長編U
- ナノ -

周/廻 -06-



 自来也が木の葉に足を運んだのは、風の国の茶屋でサソリと別れた翌々日だった。

「何ですって?! 大名が入れ替わっていただなんて……。それは本当ですか、自来也先生」

 執務机の上に重ねられた書類の向こう。青い目を見開き驚きに震えるミナトに、自来也は頷くことで答える。

「少し前から調べておっての。遂に幽閉されておった風の国の本物の大名と、火の国の大名を発見した」

 風の国の大名は大蛇丸が鉱山の一画で幽閉されていたのを発見し、火の国の大名は自来也が国で信頼を築いていたとある軍人の機密部隊が発見した。双方ともに存命ではあるが、状態はよくない。

「火の国の大名はともかく、風の方は大分衰弱しておってのぉ。今必死に介抱しておる所だ」
「そう、ですか」

 風の国の大名は食べ物に混入されていた毒物のせいで内臓の機能が著しく抵抗しており、水もまともに受け付けられない状態だった。
 元々そう時間を置かずに戦争を起こし、両国を潰す気でいたのだ。己の国が滅んでいく虚しさと絶望――。それを冥途の土産にさせる腹積もりだったのだろう。
 自来也の言葉にミナトは「何てことを」と顔を顰めたが、すぐさま「火の国の大名は?」と問いかける。

「ああ。こちらは風に比べ酷くはない。だが指を丸めた状態で足も枷を嵌められておっての。自力で歩くことが出来ん程に衰えておる。更には指に出来た傷口が化膿し、壊死していた。結局その指は切り落とすしかなくての。あれでは暫くの間は日常生活もままならんだろう」
「っ! 何と……痛ましい……」

 十年も前から幽閉され、尊厳も何もかも奪われた彼らを思うと後悔ばかり押し寄せてくる。
 何故もっと早く気付かなかったのか。何故もっと目を配ることが出来なかったのか。
 歯を食いしばり悔やむミナトに、自来也は「そう己を責めるな」と肩を叩く。

「あのお方とて元軍人だ。手足を失う覚悟はとうに出来ておっただろう。それよりも御心のありようが変わっておらんようで安心した。助けに来た兵たちに国は無事かと問いかけ、兵や民の状態を気にしていた。どんなに劣悪な状況に追い込まれても、国と民を愛する姿に真の大名が誰であるか周りも気付いたことだろう」

 同時に悟ったことだろう。偽りの大名をこのままにしてはおけないと。そして何故国を傾けようとしているのか。疑問に思うはずだ。
ミナトは改めて悔やむ。その男たちの野望のために一体どれほどの人が死んだのか。嘆いたところで時間は巻き戻らない。それでもミナトは握りしめた拳を強く壁に打ち付けた。

「――次の戦でその者達を討ちましょう。この国も、この里も、風の国だって砂隠だって、奴等の好きにはさせない」

 子供を失った親を知っている。手足を失い、それでも懸命に生きている仲間を知っている。
 戦争の道具にされていることに悩み、苦しむ我愛羅の姿も、仲間を喪い、時に怪我を負ってリハビリに苦しむ我が子の姿も見ている。サクラだって、戦争さえなければ砂隠に攫われることもなかった。

 ――多くの者が傷つき、苦しんでいる。
 だからこそ私利私欲のために動く男たちにこれ以上仲間を傷つけられることも、戦争の道具にされることも耐え難かった。

 意思を固めたミナトの瞳は憤怒にも似た、けれど冷酷な炎を宿し燃えている。
 自来也は初めて見たと言っても過言ではないほど怒りに燃えるミナトに頷きかけたが、すぐさま聞こえてきた足音に意識を切り替えた。

「火影様!」

 慌ただしい足音と共に、殴りつけるかのようにして叩かれる扉。二人はすぐさま顔を合わせると「どうした!」と叫ぶようにして扉を開け、雪崩れこんできた警備を任せていた忍達の青くなった顔を見下ろす。

