長編U
- ナノ -

円 -08-



 我愛羅を背負ったまま国に辿り着いたテマリたちは、広がる光景に絶句した。
 元々商業が発展していた都市部は見るも無残にあちこちが倒壊し、至る所で空を切る発砲音が聞こえてくる。そうして悲鳴と怒号が入り混じる中、道端では泣き出す子供や、這う這うの体で逃げ出す一般市民たちがいる。

「神様……神様……お願いです、神様、どうか、どうか……!」
「お母さーん! おかーさーん!!」

 命からがらに逃げ出した人々が必死に祈りを捧げている。迷子になった子供が泣きながら隅で蹲り、時には犠牲になった誰かの前で必死に名前を呼んでその体を揺さぶっている。
 そしてほんの十数メートル先で大砲が家屋を壊す音がし、瓦礫となった家々が崩れ落ちていく。

「我愛羅、早く目ぇ覚ますじゃん!」
「一体どうしたんだ、我愛羅……」

 未だ目覚めぬ我愛羅はカンクロウに背負われたままである。
 このままでは援護も出来ないと、一先ず安全地帯を探そうと試みる。が、どこに行っても安全な気はしない。だがいつまでも里に残っていれば父親の手が伸び、拘束されただろう。どうにか逃げ出したとはいえ、テマリたちは動かぬ我愛羅を背負ったまま戦が出来る程手練れではない。

 どうしよう。
 言葉なく二人が顔を見合わせていると、突然「お前たち!」と自分たちを呼ぶ声が聞こえてきて顔を上げる。勢いよく振り返った先には、自分達の教師が立っていた。

「バキ先生!」
「おい、我愛羅はどうした?! 怪我でもしているのか?」

 近付いてきたバキはすぐさま二人を敵陣から離れた場所に移動させ、背から降ろした我愛羅の様子を見る。だがいつになく幼く見える顔はどう見ても眠っているとしか思えず、バキは「まさか」と目を見張る。

「でも本当に眠っているだけなんだ! 守鶴が出てくる可能性がないとは言えないけど……」
「うむ……。だが確かに、今の所守鶴が出てくる気配はないな。しかしこのまま戦場にいれば奴が匂いを嗅ぎ取って出てくるかもしれん」
「それだけは避けたいじゃん」

 悩む三人の頭上を幾つかの発砲音が過ぎていく。そのうちの一つが近くの壁を打ち壊し、三人は往々に舌打ちしながら我愛羅を担いで走り出す。

「だーもう! どうなってんじゃん、我愛羅!」
「私にだって分からないよ!」
「ともかくここは一旦退くぞ!」

 バキに連れられ後退した二人は、入れ違うようにしてサクラが戦場に赴いたことに気付かなかった。


 ◇ ◇ ◇


「何て酷い……」
「サクラさん、こちらに移動しましょう」

 サクラが辿り着いたのは戦地の一歩手前だ。そこでは既に多くの死者が出ており、サクラが出来ることなど何も残っていなかった。特に崩れた家屋の前では、流れ弾に当たったのだろう。幼い子供やお年寄りの死体が転がっている。
 何と痛ましい光景だろうか。サクラは苦しげに眉根を寄せてから、カブトに「何故」と問う。

「砂隠の人たちは参加してないんですか?」
「さぁ……。本当なら共に戦うはずだったんですが、誰かが時期を早めたのかもしれないですね。でなければ今頃苦戦を強いられているはずがありませんから」

 つまり誰かが裏切ったということだ。二重スパイがいたのだろう。
 己がついていればそんなことにならなかっただろうが、後の祭りだ。カブトが一人思案する中、サクラは周囲に落ちる血痕の中に砂が落ちていないかを確認する。

(この砂は我愛羅くんのものじゃないわ。だとしたら彼はまだ戦場に来てないということね。もしかして、まだ牢にいるのかしら)

 牢にいるのであれば安否を問うまでもない。だがもしこの場では戦わず、別の場所にいるのであれば――。よぎる不安に頭を振り、一つ深呼吸をする。

「カブトさん。私は怪我人の治療に行きます。本陣はどこですか?」
「こんな泥仕合じゃあ本陣も何もないとは思いますが、地図上ではこの辺りですね」

 カブトが取り出したのは国の地図だ。サクラはそれを覗き込み、カブトに幾つか質問をしてから顔を上げる。

「では私は行きます。カブトさんはその大蛇丸という人とコンタクトを取ってください」
「……分かりました。代わりに部下を護衛につけます。お気を付けて」

 カブトの後ろに控えていたのは、面をつけた複数名の忍だ。彼らの素顔や名前は分からなかったが、サクラは頷いてそれを受諾する。
 対するカブトも部下にサクラを頼むと告げ、大蛇丸がいるであろう戦場に向かって駆け出す。

