円 -06-
テマリとカンクロウが地下牢に飛び込む前――。我愛羅は守鶴と命がけの“遊び”をしている最中だった。
「オラオラどうしたァ?! てめェの実力はそんなもんかよォ?!」
「ぐっ……!」
守鶴の長く力強い尾が我愛羅の体を壁に叩きつける。
我愛羅の深層心理では絶対防御も動かない。咳き込む我愛羅に守鶴は「手応えねぇなぁ」とつまらなそうに呟いては不機嫌そうに尾を揺らす。
「ゲホッ、まだだ……。まだ、終わっていない」
既に体中ボロボロではあるが、それでも立ち上がる我愛羅に守鶴は楽しげに笑う。
「もう無理だって諦めてもいいんだぜぇ〜? じゃないとお前の命が本当に散っちまうからよォ〜」
「死にはしない。俺はこんな場所で、死んだりしない」
――サクラを里に返すと決めた。だから、それを果たさぬまま死ぬわけにはいかない。
構える我愛羅に守鶴は声高らかに笑い、長い尾を地に叩きつけ地面を揺らす。
「だったら俺を倒してみろや我愛羅ァ! じゃねえとあの小娘の体八つ裂きにすんぞ!」
「サクラに手出しはさせない!」
とはいえ、自身のチャクラを込めた砂が使えない以上、守鶴のチャクラが込められた砂を操るしかない。だがこれが意外と骨が折れる。
何せ砂を操る時点で既に“戦い”なのだ。自身のチャクラと、守鶴のチャクラ。ずっと砂の力を使いこなせていると自負していただけにこの状況は厳しかった。
(クッ……! 砂が重い……! 言うことを利かない!)
今までなら軽く手を振るだけで砂が思うままに動いた。だがこれでは初めて砂を操ろうと訓練を始めた頃と変わらない。
砂が指の隙間から零れていく。――命のように。解けた包帯のように。呆気なく落ちていく。
それを苦く思う我愛羅の隙をつき、守鶴は手の平を勢いよく地面へと叩きつける。
「トロイんだよ、我愛羅ァ! よそ見してんじゃねえ!」
「ッ!」
襲ってきた砂の津波から逃げるように必死に駆け回る。おかげで間一髪のところで埋まることは避けられたが、すぐさま守鶴は次の一手を繰り出してくる。
「風遁、練空弾!」
「ぐッ……!」
己の足を貫いた火縄銃の弾の如く威力のある砂の弾丸が襲い掛かってくる。しかし絶対防御が働かない今、無様に見えても逃げることしか出来ない。
勿論どうにかして一矢報いたいとは思うが、やはり足元を滑る砂は自身の思う通りには動かない。むしろすぐさま足元を掬われ転げそうになる。
「フンッ。てめえ自身のチャクラが弱ぇんだよ。だから俺様に勝てねえんだ」
ふんぞり返るように胸を張る守鶴に、我愛羅は荒くなった息を整えながら思案する。
――自分のチャクラが弱い。今まではそんなこと、考えたことが無かった。
「お前が今まで使ってたチャクラはなぁ、大半は俺様のものだ」
「なん、だと……?」
未だ整わない息を必死に整え、滲む汗を拭う我愛羅に守鶴は面倒くさそうに尻尾を左右に振る。
「ったく、何で俺様がこんなこと教えなきゃなんねえんだ?」
「守鶴、今のはどういう意味だ? 教えてくれ」
垂れる汗を拭いながら問いかけて来る我愛羅を見下ろした後、守鶴は気怠そうに吐息を零す。
「ったく……。あのなァ、我愛羅。今までてめえは一人の力で生きてきたと思ってたようだが、実際は違う。お前が背中に背負っている瓢箪――あれに込められたチャクラも、正確に言やァお前のチャクラだけじゃねえ」
「なに……? 俺以外の誰かのチャクラが流れているとでも言うのか?」
瓢箪の砂は我愛羅が常日頃からチャクラコントロールをし、力を保っているものだ。
時には絶対防御となり、時には鋼よりも強い鉄槌になる自身の盾であり最強の矛である。それが自身のチャクラだけで成り立っているわけではない、と言われ、我愛羅の額に別の意味で汗が滲む。
「本当に何も知らねえんだな……。はあー……。おい、我愛羅! てめえは自分の母親のこと、親父に何も聞かなかったのかよ!」
「?! 何故そこで母様のことが出てくる?!」
休憩は終わりだと言わんばかりに寄越された砂の波。それらを避けつつ問いかける我愛羅に、守鶴は問い返す。
「俺の力は絶対防御だ! 誰にも負けねえ! 誰にも譲らねえ! クソ狐より強ェ俺様を唯一邪魔する女のことだ、バカヤロウ!」
「だから一体何のことだ! 教えてくれ、守鶴!」
我愛羅の叫びが木霊する。襲い掛かってきた砂の津波は今までよりも大きく、どう足掻いても逃げ切れない。
目を見開く我愛羅は一瞬“死”を連想したが、すぐさま掌を合わせ素早く印を結んだ。
「――――ッ!」
壁にぶつかった波が、反動で守鶴の足元にまで戻ってくる。
