長編U
- ナノ -

円 -01-



 ――クーデターを起こす。
 時間さえ許せば木の葉も砂隠もそうしただろう。だが忍だけでは無理がある。
 何せ国は大きい。有する力も人も圧倒的だ。幾ら忍が優秀な技を以ってしても難しいところがある。――本来ならば、だが。
 しかしサソリは国に大蛇丸と自来也が潜んでいること、彼らが各々自身の味方を作っていることを知っている。だからこそこんな無茶な計画を持ってきたわけだが、それはそれ。不遜な男は下手に出ることをしないのだ。

「時間の猶予はない。木の葉を纏めるのはアンタの仕事だ。腕見せろよ」

 不敵に笑うサソリに、ミナトは「責任重大だね」と苦笑いしつつもしかと頷く。
 双方の大名は存命だ。彼らが救出されたことを偽りの大名が気付くまでにクーデターを起こす準備を整えなければならない。

「とはいえ、国の軍人とて半数以上は今の大名に従事しておる。ワシの味方になってくれる者たちはそう多くはないぞ」
「半数以下でも十分だ。そんなもん指揮と戦略が執れてりゃどうとでもなる。時間も人も使い方次第なんだよ」

 誰が相手であろうと不遜な態度は崩さない。徹頭徹尾その姿を貫き通すサソリに自来也は呆れたように肩を竦め、しかしそれもまた時代かと思い直して頷き返す。

「よかろう。ワシも出来る限りのことはする」
「頼りにしてるぜ」

 一体どの口がそれを言うのか。
 ひたすら苦笑いするミナトに、サソリは「おい」と声をかける。

「アンタん所、一人頭のキレる奴がいただろう」
「シカクのことかい?」

 奈良シカク。木の葉では知らぬ者がいないほどの切れ者だ。普段は飄々とした態度を貫いてはいるが、一度戦場に入れば一手も二手も先を読み相手を陥れる。
 サソリもシカクの立てた作戦で痛手を喰らったことは多い。それを覚えていたが故に、珍しく神妙に頷いた。

「一度此処を襲撃した際うちの忍が一人、ソイツとやりあった。随分な手練れだと褒めていたからな。頭の方も腕の方も、頼りにしてるぜ」

 そこでミナトは正月、腕に怪我を負ったシカクが砂隠の上忍と一戦交えていたことを思い出した。シカクは主に作戦を立てるのが仕事とはいえ、全く戦場に立たないわけではない。むしろ状況をよく知るために進んで潜ることもある。
 そんなシカク相手にあそこまでの深手を負わせたのだ。砂隠にも頼もしい腕利きがいると言うことだ。

「分かった。シカクには僕から言っておくよ」
「ああ。そうしてくれ」

 シカクとて戦争にはうんざりとしている。シカマルのこともある。これ以上は無意味だと言って同意してくれるだろう。

「ところで、サソリさん。一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」
「あ? 何だ?」

 木の葉が抱えている忍の数と、砂隠が抱える忍の数は随分と差が開いてしまった。
 元々土地の広さや人口も違うため多少の誤差はあって当然なのだが、この戦争のせいで砂隠の忍は随分と減っていた。現状動ける者は少ないだろう。何せ砂漠の中にある里だ。薬が隅々まで行き渡っているとは思えなかった。

「君たちの勢力はどれほどのものなのか。国の面積で言えば風の国も随分なものだが、大丈夫なのかい?」

 そもそもこのクーデターは双方の革命が成功しなければ意味がない。
 火の国で偽の大名が倒れても、風の国で倒すことが出来なければ意味がない。何故ならクーデターに失敗すれば反乱軍だけではなく、里に残された手負いの忍も、統率のとれなくなった軍人たちもまとめて淘汰される。
 相打ちになれば話は別だが、そこに持ち込めるほど砂隠が回復しているとは思えない。傾いているとはいえ国は国。食料も薬も武器も、優先的に与えられる。それは仕方のないことだった。

「まあ、正直に言えば苦しいな」
「…………そうか」

 火の国と風の国では軍の成り立ちが違う。火の国は騎馬隊や火縄銃が主戦力で、歩兵隊による泥仕合は得意ではない。
 縦社会ではあるが、軍の階級により綺麗に軍が割り振られているわけではない。それぞれの地域ごとに領主が宛がわれ、彼らに従事しているだけだ。
 ようは戦国の世からのシステムをそのまま引き継いでいると言える。

