長編U
- ナノ -

円 -12-



 風の国でのクーデターが成功してから早数日。現在のサクラ達はと言うと――。

「うっ、くっ……!」
「我愛羅くん、もう少しよ! 頑張って!」
「はぁ、はぁ、はぁ……ぐっ……!」

 目覚めた我愛羅が里に戻ったのは、あれから暫く経ってからだった。

 神経にも作用する毒が体中に回っていた我愛羅はどうにか一命を取り留めたものの、すぐにはベッドから起き上がることが出来なかった。そのうえ国も里も後処理に追われごたついており、我愛羅自身まだ休息が必要であったため、例の診療所で数日入院していたのだ。
 その間泥のように眠り続けていたため、多少顔色はよくなった。その後カンクロウが再度我愛羅を背負って里へと連れ帰り、現在は砂隠で入院生活を送っている。
 幾ら解毒が成功したとはいえ、やはり完全ではなかった。指の曲げ伸ばしや屈伸運動、歩行など、あらゆる面で問題が出たのだ。そのためリハビリをする必要があり、連日歩行の練習に精を出している。

 だがその間守鶴が表に出てくることは一度もなく、羅砂を始めとした多くの人間が肩透かしを食らう羽目になった。
 それに関しては我愛羅も『守鶴はもう暴れない』と伝えていたのだが、疑うのが大人の性と言うやつだ。今でも我愛羅が寝入っている時は数名の忍がどこかから監視しているようだが、サソリ曰く『労力の無駄』らしい。そのうち風影も止めるだろうよ。とサクラに話していた。

「はっはあ。何だか赤子に戻ったみてぇだよなぁ」
「……そうだな」

 初め、我愛羅は自身の力でまともに起き上がることが出来ない事実に愕然していた。だがサクラが懇切丁寧に症状の説明をしたうえ、意気消沈する我愛羅に『リハビリを続ければちゃんと歩けるようになるわ』と励ましたのが功を奏したのだろう。
 えっちらおっちらと両脇のバーに捕まりながら一歩ずつ前に進んでいく背中を、サソリは共に様子見に来ていた羅砂と一緒に眺める。

「んで? アンタはいつまでこんな場所にいるんだ?」
「………………」

 我愛羅のリハビリが始まってから既に一週間は経っている。初めは手を握る。上体を起こす。というところから始まり、その次に立つ、座る。の練習。
 それが出来てから屈伸運動、準備体操。そして歩行へと移っていったのだが、我愛羅はたかだか数メートルを歩くのにも苦労しており、既に十分近くが経過している。

「ったく、会いに行けねえなんてアンタも素直じゃねえよなァ」
「放っておけ」

 入院が決まった当初、我愛羅が来ることに院内は震撼し、中には絶対に嫌だと恐怖に震える者もいた。が、今では共に病院暮らしである。
 そうしてサクラ以外に我愛羅を担当することになったのが、今年アカデミーを卒業したばかりの“マツリ”という名の少女であった。

「我愛羅様! あともう少しです! 頑張ってください!」
「頑張れ我愛羅くん! あと三歩、いや、四歩!」
「はあ……はぁ……。分かったから、少し、静かにしてくれ……」

 全身汗だくになりながらも、我愛羅はまだ上手く動かぬ足を一歩前に踏み出す。途端に疲労でか、体幹が崩れそうになる。が、咄嗟に手すりで体を支え、苦しそうに息を零す。それでも立ち止まることなく前を向き、また歩き出した。

「……あんな姿の我愛羅を見るのは、初めてだな」

 羅砂の記憶の中に、幼い頃の我愛羅の姿はあまりない。己が傍にいると情が移り、きっと厳しく育てることが出来なくなる。それに、我愛羅を傷つけてしまう。
 そう判断した羅砂は赤子の頃から我愛羅を夜叉丸に任せ、自身は殆ど育児を放棄していた。
 だが夜叉丸は羅砂に逐一報告した。今日はハイハイを覚えたとか、物に掴まり立ち上がろうとしたとか。だが結局立ち上がれず、転んで泣いてしまったこととか。例えこの目で見ていなくとも想像出来てしまうほどに、それらは頻繁に報告された。

「あの子も昔はああして歩く練習をしていたのかもしれないな」
「そりゃそうだろうよ。俺にはガキがいねえからハッキリとは断言出来ねえが、人間誰しもそこから始まるんだ。坊ちゃんも例外じゃねえよ」

 ようやく端から端まで歩くことが出来た我愛羅は安堵の表情を見せ、サクラは穏やかに微笑みながら我愛羅の汗を拭っている。そうしてマツリはカルテに筆を走らせると、我愛羅に何事かを身振り手振りで説明し、呆れたような表情を向けられていた。

