長編U
- ナノ -

円 -09-



 我愛羅が目覚める少し前。サクラと別れたカブトはすぐさま大蛇丸の元へと駆けつけた。

「大蛇丸様!」
「カブト、遅いじゃないの!」

 入り乱れる戦場に、カブトはざっと視線を巡らせてから眼鏡を押し上げる。

「思ったより押されてませんか? コレ」
「あら、言ってくれるじゃない。でも残念ながら図星なのよね、ソレ」

 反乱軍の数は正規軍より僅かに劣るぐらいではあったのだが、現在ではその多くが命を落としている。
 有する武器の数の違いと、何より場所が悪かった。
 正規軍人たちの砦は鉄壁要塞。ただでさえ強固な守りを有しているうえに、数多の大砲と銃が設置された大型武器庫まで設置されている。
 当初の予定では内側から攻め崩すはずだったのだが、スパイにしてやられたのだ。大蛇丸は不機嫌そうに飛んできた銃弾を避ける。

「全く、大蛇丸様には僕がついてなきゃいけませんね」
「どういう意味かしら。冗談にしては笑えないわよ」

 迫りくる弓矢を弾き、躱しつつも軽口を交わす。そんな二人の頭上に突如影が降りた。

「アレは……?」
「まさか、砂の大津波?!」
「いけない! 皆、今すぐ退きなさい!!」

 大蛇丸の叫びに、すぐさま反乱軍の軍人たちが反応する。そして頭上を覆う大量の砂に気が付くと、蜘蛛の子を散らすように駆けだした。
 ――次の瞬間、大蛇丸たちの目の前で砂が大地にぶつかり、全てを飲み込むようにして広がっていく。
 命からがら逃げだした反乱軍の軍人たちが転がるように地面に倒れこむ間、大蛇丸とカブトの視界に見慣れた姿が飛び込んできた。

「遅くなりました」
「フフッ……。暫く見ないうちに随分といい顔になったじゃない。――我愛羅くん」

 不敵に笑う大蛇丸に我愛羅も口の端を上げる。が、すぐさま顔を引き締めると砂から退き、手を掲げた。

「後ろに下がりな!」
「巻き込まれんなよ!」

 共に来たテマリとカンクロウが我愛羅の登場に唖然とする反乱軍に指示を飛ばす。
 無論我愛羅の実力を知らぬ軍人ではない。テマリたちの言葉に意識を取り戻した軍人たちは、再び立ち上がり後退する。

「アレは……! いかん! 砂漠の我愛羅だ! 退け! 退けーーっ!」

 対する正規軍もようやく砂の主を発見したのだろう。顔を青褪めさせ指示を飛ばす。――が、遅い。砂に飲み込まれもがく軍人も、付近にいた兵たちも、迫る砂のスピードに敵うはずがなかった。

「――砂瀑大葬!」

 我愛羅が叫ぶと同時に、広がっていた砂に重圧がかかる――ように見えるが、実際は纏まりのなかった砂が固まり、全てを押し潰しているだけだ。とはいえ、言葉で説明する以上の破壊力がそれにはある。
 砂に捕らわれた多くの正規軍人たちはそれにより命を落とし、武器は破壊される。
 更に言えば、我愛羅が反乱軍に味方するとは思わなかったのだろう。正規軍人たちの顔が青を通り越して白くなるのを大蛇丸は確認した。

「ど、どういうことだ?! 風影は援軍を寄越したのではないのか?!」
「これだから忍はアテにならんのだ!」

 我愛羅の存在が恐怖なのだろう。今まで統率が取れていた軍人たちもたった一人の少年に恐れ慄き、慌てふためき始める。
 それに対し我愛羅が傷ついていないだろうかと一瞬心配した大蛇丸ではあったが、砂の上に立つ我愛羅の凛とした横顔を見て杞憂だと知る。

