長編U
- ナノ -

周/廻 -04-



 その日、我愛羅はいつもの如く皆の目を避けながら里を抜け出し、会合場所である風の国の茶屋へと足を運んでいた。

「久しぶりね、我愛羅くん」
「お久しぶりです」

 いつものように先に訪れていた大蛇丸の前に座し、我愛羅は懐に忍ばせていた文を手に取った。

「この文の内容ですが……」

 我愛羅の元に届けられた手紙には、大蛇丸が風の国で手に入れた情報が記されていた。しかしそこに記されていた内容は到底信じられず――普段は燃やして処理するのだが、真相を確かめるため持ち寄ったのだった。
 そんな我愛羅の確かめるような、それでいてどこか不安そうな瞳を見返しながら大蛇丸は深く頷く。

「残念だけど、そこに書いてあることは事実よ」

 大蛇丸が極秘裏に集めた情報はこうだ。
 現在国に立っている大名は『偽物』であるということ。そしてその偽物をでっち上げたのは風の国と火の国の軍人であること。だがその軍人たちは共に他国の人間であるということ。
 風影や火影ですら知らないであろう重要な情報に、我愛羅は知らず背に汗を掻いていた。

「自来也殿は、何と?」
「自来也も気付いているわ。でもまだ火影には伝えていないみたいよ。何せこの情報、信憑性は高いけど裏がとれていないのよ。勿論それも時間の問題だけど、百パーセントじゃない以上、これ以上里を混乱させるわけにはいかないわ。だからミナトくんの元に情報が渡るのはもう少し先になるでしょうね」
「そう、ですか」

 我愛羅たちが幼い頃に始まった戦争。始まりは単なる国同士での小競り合いだった。
 しかし単なる小競り合いが徐々に勢いを増し、気付けば国を挙げての“戦争”となった。そうなれば自然と忍たちも招集される。初めは間者として。あるいは情報捜査員として。まさしく『東奔西走』。休む暇なく数多の忍が国を行き来することとなった。

 だが戦争が長引けば国力は低下する。元より風の国も火の国も軍事国家だ。双方の損害は計り知れない。そんな中、遂に特殊な力を扱う忍に注目が集められた。
 初めは裏方稼業である忍に頼るなど、と反対意見も多く出たが、戦力が落ちているのは事実だ。『物は試しに』と導入された結果――両陣営共に忍の力を借りることとなった。

 幸か不幸か――。いや。この際『不幸だ』と断言しよう。
 優秀な忍がいたからこそ、戦いに特化した力を持っていた者がいたからこそ、こうして国家間の戦争に巻き込まれることになったのだから。
 切欠どころか理由さえ分からない、ただ無意味に争っているだけの戦争に。

「今も調べている最中だけど、本物がどこにいるかまだ分かっていないのよ。勿論、殺されている可能性もあるけどね」
「そうでしょうね。例え幽閉されていたとしても、既に十年は立っている。物資不足が嘆かれている今、大名にまともな食事が運ばれているとは思えません」
「ええ。一応部下に探させてはいるけど、正直微妙な所ね」

 渋い顔をする大蛇丸に我愛羅も頷く。元々の大名について詳しく知っているわけではなかったが、その人が大名に就いてからは争いやいざこざが極端に減ったと学んでいる。

 歴史を紐解いてみても、風は争いが絶えない国だ。
 他国とだけではない。自国でさえ内戦が頻繁に勃発している。例え内戦まで規模は広がらずとも、クーデターやデモ行動などはしょっちゅうだ。

 だが彼の人は国民の生活をしかと見つめ、敷かれていた理不尽な法律を改定し、革命的な政策を幾つも打ち出した。おそらく歴代最高の名君と称されるであろう、優秀な人物だ。
 そんな彼が突然火の国に戦争を仕掛けたのだ。
 国民の戸惑う声は勿論、戦争反対の抗議すら全て無視した攻撃は当然争いの火種となり――こうして十年近く争い続けている。

