- ナノ -

パパのHPはもう0よ!



 彼と別れ、キッチンにいた母に貰ったフラワーケーキを自慢し始めてすぐのことだった。

「サクラーーーー!!」
「え? なに?」

 ガチャッ、バタン! と勢いよく玄関が開いた音がしたかと思うと、大きな足音を立てながら父親がリビングに駆け込んでくる。
 普段なよっとしている父の顔色は青く、額には汗が浮いている。思わず『事故でも起こしたのか』と言いかけたが、寸でのところで抑えて母と一緒に「どうしたの?」と問いかける。すると何故かガッシリと肩を掴まれた。

「サクラはまだ高校生だよ?!」
「は? 何当たり前のこと言ってんの?」

 咄嗟のこととはいえあまりにもアレな発言につい突っ込んでしまう。でも母も同じように「頭大丈夫?」と辛辣な言葉を返しているのでセーフと言えなくもない。
 母子から揃って冷たい突っ込みを入れられたにも関わらず、父は負けじと――というかかなり必死な形相で訴えかけてくる。

「そりゃあお父さんも周りのパパたちから『女の子はあっという間に成長するよ』とは聞いてたけど、流石に早すぎるんじゃないかな?!」
「だから何が」

 気持ちが急いているのは分かるが何を言いたいのかさっぱり分からない。こんなことで会社で上手くやれているのだろうか。
 密かに不安を抱いていると、横に立っていた母が代わりに父を宥めてくれる。

「ちょっとお父さん、いいから落ち着きなさいよ。言いたいことが少しも伝わってこないわよ?」

 私も頷くことで同意すれば、父も頭が冷えてきたのだろう。顔色は変わらずとも「そ、そうだな」と一度深呼吸する。そして改めて私を見下ろした。

「お父さんは早いと思います」
「だから何が」

 何度同じやり取りをするつもりだろうか。呆れからくる溜息を一つ零せば、何故か父の目に涙が浮かんでくる。何でよ。

「サクラはまだ子供だと思ってたのに、あんな……! 幾ら周りが暗くても、公道でき、キスするのはお父さんどうかと思う!!」
「え?!」

 半ば叫ぶように告げた父に反応したのは母だけだ。しかも驚きというよりも好奇心的な方向で。目撃されていた私はと言うと、何て言うか……「あー、見られてたのかぁ」という微妙な気持ちだった。『恥ずかしい』というよりは『面倒だな』って感じ。彼氏が出来たことを伝えていたのは母だけなので、父からしてみればショックなのだろう。
 気持ちは分からなくはないんだけど、かといって同情心は特にない。というか――

「結婚式の練習だと思えばダメージ少なくない?」
「少なくないよぉ!! お父さん大ダメージだよぉ!!」

 ダメだったか。
 隣に彼がいれば舌打ちの一つでもしていたかもしれない。あ。でもあの人扱いに容赦がないのは姉兄に対してだけだから、この場にいてもきっと困った顔するぐらいだわ。

「まあまあサクラ! あんたって子は……!」

 なんて考えていると母にまで背を叩かれ、何かと思えば年甲斐もなくキラキラとした瞳を向けられる。

「やるじゃない! 流石お母さんの娘!」
「お母さん?!」

 父の悲鳴のようなツッコミが入るが、やはり母は娘の味方だ。私はすかさず母に向かって強く頷く。

「やっぱり恋は勝ち取りにいかないとね」
「そうよ。むしろ女にとって恋愛は一大行事、一大イベントなんだから。特に高校生なんてあっという間よ? 楽しまないと」

 何度も頷く母とは違い、二対一になってしまった父は真っ白に燃え尽きている。……そんなにショックかしら。

「と、とにかく! お父さんは認めません!」

 項垂れていた父も、自棄になったのだろう。彼のことを知りもせずにそんなことを言い出すものだから母と揃って講義する。

「ちょっと待ってよ! 彼のこと何も知らないのに認めるとか認めないとか勝手に決めないで!」
「そうよそうよ! あたしだってまだ会ったことないのに!」
「なに?! お母さんにも内緒だったのか?!」
「いや。お母さんにはすぐ言ったけど」
「お父さんだけ仲間外れだったのか?!」