「て、敵襲です! 砂隠の忍が……!」
「何だって?!」

 まさかもう次の戦が始まったのか?!
 一足飛びに出ていくミナトに続き自来也も廊下を駆ける。が、曲がり角から飛び出るようにして出てきたカカシに思わず足を止めた。

「っと、自来也様」
「カカシ! お前こんなところで何をしておる! 早く現場に行かんか!」

 常であればミナトの代わりに、とでも言わんばかりの速度で事態収拾に走るカカシだが、何故か今は複雑な表情を浮かべて自来也を見返した。

「いや、それがですね……。どうも戦いに来たわけではないらしく……」
「はあ?」

 ぽかん、と口を開ける自来也とその他大勢の忍に、カカシも珍しく「何が何だか……」と肩を竦めたのだった。


 ◇ ◇ ◇


 一方、一足先に現場へと飛んだミナトは視界に入った三人に目を丸くした。

「君たちは――」

 瞬身の術で飛んだ先にいたのは、正月に火影邸を襲い、情報を奪った風使いの少女と――同じく毒ガスと煙幕で木の葉を錯乱した少年だった。
 そしてその二人の真ん中に立ち、堂々と火影を見上げるのは見知らぬ男だ。我愛羅と似た赤髪に、相手を見下すような酷薄とした笑み。纏う空気は掴みどころがなく一見隙だらけだが、いざ対峙してみると油断出来ないことが伺える。
 得体の知れない相手にミナトは警戒心を強めるが、男は鷹揚とした態度で組んでいた腕を解くと、存外気安く声を掛けてきた。

「よお。久しぶりじゃねえか。火影」

 赤髪の男の口から零された台詞と、聞き覚えのある声にすぐさまミナトは体制を整える。
 その声が『二度も辛酸を舐めさせられた傀儡師のものである』と判断したからだ。だが幾ら手練れとはいえ、三人だけで敵里に潜り込んでくるのは勇敢と言うよりも無謀だ。
 考えの読めない男を睨むように見つめるミナトに、赤髪の男――サソリはやれやれと吐息を吐きだした。

「おいおい。ちょっと待て。別に俺らはてめえを殺りに来たわけじゃねえし、情報を奪いに来たわけでもねえ」
「その言葉、簡単に信じられると思うかい?」

 それに言葉にはしていないが、この男自身が精巧にできた傀儡であるという可能性もある。構えを崩さぬミナトに対し、今度はサソリではなく鉄扇を背負ったテマリが口を開いた。

「こいつの言葉が信じられないのも無理はないが、私たちは我愛羅の姉兄だ。今回の戦のことで、話がしたい」
「おうコラ。リーダーに向かって何て口利きやがる」
「信用度が低いリーダーじゃん」

 若干不機嫌な顔をしてテマリを制するサソリに、ミナトは一瞬戸惑う。が、傀儡を背負っていたカンクロウがそれを肯定するかのように己の傀儡をミナトの前に置いた。

「だけどマジで戦う気はないじゃん。俺は傀儡師だ。コイツが無けりゃ話しにならねえ。これを、あんたに預けるじゃん」
「………………」

 疑うようにカンクロウの瞳を見つめるが、その瞳は嘘偽りなどないかのようにまっすぐとミナトを見返してくる。幾ら子供とはいえ相手は忍。けれど疑うには少々――思うところがある。
 悩むミナトに対し、カンクロウの横に立っていたテマリも背負っていた鉄扇を地面に置くと、迷うことなく蹴って寄こした。

「これであたしも丸腰だ。これなら文句ないだろう?」

 二人の覚悟が如何ほどか。内心で吟味しつつも最後にサソリへと視線を移せば、サソリは面倒臭そうに顔を歪めた後「へいへい」と嫌そうに頷き、ホルダーに手を掛けた。
 勿論ミナトはその瞬間僅かに重心を落としたが、サソリは指摘することなくカンクロウの隣に巻物を置いた。

「ったく。仕方ねえなぁ……。おい、火影。これは俺の大事な傀儡だ。汚すんじゃねえぞ?」

 釘を刺しつつ自ら丸腰になった三人に、ミナトもようやくクナイを持つ手を下した。

「これで少しは話をする気になったか?」

 ――剣を取るかパンを取るか。有名な話じゃねえか。
 そう続けて不敵に笑うサソリに、そしてそんな男を呆れたような顔で見上げる少年少女の姿に、ミナトもようやく肩の力を抜いて微苦笑を浮かべた。

「歓迎するよ。――とは言えないけど、僕も争いは嫌いでね」

 ミナトの後ろに控えていた忍達も、ミナトが武器を下すよう指示を出せば渋々それに従った。

「火影様」

 自来也と別れ、単身で乗り込んできたカカシにミナトは顔を向ける。その瞳は「本当によろしいのですか?」と暗に問いかけてきたが、ミナトは気にすることなく「彼らを客室に」と促す。そして「武器も丁重に運ぶように」と指示を出したのだった。


 ◇ ◇ ◇


 ここに来て一つ露になったことだが、テマリとカンクロウは我愛羅と火影が繋がっているなど夢にも思っていなかった。

 それを知っていたのは風影である羅砂と、監視をしていたサソリのみである。だが道中で全て教えるのも憚られたので、サソリは黙っていた。
 しかし客室に着くなりミナトに「我愛羅はどうしているのか」と尋ねられ、つい二人は警戒してしまったのだ。
 何せ彼らは――特に我愛羅は木の葉の忍達にとって恐怖と憎悪の対象だ。そのトップに目をつけられていても可笑しくはない。
 だがそんな二人にミナトはしょんぼりとした顔で「僕のせいで傷ついていないといいんだけど」と続けたことにより、我愛羅との関係が露になったのである。