「潜入している偽物たちが両国を潰そうとしていることは確かなんだけど、なかなか尻尾を掴ませてくれなくてね」
「そうですか……。ところで大蛇丸殿、その者達の出身国は御存知で?」
「さあ。まだそこもハッキリとしていないのよね。両国に潰された国家だろうとは踏んでいるんだけど」

 情報に早い大蛇丸でさえまだ尻尾が掴めずにいる。伊達に十年近く潜んでいたわけではないか。と我愛羅が吐息を零したところで、自来也が茶屋に辿り着いた。

「大蛇丸! 我愛羅! 朗報だ!」
「何よ、騒々しいわね」
「朗報?」

 常ならば綺麗なお姉ちゃんがどうの、会合が無ければあの娘ともっと関係が〜、だの、女関連の愚痴を零しつつ入ってくるのが常なのだが、この日は珍しく二人の間に滑り込むようにして座り、懐から一つの巻物を取り出した。

「例の偽物の尻尾を掴んだぞ。奴は今は亡き小国の出身での。火の国との戦争に負け、そのまま吸収されたようだの」
「ふぅん。成程。それを未練たらしく根に持っていたわけね」

 戦争で住まいを焼かれ、土地を奪われるなどさして珍しいことではない。大国に隣接する小国の運命と言えば運命だ。だが件の男はそれが許せなかったのだろう。
 大蛇丸は冷静に「そういうことね」と呟くと、不敵に口角を上げた。

「じゃあこっちに潜んでいる男も似通った線かもしれないわね。互いに火も風も大国。国同士で潰しあってくれたら自分たちは何もしなくていいもの」
「可能性は高いの。それに長年バレなかったことで油断もしておる。現に情報を掴まれたことに気付いておらんようだ。まぁ、その分今まで以上に慎重に動かねばならんがの」

 巻物に記されていた男の情報を改めて三人で確認しつつ、ふと「火の国の大名もずっと偽物だったのか」と呟けば、自来也は頷いた。

「元々火の国の大名はのんびりした奴でのぉ〜。争うぐらいなら農業に精を出すような男だったのぉ」
「穏やかな方だったのよ。御高齢でもあったしね」

 つまり、両国共に本来大名の席に就いていたはずの男が行方不明になっているということだ。当然だが命の保証はない。

「……自来也殿は、両名共にご存命だとお思いですか?」

 大蛇丸は『可能性は低い』と言った。我愛羅もまた『存命である』という光を見いだせずにいる。だが自来也は「そうだのぉ」と思案するように顎を一撫でした後、存外しっかりした口調で言葉を返した。

「風の国については正直分からん。だが火の国の大名は生きておるだろう。あいつはしぶとい男だったからの」
「え。お知り合いなのですか?」

 知ったような口を利く自来也に目を丸くすれば、大蛇丸が「まぁね」と頷く。

「元々火の国の大名はね、若い頃軍に属していたの」
「軍に……」
「うむ。ワシらが若い頃の話だがの。当時は血気盛んな若者だったが、とある戦を通し、戦うことよりも育むことの大切さに気付いたらしくての。それからは戦を止め、国を建てなおす方に力を注いだというわけだ」
「そうでしたか……」

 故に『戦をするならば田を耕せ』と言い、『毒薬を作るぐらいなら苦い薬を飲みやすく改良しろ』と謳った。
 初めは人が変わったかのように戦を嫌うようになった上官兼大名に戸惑う軍人たちも多かったが、次第に周囲も“家族”が出来ると従うようになった。

「火は森を一瞬で焼き尽くす。田も畑も、牛も馬も、全てだ。だがそれらを育むのにどれほどの時間と労力がかかるのか。あやつはいつもそれを嘆き、周囲に説いていた」
「森は水や風が沢山の時間をかけて育てていくのよ。そして大地すら、枯れた草木が作っていく。そうして肥えた大地にまた芽が宿り、それがいつしか大きくなって森になるの」
「争いは奪うだけだ。それを厭うようになった大名を、多くの民が慕っていたのぉ」

