- ナノ -

『友』として『夫』として



 ――試合終了のホイッスルの音が鳴り響く。
 途端に体育館内に響いていたシューズが床を擦れる音も、ボールが床を叩く音も止む。そうして男子たちの荒々しい呼吸音が響く中、ナルトが悔しそうな声で「マジかよーーーっ!!」と叫んだ。

「はあ……はあ……俺の、勝ちだな」
「くっそ……! Aクラスって、がり勉の集まり、じゃ、ねえのかよ……!」

 ぜえはあと、肩で息をする男子たちに拍手と歓声が贈られる。
 私のデート権を賭けて(?)行われた試合は意外なことにAクラスに軍配が上がった。というか、私も知らなかったんだけど、我愛羅くんバスケ上手くない?

「おまえ、お前本当はバスケ部なんだろ?! そうなんだろ?!」
「いや。弓道部と園芸部だ」
「全然違うじゃねえか! 何で俺負けたんだってばよ?!」

 嘆くナルトの気持ちは正直言ってよく分かる。だって私も彼があんなにバスケが上手だなんて知らなかったもの。基本ぽやっとしているから運動が得意と言われても「本当に〜?」と言いたくなる感じだし、体育の授業でも男子は常に外だったから実際に動いている姿を見ることがなかったのだ。
 それが意外や意外。バスケ部の男子たちからも「誘っておけばよかった……!」と後悔されるほどに上手かったのだ。
 ……彼って不得意な分野あるの?
 思わず半目になってしまうほど軽やかにコート内を駆け抜けては味方にパスを回し、時にはゴールポストに直接ボールを投げ込んでいた。しかも結構離れた位置から投げても入るんだから、見てる側も「マジで?」となる。
 ナルトは悔しそうにしゃがみこんだまま、睨むようにして彼を見上げた。

「お前さぁ、スポーツ得意なの?」
「苦手な種目もあるが、バスケは得意だ」
「ちっくしょーーーーー!!!!」

 叫ぶナルトの気持ちは本当によく分かる。
 私だって初耳だ。実際周囲にいる女子たちも「我愛羅くんすごかったね!」と興奮気味に口にしている。
 まあね? いいのよ? 別に。得意だってことを黙ってても。
 だからって突然格好いい姿を見せるのは反則じゃない?! “ギャップ萌え”って言葉を知らないのかしらね? 涼しい顔でゴールを決める姿に私が何も思わないとでも思っているのかしら! 例え前世では“妻”でも今はまだ“恋人”なんだから、あまり他の子を誘惑しないで欲しいんですけど!
 なんて震える拳を握って内心で「しゃーんなろー!」と叫ぶ私の隣で、黙って試合を眺めていた彼女が感嘆交じりの声を上げる。

「はー、あんたの旦那すげえな。確かにバスケって背が低い奴がつくポジションあるけどさ、動きがほぼ忍者だったぞ」
「は、はは……。本当にね……」

 実際前世は忍者だったわけですけれども。でも彼女が言うように、ブロックしに来た人たちの横をスルスル抜けていく姿は煙のようでもあった。むしろネズミ? ああ、ト〇とジ〇リーみたいな感じと言えば伝わるかしら。
 それぐらいすばしっこく、ナルトたちがボールを奪う間もなく横を走り抜けていた。ナルトもそれが悔しいのだろう。子供のように拗ねた声で質問をし始める。

「じゃあさ、じゃあさ! お前が苦手な種目ってなんだってばよ?!」
「俺か? そうだな……。一番苦手なのはサッカーだな。あとは未経験種目が幾つかある。テニスやゴルフ、ボクシングやレスリング、柔道や剣道もそうだな。卓球もそう得意な方ではない」
「意外と苦手なものあるんだな……。っていうか、何でサッカー苦手なんだってばよ。お前足速ぇじゃん」

 ナルトの言う通りだ。サッカーと言えばスタミナも必要だが、足の速さも大事だ。彼ならどちらも兼ね揃えているから得意そうなのに、何故苦手なのか。ナルトの質問に対し、息を整えた彼は汗を拭いながら顔を顰める。

「人の足を蹴りそうで怖い」
「優しいかよっ!!!!」

 これにはうちのクラスの男子もナルトと一緒に声を上げて突っ込む。
 あー……。うん。でも、そうよね。この人、他人を傷つけた記憶すら持っているからその手の行為に敏感になっているのだろう。実際苦い顔をして皆からの総ツッコミを受け入れている。