「我愛羅のこともそうだけど、サソリ。あんた知ってたなら何で教えてくれなかったんだい」
「全くじゃん。警戒して損したっつーか、失礼なことしちまったじゃん」
「うっせえなぁ、ちょっとした顔見知りなだけだ。かーおーみーしーり。ダチでも何でもねえーんだよ」

 勿論そんな言い訳で流されるほど頭の弱い二人ではないが、曲がりなりにもここは敵地だ。もし我愛羅に危害が及んだら、と思えば深くは追及できない。そのため仕方なく口を噤むことにした。

「しっかしよぉ……。あんたら揃いも揃ってよくやったもんだな」

 火影邸の一室。客室兼会議室に通された三人は、そこで待ち構えていた自来也と共に席に就いた。
 実際サソリは数日前自来也と顔を合わせている。そのおかげでミナトもサソリに対し僅かばかり残っていた不信感を払拭することが出来たのだが。

「流石にこれ以上戦争をされると困るんでの」
「それにしても、あんたの言ってた人脈が軍人だとは思わなかったぜ。さっすが生きる伝説。痺れるぜ」

 火影もそうだが、意外とサソリの顔が広いことにテマリとカンクロウは困惑が隠せない。何せ傀儡部隊など大体が引き籠りなのだ。特にサソリは造形師でもある。里にいる間は施設に籠りきりで出てくることは少ない。逆に外に出る時は任務ぐらいだ。そんな男がこうも顔が広いとは……。『事実は小説よりも奇なり』とはよく言ったものだ。
 とはいえ、呑気に雑談をしている暇はない。自来也は早速サソリに問いかける。

「それで? お主らの目的は何だ。我愛羅を助けることか?」

 我愛羅と面識があるのは戦場に立ったことのある火影だけだと思っていた二人はここでも驚くが、サソリは気にした様子もなく「それもあるが」といつになく真面目な様子で胸中を語る。

「一番はこの阿呆みたいな戦争を止めることだ。本来大名の席に就いているはずのお方も見つかったんだろ? だったらこれ以上敵対する理由はねえかと思ってな」

 サソリは大蛇丸と共に軍人たちの愚かな欲望を聞いている。それを潰すのに自里の忍を使えばクーデター扱いになる。
 ともすれば国と忍里との共食いになることは必須。両国を互いに潰させ合うのが目的の軍人からしてみればあまり面白くないが、結局の所国も里も滅びるのであればある意味では標達成だ。
 それに先に風と砂が滅びても何らかの形で火の国と木の葉を争わせるに違いない。それを避けるべくサソリはミナトに話を持ちかけに来たのだ。

「あんたが戦争を止めようと動いていたことは知っている。あんたが坊ちゃん――我愛羅のことを少なからず気にかけていることもな」

 我愛羅とミナトの関係については先程ザックリとだが説明を受けたばかりだ。だが我愛羅は木の葉の怨敵でもある。それを何故、と問うような視線で見つめてくる姉兄に、ミナトは眉尻を下げ、苦みの多い笑みを浮かべた。

「正直、僕たちは彼に痛手を食らわされたことの方が多い。サクラを攫った時だって――死者は多かった」

 あの蒸し暑い夏の夜。サクラ以外の人間は全員殺された。あの惨劇を、ミナトは未だに悔いている。
 そしてその一端を担ったのはテマリとカンクロウだ。大半は我愛羅が手にかけたとはいえ、自分たちも木の葉の忍を殺めている。二人は無意識に俯き、苦々しい表情を浮かべる。そんな姿を見逃すミナトではない。
 我愛羅を宥めたように、ミナトは二人に対しても目尻を和らげた。

「でもそれはお互い様だ。僕だって君たちの親や友人、その親族達を手にかけた。一人だけ綺麗事を言うつもりはないよ」

 それに人柱力がどんな存在であるか。どんな目で見られているか。知らないミナトではない。むしろ「だからこそ」我愛羅を気にかけずにはいられなかった。

「僕は正直我愛羅くんに会うまで、彼は“戦が好きな子供”なんだと思っていた。人を殺すこと、戦果を上げること。力を振るうことに疑問を抱かない子なんだと思っていた」

 だが自来也から話を聞き、我愛羅の心が如何に不安定であり、如何に他人に対し脅えているのかを聞いた時――。その偏見とも呼べる考えにハッとしたのだ。

「僕は尾獣のことをそれなりに知っているつもりだった。人柱力がどんな存在であるか、どれだけ大変な宿命を背負っているか。……知っているはずだったのに、見抜いてあげられなかった」