「私たちは本陣へと向かいます。無意味な戦闘は出来るだけ避けてください」

 カブトが寄越した部下たちにそう告げてから、サクラは幾つかの発砲音が止んでから潜んでいた路地裏から飛び出した。


 ◇ ◇ ◇


 ザラザラと砂が落ちる。
 呼吸をする度に全身の筋肉が悲鳴を上げ、耳の奥では心臓が忙しなく鼓動する音が聞こえている。
 ――全身がひどく熱い。こんな感覚は初めてだと思いながら、仰向けに倒れていた我愛羅はゆっくりと閉じていた瞼を持ち上げた。

「俺の勝ち――だな」
「ケッ。そーいうことにしといてやらァ」

 守鶴と我愛羅が戦った痕が幾つも残っている。穿たれた壁に落ちた天井の一部。欠けた鳥居に、辺りに霧散し、飛び散った砂。
 自身の持ち寄るチャクラを全て使い果たしたかのような疲労を感じつつ、我愛羅は守鶴に向かって手を伸ばした。

「守鶴」
「なんだよ」

 守鶴は仰向けに倒れ、天を仰いでいた。そこに日差しが降り注いでくることはない。まさか自分がこんな小僧に負けるとは……。守鶴は自分自身に呆れたような吐息を零したくなる。

 慢心だった。寸での所で、負けたのだ。
 それはほんの一瞬のことだった。一瞬、守鶴は油断したのだ。いや、あれは慢心していたからこそ出来た隙だった。そこを見事に突かれ倒れた守鶴は、我愛羅に向かって視線だけを投げた。
 だが己を見つめる翡翠の瞳は思っていた以上に穏やかで、思わず守鶴の目が驚きに見開かれる。

「――ありがとう」

 そうして我愛羅が触れたのは、守鶴の鋭い爪先だった。そこに我愛羅の小さな手が宛がわれる。その瞬間、守鶴は不可思議な気持ちに全身を支配された。
 我愛羅が此処に来て守鶴に触れたことなど一度としてない。そして礼を述べられたことなど、ママゴトをしている時しかなかった。
 それが今、我愛羅は穏やかな瞳でこちらを見つめながら、自ら手を伸ばして守鶴に触れてきた。大きさも種族も、何もかもが違う自分の手に、だ。

「……ハッ、何だそりゃ。意味わかんねェぞ、我愛羅ァ」

 硬い、それでいて感覚の鈍いはずの爪先に置かれた手の平の感触が、何故か今はハッキリと分かる。渇いた手の小ささも、そのぬくもりも、何故か伝わってくる。
 “ママゴト”に乗じていた時よりも成長したとはいえ、それでも小さい――己の数倍も小さな体から、確固たる意志が流れてくる。
 守鶴は口では『分からない』と宣いながらも、今では我愛羅の気持ちがほんの少しだけ、分かるような気がした。

「いいんだ。分からなくても、それでいい。俺が、ただお前に伝えたかっただけなんだ」

 寝そべったまま我愛羅が穏やかに笑う。だが何故我愛羅が笑うのかが分からず守鶴は再び天を仰ぐが、考えたところで分かるはずもないか。と思い直し口元を歪めた。

「ケッ、しょうがねえから認めてやるよ。てめェの勝ちだ。我愛羅」

 そう守鶴に告げられると同時に、我愛羅の意識が急激に浮上する。咄嗟に守鶴に手を伸ばした我愛羅ではあったが、己を見上げる楽しげな顔を見下ろし、悟った。

 ――守鶴はもう、我愛羅の敵ではないのだと。

「……ありがとう、守鶴」
「へっ。いいからさっさと起きろってんだ、バーカ」

 バシン、と手を振るかのように地面に叩きつけられた尾の向こうで、一際大きな砂煙が立ち昇った。


 ◇ ◇ ◇ 


「――――!」
「――っ――ん……!」

 守鶴と別れ、浮上した意識が全身に定着し始めた頃。聞こえてくる声はやけに慌ただしく、騒々しい。そのうえ全身を激しく揺すぶられているような感覚もする。
 一体何がどうなっているのか。
 考えながらも、我愛羅はふと感じたぬくもりに「はて」と思う。自分は確か牢にいたはずだ。身動きが取れない、あの砂の牢。あそこでは人肌のようなぬくもりは感じられないはずなのに、自分はどんな夢を見ているというのか。
 訳が分からぬまま重たい瞼を上げれば、我愛羅の視界に入ったのは罅割れた、乾いた大地だった。