「え?! 何?! お前そんな理由でサッカー苦手なの?! マジで?!」
「誰だって蹴られたら痛いだろう」
「優しいかよっ!!!!」

 これにはサッカー部所属の男子も盛大に突っ込んでいる。むしろその肩を掴んで「もったいねー!」と叫んでいた。分かる。分かるわよ、その気持ち。彼そういう残念なところがあるのよ。昔から。

「じゃあ何でバスケは得意なんだよ」
「ああ……。それはな、中学の時球技大会はバスケ一択だったからだ。俺がいた学校は放課後や昼休みにも練習が出来たから、バスケ部の奴らが特訓してくれてな。その時に色々教わったんだ。あとは球技大会以降も時折誘われて練習に参加することもあった」
「じゃあ何でお前バスケ部に入らなかったんだよ?!」

 今度はバスケ部の二人から詰め寄られている。確かに彼は弓道部だったと聞いてはいたけど、バスケも得意ならバスケ部でもよかったと思う。実際ボールを持って駆けまわる彼は目で追うのも大変なぐらい速かったし、ゴールを決めた時は文句なしに格好良かった。
 ……でもそうなると彼を好きになる子が出てきちゃうかしら。それは避けたいわね。
 とはいえ『どこか残念』な気質がある彼だ。ケロっとした顔で尚も詰め寄るバスケ部員に『入部しなかった訳』を言い放つ。

「中学でも弓道部だったからな。それに見学に行った際、対戦校出身の先輩から『是非入部してくれ』とお願いされたから入った」
「お願いされたから入部したの?! じゃあ俺らもすればよかった!!」
「だが俺の身長では役に立たんだろう」
「そんなもん実力次第だっつーの! プロじゃねえんだからさ! どうとでもなるよ!!」

 バスケ部が悔しがるのもよく分かる。だけど弓道部に加え園芸部にも入っているのだ。今更バスケ部に入部は出来ない。勿論弓道部を辞めれば入部出来るけど、彼はもうレギュラーに選ばれている。その責任を放棄することは出来ないだろう。
 現に「今からでも入部しないか?」と誘う彼らに「レギュラーになったから無理だ」とハッキリと断っている。ほらね。
 こう見ると彼をレギュラーに推薦した先輩の慧眼には舌を巻く。もしかしたら彼の責任感の強さや性格も把握していたのかもしれない。侮れない人ね。……まあ、天然の可能性もあるけれど。

「ま、どっちにしろ嫁の浮気は阻止したんだ。流石旦那、って感じだよなぁ」
「はいはい。そうね」

 ニヤニヤとした笑みを向けて来る彼女に言い返す気も起らず軽く受け流していると、アンコ先生が「はい! ちゅーもーく!」と手を叩く。

「なかなかいい勝負だったが、今回はAクラスの勝ちだ」
「ちぇーっ。でも! 大会本番は絶対ェ負けねえってばよ! 覚悟しろよ、我愛羅!」
「ああ。受けてたとう」

 反省し、かつやる気を出したナルトに彼も口角を上げて応える。それに対しナルトも好戦的な笑みを浮かべ、Dクラスの人たちと共にコートを開けるため下がっていった。
 ……うん。何だかうまくやれそうね。今世での二人も。

「じゃ、アタシたちも試合やりますか」
「そうね。男子にばかりいい格好はさせられないわ!」
「お。やる気じゃん。何々? 旦那を惚れさせようって?」
「アンタって何気に恋愛脳よね」
「なわけあるかあ!!」

 軽口を交わしつつ私たちもコートに入る。先日とは違い、スポーツが得意なDクラスと混在になったためなかなか白熱した試合となった。
 おかげで腕が若干内出血を起こしてしまったが、バレーをやる以上仕方ないことだろう。ヒリヒリする腕を擦りつつも更衣室を出て教室へと戻る。
 そこには既に男子たちが揃っており、彼を中心に軽い輪が出来ていた。

「いや〜、でも流石センセイだよなぁ。勉強も出来て運動も出来て、更には彼女持ちとかリア充すぎでしょ」
「何気に格好良かったしな。Dクラスの金髪に説教してるのもさ」
「あいつ春野さんと同中出身なんだってな。Dクラスの奴から聞いた」
「へえ〜。そうなんだ」