 今でこそクシナは楽しげに笑い、ミナトやナルトと共に生きている。だが人柱力の器として選ばれたことを知った時。大好きだったミトが亡くなった時。隠れて泣いていたことをミナトは知っている。
 背負う責務の大きさに苦しみ、九尾と分かりあえないことが哀しいと嘆いた姿を知っている。

「僕は彼が『本当は別の気持ちを抱えているんじゃないか』と思ったんだ。まだ十歳半ばの子供が戦争に駆り出されてどんな気持ちになるか……。人柱力としてただでさえ不安な毎日を送っているはずなのに、それを抑えつけてまで戦えと言われる彼の気持ちを思うと、どうしても放っておけなかったんだ」

 もしクシナが出産の時命を落としていれば、人柱力に選ばれていたのはナルトであっただろう。
 だがその時自分も共に死んでしまっていたら?
 それこそナルトは一人になってしまう。もしそうなれば里の者から何と言われるだろうか。
 英雄の子だと称えられるならばまだいい。だが子供が尾獣を操ることなど不可能だ。あの暴れ者の九尾が猛威を振るえば、それこそナルトは化物を閉じ込める檻として恐れられてしまう。

 もしいつかその檻が壊れ、九尾が暴れてしまったら――。

 恐らく『あの子の心を動かすような友になってはならない』と遠ざけられ、独りにされるだろう。考えるだけでもミナトは胸を掻きむしりたい気持になる。

 だがその思いを現実に我愛羅は抱えているのだ。
 一人ぼっちで砂漠を歩き、周りから遠ざけられても蹲ることは出来ない。他人に甘えることも許されない。戦うことでしか存在を認めてもらえない。
 そんな我愛羅を思うと、ミナトは里長としてよりも、人として彼の手を取りたくなった。

「“甘い”と言われることは分かっているよ。だけど、それでも……。僕の顔を見られずに俯いて、本当に辛そうに謝ってきた彼を見た時――僕はやっぱり彼を『助けたい』と、そう思ったよ」

 ナルトよりも小さな体だった。
 同じ歳のはずなのに、手も、足も、背丈も、背中も、何もかもが一回りほど小さかった。
 声だってナルトの方が遥かに大きい。里の端から端まで届きそうな大きな声で笑い、怒り、気持ちを叫ぶ。だが我愛羅は対照的に、蚊の鳴くような小さな、か細く震えた声で謝罪した。

「我愛羅くんは優しい子だよ。そんな子を、僕はもう戦争に巻き込みたくはない」

 ミナトから見た我愛羅はどんな幼子よりも頼りない、小さな子供だった。
 そしてその心は大人たちによって容赦なく傷つけられていた。己の心を犠牲にしてまで里に尽くさねばならない、奴隷のような生き方をしていた。

 風影がどんな気持ちで我愛羅を見ているのかは分からない。だがもし戦争が終わることで我愛羅の心の傷がこれ以上広がらなくて済むというのであれば、ミナトにとっても喜ばしいことだ。
 我愛羅はもう、ミナトにとっては敵ではなく守るべき仲間の一人であった。

「ハッキリ言ってやるが、俺はアンタと共闘する気はねえ」
「サソリ!」

 だがミナトの美談をつまらなそうに聞いていたサソリの発言にテマリが声を荒げる。しかしすぐさま「だが」と続けた。

「俺だって守ると決めたもんがある。そのためなら、アンタを“利用”させてもらうぜ?」

 敵里に単身で飛び込んできたうえに、己の武器である傀儡を預けているにも関わらずこの態度。呆れかえるほどの不遜さと尊大さにミナトは苦笑いし、自来也はやれやれと肩を竦めた。

「どうしてこう、砂隠の忍っちゅーのは素直じゃないのかのぉ〜?」
「ははは。まぁ彼らしくていいじゃないですか」

 笑うミナトに若干顔を歪めつつ、サソリは「んじゃま、交渉するか」と続け、懐から一つの巻物を取り出した。

「俺の話、乗らねえわけねえよなぁ?」

 まるで悪人のように笑うサソリに、ミナトたちだけでなくテマリやカンクロウも頬が引きつる。
 だが広げた巻物に記されていた内容は存外まともで、四人は顔を合わせるとサソリが言動や態度とは裏腹に如何に真摯にこの地に足を踏み入れたのかが分かり、真剣に耳を傾けるのであった。




第九章【周/廻(まわる、まわる)】了