 対する風の国は過去のシステムを廃し、完全なる軍事国家として成り立っている。
 全ての軍人は階級ごとによって役割や戦場を決められ、小隊を組み、各戦略部隊と共に手を組み戦場を蹂躙する。
 主な武器は鉄砲や大砲と言った鉛での大掛かりな攻撃だ。それらは破壊力、殺傷力共に高く、一撃でも食らえば大損害になる。その分弾の補充に時間がかかるため、そこを狙えば一気に崩れるのも特徴だ。
 だが近接戦闘が苦手と言うわけでもない。風は火の国とは違い、軍人として鍛えられている。いわば職業軍人だ。そのため彼らは一人一人の格闘技能力が高い。敵に回せば厄介なのはどう考えても風の軍人であった。
 それを懸念するミナトに対し、サソリは無表情で言い放つ。

「――だが、うちには我愛羅がいる」
「!」
「サソリ! 黙って聞いていれば好き勝手言いやがって!」
「まだ我愛羅を道具として使うって言うのかよ!」

 その台詞に腰を浮かせたのは他でもない、我愛羅の姉兄であるテマリとカンクロウだ。ミナトからしてみれば予想出来ない答えではなかったため反論はしなかったが、二人はそうはいかない。
 何故ならあの日、あの夜。二人は我愛羅の叫びを聞いていた。出来ることならもう手を汚して欲しくないと思っている。
 無論サソリとてそれは重々承知だ。だがそれでも、時には心を殺してでもやり遂げなければならないことがある。

「落ち着け。いいか、てめえら。勘違いすんじゃねえぞ? アイツの願いは戦争の終焉と小娘の返却だ。そのためなら命だって差し出すと宣言までした。だったらその覚悟を汲むのが“上の務め”って奴だ」
「――ッ! でも……!」

 二人からしてみればようやく我愛羅の本音が聞きだせたのだ。例えそれが自分たちの力ではなかったとはいえ、知ってしまったものを今更無視することは出来ない。
 だが現状我愛羅以上に力を持つ忍が砂隠にいないことも事実だ。戦争を終わらせるために再び我愛羅の手を血で染めるか否か。テマリたちに出せる答えではない。

「今更どうこう言ってもしょうがねえ。時間は止まらねえ。人の欲望も、願いも。どちらも折りあいなんてつかねえんだ。だったら悔いの残らねえ方を選ぶしかねえだろ」

 ――戦など、始めた瞬間からどちらも悪だ。
 どれほど大層な大義名分を掲げようともやっていることは太古の昔から何も変わらない。殺して、奪う。そこから更に戦は広がっていく。
 それを『浄化』と呼ぶ者もいれば、『殺戮と破壊の繰り返しだ』と言う者もいる。結局は考え方次第なのだとサソリは二人を諭すように続ける。

「自分が進んでいるか後退しているかなんて現時時点じゃ誰も分からねえ。ただ進むべき道がハッキリとしている以上、俺たちは踏み出さなきゃならねえんだ」

 例えそれが我愛羅の手を汚すことになろうとも――他に道が無ければ、選ぶしかない。

「……もっと早くに、気づいてやれておればのぉ……」

 我愛羅のことも、大名のことも。もっと早くに気付いてさえいれば、ここまで事が大きくなることもなかっただろうに。
 悔いたところで時間は戻らない。殺めた命が蘇るわけでもない。今は先に進むことだけを考えるべきだとサソリは締めくくる。

「とにかく、俺は坊ちゃんをどうにかして牢から出す。小娘と三代目火影の孫はそれからだ」
「そうだね。あの子たちを、もう戦争には巻き込みたくはないからね」
「ああ。我愛羅も同じこと言うと思うじゃん」

 我愛羅が助けたいと思っているのは何もサクラだけではない。二人は牢の中から自分たちを見上げてきた子供たちの瞳と言葉を思い出す。
 あの子供たちもサクラ同様、我愛羅を信じ、心配していた。それがどういうことか。分からないほど浅はかな二人ではない。