 話題はやはり先程の授業のことだ。試合を含めて様々なことを振り返る彼らの中心にいるのは彼だが、本人はどこか面倒くさそうな顔で皆を見ていた。

「別にそう騒ぐことでもないだろう」
「いやいやいや! あそこまで啖呵切れる奴そういないって! っていうかバスケ得意なら早く言えよ!」
「それな! しかももう弓道部でレギュラー勝ち取ってるとかさぁ〜! お前マジでどうなってんの? 才能マンなの?」
「女を口説く才能に加えて運動神経もいいとか、陰キャの敵ですな!」

 ワイワイと、女子が戻ってきたことに気付いているのかいないのか。いや、絶対気付いてないわ。現に好き放題騒ぐ男子たちは微妙な顔をしている私たちに背を向けている。弾む気持ちに伴い声も大きくなっており、輪に入っていない男子数名はあわあわと彼らと私たちを交互に見遣っては顔を青くしている。
 気持ちはわかるけど、気にしなくていいわよ。慣れてるから。っていうか騒ぐ男子を窘めるのって結構体力使うしね。特に用もなければ関わらないのが一番だわ。
 そう判断して席に座れば、こちらに背を向けていたバスケ部の一人が「でもさー」と声を上げる。

「我愛羅春野さんのこと大好きじゃん? だからDクラスの金髪が春野さんにデート申し込んだ時はビビったわ」
「それな! だって負けたらマジでデートする流れだったじゃん。幾らバスケが得意でもチーム戦だし、負ける可能性もあったわけだろ? よく平気な顔していられたな」

 それに関しては女子たちも気になっていたのだろう。騒ぐ男子をスルーして別の話題を口にしていたのが一変し、揃って彼らへと視線を向けている。
 ……Aクラスって確かに進学クラスなんだけど、やっぱり年相応に恋愛ごとには敏感なのよね……。“お年頃”って奴かしら……。
 隣の席で彼女がニヤニヤと笑っているのを視界の端で捉えつつ、机に向かう私にも幾つかの視線が飛んでくる。
 もう何ていうか、“針の筵”というより動物園に寄贈された珍獣のような気分だわ。全然慣れない。この視線。
 だけど良くも悪くも人前に立っていた男は気にせず――むしろマイペースに水を飲んでいる。いっそのこと羨ましいわ。あの鋼メンタル。私にも分けてくれないかしら。
 なんて考えている間にも、眉間に皺を寄せた彼は皆から寄せられる『好奇心交じりの質問』に嫌そうな顔で律義に答えていく。

「何度も言わせるな。サクラの気持ちはサクラだけのものだ。俺がとやかく言えるものではない」
「でもさぁー、嫉妬とかするだろ。普通」
「そうそう。『俺の女に近寄るなー!』とかないわけ? お前」

 僅かに上がるブーイングの声も彼の前では意味をなさない。実際呆れたように嘆息すると、彼は不服そうな顔をしている同級生たちをグルリと一瞥した。

「一度しか言わんから、よく聞け。俺はな、別にサクラが誰を選ぼうと関係ない」
「――は?」

 これには女子たちもビックリしたのだろう。「え?」とか「どういう意味だろ」とかコソコソ話し合っている。
 普通はそんなこと言われたら「私の事どう思ってんのよ?!」と思うんだろうけど、彼の場合は当てにならないからなぁ……。むしろ逆の意味を持っていたりする。だから最後まで聞かないと真意が分からないのだ。多分今回もそのケースだろう。
 いつの間にかクラス中の意識が彼と私に集中する中、彼は相も変わらず淡々とした口調で持論を口にする。

「“好意”というものは常に変動するものだ。例えサクラの気持ちが移り変わったとしても、とやかく言える権利はない」
「でも――」
「だが、それがどうした」

 へ?
 と彼の周りにいた人たち全員の目が丸くなる。まるで先程の演説兼お叱りの時のように、しんと静まり返る教室の中に彼の声が、言葉が、沁み込むように響いていく。

「サクラが誰を好きになろうが関係ない。俺に至らぬところがあってナルトを好きになったのであれば、再び努力をしてサクラに好きになって貰えばいいだけの話だ」
「――は。え、いや。でも、それって――」
「人の“好意”は永遠に続くものではない。些細なことで嫌いになるなどザラだ。だからこそ人の好意に胡坐を掻いてはいけないし、こちらも相手を思いやり、理解する努力は続けなければならない」

 彼は持っていたペットボトルを机の上に置くと、組んだ膝の上に手を乗せる。そうしてゆっくりと絡めるようにして指先を軽く組むと、ポカンとする男子たちを静かな瞳で見上げた。