「だーもう! いい加減起きるじゃん! 我愛羅!」
「このまま逃げ続けるなんて無理だよ、先生!」
「文句を言うな! 我愛羅が目覚めぬ以上こうするより他はない! 向こうは鉄砲や大砲を使っているんだぞ? お前たちや俺の術だけでそれを退けるには無理がある!」

 視界が揺れているのは背負われているせいか。そして聞こえてくる声に頭が明確に動き出し、聞き拾った内容を素早く脳内で処理してから我愛羅は口を開いた。

「……お前たちは、ここで何をしているんだ?」
「我愛羅!」
「ようやく起きたじゃん!」
「目が覚めたのか……!」

 テマリとバキの驚く声を聞きつつ、喜ぶカンクロウの声に初めて自分が誰に背負われているのかを知る。

「カンクロウ……お前…………」

 自分の手が兄の肩に触れている。だがよくよく見てみれば手だけではない。我愛羅の全身がカンクロウに委ねられていた。そして傀儡を操るカンクロウの両手は我愛羅の両足をしっかりと抱え込んでいる。
 ――今まで自分に触れようともしなかった兄が、この身を背負っている。それが、何よりも不思議だった。
 しかし疑問を口に出来ぬまま、我愛羅の頭上を発砲音が過ぎていく。

「戦場?!」

 気付いた我愛羅が目を見開くのと、カンクロウ達が路地裏に飛び込んだのは同時だった。

「悪ぃ、我愛羅!」
「今国の方でクーデターが起こっているんだ。私たちも参加しようとしてたんだけど……」
「お前がなかなか目覚めなかったのでな。守鶴が暴れなかったのが不思議でしょうがないが……。今はそんなことを言っている場合ではない」

 三者三様の説明を受けつつ、我愛羅はどうにかして事態を飲み込もうと頭をフル回転させる。だがあまりにも状況が状況なため、詳しいことが分からない。
 ともかく、今は国の方で反乱が起こり、それに自分たちも加わろうとしていることだけはどうにか理解出来た。

「反乱軍の首謀者は誰なんだ?」
「よくは分からない。国の男らしいけど、顔も名前も見たことがない」
「お前たちに伝えられている情報は誤りだ。首謀者の名前は大蛇丸。我々は反乱軍を退けるよう風影様に指示されている」
「何?!」

 大蛇丸殿が反乱軍を……? 何故?
 訝しむ我愛羅ではあったが、その横ではテマリとカンクロウが「はあ?!」と食い気味にバキに詰め寄る。

「何言ってんだい先生! 私たちは戦争を止めるために此処に来たんだ! 私たちが手を貸すのは軍人なんかじゃなくて、反乱軍にだよ!」
「お、お前たちこそ何を言っている?! 風影様に刃向うというのか?!」
「んなこと言ってる場合じゃねえじゃん! 親父に刃向うとかそんなことはどうでもいいじゃん! 今大事なのは、」

「「戦争を止めることだ!!」」

 そう叫んだ姉兄の言葉に、今度こそ我愛羅の目が見開かれる。思わず見つめた先にいたのは、己が普段見ている姉兄とはまるで別人のような――必死に戦争を止めようとしている、ひたむきな横顔だった。

「な、何をバカな――」

 狼狽えるバキの視線が二人から我愛羅へと移る。「お前も何か言ってやれ」と、そう言いたいのだろう。
 だが我愛羅に向けられた視線はバキからだけのものではない。テマリとカンクロウも、いつもは逸らされていた視線が今ではまっすぐと我愛羅を見つめている。
 その爛々と光る瞳は緊張と覚悟に濡れ、我愛羅の驚く顔をしっかりと映し込んでいた。

「お前はどうしたいんだい、我愛羅」
「俺たちは……もう、後戻り出来ねえじゃん」

 自分を恐れていた二人が、臆病者の兄が、どこか自分を避けていた姉が、今ではこうして自分と向かい合っている。心と体で、向き合っている。
 その事実に心底驚愕したが、感慨深く感じ入っている場合ではない。すぐさま意識を切り替え、二人の目を同じように見つめ返す。