「ククッ、あの仏頂面がトレードマークの坊ちゃんが、あんな表情をするようになるとはなァ。変わったもんだぜ」
「……そうだな」

 何を言われたのかは分からないが、顔を赤くするマツリにサクラが笑い、我愛羅も穏やかに口の端を緩める。
 ――知らぬ間に随分と優しい顔をするようになった。羅砂は改めてそう思う。

「………………」

 サソリはどこか切なそうな、けれど嬉しそうにも見える、何とも言えない表情をする羅砂を横目で捕えてから息を吐く。まったく手のかかる親子である。
 特にお節介焼きでも何でもないのだが、どうにもこの家族とサソリは縁があるらしい。旧友のことも含め、もはや腐れ縁なのかもしれない。サソリは「仕方ねえか」と後ろ頭を掻くと、リハビリ室の窓に手をかけた。

「よォ、坊ちゃん。元気かァ?」
「む。サソリか」

 我愛羅の左後ろ側の窓を開けたサソリの声に反応し、我愛羅が振り向く。――が、その視線はサソリを捕えるよりも早く、その隣に立つ父親を捕えていた。

「――とう、さま」

 羅砂はサソリの左隣に立っていた。だから我愛羅が振り返った時、必然的に羅砂が初めに視界に入る。つまり計算したうえでこの窓を開けたのだ。この男は。

「サソリ、お前な……」
「うーるせえ。素直じゃねえアンタら親子が悪ィんだ。俺ァもう行くぜ。あとはアンタがどうにかしな」

 風影に対しここまで無礼な態度を取る人間などそういない。羅砂は諦めたように息を吐きだすと、どこか緊張した面持ちのまま己を見つめる我愛羅を見下ろした。

「少し、いいか」
「……はい」

 まだ歩行が十分ではない我愛羅を車椅子に乗せ、サクラがそれを押そうとする。だがサクラがハンドルを掴む前に、羅砂がそれを制した。

「私が押そう」
「へ? あ、そ、そう、ですか」

 サクラだけでなく我愛羅も驚いた表情を見せたが、羅砂に「動かすぞ」と言われれば素直に頷いた。

「あの、サクラさん……」
「あ、ああ。大丈夫よ、マツリちゃん。きっと大丈夫」

 不安げな表情を見せるマツリも、どうやら羅砂と我愛羅の関係が思わしくないのを雰囲気で察したらしい。
 マツリも当初は我愛羅の担当になったことで緊張やら何やらでビクビクしていたが、今まで自身が聞き及んでいた情報とは異なる我愛羅の姿に肩の力を抜き、今では良好な関係を結んでいる。
 おかげで今ではすっかり我愛羅に親身になったマツリに、サクラは安心させるように微笑んだ。

 何せ今の今までサソリが羅砂の傍にいたのだ。サソリは食えない男ではあるが、この里で唯一我愛羅を見続けてきた男だ。悪いようにはしないだろう。そんな信頼に似た思いがサソリに対してはあった。

(普段は全然そんなことないんだけどね)

 普段は風影が相手であろうと物怖じせず発言はするわ、揶揄うわで、いっそ周囲の方が肝が冷えるのだが、あれで引き際は見誤らないし、必要なことはキチンと伝える男だ。
 おそらく今回も羅砂に何某かのアドバイスをしてから窓を開けたのだろう。でなければずっと遠くから見つめるだけだった羅砂が自ら接触してくるはずなどないのだから。

「風影様が何を考えているのかは分からないけど、きっと大丈夫よ。今の我愛羅くんなら」
「そう、ですよね」

 不安に思うマツリの気持ちも分かる。サクラとて百パーセント大丈夫かと聞かれれば正直詰まる。だが我愛羅も成長したのだ。もう自ら殻に閉じこもることはしないだろう。
 それに今では我愛羅を全面的にバックアップしてくれるテマリとカンクロウがいる。だから我愛羅も決して独りではない。それを理解しているからこそサクラは二人の背を黙って見送った。

「さ。我愛羅くんたちが戻って来る前に他の仕事しようか」
「はい!」

 颯爽とリハビリ室を出て行くサクラ達とは反対方向に進んでいた我愛羅はというと、羅砂に連れられるまま入院病棟の休憩スペースに来ていた。

「……あの、」

 普段は多少人がいるはずなのだが、何故か今は人っ子一人いない。もしや予め人払いを済ませていたのでは? と疑いたくなるほど、辺りはしんと静まり返っていた。
 そんな微妙な気まずさを感じつつ我愛羅が口を開けば、我愛羅に背を向け、窓の外を眺めていた羅砂が振り返る。

