるのよ」
「………………察しろ。バカ」

 コツン。と軽く後頭部を小突かれ数度瞬く。…………え? え?

「え。嘘。あなた、もしかして私だけ“別”なの?」
「声に出して言うな」

 どこか赤く見える顔を逸らす彼に、思わず口角が上がっていく。

「え〜! やだ〜! 可愛い〜! ねえねえ、あなた今照れてるの?」
「やめろ。無理に覗こうとするな」

 私が顔を見に行こうとすれば途端に方向転換する。まるでネズミのようにお互いクルクル回っていると、最終的に彼に背を向ける形で肩を掴まれ、固定されてしまった。

「フフフ。しょうがないから今のセクハラ発言には目を瞑ってあげましょう」
「悪かったな、疚しい男で」

 随分と機嫌を損ねてしまったらしい。どこか拗ねたような口調で詰ってくる彼にクスクスと笑えば、肩を掴む手の平が熱くなってくる。どうやら恥ずかしいらしい。顔には出さないけどしっかり体温が上がるあたり彼もまだまだ子供だ。
 でも、そんなところが愛しくて堪らない。あんなに何年も連れ添ったのに、今でもこんなに可愛げがあるだなんてちょっとばかし卑怯ではないだろうか。

「で? 部活、どうするんだ?」
「うーん。そんなに言うならしょうがない。テニス部にしようかな」
「……別に、嫌ならやらなくてもいいんだぞ?」

 大した理由もなく勧めたことが今更ながらに心苦しいのだろう。どこか居心地悪そうに零される台詞に緩く頭を振る。

「いいの。私だってスポーツが嫌いなわけじゃないし、折角だから昔は出来なかったことに挑戦するのも悪くないじゃない?」
「そうか」
「うん。だから、もし私がレギュラーになれたら絶対に試合見に来てよね!」
「ああ。何なら弁当を作って応援しに行く」
「やった! 約束だからね!」

 当たり前だが中学の頃からテニスをしていた子に比べれば初心者もいいところだ。だけどこう見えて打たれ強いのだ、私は。だからスロースタートだろうが諦めたりはしない。

「でも見学は明日からにするわ。今日はあなたと一緒にいたい気分なの」

 ポスターを見ればテニス部は園芸部と違って毎日活動している。それに入学式から一週間ぐらいはあちこち部活動の見学が行われているから、初日や二日目に行かなくたって誰も気にしない。
 それよりも今は、やっと心置きなく、色んな話が出来る相手を見つけたのだ。もっと一緒にいたいと思っても可笑しくはないだろう。むしろ元夫婦なのだからもう少しだけ一緒にいる時間を増やしてもいいとすら思っている。
 だからなのか、つい衝動的に腕を組んで体を寄せてしまう。恋人から夫婦になった昔ならいざ知らず、今は再会したばかりだ。それなのにこんな大胆な行動をとる私に彼は目を丸くし、困ったように微笑んだ。

「まったく……。お前には敵わんな」
「んふふ。あなたは昔から身内には甘いからね」
「そうか?」
「そうよ」

 ひとしきり二人で笑いあった後、昇降口に向かって靴を履き替える。空はいい感じに日が暮れ始めており、世界は茜色に染まっている。
 赤々とした西日が眩しくて手を翳せば、後ろから近付いてきた彼が「眩しいな」と呟いた。

「我愛羅くんも運動部、何か入れば?」
「運動部か……。考えてなかったな」
「もしかして苦手?」
「いや。特に好きも嫌いも、得意不得意もないな」
「ふぅん。じゃあ中学の時は何してたの?」
「中学では書道と弓道を掛け持ちしていたな」
「え! 弓道してたの?! 見たい!」

 でも「考えたことなかった」ってことは、弓道そこまで好きじゃないのかしら? 疑問に思っていると、顔に出ていたのだろう。彼から「別に嫌いじゃないぞ」とフォローが飛ばされる。

「だが園芸部があるならそちらを優先したかっただけだ」
「あ〜。ブレないわねぇ」
「まぁな」
「じゃあ今度遊びに行った時に写真見せてよ。あるんでしょ?」

 聞けば、何故か彼の顔が渋くなる。どうしたのだろう。まさか一枚もないとか? まっさかあ。そんなこと言わないわよね?
 不安を覚えつつも返事を待てば、何故か苦虫を噛み潰したような顔でもごもごと唇を動かし始める。

「あー……いや……あるにはあるんだが……」
「何よう。ハッキリしないわね」
「その、何故かアルバムがテマリの部屋にあってだな……」

 ん? テマリさんの部屋に? 何故?
 首を傾けて続きを待てば、彼は困ったように――あるいは照れたように後頭部を掻くと、今生での家族の様子を話し出す。

「それが……、ほら。俺には昔の記憶があるだろう? それで、小さい頃に記憶のない家族たちに向かって『俺は本当に愛されているのだろうか』と聞いたことがあったらしくてな。テマリや母さんが『愛情不足なのかもしれない』と深刻に受け取った挙句、何故かその……で、溺愛される羽目になってだな……」

 あ〜。成程。読めたわ。つまり、

「ブラコンになったお姉ちゃんに愛されてるわけだ?」
「うぐっ! あ、あまり言ってくれるな……。これでも恥ずかしいと思っているんだぞ……」

 実際とんでもなく恥ずかしいのだろう。例え昔の記憶があっても今は年頃だ。姉に溺愛されているなど知られるのは恥ずかしいに違いない。必死に顔を逸らしているけれど、夕日とは違う色に肌が染まっているから照れているのは一目瞭然だ。
 きっとそんなところが可愛がられるんだろうなぁ。とニマニマしたい気持ちをどうにか抑え、彼の背中を数度叩いて励ます。

「それでテマリさんの部屋にあなたの写真があるのね?」
「本当は俺の部屋に置いておくつもりだったんだが、何故かテマリがアルバムを管理していて手が出せないんだ」
「あははっ! よかったじゃない。家族や姉兄の仲がいいのはいいことよ」

 私が言わずともそれを一番理解しているのは彼のはずだ。現に「ぐっ」とつまりはしたが、観念したような体で頷いている。

「それは、分かっている」
「ふふっ。じゃあカンクロウさんとも仲がいいの?」
「まあ……普通じゃないか? テマリに比べたらマシだが、カンクロウも飽きずに構ってくるから不仲ではないな」
「うふふ。仲がよさそうで安心したわ」

 そこまで話してふと思い出す。入学式で見た彼のお母さんのことを。

「そういえば、我愛羅くんのお母さんをこの前の入学式で見たわ」
「ああ……」
「よかったわね。我愛羅くん」

 沢山伝えたい言葉はあるけれど、そのどれを使ったところで最後に行きつく先はこの言葉でしかない。だから色んな意味、色んな感情を込めて彼の瞳を見つめながら言祝げば、彼も嬉しそうに目を細めた。

「――うん。ありがとう。サクラ。いつか、改めてお前に紹介したい」
「うん。楽しみに待っているわ」

 果たしてこの会話がどんな風に聞こえていたのか。私たちは完全に意識していなかった。というか無意識すぎて当たり前みたいな感じだった。
 だって私たちは『元夫婦』。かつてご挨拶が出来なかったご両親を紹介されることに否やはない。むしろどこか楽しみですらあった。
 だけど傍から見ればこの台詞は頂けない。

 入学してたった二日で、私たちは噂の的になってしまうのだった。