「俺は、大蛇丸殿にご助力する」
「我愛羅! お前まで!」

 驚くバキに向かって我愛羅は視線を向ける。一瞬それに言葉を詰まらせたバキではあったが、もう我愛羅の心が悲鳴を上げることはなかった。

「俺はもう“兵器”じゃない。忍として、一人の人間として、この戦争を止める」

 守鶴と戦っている間、サクラの身に危険が及んでいないことを願っていた。生きて帰ることが出来たらその時は必ずサクラを木の葉に帰すと決意した。そしてもし、生きてこの戦争を終えることが出来たならば――。その時は、

「――俺はもう、父様の道具じゃない」

 一人で生きるのだ。今度は修羅の道ではなく、自分という一人の人間としての道を。砂隠の忍として。皆と同じように生きるのだ。
 例えどれほど険しくとも、周囲に理解者がいなくても――。もう、逃げない。そう決めた。決めたのだ。我愛羅は。

「私たちも一緒に行くよ、我愛羅」
「ようやく暴れられるじゃん」

 だが覚悟を決めていたのは自分だけではなかった。自分の姉兄も、今ではこうして何事かを決意し、腹を括っている。ならばその力を借りるのもまた“一つの成長”なのだろう。
 だからこそ為さねばならない。今自分が出来ることを、最大限の努力と誠意でもって見せなければならない。
 我愛羅は深く深呼吸すると、改めて姉兄の名を呼んだ。

「テマリ。カンクロウ」
「何だい?」
「どうした?」

 武器の用意をしていた二人に、我愛羅は一度瞬く。それから、万感の思いを込めて頭を下げた。

「今まで、すまなかった」

 自分が今まで二人にしてきたこと。取ってきた態度。行動。言動。その多くが二人の心を傷つけ、恐れさせただろう。特にテマリには怪我までさせた。忍として生きるうえで大きな後遺症にはならなかったが、その傷は今でも残っているはずだ。
 だがこれからは、今まで犯してきた全ての業も背負って生きていくのだ。

 二人にしてきたことだけではない。里の皆に、サクラに、木の葉の忍たちにしてきたことを、我愛羅は決して忘れない。忘れてはいけない。胸に刻み続け、糧とし、成長しなければならない。
 そのためにはまず、二人に面と向かって謝罪する必要があった。こんな自分を見捨てずにいてくれた。ここまで着いて来てくれた。共に『覚悟』を決め、クーデターに与することを決意してくれた。

 ならばもう、二人の事を“他人”とは呼びたくはなかった。

「……いや。私たちこそ、今までごめんな。我愛羅」
「ああ……。俺たちも、悪かったじゃん」

 これからは、一緒に生きよう。

 そう言ってテマリに手を握られ、カンクロウに肩を叩かれ、我愛羅は顔を上げる。

「――よろしく頼む」

 自分がこれから“一人の忍”として生きていくにはあまりにも障害が多すぎる。勿論一つ一つ乗り越えて行くつもりではあるが、すぐさま一人で、というわけにはいかないだろう。その時は必ず誰かの力が必要になる。
 その時に叶うならば、その力は二人に借りたいと、二人を頼りたいと、素直にそう思えた。

「……全く、お前たちと言うやつは……」

 姉弟として初めて通じ合った三人にバキは目頭を押さえつつやれやれと首を横に振る。言いたいことや抱いた想いは様々ではあったが、今此処で言うべきではない。そう判断したバキは己の教え子三人に向かって、改めて厳めしい顔を向けた。

「後で纏めて説教をしてやる。今は反乱軍に加わることが先だ! 行くぞ!」
「はい!」

 だがここで、テマリやカンクロウだけではない。バキもまた、我愛羅に向かって手を差し出した。それを我愛羅は驚いた顔で見つめる。

「行くぞ、我愛羅。お前には言いたいことが山ほどあるんだ」
「……構わん。夜更かしは慣れている」

 ――言ったな、小僧。
 軽口を叩くバキの口角が珍しく上がっている。戦況は思わしくないが、それでも四人の足は力強く大地を踏み抜く。

 駆けた先がどんな戦場であっても、どんな敵がいようとも、戦争を終わらせるために最後の力を振るうまでだ。


 ――腹の底で獣はもう笑わない。
 もう一人の自分はただ目を細め、星のように輝き始めた少年の行く末を見つめるだけだった。