 ただでさえダメージを受けていたのに自分だけ教えられていなかった事実に更にダメージを受けたらしい。父はフラリ、と踏鞴を踏むと、そのままリビングのソファーに泣きつくようにして顔を伏せる。

「お母さんもサクラも酷いよ! どうしてお父さんには内緒だったんだ?!」
「だってこうなること分かってたし」
「ねえ?」

 母子共に頷きあえば、益々父は泣き崩れていく。もうどっちが子供だか分んないわね、これ。
 それでもまだ文句を言い続けるから、最終的に私が切れた。

「そんなに言うなら今度連れてきてあげるわよ! 彼がどんなに素敵な人か、その目で確かめるといいわ!!」
「我が娘ながら威勢よく惚気るわねぇ〜」

 軽く茶々を入れられたけど、気にしていたら先に進めない。とりあえず、彼が如何に器用で(私に対して)思いやりがあるか実際に見てもらうことにする。

「ところでお父さん。話は変わるけど、これを見て」
「へ?」

 クッションを抱きしめグズグズしていた父に向って彼が作ってくれたフラワーケーキを見せる。

「コレ、どう思う?」
「え。すごく高そうだなぁ、と思うけど、どうしたの? 今日何かあったっけ?」

 うちは家族皆甘いものが好きだ。父も見目麗しいケーキに一瞬驚きに目を丸くしたが、すぐさま食い入るように眺め始めた。
 そんな父に向かい、私と母はにんまりと笑みを浮かべながら誰が作ったのかを教えてあげる。

「あのね、お父さん。このケーキ、彼が“私のために”作ってくれたの」
「え゛」

 子供のようにケーキを見つめていた父の全身が硬直する。そうして暫くケーキと私の顔を交互に見遣った後、恐々とした様子で「彼は、パティシエなのかい……?」と見当違いなことを呟いた。

「違うわよ。同じクラスの男の子。手先がすっごく器用で料理上手なの」
「いやいやいや! 料理上手の域超えてないか、これ?!」
「そうよねぇ〜。でもサクラのために作ってくれたんですって。いい子じゃない」

 普通『手作りケーキ』といったら味は市販品には劣るけど可愛くデコレーションしたり、個性的なものが多いんだけど、これは黙っていればマジで売り物だと思うぐらい精巧に出来ている。父が疑う気持ちもよく分かる。むしろ知ってもらわなければならない。彼が如何に素晴らしく(料理上手な)人であるのかを……!

「彼、昔からお母さまと一緒によくお料理しているみたいなの」
「あら。親孝行してるのね。本当にいい子じゃない」

 お母さま曰く、彼は小さい頃から一緒に台所に立っていたみたい。本人も記憶があったせいだろう。早々と料理の腕を上達させ、今ではお母さまに次ぐ台所番なのだとか。
 実際今日食べさせてもらった唐揚げ美味しかったしね。本当、器用な人だ。
 それにガーデニングだけでなくフラワーアレンジメントも母子揃って楽しんでいるとも聞いた。実際に教室に通っているのはお母さまだけみたいだけど、彼はお母さまから聞いた話や動画、書物から得た知識を参考にして色々と活けているそうだ。
 実際庭だけでなく、リビングなど随所に飾られていた花はどれも見栄えが良くて綺麗だった。証拠として、お母さまの許可を得て撮影させて貰っていたそれらを見せることにする。

「これ、彼が活けたのよ」
「まあ! すごいじゃない。綺麗ねぇ〜」
「こっちは彼のお母さまが活けた作品で、こっちが彼なんですって」
「まあまあ! 男の子なのにお母さんと趣味が同じだなんて、すごいわねぇ〜。早くうちに連れて来てよ」