「話、とは……。何でしょうか」

 牢に入る前、己に啖呵を切ったとは思えぬほど緊張している我愛羅に対し、羅砂はどうしたものかと思いつつ対面に腰かける。
 その瞬間我愛羅は僅かに目を逸らしたが、すぐさま戻した。それだけでも大きな変化だ。羅砂はおくびにも出さなかったが、内心では感心していた。

「……リハビリは、どうだ」
「はい。担当医からは順調だと言われました。このまま続けて行けば近いうちに退院出来るだろう、とも」
「そうか。よかったな」
「はい」

 しかし元より口下手な二人である。訪れる沈黙に我愛羅は額に汗を浮かべ、羅砂も困ったように咳払いする。当然そんなことをしても空から話題が降ってくるはずもない。暫し沈黙を堪能した二人は、同時に視線を逸らした。

(これは、一体どうすればいいのだろうか……。俺から何か言うべきなのか? しかし何を話せば……。守鶴についての報告は既に済ませたし、サクラや木の葉丸達についても嘆願書は提出した。改めて口で説明する必要はないだろう。そもそも父様から話があるというのに、こちらから話題を振っては失礼なのでは? ああ……。こういう時はどうすべきなのか……。テマリかカンクロウ辺りに聞いておけばよかった……)

(今までまともに話してこなかった罰か。何から話せばいいのか分からんな。そういえばテマリやカンクロウともこうして面と向かって言葉を交わしたことは無かったような……。うぅむ。困ったな……。会話の糸口が見つけられん)

 不器用な所がそっくりな親子は互いに視線を逸らし続けていたが、先に思考の海から戻ってきたのは我愛羅だ。おずおずと羅砂の顔色を伺いつつも「あの、」と口を開く。

「父様に、聞きたいことがあります」
「何だ。言ってみろ」
「――母様の、ことです」

 あの暗闇の世界から戻る時。出逢った母は我愛羅に『愛している』と言った。
 だがあれは我愛羅にとって都合のいい夢だったのではないか。妄想だったのではないかと、時間が経つごとにそんな考えが頭をよぎった。
 守鶴から自身を守る砂は母のものだと聞いていた我愛羅が改めてそれを問えば、羅砂は暫し逡巡した後「少しばかり違うな」と守鶴の説を否定した。

「確かにあの砂に含まれているのはお前のチャクラだけではない」
「では、」
「だが母のチャクラではない。あの砂は、お前を愛する加瑠羅の心――“愛”そのものだ」
「母様の――愛?」

 目を丸くする我愛羅に、羅砂は神妙に頷く。そして羅砂は、我愛羅が加瑠羅の腹に宿った頃からの話をとつとつと語り始めた。

「お前が守鶴の適合者になれるかもしれないと説明された時、加瑠羅は命をかけてお前を守ることを決心していた」
「では、俺は――」

 我愛羅は夜叉丸に『自分は愛されてなどいなかった』と教えられた。しかしあれは嘘だったのかと項垂れれば、羅砂は軽く吐息を零し、瞼を閉じる。

「夜叉丸はお前に『己を殺させた』という罪の意識を持たせぬよう、そしてお前が自分なしでも生きて行けるよう、わざと突き放したのだろうな」
「ッ、」

 例えそうであったとしても、幼い我愛羅にとってはあまりにも酷な出来事だった。今更夜叉丸を責める気はないが、それでも我愛羅の心は鈍く疼く。
 夜叉丸が心の傷は癒えないと教えたように、夜叉丸につけられた心の傷は未だに我愛羅の心を深く抉っている。
 そんな我愛羅を観察するように、羅砂はじっとその姿を見つめる。

「我愛羅。お前は、夜叉丸が憎いか?」
「……いいえ」
「では俺を……憎いと、そう思うか?」
「ッ!」

 心臓を押さえ、俯いていた我愛羅が弾かれたように顔を上げる。驚きに満ち溢れたその表情を見つめながら、羅砂はもう一度「俺が憎いか」と問う。
 その瞳は逸らされることなく我愛羅を映していたが、我愛羅もまた、同じだけまっすぐと父親の顔を見つめていた。

「…………俺、は」

 額に汗を滲ませた我愛羅の視線が再び床へと落ちる。だが羅砂は口を噤んだまま、我愛羅の言葉を待った。今までの二人では決して見ることの出来ない、“親子”としての不器用な触れ合いだった。