「男女というものは、肉体の構造から思考の構造まで、ありとあらゆるものが異なっている。だがそんなこと、生きている人間であれば性別関係なく当たり前にあるものだ。友人だから、家族だから、恋人だから。そんな理由で一から十まで理解出来るわけではない。聞かなければ分からないことなど沢山ある」

 実際“昔”の私たちはそうだった。互いに異国の地で育ち、価値観の違いなど沢山あった。仕事に対する姿勢の違いもあれば、置かれた環境の違いもあった。悩む問題も違った。
 その度にぶつかり、時には支え合い、一緒に悩み、考え、解決策を見出し、寄り添って生きた。その時間は――今でも彼の中にも流れているのだろう。だからこそ彼は紡ぐ。私への『想い』を、皆にも分かるように。

「だから俺はサクラの気持ちも、考えも、否定しない。彼女の言葉に耳を傾け、彼女の気持ちを理解する努力をする。勿論うまく出来ない時も、間違う時もあるだろう。だが初めから『出来ない』と決めつけたくはない。それは彼女にも言えることだ」

 だからナルトとデートをして、ナルトの気持ちを受け取ってもいい。感じ入るものがあればそれでもいい。否定するのも受け入れるのも私の自由だから――。
 そんな彼の言葉に私は「やっぱりね」と思う。彼はナルトの気持ちも大事にしたいのだ。ナルトの好意を、自分が「私を好きだから」という理由だけで邪魔したくないのだ。だって、ナルトは彼にとって『特別』な――“最初”の理解者であり、友人なのだから。

「それでも尚サクラが『ナルトがいい』と言うのであれば、俺は潔く身を引こう。それまでは幾らでも努力をする。料理だろうが勉強だろうが運動だろうが、彼女が俺を好きでい続けてくれるように」

 かつて“私”が彼と付き合いだした頃――“私”は料理が苦手だった。そりゃあお米を研ぐのに洗剤を使ったり、塩と砂糖を間違うような酷いミスはしなかったけど、味付けが濃かったり薄かったり、ちょっと焦げ目がついたりなどは茶飯事だった。
 でも作り続けていくうちに上手く出来るようになったし、彼の好みの味付けも把握出来るようになった。無言で食べ進める彼が「ごちそうさま」の後に言ってくれる「美味かった」の一言が聞きたくて、何度も失敗を積み重ねながらも諦めずに作り続けた。
 それでも彼が作る料理の方が見た目も綺麗で美味しくて――悔しくもあったけど、彼はいつも“私”の料理を「美味かった」と言って食べてくれた。だから料理を嫌いにならずに済んだ。
 子供たちと一緒に材料を切ることもあった。彼と並んで調理する時もあった。その記憶はどれもあたたく、夢で見る度幸せになれた。

 それは彼が私の努力を笑わずにいてくれたからだ。「下手だ」とか「不味い」とか、本当は思っていたかもしれない。だけど一度も口にしなかった。黙って食べ進める姿に緊張した時もあったけど、慣れればどうってことなかった。むしろ「食べている時に話すと口の中が見えて汚いだろう」と言われて納得したほどだ。
 そんな、何事に対しても律義な彼だから、私も「彼の話を最後まで聞こう」と思えるようになった。爾来勝手に怒って邪推して、無意味に傷つくことはなくなった。

「だから俺はサクラに何も強制しない。これが答えだ。理解出来たか?」

 ふぅ。と息を吐きだす彼の姿はどこか疲れているようにも見える。確かにいつもより長く、詳しく喋ったなぁ。とは思う。でもそれだけ皆に自分の気持ちを、考えを伝えたかったのだろう。一見無責任なようでいて実は色々考えている。そんな彼に皆は何を思ったのだろうか。
 私は席を立ち、彼の元へと歩み寄る。

「相変わらずね」
「ん? ああ、聞いてたのか」
「聞こえるわよ。これだけ静まり返ってれば」

 苦笑いすれば、彼も「それもそうか」と頷く。その顔に羞恥の色はない。年齢に似合わない考えや信念を口にしたと微塵も思っていないのだろう。そんな彼に自然と笑みが浮かぶ。

「バスケ、楽しかった?」
「ああ」
「本番も楽しみね」
「そうだな」

 紛れもない本心なのだろう。頬を緩める彼から後悔の念は感じられない。
 真正面からナルトと気持ちをぶつけ合い、ボールを奪い合った。一瞬でもこちらを見ることなく真っすぐゴールポストだけを見つめていた瞳も、ボールを放つ時の伸びた指先も、全部が新鮮で輝かしかった。あんな彼、今世でなければ見ることが出来なかった。
 そう考えるとナルトとの勝負も悪くなかったかも。と思う。

