長編U
- ナノ -

円 -02-



 大蛇丸の元にクーデターの話が来たのは、サソリが木の葉に辿り着く少し前だった。

「へぇ。そうなの。あの傀儡師が我愛羅くんたちのために動くとはねぇ……。意外だったわ」
「ええ。僕もそう思います」

 大蛇丸に詳細を告げたのはカブトだ。
 実はサソリが砂隠からテマリたちを連れ発った日、紛れ込んでいたカブトに目敏く気付いた男はそちらにも一筆したためていたのだ。

「サソリは一刻も早く大蛇丸様に告げて欲しいと」
「そう、分かったわ。今は極秘に大名の治療を試みてはいるけれど、そっちの件と同時進行したほうがよさそうね」

 大名の命を繋ぎとめるのも大事だが、己の判断が遅れてクーデターが失敗しても困る。こういったことは一分一秒を争うのだ。
 大蛇丸は早速立ち上がると、大名のことは一旦カブトに任せ、自身は国の軍人たちに声をかけてくると告げる。

「私は自来也と違って軍の半数以上を掌握しているのよ。国を相手にするならこれ位はしなくちゃね」
「流石大蛇丸様。抜け目ないですね」

 カブトの嫌味ともお世辞ともつかない言葉に「当然じゃない」と不遜気に返しつつ、大蛇丸は早速外套を纏う。

「それじゃあカブト、後は頼んだわね。少しでも異変があったらすぐに呼びなさい」
「分かりました。お気をつけて」

 頷くカブトを一瞥し、大蛇丸は国へ向かって駆けて行く。残されたカブトは極秘に匿われている大名の部屋の前に立ち、周囲に人がいないことを確認してから古びた扉をノックした。

「失礼します。容体はどうですか?」

 現在救出された大名が匿われているのは、国の中心部から外れた寂れた町だった。とはいえここはかつて大名の息がかかった土地であり、生き残る多くの者たちが大名を匿うことに賛成してくれた。
 そしてこの地に住んでいた唯一の医者が大名の様子を診ていた。

「毒のせいで衰弱が激しく、肺などの呼吸器官に障害が出ています。もっとまともな薬があればよかったのですが……」

 そう言って物悲しげに俯いたのは初老の男――ではなく。年若い娘であった。
 唯でさえ女医という存在は珍しいのに、加えてその若さ。ぱっと見たところ、カブトと同じかそれより少し上くらいだろう。それでも大人顔向けの技術は『春野サクラに匹敵するな』と考えられた。

「父が残してくれた文献に似通った症状や解毒法は明記されていますが……。もうこの薬草は採りつくされてしまっているでしょうし、代わりのものを見つけるにしてもどこに材料があるのかも分からないですから……」
(ん? アレは――)

 女医が取りだしたのは一冊の本だ。その見た目と、表題を目にしたカブトは思わず眉根を寄せる。どこかで見た記憶があったのだ。

「失礼ながら、先生のご両親は?」
「既に他界しました。医者だった父は私が幼い頃不治の病に体を侵されそのまま……。母は数年前父と同じ病に掛かり、この世を去りました」
「そうでしたか……。失礼いたしました」

 頭を下げるカブトに、女医は「気にしないで」と朗らかに微笑む。
 黒く長い髪を三つ編みにし、更にそれを団子にして簪で固めていた女医は本を閉じるとそれを膝の上に置く。

「それに私だけじゃありませんもの。此処に残る人たちも皆一緒。家族を亡くしていない人なんていませんわ」
「ええ……。そうですね」

 死はある意味平等だ。年齢も性別も、貴賤すら問わず必ず訪れる。それが早いか遅いか、どんな形で訪れるかは人それぞれではあるが。
 黙するカブトに何かを感じ取ったのか、女医は再度微笑むと閉じたばかりの本をカブトに見せる。

「これは父が残したものです。父は立派な医者でした」
「少し、拝見させていただいても?」
「ええ。どうぞ」

 女医から受け取った一冊の医療書。その表題と中身を読み、カブトはコレをどこで読んだかを思い出した。

「先生。一つお尋ねしたいことがあるのですが」
「はい。何でしょう?」
「この本は、この一冊だけでしょうか?」

 カブトはこの本と同じものを読んでいる。それも数ヶ月前、この風の国の首都で。

「いえ、厳密に言えば違うと思います」
「どういう意味ですか?」
「私には、生き別れとなった妹がいるのです」

 女医の話によると、彼女は元々医者の父親と看護婦の母親、そして自分と顔立ちが似た妹の四人家族だったらしい。
 しかし母親の腹に三人目の命が宿った頃、父親が不治の病を発症した。家族に移ることを畏れた父親は女医の妹と母親を別の地へと住まわせたらしい。

「先生は御一緒されなかったのですか?」
「はい。私も幼かったのですが、それでも父と共に医療の道に進む準備を始めておりました。私にとって初めての患者が、父だったのです」