 キャアキャアとはしゃぐ母に対し父は完全に拗ねたのか、口を噤んでクッションを抱きしめている。それでも時折チラチラと視線を寄こすので、仕方なく父にも写真を見せてあげた。

「ほら、お父さんも」
「うん……」

 拗ねつつも写真を見るところは大人なのか、それとも単に好奇心が勝ったのか。どちらにせよ子供みたいに癇癪起こして「いやだ! 見たくない!」と言われても困るからいいんだけどね。

「綺麗に活けてるでしょ? 彼はね、植物を育てるのが好きで、料理上手で、家族のことも私のこともすごく大切にしてくれる優しい人なのよ」
「でもまだ高校生だし……。それに男なんてね、羊の皮を被った狼だよ」

 口を尖らせながら顔を逸らす父に溜息を零したくなる。
 まあ確かにちょっと手が早いところはあるけど、それは私が“元妻”だからだ。私に記憶がなければあんなことしなかった、と言っていたし、実際他の女子にはむやみやたらと触れたりしない。
 だからここはぐっと堪えて携帯をポケットに戻し、ケーキの箱を父から遠ざけた。

「あっそ。じゃあこのケーキは私とお母さんだけで食べるから」
「え゛」

 何気に甘いものが好きな父だ。咄嗟に浮かべた残念そうな顔に母と共にニヤリと口元を歪めれば、すぐさま「いいもん! いらないもん!」とこれまた子供じみた声を上げながらクッションに顔を埋める。
 その歳で「もん」はやめてよ「もん」は。恥ずかしい。
 母も同じ心境なのだろう。すぐさま腰に手を当て眉を吊り上げる。

「ちょっと、お父さん。さっきから子供みたいな態度取らないでよ。恥ずかしいじゃない」
「恥ずかしいとは何だ! サクラに彼氏が出来たっていうのに!」
「いいじゃない。彼氏の一人や二人」
「二人はダメだよ?! いや、一人でもダメだよ!」

 今度は母と言い合いになる父だが、どうせ口喧嘩では敵わないんだからやめておけばいいのに。
 私はため息を一つ零すと、ケーキを冷蔵庫に仕舞ってから部屋へと向かう。そして鞄を置きつつ彼に『今度うちに来て欲しい』とメッセージを飛ばした。

 それからお風呂も夕飯も終えた夜十時過ぎ。私は彼から電話が掛かっていたことに気付き、折り返し電話すれば『何かあったのか』と尋ねられたので素直にあらましを話した。

『それは何と言うか……。すまないと言うべきか、お疲れさまと言うべきか……』
「全くよ。折角あなたから貰ったケーキを美味しく食べてたのに。お父さんったらずーっと恨みがましく見つめてくるのよ? だから最終的にはお母さんと大喧嘩になっちゃって」

 まあ結局は負けてたんだけどね。お母さんアレで口が達者だから。
 そんな私の回想兼愚痴に付き合ってくれた彼はというと、暫く何か考え込むように黙った後確かめるように名前を呼んで来た。

『都合がよければ今度の週末にでも伺おうか』
「そうねぇ……。私は平気だけど、一応聞いてみるわね」
『ああ。無理なら来週でも再来週でも構わない。ご両親の都合がいい日に合わせよう』
「そう? じゃあ後で聞いておくから、また連絡するわね」
『ああ。俺も“いい加減挨拶に行かなければ”と思ってはいたんだ。先延ばしにしたツケが回って来たな』
「えー? そんなに気にすることでもないと思うんだけど」

 だって言ってしまえばまだ高校生なのだ。
 勿論『ご公認』ともなれば交際が楽になるかもしれないけど、本格的に菓子折りを持ってスーツを着て挨拶をするような歳ではない。もっと気楽に付き合っていいと思うんだけど。
 でも彼は違うみたいだ。苦笑いでもしているのだろう。柔らかくも困ったような声で『お父さんの気持ちも分からなくはないからな』と答える。