「火影、私たちは我愛羅を助けたい。そのために戦争を終わらせる」
「ああ。これ以上我愛羅を“兵器”にはさせないじゃん」
「うん。分かっているよ」

 ナルトより歳が上とはいえ、テマリもカンクロウもまだ子供だ。もし戦争がなければきっとよき仲間になってくれたであろう二人の瞳を見返しながら、ミナトは頷いた。

「必ず終わらせよう。この無駄な戦いを。僕たちの手で」
「ああ。――必ずだ」

 真っすぐとした瞳に覚悟の色が満ちていく。幼さの中に垣間見える忍としての強さに、ミナトは「強いなぁ。眩しいなぁ」と目を眇め、サソリへと視線を移した。

「ところで、風影のことはどうするつもりだい?」

 ミナトとて風影、羅砂のことを知らぬわけではない。国と里の間で板挟みになっているのはミナトも同じである。
 抱える苦労も似通ってはいるだろうが、信念は違う。己と真逆と言ってもいいほど性格の違う羅砂のことを脳裏に描きつつ尋ねれば、サソリは「心配すんな」と巻物を丸めつつ答える。

「風影だって胸を痛めてねえわけじゃねえ。表だって賛成しなくても、見て見ぬふりぐらいはするさ」

 果たしてそれが本当かどうか判断する材料はないが、それでもミナトは「分かった」と頷くことでそれに応えた。
 サソリはスパイではない。そう胸を張って言い切れる材料はなかったが、幾度も腕を交えたからこそ分かるものがある。それを肌で感じていた。

「君たちの武運を祈っているよ」
「ああ。俺とリベンジマッチする暇もなく死ぬんじゃねえぞ?」

 パン、と去り際に軽い嫌味と共に肩を叩かれ苦笑いする。どこまでも不遜で無礼なサソリにテマリとカンクロウは顔を顰めたが、武器を手に取ると早々と木の葉から去って行った。

「最後の戦い――になりますね」
「そうだの。そうとなればワシもぐずぐずしておれん。何かあれば人を寄越してくれ。里のことは頼んだぞ」
「はい。先生」

 火影室にミナトだけを残し、自来也も早速国に向かって駆けて行く。
 残された時間は共に少ない。その間自分たちには何が出来るのか。どこまで国に対し反抗することが出来るのか。そしてクーデターを起こした先――この里に国と共に生きる道は残されているのか。
 どちらにせよ崖っぷちだ。

 ミナトは握り締めていた拳を開き、爪痕が残る手の平をじっと見つめる。
 ――自分たちの未来はこの手に掛かっている。
 それを深く噛み締めながら、ミナトは自身のやるべきことをするため火影邸を後にした。


 ◇ ◇ ◇


 サソリが子供たちを連れ、里を出て行ってから一週間が過ぎようとしている。
 羅砂は風影室の椅子に座りながら、じっと風に舞う砂塵を見つめていた。

(スパイを見つけ次第処刑せよ、か)

 今朝方届いた国からの文。そこには偽の大名が綴った幾多の命令が記されていた。その中の一つが反逆者の暗殺だ。

(フッ。これを実行すれば砂隠に忍はいなくなるだろう。私も含めて、全員――な)

 己とて好き好んで戦争に参加したわけではない。だが止められなかったのだ。自分の力だけでは。国同士の戦争を止めるのに、たかだか忍程度では歯が立たなかった。それだけの話だ。

(俺は何をやっているんだろうな。我愛羅、加瑠羅――)

 我愛羅に問われた時、羅砂は咄嗟に答えることが出来なかった。

 “戦争を止めようとは思わなかったのか”。
 その問いかけに対し、出来ることなら言ってやりたかった。自分だって止めたかったのだ、と。この無謀とも無意味とも呼べる戦争を止めようとしたのだ、と。

 妻を亡くし、男手一人で子供たちを育てるのは至難の業だった。仕事だってある。妻のようにいつだって子供たちの小さな手を握ってやることは出来ない。それでも確かに愛していた。三人共紛れもなく羅砂の子だ。加瑠羅との間に設けた、可愛い子供たちだ。
 そんな我が子を進んで『戦争』と言う名の地獄に堕とそうなど、誰が思うだろうか。

