長編U
- ナノ -

円 -05-



 サクラたちが連れてこられたのは、風の国のとある町だった。
 牢の中で弾けた睡眠ガスにより意識を落としていたサクラであったが、元々二、三時間程度で効力が切れる代物だ。徐々に意識が浮上し、目を覚ましたサクラの前に立っていたのは――胡散臭い笑みを浮かべた丸眼鏡の男。薬師カブトであった。

「おはようございます。春野サクラさん。早速ですが、あなたに助けて頂きたい方がいます」
「え……? だ、れ?」

 まだどこかぼうっとしつつも、サクラはカブトに向かって身元を問う。だがカブトはそれには答えず、手短に「お早く」とだけ答えてサクラの腕を取る。
 正直その腕を弾いてもよかったのだが、まだ睡眠ガスの名残が四肢の動きを緩慢にさせていた。
 それに部屋を出る際にちらりと周囲を見渡し、簡素なベッドで眠る木の葉丸たちにも気が付いていた。自分だけでなく子供たちも助け出してくれた。ならばその分の恩義は返すべきだと、連れられるままに一つの部屋へと足を踏み入れる。

「お待ちしておりました」

 そこにいたのは、少しばかり砂で汚れてはいたが、白衣を纏った細身の女性だった。きっとまともな生活を送っていればさぞ美しかったであろう痩せた女性に、サクラは会釈する。

「君に診てもらいたいのは、このお方だ」

 そう言っておざなりに引かれていた、ヨレヨレの仕切りを取り去った先に寝そべっていた老人にサクラは近付いて息を呑む。

「! なんてこと……」

 老人は決して良好な状態とは言い難かった。
 落ち窪んだ眼に痩せこけた頬。枯れ枝のような腕は土気色になっており、体全体をざっくりと見ても同じことが言えた。
 虚ろな瞳は白く濁り、緩慢に瞬きを繰り返すだけでサクラを写すことはなく、ただ皺が寄った唇から呼吸を繰り返すだけだ。

 痛ましい気持ちを抱きつつ医者であろう女性に視線を向ければ、女医はサクラに向かって一枚のカルテを見せた。

「私が調べたものです。よろしかったら」
「ありがとうございます」

 受け取ったカルテに目を通し、サクラは再び眉根を寄せる。そこに書き出された症状はロクなものではなかった。むしろ今こうして生きているのが不思議なほどである。それほどまでに男の状態は悪かった。

「すぐさま治療をお願いします」

 カブトの声に頷きたいのはやまやまではあったが、どう考えても薬が足りない。見渡す限りまともな薬品は見つからないし、此処は既に砂隠ではない。施設に数少ない薬品を取りに行くことすら叶わない今、サクラに出来ることは少なかった。

「少し時間はかかりますが、チャクラを流して生命活動器官の細胞を活性化させます」
「そんなことが出来るんですか?」

 驚く女医にサクラは頷く。チャクラを自在に扱えるのは忍の特権だ。そしてそれを医療に生かすことが出来るのが医療忍者の強みであり存在理由だ。

「ただ、集中して行わなくてはいけないので、出来る限り部外者は入れないでください」

 正確に言えば一番の部外者は自分だろう。この男性が何者なのかも、女医のことも丸眼鏡の男のことも何も分からない。
 だがそれでも――目の前に散りそうになっている命がある。
 ならば医者の名に懸けて、この命を見捨てるわけにはいかなかった。

「では僕は外に出ています。何かあれば呼んでください」
「あ! あの、」

 名前も知らぬままでどう呼べと言うのか。そう言いたげなサクラの視線に気付いたのか、カブトは「これは失礼」と眼鏡を上げると自己紹介をした。

「僕は薬師カブトです。我愛羅くんの知り合い――、とでも言っておきましょう」
「我愛羅くんの?」

 我愛羅に知り合いがいたなんて聞いたことはないが、任務で一緒になった事があるのかもしれない。サクラはそう結論付けると腕まくりをし、ふと気付く。

「あれ? 枷が……」

 サクラの手に嵌められていたのは通常の枷とは違う。チャクラ封じが掛けられた重厚な物であった。それが見事に外されている。
 それに驚き瞬けば、扉を開けようとしていたカブトが気付いて、説明する。

「ああ、あの重そうな手枷なら外させて頂きました。あなたのご趣味ではなさそうだったので」
「はあ……。それは、どうも。ありがとうございます」

 あんな物趣味で付ける女がいてたまるか。内心では鋭く突っ込んだサクラではあるが、喧嘩を売っている場合ではない。礼を述べつつ頭を下げれば、カブトはニヒルな笑みを口元に浮かべた。

「それから、失礼ながらも胸の呪印も。何だか苦しそうでしたので。では」
「え?!」

 思わず女医の前で胸元を開くサクラの目に、ずっと居座り続けていた忌々しい呪印は見つからなかった。

「嘘……。あの人、何者なの……?」

 羅砂の命令によりつけられた胸の呪印。それを解けるのは我愛羅と羅砂だけだと思っていた。
 しかしこの呪印が解けるとなると、相手は相当の知識と技術を持っているに違いない。ならばこの男も助けられそうなものではあるが、サクラはカブトを追うことはせず患者に向き直った。

「よし。やるわよ、サクラ! しゃーんなろー!」

 横たわる男は今必死に生きている。生きようとしている。その命を無碍にすることなど出来ない。
 パンッ! と音を立てて両頬を叩くサクラに、控えていた女医が恐る恐る声を掛けてくる。