ザラザラと音を立てて潮のように引いていく砂の波を見つめる守鶴の視線の先に、歪だが丸い殻が出来ていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
死に物狂いで咄嗟に結んだ印――。自身を守るいつもの砂とは違い、重たいそれは確かに我愛羅の体を守っていた。
「何だよ、やれば出来るじゃねえか」
「…………?」
フン、と得意げに笑う守鶴に我愛羅は疑問符を浮かべるが、守鶴は軽く手で砂を払うと鋭い爪先を我愛羅へと向ける。
「今てめえを守ってるその不細工な殻、その砂を操ってるのがてめえ本来のチャクラだ。覚えとけ、クソガキ」
「これが……俺本来のチャクラ……? では、今まで俺を守っていたのは……?」
幼い頃から自分を守ってきた。何よりも早く、誰よりも強く、どんな敵にも攻撃にも反応し、自身を守り抜いた。戦ってきたあの砂のチャクラは一体――。
呆然と立ち竦む我愛羅に「勘の鈍い野郎だ」と守鶴は口元を歪める。
「まだ分かんねェのか、我愛羅」
「……だが……俺は、俺は母様には、母様に愛されていないと、夜叉丸が――」
額に刻んだ“愛”の文字が酷く疼く。
思わずそこに手を当て膝を折る我愛羅に、守鶴は鋭く舌打ちすると素早く蹲る我愛羅の首根っこを掴みあげ、自身の目の前へと掲げて吠える。
「誰が死んだ野郎の話をしてやがる! 今してるのはてめえの母親の話だろうが!!」
「だ、だが俺は! 誰にも愛されていないと夜叉丸が言ったんだ!」
「てめえは死んだ奴が言ったことなら何でも信じんのか?! ナマ言うのも大概にしろよ、クソガキが!!」
「うぐっ!!」
先程流れて行った砂の海に投げ飛ばされ、咄嗟に受け身を取ったが勢いがありすぎた。強かに背中を打ち付けた我愛羅の呼吸が一瞬止まる。
それでも体とは不思議なもので、己の意思に反し積極的に酸素を取り入れようと鼓動し、喉が震え、何度も咳込む。
そんな我愛羅の姿を守鶴は上から見ていた。
「誰を信じようが、何を信じようがてめえの勝手だ。だがな、自分で見聞きしたこと以外の全てが“真実じゃねえ”と決めつけるんじゃねェ」
「ゲホッ……、お前は俺の、一体何を知ってるんだ? 母様の事を、何処まで知っているんだ?」
己を見上げてくる小さな存在に舌打ちし、守鶴は「何で俺様が此処まで面倒見なきゃなんねェんだ?」と分福の穏やかな顔と声音を思い出しつつ再び舌を打つ。
それでも脳裏に描いた老人の顔が顰められることは終ぞなかった。
「てめえは今まであの砂に甘えすぎてたんだよ。思い出してみろ。てめえ、自分で砂を操ろうと思った時、アレが素直に動いたことあったか?」
「………いや」
幼い頃、砂を操ろうと試行錯誤していた日々。あの時から己の身に危険が寄れば自動的に砂が動いた。攻撃にも守りにも転じる、魔法のような砂だと思っていた。
「当たり前だが親父の力じゃねえ。だからと言って姉兄のものでもねえ。過保護な野郎のものでも、傀儡の男のものでもねえ。それを不思議に思ったことはねェのか」
「…………! まさか――」
もしあの砂に込められたチャクラが、他の誰でもない。死んだ母のものであったとするならば――。いや、だが、それならば何故母は己の弟である夜叉丸を殺したのか。
悩み、硬直する我愛羅に守鶴は落胆する。
「お前よ、砂に思考回路があるとでも思ってんのか?」
「…………そう、だな……」
言葉を失う我愛羅を前に、守鶴は自身の手で砂を掴みあげ、それを地面に向かって流していく。
「この砂だってそうだ。俺様の陣地だから俺様のチャクラが込められている。だから俺様の意に従って動く。だが何もしなけりゃただの砂だ。それぐらい分かるな?」
「ああ」
「だがてめえの背負ってる瓢箪の中にある砂――。アレには確かにてめえのチャクラも流れている。だが、半分はてめえのもんじゃねえ」
「……何故、母様のチャクラが……」
母は死んだ。自分が産まれた時に――。自らの命と引き換えに産んでくれた母。
愛を教えてくれた夜叉丸。だが、全てを裏切り、絶望を植え付け死んでいった夜叉丸。
自分に対し誰よりも厳しく、愛情を注いでくれない父親。
母を奪ったからと言って憎しみの目を向けてきた姉。
幼い頃から人を傷つけ続けた自分に対し、畏怖の視線を向けてくる兄。
怖い。不気味。薄気味悪い。嫌い。来ないで。近寄りたくない。近寄らないで。関わりたくない。話したくない。傍にいたくない。友達になんてなりたくない。
――“アナタは、愛されてなどいなかった”。
「…………夜叉丸。俺は――お前の、言葉は……」
痛む額を抑えつけ、動かなくなった我愛羅に守鶴は「ダメか」と嘆息する。