 自来也も大蛇丸も大名の言葉を聞いたことがあるのだろう。あるいは風の噂で耳にしたか。
 顔も名前も知らない我愛羅ですら、彼の言葉には頷けた。

 何せ砂漠には緑が少ない。故に育む苦労も、生きる大変さも身を以って知っている。
 だからこそ平和を愛する両名を無理やり引きずりおろし、長い闘いの火蓋を切った者たちが心から許せなかった。

「とにかく、私も情報を掴めるようもっと手を回してみるわ。自来也に先を越されたなんてプライドが許さないもの」
「なにぃ? 相変わらず可愛くないやつだのぉ〜。ま、可愛くても困るがの」
「煩いわね、この色欲魔」

 交わされる軽口を聞き流し、我愛羅は『自分には何が出来るのだろうか』と考える。
 大蛇丸と違い、里に従事している我愛羅に出来ることは然程ない。自由が利かないからだ。
 だからこそ考えられるものといえば、これ以上無駄な死者を出さないこと。そして正しい情報を手に入れること。その二点だけだ。それ以外に出来ることはない。
 ただでさえ一尾の人柱力なのだ。オアシスに行く程度ならまだしも、少しでも不穏な動きを見せればあっという間に監視がつく。命令もなく国に情報を掴みに行くことも許されなければ、こうして他里の人間と情報を交わすなど言語道断だ。
 二人と違い自由が利かず、何も出来ない自分自身に落胆していると、気付いた大蛇丸が我愛羅の肩を叩く。

「あなたが落ち込む必要なんてないのよ。あなたはあなたにしか出来ないことをしなさい」
「そうだぞぉ、我愛羅。わしらとて伊達に歳を喰っていないからこそ、こうして動くことが出来る。お前は里に従属している身だ。嘆くことはない」
「はい……」

 二人の励ましに頭を下げたが、内心ではもどかしい気持ちを抱えていた。
 本当に自分に出来ることは何もないのか。いつも情報を与えられているばかりで、与えたことは大してない。役立たずもいいところだ。
 そもそも初めは砂隠の情報と、二人が持っている情報を交換するだけの約束だったのだ。だが今は、我愛羅が渡せる情報はほぼ無いに等しかった。

「ところで、砂隠は今どんな状況なの? 相変わらずという感じかしら」

 話を変えようとしたのだろう。大蛇丸の問いかけに我愛羅は頷く。とはいえ、前回会合した時と砂隠の状況は大して変わっていなかった。むしろ砂嵐に襲われたせいで里の修復に忙しく、あまり他国や他里に足を運ぶ余裕は勿論、その余力すらなかった。

「怪我人も、増えてはいませんが減ってもいません。薬草は相変わらず少なく、病院に行けない者は手にすることすら出来ていません」
「やはりか。実は木の葉でも薬草不足が顕著になってきての。砂隠より根付いておったとはいえ、次の芽が育つ前に摘み取ってしまっては同じだからの」
「そう考えると忍たちの方がまだマシね。国では物資不足がシャレにならない所まで来ているわ。おかげで先日町が一つ潰れたわ。餓死者も出ている。これ以上はもたないわね」

 不可侵領域であるはずのオアシスでも、今では窃盗や盗難が増えている。
 心中では服飾店の老婆の無事を祈りつつ、我愛羅はぐっと目を閉じた。

「このままでは里どころか、国も、オアシスでさえ、潰れてしまう」
「……そうだの」

 オアシスが無くなれば人は砂漠で生きていけない。例え戦争に勝っても、水が枯れれば国も里も潰れてしまう。どちらにせよ一刻も早く終戦しなければ、砂漠に未来はない。

「我愛羅くん。私たちも出来る限りのことはするわ。だからあなたも諦めずに情報を集めて頂戴」
「そうだぞ、我愛羅。前を向き、諦めないで欲しい。お前の力を決して戦争の道具にはさせん」
「……はい」

 戦争を始めたのが偽りの軍人ならば、その二人を吊し上げればいい。言葉にするだけならば簡単なことだが、実際に行うには障害が多すぎる。
 それに我愛羅は国に潜むことが出来る程の力もコネも時間もない。今は二人を信じるだけだと腹を決め、俯けていた顔を上げた。