 あー……。そうか。そういえばそんなこともあったわね。あの人も“昔”娘がいた身だった。その辺のことも私よりずっと沢山覚えているのだろう。なら私がとやかく言う事でもないか。

「分かったわ。それじゃあまた明日連絡するわね」
『ああ。よろしく頼む』
「うん。それじゃあね。おやすみなさい、あなた」
『ああ。おやすみ。また明日』

 付き合いたてのウザカップルならここで『どっちが先に通話を切るか』とかでワチャワチャするんだろうけど、私たちは付き合いの長い“元夫婦”だ。潔く通話を切る。
 そうしてベッドに潜りながら(部屋から出るのが面倒だったから)両親の携帯に『彼が都合がよければ今週の休みに挨拶に来るって』とメッセージを飛ばせば、母からはすぐに『OK! 待ってるわ!』と派手なスタンプ付きで返信が来たけど、お父さんは翌朝になっても黙っていた。
 正直元社会人である私は「急なことだけど大丈夫かしら?」と不安視していたんだけど、結局父からは帰ってくるまで返事が来ることはなかった。その分玄関を開けると同時に「望むところだぁ!」なんて叫んできたけど。どうやら覚悟を決めるのに夜まで掛かったみたい。教えてくれた母と一緒に若干呆れはしたが、会う覚悟が出来たならとやかく言うつもりはない。
 彼にも『大丈夫だって』とメッセージを入れればすぐに『そうか。分かった』と返事が来たので、週末までの二日間をいつも通り過ごしたのだった。

 ――そして迎えた土曜日。
 本来なら部活に行くんだけど、今日は事情が事情なので休みを貰った。部長であるテマリさんは彼のお姉さんなので休む理由も知っている。逆に昨日の部活時から何度も「我愛羅を頼むよ」と言われたほどだ。今も体育館でソワソワしているかもしれない。
 でも結婚の許可を得るための挨拶でもないんだし、そこまで身構えなくてもいいのになぁ。なんて気楽に考えていたのはどうやら私だけのようだった。

「ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。サクラさんとお付き合いさせて頂いております。我愛羅と申します」

 制服のブレザー姿で見慣れているとは思っていたけど、いざキッチリとした格好――白いシャツに紺地のジャケット、砂色のチノパン姿――という清楚感が漂うカジュアルスタイルで現れた彼を見て思わず閉口してしまう。
 いや、別に悪くはないのよ。悪くはないんだけど、まだ高校生なんだからそこまでキッチリしなくてもよくない?! と思うわけで。
 それでも手土産にクッキーを用意してくれたり、威嚇するように厳めしい顔をする父を華麗にスルーしてくれたのは有難い。
 母から見ても好印象だったのだろう。リビングに通した後は笑顔でお茶を勧めている。

「話は娘から聞いてるわ。我愛羅くんはお母さまと仲良しなんですってね」
「はい。ありがたいことに趣味が共通しておりますので」
「すごいわよねぇ〜。うちの子も見習ってほしいわ。あ、そうそう! この間はケーキありがとうね! すっごく美味しかったわ! 見た目も綺麗だったし、我愛羅くんって本当に器用なのね」

 だんまりを続ける父に代わってか、いや。単に母が話したいだけなのだろう。弾丸トークのように次から次へと話しかけていく。それでも嫌がることなく律儀に一つ一つ言葉を返していく姿は堂に入っている。
 私の親に挨拶するのは二度目だからかしら? でも今世では初めてだから少しは緊張しているのかも。見た目からは全く読み取れないけど。昔も今もポーカーフェイスだからなぁ。正面から見つめると割と分かりやすいんだけど、横から見るとあんまり分かんないのよね。

「いえ。サクラさんにはいつもお世話になっていますから。せめてもの気持ちです」
「まあまあ! 我愛羅くんったら大人びてるのねぇ。うちのお転婆娘にはもったいないわ」
「どういう意味よ」