我愛羅ならば分福のような男になると思った。守鶴にとって分福は認めるべき相手だった。己の境遇を怨むことも妬むこともなく、人の清濁をそのまま受け入れ、愛した人間。そしていつか、自分を導く者が現れると教えれてくれた唯一の男でもある。
しかし現状我愛羅にアレコレ教えているのは守鶴の方である。コイツが本当に分福の言うような男になるのかと何の気なしに眺めていたが、やはり守鶴には分からなかった。
「オイ、我愛羅ァ。何度も言うが俺は人の心なんざ分からねえ。気持ちなんてさッッッぱりだ。だがてめぇがやりてェと思ったことを、決めたことをやらねえっつーのは、俺様でも『ダセェ』とは思うぜ」
守鶴のプライドは絶対防御だ。他の誰にも負けない。他のどの尾獣にだって、どんな攻撃だって防いでみせる。自慢の盾だ。
そのプライドは守鶴だけのものだ。そしてそれは守鶴にとって誇りであり、輝きであった。
「てめぇは何のために此処にいる。何のために歩くと決めたんだ? ……ったく、俺様は何だってこんなガキの面倒みてんだァ?」
何だかよく分からなくなってきたな。
ぼやくようにして呟く守鶴に、我愛羅は思い出す。
自分は今何のために此処にいるのか。何のために生きると決めたのか。
自分の手を取ってくれたあの白くて細い手を、守るために此処にいるんじゃなかったのか。
『――我愛羅くんの手は、優しい手だよ』
そう言ってこの手を握ってくれた。血に塗れた、彼女の仲間を目の前で殺めた恐ろしい手を――それを、優しい手だと言ってくれた。
「……そうだ。俺の手は……」
殺すためだけに、『守鶴の器』にされるためだけに生まれ、そのために生きてきたと思っていた。
だがサクラは教えてくれた。この手が、この砂が、誰かの命を守ることも出来るのだと。だから自分は今、此処にいるのだ。
「――ッ、」
夜叉丸の言葉は今でも胸に大きな傷となり残っている。きっとこの傷は一生消えることはないだろう。
だがそれでも――。その傷を抱えて生きるのだと、決めたばかりなのだ。
だからもうこれ以上、膝を折っている暇はない。
「守鶴」
「あ? 何だ?」
既に我愛羅との“遊び”に飽きて一人で砂遊びをしていた守鶴が振り返る。そこにいた我愛羅は、ただじっと己の手の平を見つめていた。
「俺は、母様に愛されていたのだろうか」
「過去形かよ」
「――――。フッ、そうか。ああ、だが、それもそうだな。まったく、可笑しな話だ」
我愛羅は自嘲気味に頬を歪めると、そこからようやく顔を上げる。
「目が覚めたら、父様に聞いてみようと思う」
「そーかよ」
「ああ。だから――」
もう一度、俺と勝負してくれ。
そう言って拳を握りしめ、その手を突きだす我愛羅に守鶴は目を細める。
「“遊び”じゃなく“勝負”つったな? もう手加減してやらねーぜ?」
「ああ。望むところだ」
我愛羅にとってこれは一つの山場だ。自分がこの先生きるために、重要な礎となるものだ。
心身共に立ち直った我愛羅に守鶴は今まで以上に壮絶な笑みを浮かべ、遊びで作った砂の山を躊躇うことなく壊し、盛大に尾を地面へと叩きつける。
「来いよ我愛羅ァ! てめェの本気を見せてみろ!!」
「ああ! お前の口から“降参”と言わせてやる!」
「ハッ、誰が言うかよ!」
振り下ろされる巨大な手から逃げるように身を翻し、我愛羅は己の体に満ち溢れてくる不思議な力を全身で感じ取る。それは恐らく初めて自覚した己のチャクラであり、力であり、心なのだろう。
だからこそ先程までは鉛のように重く感じていた体も、いつもと同じように――いや。むしろいつも以上に軽く感じる。
襲い掛かってくる砂の津波も、足裏にチャクラを集めることで乗り切る。
時には壁を蹴って回避し、肉薄しては尾で弾かれるも――寄せ集めた砂で殻を作り、これを凌ぐ。
間髪入れずに襲い掛かってくる尾も手の平も走りながら躱し、その間に印を結んでは地面に手をつく。
「砂時雨!」
「甘ェなァ! もっと派手にぶつかって来いやァ!」
打ち出した砂の銃弾も、あっという間に形成された盾に吸い込まれていく。だが日頃から砂を纏い、砂に守られている我愛羅だからこそ『死角』を知っている。特に守鶴と我愛羅では対格差が大きいうえ、ちょこまかとうろつかれては苛立ちも募るというもの。
現に守鶴はチマチマとヒット&ウェイを繰り返す我愛羅に切れかかっている。
「どうした我愛羅ァ! そんなんじゃいつまで経っても終わらねえぞ!」
「フッ。思ったよりせっかちだな、お前は」
珍しく口角を上げる我愛羅に対し、守鶴も尊大に笑う。そうして一人と一匹は再度砂を使い、盛大にぶつかりあった。