「――お二人の御武運を、祈っております」
「ああ。任せておけ」
「大丈夫よ。必ず成功させてみせるわ」

 力強く頷いた二人に我愛羅も頷き返し、その日は別れた。
 そうしてサソリにあとをつけられたあの日に『その後どうなったのか』と報告を受ける予定だったのだ。それなのに、二人だけでなくミナトにも迷惑をかけてしまった。それが不甲斐なく、情けなくて仕方ない。
 だが後悔した所で時間は巻き戻らない。
 思考の海から意識を引き上げると、我愛羅は目の前に立つ男へと視線を向けた。

「――何の用だ」

 向けられた眼は剣呑な色を帯び、多くの者に恐怖を与える凍てついたものであった。――が。目の前に立つ男はそんな視線すら意に介した様子はなく、ただ口角を上げて嗤うだけだった。

「よぉ、坊ちゃん。窮屈そうだなぁ、おい」

 我愛羅の前に立っていたのは、会合の邪魔をし、場合によっては『サクラを害す』と暗に伝えてきた男――サソリであった。
 当然ながら我愛羅はあの時抱いた『殺意』を忘れたわけではない。むしろ身動きが取れないからこそいつも以上に睨みを利かせているのだが、相手の余裕を崩すことは出来なかった。

「おー怖っ。そう睨むなって。単に話し合いをしに来ただけだぜ?」
「フン。貴様と話すことなどない」

 窮屈な牢の中。それでも毅然とした態度を貫く我愛羅に、サソリは軽く溜息を吐く。そうして立てかけられていた椅子を掴んで引きずり寄せると、そこに腰かけた。

「密会を邪魔したことについては謝る。だが俺だって仕事だったんだ。悪く思うな」
「嘘つけ。お前、悪いと思っていないだろう。謝罪に気持ちが籠っていない」
「おいおい。俺が気持ちの籠った謝罪なんてしてみろ。それこそお前気持ち悪がるだろうが」
「当然だな」

 完全に己を敵視している我愛羅には苦笑いも浮かんでこない。だがそれでも、サソリ自身は我愛羅をこのまま牢に閉じ込めておくつもりはなかった。

(俺にだって責任はあるしな。火影に手を貸す気は更々ねぇが、夜叉丸との約束もある。このまま放っておけるか、っつーの)

 様々な理由で板挟みになっているのは羅砂だけではない。サソリとて忍として、一人の人間として、様々な思惑と友人との約束の板挟みになっていた。
 だが我愛羅を監視する名目で手に入れた情報は戦争を止めるために必要なものだ。そこでサソリは伝えに来たのだ。
 風影の命を受けた一人の忍としてではなく、今まで『我愛羅』を見てきた一人の――人生の先輩として。

「まぁいい。どうせ言葉だけの謝罪なんて意味があってないようなもんだからな」
「フン。よく分かってるじゃないか」
「おーよ。だから行動で示そうと思ってな」
「……どういう意味だ?」

 サソリが浮かべる不敵な笑みに不穏な物を読み取ったのだろう。
 それにもしここから自分を出すつもりならばお断りだ。サソリに対し借りを作るなど面倒なことこの上ない。しかし我愛羅が不満を口にするより早く、サソリは堂々と宣言した。

「てめえの代わりに俺が行ってやるよ」
「……何処にだ」

 要領を得ない発言に我愛羅の眉間に皺が寄る。だがサソリは不審者を見るような我愛羅に対し、好戦的な笑みを浮かべた。

「んなもん、“国”に決まってんだろ」

 不敵な笑みの奥で一体何を考えているのか。我愛羅には皆目見当がつかなかったが、冗談でこんなことを言う男ではない。確かに普段からヘラヘラとした食えない男ではあるが、決して馬鹿ではないのだ。
 そんな男が自ら『国に赴く』と口にしているのだ。一歩間違えれば我愛羅と同じ『反逆者』扱いになることは必至。それが分からぬ男ではないのに、何故こんなことを口走っているのか。