「ナルト達とぶつかる前に敗退せぬよう努めねばならんがな」
「あら。不安なの?」
「バスケはチーム戦だからな。俺だけ本気になってもマークされて点が稼げなければ負ける」
「珍しいわね。あなたが自分から“本気出す”なんて言うの」

 基本的に無言実行の人だったから、こうしてハッキリと口にするとは思わなかった。思わぬ発言に驚きを隠せない私に、彼は「当たり前だろう」と呆れたような目を向ける。

「確かに俺はサクラの気持ちを強制することはないが、“何もしない”とは言っていない」
「ん? どういうこと?」

 首を傾ける私に今までスラスラと思いの丈を口にしていた彼が一瞬口ごもる。だけど『言わなければ伝わらない』ということを知っているからだろう。ため息を一つ零すと言葉を重ねた。

「ナルトの気持ちも尊重するが、“みすみすお前をくれてやる気はない”ということだ」
「ああ、そういうこと」

 だから『本気』で勝負をする。勝負を仕掛けてきたナルトの気持ちも無碍には出来ないから。
 だけど手加減をし、わざと負けてデートをさせるのもイヤなのだ。この人は。
 器用なようで相変わらず不器用な人だ。だけどそんな彼が改めて愛おしくなり、思わず声を上げて笑ってしまう。

「あなたって本当に可愛い人ね」
「そんなことを言うのはお前ぐらいだ」

 肩を竦める彼に再度笑い、ちょっとした悪戯心が頭を擡げたので少しだけ揶揄ってみる。

「テマリさんやお母さまからは言われないの?」
「家族をカウントするな。あの二人はちょっと……俺も手に負えないから管轄外だ」
「あははっ。何それ」

 愛されている自覚があるけど、愛され過ぎてどうしたらいいのか分からないのだろう。眉間に皺を刻む彼を笑えば、彼は長く息を吐きだした後組んでいた手を解き、私の手を取る。

「負けてやるつもりはないが、ナルトの気持ちも慮って欲しい」
「ええ。分かってるわ。“友達”だもの」

 今の一言が既に答えなのだが、彼は表情を和らげるだけだった。……本当、優しい人なんだから。

「しょうがないからナルトが負けても話ぐらいは聞いてきてあげる」
「そうか。優しいな、お前は」
「誰かさんに似たのよ。ほら、付き合うと相手に似てくる、って言うじゃない?」
「俺はそこまで慈悲深くはないんだがな」
「ナルトに関しては別でしょ?」
「ああ……。それもそうか」

 頷く彼に「そういうことよ」と告げれば手が離れていく。だけど私の気持ちも尊重してくれるのであれば、これだけは言いたかった。

「でも――負けないでよね」

 私はあなたのものだから――。
 例え保健室でのやり取りを覚えていないのだとしても、私はあなたの手を取ると決めたのよ。

 皆の前では言えないから口にはしなかったけど、何となく伝わったのだろう。彼は「当然だ」と不敵な笑みを口元に曳いた。

 と、ここに来てチャイムの音が鳴り響く。同時に教室の扉が開き、古典担当の紅先生が顔を出す。

「皆ー、授業始めるわよー。席につきなさーい。……って、どうしたの? そんなに静まり返っちゃって」

 首を傾ける先生に「何でもないでーす」と返しつつ席に戻る。彼の周りにいたクラスメイトものろのろと自分たちの席に戻り、昼休み前の授業をいつもよりぼーっとした顔で受ける。

 ……ま、これで彼が私に向ける気持ちが生半可なものじゃないと分かったでしょ。
 実は揶揄われることよりも疑われる方がイラっと来るのよね。だから金輪際彼の想いを疑って欲しくはない。彼は男性の中でもかなり一途なのだ。浮気性の人たちと同じにしないで欲しい。
 私はひっそりと授業を受ける背中を見遣り、ここが教室じゃなければキスの一つでもしたのになぁ。と彼の名前をノートの隅っこに書いてはグルグルと丸で囲んだ。

 募る気持ちは時を超えても色褪せず、むしろ新たに色を増やしていく。

 紅先生の落ち着いた声音を聞きながら、丸で囲んだ名前の後ろにハートマークを一つだけつけ足した。