 暫くの間我愛羅は言葉に悩む様に黙し、視線も彷徨わせた。だがそのうち腹を決めたのだろう。俯かせていた顔を徐々に上げていく。

「俺は、ずっと、父様のことを……父様のことが、………怖かった」
「……そうか」
「父様は、何度も俺を殺そうとした。独りになる俺を、助けてはくれなかった」
「そう、だな」
「……だけど、今は、」
「……今は?」

 ぎゅっと胸元を押さえながら俯き、唇を噛みしめる我愛羅の肩が震える。フーフーッと獣のような呼吸を繰り返し、けれどそれを落ち着けるように一度深く息を吸うと、ゆっくりと吐きだしてから顔を上げる。

「だけど、今は――。誰よりも、あなたに認めてもらいたい。……そう、思っています」

 我愛羅にとって羅砂は形容しがたい不思議な存在だ。父親であり、命を狙う敵であり、風影であり、家族である。
 一番近いようで一番遠くにいる。それが我愛羅にとっての“羅砂”であった。

「俺は、父様に認めて欲しい。道具としてでもない。兵器としてでもない。一人の忍として、砂隠の忍として、あなたに見て欲しい。認めて欲しい」

 我愛羅の中で羅砂は己を道具として見る“風影”というイメージの方が強かった。父親というよりも、己を監視する長であり、絶対的な力の象徴でもあった。
 しかし羅砂は我愛羅の言葉に僅かに目を丸くし、すぐさま自嘲の笑みを浮かべ、視線を逸らした。

「そうか……。お前には、俺がそう言う風に見えていたんだな」
「ッ!」

 一瞬羅砂の心を傷つけたのかと我愛羅の顔が青褪めるが、羅砂は顔を上げるとどこか自嘲気味に頬を歪め、首を横に振った。そこに我愛羅を責める色はなく、ただただ、何かを悔やんでいるようだった。

「すまなかったな、我愛羅。お前を砂隠の忍として、砂隠の一員として、見ていないわけではなかった。だがお前に汚い仕事を回したのは、紛れもなく俺自身だ。お前がそう思うのも無理はない」
「父様……」

 羅砂は確かに我愛羅の中に眠る“守鶴の力”を兵器として見ていた。だがその器である、我愛羅自身のことは一度して“兵器”として見たことなどない。例え傍から見れば歪だったとしても、羅砂の根底には“我愛羅は我が子だ”という意識がある。
 だがそれは正しく伝わることはなく、お互いにずっと誤解したままだった。もうずっと、十年以上もの間。二人はすれ違い続けていたのだ。

「だが俺は見ての通り不器用な男だ。言動も行動も、まともにお前たちに気持ちを伝えてやることが出来ない」
「それは……!」
「何も言うな。出来ることなら変えてみたいが、こんな職業だ。もうこの性格を変えることは出来ん」

 羅砂は国と里との間に立つ男だ。例え里のトップであっても国から見れば下っ端である。特に風の国はそういう風潮だった。偽物の大名が立ってからは特にその風当たりが強くなっていたが、それに耐えるだけでなく、“忍”という職業を守り続けてきたのは間違いなく羅砂だ。
 政治に関与していない我愛羅がそれを知る時はこないだろう。だが羅砂は「それでいい」と思っている。もしかしたら、いつの日か我愛羅が『風影』を継ぐかもしれない。その時になって初めて父親の、里長の苦労を知ることになるかもしれない。だが今は今だ。いずれ来るその時までに『長』として『父親』として、羅砂が立っていればいいだけの話だ。

「我愛羅。俺はお前のことを“砂隠の兵器”として見たことなど一度としてない。だがお前の中に眠るその力を――“守鶴の力”を“兵器”として利用しようとしていたことは事実だ」
「…………はい」

 物は言いようだ。今更そんなことを言われても、と思う気持ちがないとは言えない。怒りや悲しみに任せて『信じられない』と突っぱねることも出来る。その権利が、今の我愛羅にはある。
 だが我愛羅はもうそんなことはしたくなかった。例えこの先羅砂に裏切られたとしても、それは羅砂自身の問題だ。
 我愛羅に残された選択肢は『信じるか信じないか』。ただそれだけだ。ならば我愛羅は『父親の言葉を信じる』だけだ。例えこの先何があったとしても、羅砂は永遠に我愛羅の父親なのだから。

 だが羅砂とて言わずにはおけなかったのだろう。もしくはサソリに『後悔しねえうちに言っておくんだな』と言われたことが尾を引いているのか。珍しく『父親』としての顔を見せた。