「本当……大きくなったわね、我愛羅くん」
「感慨深そうなのはいいんですけどね、大蛇丸様。まだ戦争は終わっていませんよ?」

 胸にくるものがあったのだろう。頷く大蛇丸ではあったが、カブトに諭され「煩いわね」と返す。

「でも、我愛羅くん。本当にいいの? 私はあなたの手を汚す気はなかったのよ?」

 短い間とはいえ面倒を見ていた。その心が如何に不安定か、如何に正直で柔らかいか。知らぬ大蛇丸ではない。
 対する我愛羅も、そんな大蛇丸に随分と救われた。だからこそ成長した姿を見せなくてはならない。もう己は“兵器”ではない。一人の“忍”として生きて行くのだと、ここで示さなければならない。
 そのためにもまずここを乗り切らなければ、我愛羅はずっと先には進めない。

「はい。確かに俺はもう誰も殺めたくはないと、そう思いました。ですがこの戦争が終わるまでは、俺は自分の力が必要なのだと理解しています」
「……辛い戦いになるかもしれないわよ」
「覚悟の上です」

 組んでいた腕を解き、何の傷跡も残っていない手の平を見つめ――再び握りしめる。
 ――奪った命の重さは、決して忘れはしない。

「……そう。分かったわ」

 例え言葉が少なくとも、その目を見れば決意は通じる。
 一皮どころか二皮も剥けたその姿に大蛇丸は頷くと、慌てふためく正規軍を視界に入れ、不敵に笑んだ。

「どちらにせよもう後には引けないわよ。いいわね?」
「――はい」

 ざわつく砂を敵陣に向かって走らせる。それだけで軍人たちは悲鳴を上げ、無駄だと知りつつも銃を撃ち始める。しかしそれらは全て我愛羅を守る砂の盾に阻まれ、反乱軍に届くことはない。
 我愛羅の登場で一気に戦局が変わった。いうなれば将棋の飛車と言うところか。
 覆った戦局に焦る軍人がまともな判断を下せるわけがない。軍人といえど所詮は人。死の恐怖に打ち勝つにしては、鍛えた精神に脂が乗り過ぎていた。

「行くわよ、我愛羅くん」
「はい!」

 駆けだす大蛇丸に続き反乱軍たちも続く。
 随所から放たれる飛び道具は全て我愛羅の砂が受け止め、時には弾き返す。それにより鉄壁を誇っていた要塞はすぐさま瓦解し、軍人たちが逃げ出してくる。
 あっという間に覆った戦局。それに後押しされ、反乱軍が正規軍たちを次々に捕えていく。

 戦争が終わるのも、もはや時間の問題であった。

 ◇ ◇ ◇


 一方その頃。サクラは大砲と銃声の音を聞きながらも、本陣近くに設置されていた救護班に顔を出していた。

「急患、来ます!」
「ベッド空けて! 担架急いで!」
「ぐうぅっ……!」
「大丈夫ですからね、すぐ治療しますから!」

 まさに戦場。そう称しても可笑しくはない惨状がそこには広がっていた。
 既に治療を終えた者も、現在必死に治療されている者も、そして次々と運び込まれてくる負傷者たちもいれば、命を落とした人たちもいる。
 彼らの姿にグッと歯を食いしばり、砂隠の額当てを結び直してから声をかける。

「砂隠の医者です! 救援に駆けつけました!」
「あ……助かります!」

 本当に手一杯だったのだろう。溢れんばかりの患者に対し、医者も看護婦の手も足りない。
 カブト達の部下たちに戻るよう指示を出し、サクラは早速運び込まれた患者へと近付いて行く。

「そっち傷口消毒して! 針を用意して! 縫合します!」
「春野さん! 遅いわよ!」
「何してたのよ、この愚図!」

 先に来ていたのだろう。砂隠で幾度も目にしたことのある看護婦たちに一瞬サクラの息が詰まる。何故なら彼女たちはいつもサクラの陰口をたたいていたからだ。しかもわざと聞こえるような声音で、クスクスと嘲笑いながら。
 心底性根が悪いと思う。だがここで委縮している場合ではないのだ。サクラは「すみません」と謝りつつも患者の前に跪き、傷口に目を向けた。