「……何を企んでいる」

 だからこそ我愛羅はサソリの真意を見抜こうと目を眇めるが、相手は一枚も二枚も上手な――忍としても一人の人間としても一筋縄ではいかない男だ。
 現にサソリは椅子から立ち上がると、軽く砂を払ってから我愛羅に背を向けた。

「なぁーに、ちょっとした“自己満足”だよ」

 自分が動く理由なんざそれで十分だ。と付け足し去って行く背を、我愛羅はただ胡乱げに見つめるだけだった。 


 ◇ ◇ ◇


 一方その頃。我愛羅とは別の、特別監獄に押しやられたサクラはというと――。

「……なぁ、サクラ姉ちゃん。本当に大丈夫なのか、コレ?」

 我愛羅同様胡乱気な瞳をした木の葉丸に問いかけられ、いつも以上に「大丈夫よ!」と強気で返す。

「でも、鎖が切れる前に刃がダメになっちゃいそう」
「うん。僕もそう思う」

 木の葉丸だけでなく、モエギとウドンまで不安そうに見つめる先には――靴底から取り出した刃で枷を断ち切ろうとしているサクラの姿があった。
 だがカミソリ程度の刃では簡単に枷を断ち切ることなど出来ない。進展の見えない現状に早くも子供たちは諦めモードだった。

「諦めちゃダメよ! 諦めたらどんな可能性だって潰えちゃうわ。だから信じて続けるの」
「でもさー……」

 ゴリゴリと音を立てて刃を動かすサクラではあったが、内心では木の葉丸たち同様、不安を抱えていた。

(もし今戦争が起こったら……きっと私は出してもらえる。でも、胸の呪印もあるし……。下手なことをすればこの子たちに被害が及ぶかもしれない。捕虜の時以上に苦しい状況ね)

 胸の呪印は未だ顕在だ。これが発動されればものの数分で還らぬ人となる。それだけは避けねばならない。
 昔ならば『このまま死んでもいいかな』なんて口に出来たかもしれないが、今のサクラにその選択肢は存在しない。
 自分のために里を裏切ろうとした我愛羅の気持ちも、目の前で我愛羅を信じている子供たちを裏切ることも、サクラには出来なかった。

「あーも〜! チャクラさえ使えればこんな枷ぶっ壊してやるのに〜!!」

 両腕を揺らして激昂するサクラに、木の葉丸たちも「うんうん」と頷く。

「サクラ姉ちゃんなら檻どころか壁をドッカーン! ってぶち破って即脱出出来るよな、コレ」
「でも壁に穴が開いたらすぐに見つかっちゃうから、やっぱり檻を曲げて脱出するのが一番安全ですよね!」
「んー……。でも結局外に出るために出入口を壊さなきゃいけないから、木の葉丸くんが言ったみたいにドッカーン! って穴開けなきゃダメだよね?」

 子供たちの素直なイメージに苦笑いしていれば、数刻前に開いたばかりの出入口が再び開いた。

「誰か来たぞ、コレ」
「我愛羅さん……じゃない、よね?」
「怖い人じゃないといいなぁ……」

 暗闇の向こう。歩いてくる人物に目を凝らす木の葉丸たち。サクラも刃を隠しつつ目を凝らせば――近づいてきたのは思いもよらぬ人物だった。

「テマリさん! カンクロウさん!」
「しっ! 静かにしな」
「騒ぐと気付かれるじゃん」

 驚くサクラたちの前に立ったのは、業務を抜け出してきたテマリとカンクロウであった。
 そのうえ看守を眠らせるなりして無理やり押し入ったらしい。二人はどこか焦った様子を見せながらもサクラに視線を合わせるように膝を折り、声を潜めて話し出す。

「サクラ。我愛羅と一緒じゃないんだね?」
「え、ええ」

 我愛羅がサクラとは別の牢に入れられたことを知らないのだろう。テマリの問いかけに頷けば、カンクロウも「やっぱりか」と憎々しげに呟く。
 そんな二人に黙って事の成り行きを見守っていた木の葉丸が疑問をぶつける。