 羅砂だって止めたかったのだ。勿論忍として生まれた以上、必ずどこかで誰かを手に掛ける時が来る。
 だが自分たちの子供が、子供たちの進むべき未来が血塗られた戦場など、悪夢もいいところだ。初陣で命を散らす可能性だってあるのに、そんな未来に誰が進んで背中を押すだろうか。

 それでも止められなかった。羅砂たち忍が訴えたところで砂漠の地では国が強い。結果、戦争に反対した仲間数名は見せしめのために殺された。
 羅砂にとって大切な仲間を、部下を、無意味な死を、これ以上増やすわけにはいかなかった。

(とはいえ、結果的に同じことになっているな。人口は減り、物資も底を尽きつつある。このままいけば国と共に倒れる日もそう遠くはない)

 この国は既に泥船と化している。寄りかかったところで共に沈没するだけだ。かといって逃げるにももう遅い。そもそも忍に逃げ場などない。あるのはいつだって、生きるか死ぬかの二択だけだ。

「はあ……」

 届いた文に対する返事はまだ書いていない。
 戦争終結の為なら己の命など喜んで差し出すと言った我が子の言葉が、思った以上に胸に刺さっていた。

「俺は我愛羅に、あんなことを言わせるために生きてきたと言うのか……」

 我愛羅に守鶴を背負わせたのは他でもない、羅砂自身だ。守鶴をコントロールさせるために刺客を向けたのも、夜叉丸を殺させたのも、全て自分だ。
 その選択を今更後悔することはない。後悔した所で失われたものは戻ってこない。そんなことは分かっている。それでも、我愛羅の進む未来が“死”で解決できるものだと思っては欲しくなかった。

 死は生きることより簡単だ。我愛羅は死ぬ気はないと言ったが、いざとなれば己の首を喜んで差し出すだろう。果たしてそれは本当に生きる活力に沸いた者の言葉だろうか。
 羅砂はここ数日、誰もいなくなった家で考えることが多くなった。

 ――妻を亡くし、子を亡くし、本当の意味で独りになった時。この家で、この里で、一体何を思い、何のために生き、何のために死ぬのだろうかと。

 加瑠羅は我愛羅を守るため、全ての力を砂に残して死んだ。だが肉体は滅んでもその想いは変わらない。
 それが加瑠羅の自分に対する言葉無き訴えなのだと知っていながらも、見て見ぬふりをしてきた。

 我愛羅が孤独であることは知っていた。守鶴と分かりあえず日に日に隈が濃くなっていき、憔悴していく姿も、我愛羅が道を歩く時だけ必ず人がいなくなる理由も、知っていた。
 だが全て見て見ぬふりをしてきた。それは紛れもない自分自身で、自分の意思だった。

「そのツケがこれか……。まったく、笑えん話だ」

 今、自分の手元には信頼の置ける部下も、不器用ながらも愛した子供たちもいない。見つめる先には渇いた手の平と、底なしの地獄があるだけだ。
 どこまで行っても救いがない。救われることがない永遠の生き地獄の中に、羅砂はいる。

「加瑠羅……。お前は、俺を許してはくれないだろうな」

 我愛羅は今最下層の特別監獄にいる。最も刑罰が重い重罪人や、人柱力を閉じ込めるための場所だ。国の要人たちの目を欺くためとはいえ、我が子をそこに押し込めた。
 その罪悪感が今、羅砂の胸を支配している。

「――我愛羅」

 羅砂の苦悩は続く。

 加瑠羅の言葉を押し切り、我愛羅の中に守鶴を宿らせた日から。母を亡くし、不安な日々を過ごすテマリやカンクロウたちの手を取れなかった日から。
 己の右腕であり、加瑠羅の弟であり、何より我愛羅の唯一の理解者であった夜叉丸を我愛羅から奪った日から。
 終わることのない懺悔の日々が、今も続いている。

「……――すまない」

 誰にも届かぬ懺悔は今日も繰り返される。
 閉じた瞼の奥で、噛みしめた奥歯の音を頭の片隅で聞きながら――羅砂の言葉無い慟哭は、吹きすさぶ砂塵の音によってかき消されていった。