 思わず母の言葉に噛みつけば、悪びれた様子もなく「そのままの意味よ」と言い返される。ついイラっと来た私だけど、彼は逆に表情を緩めて母の言葉をやんわりと否定する。

「そんなことはありません。彼女が傍にいる時ぐらいは格好つけたいだけなんです」
「あら! まぁ〜、本当いい子ね、我愛羅くんって」

 彼の気遣いに母も気付いたのだろう。好感度パラメーターがあればうなぎのぼりで上昇中のはずだ。何気に年上キラーなのよねぇ、この人。意識しているかどうかは謎だけど。
 そんな年上キラーな彼にものの見事好感度を上げた母はその後も彼に話しかけ続け、次第に父の方がチラチラと母を横目で見るようになっていた。

「あー……お父さんも何か聞きたいこととかある?」

 母が喉を潤している隙に話しかければ、今までずっと口を噤んできた父がパッと顔を輝かせる。
 やっぱり話したかったのね。お父さんも何気にお喋り好きだから。
 そんな父は軽く咳払いすると、改めて我愛羅くんと向き直った。

「今日は来てもらってすまないね」
「いえ。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありませんでした」

 高校生らしからぬ態度で頭を下げる彼に、母は父を肘で小突き、父も慌てて咳払いをする。

「んんっ、まあ、それはいいとして。我愛羅くんはうちの娘をどう思っているのかな?」

 ん? これはどういう意味で聞いているのかしら。
 母も隣で「何聞いてるのあんた」って顔をしている。多分私も似たようなものだろう。ちらりと隣に座る彼を見上げれば、彼も数度瞬いた後「どういう意味でしょうか」と尋ねる。

「彼女の魅力について語れ、ということでしょうか」
「ちょちょちょ、ちょっとストップ」

 バシッ。と思わず手を伸ばして彼の口を塞げば、何故かキョトンとした目で見つめられる。
 いや。キョトンじゃないわよキョトンじゃ。両親の前で惚気られるとか軽く拷問なんですけど?!
 憮然とする私とは違い、母はニマニマと頬を緩めている。そんな中父は自分の意図が正しく伝わっていないと分かり、すぐさま言葉を変えた。

「そうじゃなくて、真面目にお付き合いするつもりがあるのかどうか聞きたいんだ」
「真面目」

 つまり『健全なお付き合いをしろ』ということなのだろう。ただこの『健全』ってどこまでが範囲なのかしら。『夫婦』としての記憶がある以上、私たちは他の学生カップルたちとは少々異なった関係性を持っている。というか価値観? ぶっちゃけ夜のアレコレの記憶までバッチリ思い出してるから何とも言えないのよねぇ……。恥ずかしいから言ったことないけど。

「でもお父さん。見たことあるから分かってるとは思うけど、キスはもうしちゃったわよ?」
「うぐ! お父さんに大ダメージだからそれは言わないで!」

 初心な少年でもあるまいし。何をそんなにショックを受けることがあるのかと白けた目を向けるが、やはり彼は理解出来るのだろう。私の手を口からそっとどけると、改めて居住まいを正す。

「その質問についてですが、まずは自分の考えをお伝えしたく存じます」
「うん。聞こうじゃないか」
「はい。俺は――いえ。私は、この先も彼女と共にありたいと考えております」
「……つまり?」
「古臭い言い方にはなりますが、結婚を前提にお付き合いしております」

 キッパリと言い切る彼に対し父は再びダメージを受けたのか、胸に手を当て「うぐぐ……」と唸っている。隣に座っている母は逆にテンションうなぎのぼりなのにね。さっきから年甲斐もなく目がキラキラしてるもの。

「我愛羅くんったら、若いんだからそこまで考えなくてもいいのに!」
「いえ。大事なお嬢さんとお付き合いさせて頂いていますから」
「やだもう! お嬢さんですって!」
「いや。言われたのお母さんじゃないから。私だから」