 母と妹と生き別れることになった女医ではあったが、それでも父親の為に尽力した。しかし病の原因は一向に分からず、そのまま亡くなったという。

「その頃には母は妹と生まれたばかりの弟を養うため、有権者の殿方と再婚しておりました」
「そうですか……」

 それを知った彼女は母と妹の元には戻らず、そのまま医者としての道を一人で進み始めたと言う。父親が残した、幾つもの書籍と共に。

「ですが、母も医療従事者。父と共に記した書籍を、母も持っていたのです」
「成程。道理で……」

 そう、我愛羅が手にかけた医者の家から横領した数々の書籍の中の一冊がこれと同じものだったのだ。

「先生」
「はい」
「あなたと同じように、腕利きの医者がいることを知っています。彼女ならきっと、大名の状態を改善させてくれるでしょう」
「え?! そんな方が、そのような方がまだ、この国にいらっしゃると言うのですか?」

 立ち上がり、不安そうな眼差しを向けてくる女医にカブトは頷く。

「ええ。何せ忍界一の医療忍者が育て上げた愛弟子ですからね。腕は確かですよ」
「そんな方が……。ええ、出来ることならお会いしてみたいわ。どんな方なのか。そして出来るなら、私も同じように学んでみたいですわ」

 女医の言葉にカブトは頷くと、早速大蛇丸に向かって報せを飛ばす。――春野サクラを牢から救出する旨を。


 ◇ ◇ ◇


 各地で様々な動きが起きているとは露知らず、サクラ本人はというと――すっかり欠けてしまった刃を前に意気消沈していた。

「あ〜あ。やっぱり折れちゃったんだな、コレ」
「厳密にいうとまだ折れてはいないわよ。でも正直使い物になんないわね、これ」

 やはりカミソリの刃程度で手枷をどうこうしようとしたのが間違いだった。無謀とはいえそれなりに健闘したサクラではあったが、努力の甲斐虚しく項垂れる。
 そんなサクラに木の葉丸たちは視線を合わせると、どうにかして励まそうと必死に言葉を捻りだした。

「で、でも! ほら、手錠のここんとこちょっと欠けてるぞ、コレ! 流石サクラ姉ちゃん、すげえ馬鹿力だぞ、コレ!」
「こ、木の葉丸くん! あ、でも、本当に凄いと思います! 私たちなんて隠し武器すら持ってなかったから……」
「そうですよ! サクラさんの頑張り、僕たちはちゃんと知ってます!」

 子供たちの励ましにサクラは「ありがとう」と微苦笑を返したが、それでも使い物にならなくなった刃と同じようにへこんだ心はどうにもならなかった。

(どうしよう……。これじゃあ戦争が始まるか終わるまでずっと此処にいなきゃいけないってことじゃない。チャクラ封じもあるし、胸の呪印もまだ解かれていない)

 サクラが裏切ればすぐさま命を蝕む呪印。例えこの牢から逃げ切ることが出来ても、羅砂が発動させてしまえば一瞬で死んでしまう。

(この呪印を解けるのは我愛羅くんか風影だけ。サソリさんは知らないって言ってたけど……あんまり頼りたくはない)

 名義上はサクラの上司とはいえ、サソリはあまり頼りたくない人物だ。チヨとの確執もある。これ以上サソリに迷惑をかけるのは嫌だった。
 だが頼みの綱である刃が欠けて使えなくなってしまった以上、背に腹は代えられない。サソリが顔を出すとは思えないが、どうにか話でも出来ないだろうかと思っていると、看守が立っているはずの廊下側から人の争う声が聞こえてくる。

「何の音だ? コレ」
「さあ……」

 耳を澄ましてみれば、言い争う声だけでなく刃を交える音もする。一体何が起こっているのか。まさかもう戦争が始まり、敵がここまで迫ってきているというのか。
 目を凝らすサクラの前に、一つの弾が転がってくる。

「これは……!」

 団子のようにコロリとした丸いフォルムのそれは、サクラも幾度か使用した事のある睡眠ガスだった。使用法は至って簡単。対象物に向かって直接投げるか、対象物近辺に転がし刃物で衝撃を与え破裂させるかのどちらかだ。
 未だ破裂していないそれをすぐさま蹴り返そうとしたサクラではあったが、それよりも早く投げられたクナイにより勢いよく弾けて周囲に煙をまき散らす。

「皆、吸っちゃダメ!」

 とはいえ木の葉丸たちはサクラと違い、体が小さい。少しでも吸ってしまえばすぐさまその幼い体にガスは回り、あっという間に瞼を閉じ倒れてしまう。

(しまった! 私も、もう……――)

 幾ら睡眠ガスだと分かっていても、手枷がある以上まともな抵抗も対処も出来ない。結局サクラもじわじわと体を蝕まれ、ついに硬い床に突っ伏してしまう。

(があら、くん……)

 ――出来ることならもう一度、会いたかった。

 自分のために進んで牢に入った男を思い出す。

 振り返らぬ背中は、もう孤独に苛む子供の物ではなかった。
 それでもやはり離れがたい。無意識に伸ばした指は我愛羅に届くことはなく、カツン。と硬い音を立てて枷と共に地面に落ちた。