「全く、あなたが牢になんて入ってるから……」
「だから木の葉なんて信用できないのよ……」

 再び交わされる陰口。だがサクラは彼女たちを冷たく一瞥すると、患部に向かって手を翳した。

「人の悪口言ってる暇があるなら動いてください。時間の無駄です」
「なっ――!」
「何ですって?!」

 憤る看護婦たちではあったが、すぐに他の看護婦に睨まれ口を噤む。実際今は人も時間も足りていないのだ。こんな場所で言い争うなど愚の骨頂である。

「今は患者優先です。プロならそんなこと、言わなくても分かるでしょう」

 しかも今までバカにし続けていたサクラに諭され、睨まれたのだ。二人の顔は怒りに赤く染まる。だがここで患者たちから「助けてくれ」「痛いんだ」と声をかけられれば、それを無視することは出来ない。悔しそうに顔を歪めると踵を返して去って行く。

「後で覚えてなさいよ!」
「風影様と一緒に暮らしてるからって、いい気にならないで!」

 まるで捨て台詞だ。だがサクラは一度として「いい気」になった覚えなどない。とはいえ一々根に持つのも言い返すのもバカらしい。だから「もう放っておこう」と軽く流し、ひたすら治療に専念する。

「添え木をしておきます。暫く安静にしておいてくださいね」
「ああ……。ありがとう……」

 血が滲んだ頭部を縫合し、折れた腕には添え木をあてる。痛みと熱で意識が朦朧としているのだろう。呂律が回っていない患者に、サクラは安心させるように手を握って微笑を浮かべる。
 だがすぐさま表情を引き締めると「次の方!」と声をかける。しかし次の瞬間、医療班達の耳にドン! と地面を揺るがすほどの大きな音が聞こえ、咄嗟に近くのベッドにしがみつく。

「な、何?!」
「大砲……? でも、いつもよりもずっと大きい……」

 ざわつく看護婦たちであったが、すぐさま不安と恐怖に騒ぐ患者たちを落ち着かせるよう走り回る。サクラもすぐさま次の患者の治療に移ったが、妙な胸騒ぎが全身を駆り立てはじめていた。

(な、なに? 何なのよ、この嫌な感じ……。手が震えて、抑えが利かない。何で? どうして? 怖いの? 今更? ううん。そんなわけない。私だって何度も戦場に出たわ。今更怖がったりはしない。じゃあ、他に一体何が――)

 幾ら考えても分からない。こんな気持ちになったのは初めてだ。
 サスケが戦争で大怪我を負った時も、ナルトが自分を庇い、火傷した時も、カカシが敵に腕を切られ、目の前で血飛沫が飛んだ時も。ここまで恐ろしい、何かが這い上がってくるような気持ちにはならなかった。
 一体何だというのだ。何が起ころうとしているというのだ。
 騒ぐ胸を深呼吸で落ち着かせ、急いで包帯を巻くサクラの耳に『我愛羅』の名前が聞こえたのはその時だった。

「大変よ皆! 我愛羅様が……!!」

 そこまで聞いたところでサクラはいても立ってもいられなくなり、処置を終えた患者に「お大事に」と足早に告げてから駆け出す。

「ちょっと! 春野さん!」
「勝手な行動は――!」

 後ろから文句を言ってくる看護婦の声すら聞こえぬまま、サクラは煙の上がる戦地に向かって走り続ける。

(我愛羅くん、そこにいるの……?)

 ――出来るなら無事でいて。もうこれ以上、傷つかないで。

 祈るように、逸る気持ちだけが先に行く。戦場なんて殆ど目と鼻の先のはずなのに、それでもどこか遠くに感じる。
 サクラはもつれそうになる足を何とか前に踏み出しながら、濛々と煙の上がる中心地に向かって突き進んだ。