「あの、サクラさん? 私にも何か、お手伝いできることはありますか?」

 それに対しサクラはすぐさま頷き、準備してほしいものをリストアップした。

「必ず助けましょう」
「はい!」

 頷く女医とサクラは、すぐさま治療を開始した。


 ◇ ◇ ◇


 羅砂の元に『国でクーデターが起こっている』と報せが来たのは、戻ってきたサソリたちを執務室に呼び出してすぐだった。

「おー、意外と早かったな。流石大蛇丸だ」
「何を呑気なことを言っている! 嗚呼全く……! 次から次へと頭が痛い……!」

 勝手な行動を起こした挙句、反乱を助長させる台詞を言い放つサソリに羅砂の眉尻が跳ねあがる。が、当の本人はどこ吹く風と言わんばかりに視線を逸らし、肩を竦めるだけだった。

「しかもよりにもよって木の葉に行っていたとは……! 敵に助力を求めるとは何を考えている!」
「何って、『戦争終わらせようぜ』って手ぇ組みに行っただけだが? アンタ自分じゃ動かねえからな。代わりに俺らが行ってきたんじゃねえか」

 あっけらかんと答えるサソリに、羅砂は思わず言葉に詰まる。そしてそんな羅砂に対し、テマリとカンクロウも初めて声を上げて抗議した。

「父様。父様が私たちをどう見ているかなんてこの際どうでもいい。だがこれ以上我愛羅の心を傷つけるのは止めてくれ!」
「俺らだって父様のこと責められねえけど、でも、アイツは俺らの弟じゃん! アイツの本音聞いちまったのに、今更知らねえ振りなんて出来ねえじゃん!」
「ッ!」

 羅砂は別にテマリとカンクロウ、そして我愛羅のことを蔑ろにしたつもりはない。
 いや、確かに我愛羅に対しては『その境遇に負けぬように』と一際厳しくしたのは認めている。だが傷つけようと思っていたわけではない。
 しかし子の心親不知、親の心子不知とはよく言ったもので、羅砂の気持ちは子供たちに届いてはいなかった。

「私たちはどうなったっていい。どんな刑罰だって受ける。だからこれ以上、我愛羅の罪を重くしないでくれ……!」

 ようやく我愛羅の本音が聞けた。例え自分たちの力でなくとも、二人にとってそれは大きな出来事だった。
 元より我愛羅との関係はいい方ではない。だからと言って見捨てるわけにはいかないのだ。どんなことがあっても我愛羅は自分たちにとって弟であり、家族だ。
 母を喪った原因が我愛羅ではないことを、今の二人は理解している。それにあの夜叫んだ我愛羅の本音は二人の胸を強く打った。
 それがなくとも、今更我愛羅を拒否する理由なんて二人はないのだから。

「そりゃあ初めの頃は俺だって怖かったじゃん。アイツ、俺たちより早く人を殺して……なのに『何も思わねえ』って顔してたけど……」
「でも、本当は嫌だったんだ、あの子。それを知らずに私たちは……」

 我愛羅が必死に作り上げた自身を守る殻に、拒絶する姿勢に負けた。それが悔しいと二人は述べる。
 羅砂はズキズキと痛む頭を押さえながら、黙って三人を眺めていたサソリへと視線を移した。

「お前は一体、何を考えている」
「別に。俺はただ約束を守りてぇだけだ。それ以上でも以下でもねえよ」

 ――“我愛羅様のこと、見ていてほしいんだ”。

 夜叉丸との約束を守るにしても随分と歪になってしまった。だがサソリにはコレが精一杯だ。
 深い溝で隔てられた姉兄と我愛羅を繋げることも、不器用な父親から子供たちを守るということも、何もかもサソリが手を出していては意味がない。だからギリギリのところ、そこから先は自分たちで進めと言えるギリギリの所まで連れて来たのだ。それがサソリなりの『約束の守り方』だった。

「おーし。それじゃあ俺たちも行くか」

 軽くそう口にして、さっさと取り上げられていた巻物を手にしようとしたサソリの腕を羅砂が掴む。

「お前たちに、戦に参加する許可を下すと思うのか?」
「おいおい。状況考えろよ。背に腹は代えられねえだろ? 今この里にどれだけの忍が残り、どれだけの奴らが戦えると思ってんだ? 薬もねえ、包帯もねえ。この里を丸ごと墓場にするってんなら話は別だが、あんたにそんな決断は出来ねえだろ」

 怒りと、疲労と、僅かな困惑。様々な感情が揺れ動く羅砂の瞳を、サソリは好戦的でありながらも存外静かな瞳で見つめ返す。
 だが時は刻一刻と過ぎていく。今は悩んでいる暇すら惜しい。

「カンクロウ。テマリ」
「何だ?」
「我愛羅は最下層の牢にいる。さっさと行きな」
「サソリ!」
「分かった!」
「了解じゃん!」
「コラ! 待て、お前たち!」

 サソリの言葉に二人はすぐさま頷き、鉄扇と傀儡を回収して駆けて行く。咄嗟に二人を止めようと羅砂が手を伸ばすが、今度は立場が逆転したサソリによって阻まれた。

「はっはあ! 大人は大人同士で話をしようぜ? なあ、風影様よ」
「貴様……!」

 これ以上時間はない。焦る羅砂に対し、サソリはただ冷ややかに笑うだけだった。