 私が言われて喜ぶならともかく、何でお母さんが喜ぶのよ。
 半ば呆れた気持ちでいる中、半泣き状態の父が俯かせていた顔を上げる。

「本当に、サクラと結婚するつもりなのかい……?」
「はい。勿論彼女が俺を選んでくれるのであれば、の話ですが。俺個人としては、生涯を共にしたいと考えております」

 迷いなく言い切った彼に続き、私も改めて両親に向き直る。

「お父さん。お母さん。私も彼と同じ気持ちよ。彼が望んでくれるなら、私もずっと彼の傍にいるわ」
「うぐぐ……!」
「さっきも言ったけど、二人はまだ高校生なんだから。そんなに急いで先の事考えなくていいのよ?」

 流石に『結婚』となれば話は変わるのか、母が眉根を寄せる。だけど私も彼も今更別れる気はない。というか、彼を厭う理由がないのよね。

「まあお母さんは二人の付き合いには賛成よ。“結婚”についてはまた追々考えればいいことだわ。ね、お父さん」

 ああ、母が『待った』をかけたのは父のためでもあるのか。
 実際目の前で真っ白に燃え尽きている父に彼は冷や汗を流している。うん。気持ちは分かるわ。メンタル豆腐なお父さんでごめんね?

「あ、あの……」
「ああ、いいのよ我愛羅くん。気にしないで。この人ちょっとダメージ受けやすい体質なだけなの」
「そうよ。しょっちゅう凹んでるから大丈夫。時間がたてば回復するから」
「そ、そういうものなのだろうか……」

 おろおろする彼と違い、母と私は慣れたものだ。現に母はカラリと笑い飛ばす。

「いいのよ! さ、二人は遊びにでも行ってきなさい。お父さんはお母さんがどうにかするから」
「ですが……」
「大丈夫よ。また遊びに来て頂戴ね」
「はい。それは、勿論。喜んで」

 流石の彼もどうすればいいのか分からないのだろう。意気消沈している父を心配しつつも、有無を言わせぬ笑顔を浮かべた母に追い出されてしまう。
 そうしてお互い顔を見合わせ――同時に息を吐きだした。

「先走り過ぎただろうか……」
「そんなことはない、とは言えないけど、私も同じ気持ちだし、いつかは分かることだし。いいんじゃない? 黙っておくよりも最初にズバッと宣言しておく方が」
「そうだろうか……。だが、申し訳ないな。お母君に迷惑をかるつもりはなかったのだが……」
「大丈夫よ。メンタル豆腐なお父さんをケアするのは何だかんだ言ってお母さんの役目なんだから」
「そう、なのか?」
「そうよ。あなたもそうじゃない」

 心当たりがないとは言わせない。
 ちょっと意地悪だな。と思いはしたけど分かりやすい例えだと思い伝えれば、案の定彼は「ああ……」と呟き遠い目をする。

「成程。理解した」
「でしょ?」
「ああ。結局どこの家庭でも妻に敵う夫はいないということだな」
「フフッ、そういうこと」

 ギュッと握られた手と零された台詞に思わず笑ってしまう。まあそれはそれとして、母から許可も得たことだし、折角だからこのままデートにでも行くとしますか。
 そう考えて歩き出せば、すぐに彼が「あ」と何かを思い出したように声を上げる。

「そうだった。お前に一つ報告があるんだが」
「なあに?」
「今度弓道の大会があってな。見に来るか?」
「え!? 本当?!」

 思わぬ報告に目を見開けば、彼は至って変わらぬ表情で「うん」と頷く。
 どうやら梅雨前に大会があるらしく、経験者であり、異常なほどの命中率を誇る彼は新入生であるにも関わらずレギュラーに抜擢されたという。驚く私とは対照的に、彼はのんびりと空を見上げている。

「別に選ばれたかったわけではないんだがな。一人で黙々と引き続けていたら先輩と顧問から嘆願された」
「ええ……。あなた一日でどのくらい引いてたのよ」

 だって入部してからまだ一月ほどしか経っていないにも関わらず先輩と顧問から目をつけられるって……。幾ら経験者だとしても異常すぎる。
 気になって尋ねてみたけど、彼は「そんなに多くない」と首を横に振って否定する。