「本当にすまないと思っている。だがお前の中に眠る守鶴は、もう取り出すことは出来ん。……至らぬ父親で、本当にすまない」

 父親として生きるか。風影として生きるか。それは我愛羅が決めることではない。羅砂が決めることだ。
 そして羅砂が自分で決めたのだ。その責任を、羅砂はキチンと自分で背負っている。それを投げだすような男でも、我愛羅に擦り付けて逃げる男でもない。
 だからこそ我愛羅は頭を下げた羅砂に、もういいのだと告げた。

「守鶴のことはもういいんです。アイツは、もう暴れません」
「……それについて一度じっくりと話を聞いておきたかったのだが……。本当に大丈夫なのか?」

 我愛羅の言っていることが理解出来ないのだろう。いや、理解出来ないのではなく信じられないのか。眉根を寄せる羅砂に、我愛羅は少しばかり口角を上げる。

「はい。守鶴は、アイツは、俺にとってもう一つの“心”です。時に怒り、時に惑わし、時に嫌味を言っては揺さぶってくる。誰も信じられなかった頃の俺自身であり――時には、人生の先輩として振舞うこともある。そんな、俺にとってかけがえのない“半身”です」

 守鶴とは眠っている間も幾度となく顔を合わせた。その度に言葉を交わし、時には喧嘩交じりの“遊び”もし、時にはただ黙って横になり、その存在を感じた。
 よくも悪くも大人であり、獣であり――どうしようもなく手のかかる子供のようでもあり――

「アイツと話すのは、結構楽しいんです」
「――――――」

 感情の赴くまま自由に、風のように生きているように見える守鶴。だが実際は我愛羅の体の中に封印され、自由を謳歌することは出来ていない。
 それでも守鶴の“心”は誰よりも自由だ。風そのものだ。怒りたい時に怒り、揶揄いたい時に揶揄い、拗ねた時には尻尾で地面を何度も叩きながら背を向ける。そうして笑う時には大きく口を開けて、心から楽しそうに笑う。

 丸い図体に似合わずせっかちで、楽しいことは共有したがる節がある。話でも何でも、守鶴は自分が“面白そうだ”と感じたら我愛羅に話しかけてくる。深層心理に引きずり込んでくる。
 初めはそれに慣れず何度も目を白黒させたものだが、今では守鶴と己の技をぶつけ合うことすら楽しくて仕方がない。

 ――全身、それこそ頭のてっぺんからつま先まで砂だらけにはなるが、あそこでは我愛羅も自由に動ける。リハビリが必要な肉体は思うままに動き、新しく生み出した技を試せるのは楽しい。
 それに対し守鶴がダメ出しをする日もあれば、面白がって『もっとこうしようぜ』と改変する時もある。

 そんな“友人”のような立場にいる守鶴を、我愛羅が“化物”と呼ぶことはない。

「俺は、これから先もずっと、死ぬまで守鶴と共に生きていきます」

 羅砂はこの時初めて我愛羅の穏やかな顔を見た。細められた翡翠の瞳は穏やかでありながら確固たる意志を感じさせ、我愛羅が本心から言っていることが伺える。
 だがその笑みは不思議なことに――羅砂には普通の、年相応のものに見えた。

「…………そうか」

 羅砂は、この穏やかな笑みを知っている。不思議と無邪気にも見える、意志のある瞳を知っている。
 だがどこで見たかなど考える必要はない。それは、我愛羅の母である“加瑠羅”がよく浮かべていた笑みとそっくりだったのだから。

「――強くなったな。我愛羅」

 口から転び出た声は少しばかり掠れていた。我愛羅には分からないが、羅砂にも思うことがあるのだろう。だが敢えて聞くことはせず、頷くことでそれに応える。

「我愛羅。お前は、こんな父親を……、こんな俺でも、まだ父親として認めてくれるだろうか」

 初めて目にする父の弱々しい姿。
 この時我愛羅は初めて羅砂も悩んでいたのだと気が付いた。そしてそれが、どこか嬉しい。
 羅砂も一人の人間なのだと、自分と同じように何かに悩み、心を痛める人間なのだと、知ることが出来たからだろう。
 だからこそ我愛羅は万感の想いを込めて頷いた。

 この世でたった一人。自分にとってたった一人の、父親の姿をしっかりと見つめながら。

「――はい。父様」

 我愛羅にとって父親は羅砂一人だけだ。他の誰でもない。
 例え殺されそうになっても、愛された記憶がまともになくても。そんなもの、これから作っていけばいいだけの話だ。

 母とは違い、父は生きている。それがどれほど尊いか。
 我愛羅は羅砂に向かい、初めて子供らしい笑みを見せた。それはずっと己を殺してきた我愛羅の――正真正銘、心からの笑みだった。

 羅砂はそんな我愛羅に向かって震えそうになる手を伸ばし、初めて茜色の髪を撫でまわしたのだった。