「実際的に向かって射たのは精々五回ぐらいだ。あとはずっと見取り稽古と素引きを繰り返し、時々同級生に聞かれて指導したぐらいだな」
「うーん……。確かに、特別目立つようなことはしてないわね」
「ああ。だから何故選ばれたのかよく分からなくてな」

 ぽけっとした顔で歩く彼だけど、練習中には光るものがあるのかもしれない。思わず考え込みそうになったところで、相変わらずどこか抜けている彼がぽつりと重要な言葉を呟く。

「先輩の中に中学の頃から何度も顔を合わせた人はいるが、特に仲がいいわけでもないしなぁ」
「いやそれ! 絶対それよ! その人から推薦されたに決まってるわ!!」
「え?」
「え? じゃないわよ。え? じゃ」

 キョトンとする彼に、「まったくもう」とため息を零す。以前中学生時代の成績表を見せて貰ったけど、彼が試合に出るようになったのは二年生になってからだ。初めてレギュラーに選ばれたであろう最初の練習試合でもとりわけ好成績を収めていた。そのうえ公式戦でもバシバシ的に当てる生徒がいれば嫌でも顔を覚えるというものだ。
 だって中学の時と変わらず弓道を選んでいると言うことはそれだけ好きってことなんだろうし。やる気のある、あるいは才能のある後輩がいれば声を掛けるに決まっている。しかも今は同じ学校なんだから逃したくはないだろう。

「成程。大して話したことがなかったから覚えられているとは思わなかった」
「あとは先輩の数が少なくて人数合わせ、っていう面もあるけど……。その辺はどうなの?」
「人数は足りているな。だが……そうだな。言われてみれば確かに、俺の方が命中率は高いだろう」

 練習風景を思い出しているのだろう。顎に手を当て呟く彼に呆れてしまう。

「相変わらず鈍いわねぇ」
「すまん。自分の事になるとどうしてもな」
「まあいいけど。それより、試合って見学出来るものなの?」

 弓道ってこう、静かーに、厳かな雰囲気の中、集中して弓を引いているイメージしかないからどんな風に見学が行われているのか想像つかないのよね。
 でも見学自体はそう珍しいことでもないみたい。

「甲子園と違って声を上げての応援は許されないが、観客席自体は用意されている。保護者はよく座って見てるぞ」
「へえ〜。そうなんだ。じゃあ黙って見てる感じ?」
「ああ。だが的に当たれば敵味方関係なく拍手はするな」

 敵味方関係なく、か。スポーツにしては珍しいけど、確かに弓道って“武”よりも“道”っていうイメージの方が強いものね。他者と競うより己と闘う、っていう感じ。だから点数制であってもあんまり敵味方とか関係ないのかも。

「そうなんだ。じゃあ改めて日程が分かったら教えてね。見に行くから」
「分かった」
「よしっ。じゃあ意識を切り替えてデートをしましょう!」
「それはいいが、どこに行くんだ?」

 幾ら両親に挨拶をしたとはいえ、時刻はまだお昼前。時間はたっぷりある。お金は学生だから沢山はないけど、遊ぶ場所は山ほどある。
 でもいのやナルトみたいにゲームセンターに行くイメージもないし、チョウジみたいに食べ放題も行かなそうだし……。遊園地は今から行くと遊ぶ時間が殆どないから微妙だし、残るは水族館か映画か……。うーん。どうしようかなぁ。

「あなたはどこか行きたい場所ある?」
「俺か? そうだな……」

 うーん。と顎に手を当てて考え出した彼は、何か思い浮かんだのだろう。パッと顔を上げると私の目をまっすぐに見つめて口を開いた。

「カラオケ」

 ………………え? カラオケ?

 彼の口から出たとは思えない単語につい口を開けてしまう。そんな間抜け面した自分の顔を、暫く彼の瞳越しに見つめていた。