「なぁなぁ、お前ら我愛羅兄ちゃんの知り合いか? コレ」
「ん? 何だい、このガキ」

 不躾な子供だと言いたげなテマリの視線を受け流し、サクラがその質問に答えてやる。

「木の葉丸。二人はテマリさんとカンクロウさん。我愛羅くんのご姉兄よ」
「へー。我愛羅兄ちゃんって末っ子だんったんだな、コレ」

 意外だったのだろう。素直に感嘆の声を上げる木の葉丸だが、何故かすぐに顔を顰めた。

「でもそっちの姉ちゃんは分かるけど、そっちのおもしれー顔した兄ちゃんが兄ちゃんだなんて、我愛羅兄ちゃんも可哀想だぞ、コレ」
「バーカ。これは隈取っつー化粧なんだよ。そこらの悪戯書きとは訳が違うじゃん。立派な芸術じゃん」

 他国の文化を知らない木の葉丸にカンクロウが呆れつつも教えてやるが、そもそも木の葉丸も頭がいい方ではない。小賢しさはあっても知識は乏しいのだ。
 現に「男なのに化粧するのか?」と問いかけられ、カンクロウは顔を顰める。

「女の化粧とこの隈取は別物だ。役者みてえなもんじゃん」
「ふぅーん。変なの」

 どこまでも素直な木の葉丸にサクラが苦笑いする横で、カンクロウも諦めたのだろう。苦い表情を浮かべる。だが一瞬緩んだ空気を引き締めるかのように、テマリが固い声を出した。

「サクラ。私たちは我愛羅を探してるんだ。サソリの姿も見えないし、親父なんて何も言わずに出て行くし……。それで何人か怪しそうな奴を締め上げたらお前は“牢にいる”って言うじゃないか。一体何がどうなってんだい?」
「分かるように説明して欲しいじゃん。じゃねえと気になって仕事どころじゃねえよ」

 きっと曲がりなりにも我愛羅のことが心配なのだろう。事実今日は三人での任務が入っていたはずだ。それが突如解体され、別々の任務を宛がわれたらしい。
 休憩時間も残りわずかだ。悠長にしている暇はない。
 焦る二人に急かされるが、正直言って話せることは大してなかった。

「ごめんなさい。私も、我愛羅くんがどこにいるのか分からないんです」
「そうか……。でも、何でお前が牢にいるんだ? 親父に何かしたのか?」

 羅砂に直接何かしたわけではない。だが羅砂からしてみれば息子を誑かしたくノ一だ。サクラがいなければ我愛羅は今でもきっと独りであっただろうし、里の兵器として存在し続けただろう。
 言葉に詰まるサクラに対し、二人も思うことがあったのだろう。結局昨夜のことも含めて深く聞くことはせず、素直に立ち上がった。

「まぁ今更私たちが出しゃばってもあの子は信用しないだろう。今の所我愛羅が不在という情報は里に出回っていない。サクラの方は――まぁ、あまり良い噂は出回ってないがな」
「だと思います」

 今頃院内ではサクラの噂でもちきりだろう。普段は我愛羅のことを恐れている者も、サクラが『誑かした』と噂が広がれば嬉々としてあることないこと吹聴するに違いない。今更どう言われても傷つきはしないが、これ以上我愛羅の株が下がることは許しがたかった。
 サクラは二人を見上げると「お願いです」と頭を下げる。

「私はどう言われたって構いません。でも我愛羅くんは……。あの人のことだけは、何があっても信じてあげてください」
「分かってるよ。あの子は不器用だし、何考えてるか今でも分からない所はあるけど……私たちの弟だからな」
「ああ。それにお前のことも、俺たちは信じてるじゃん」

 半年以上共に暮らしてきたのだ。二人はサクラが木の葉の出身だからと言って嘲ることも、詰ることもしなかった。周囲のようにヒソヒソと陰口を囁くこともなかったし、暴力を振るうこともなかった。
 それを今更ながらに有難く思う。

 だが二人からしてみれば、サクラは自分達には出来ないことをやってのけたのだ。
 無論医療技術にしてもそうだが、一番は我愛羅のことだ。
 ひたすら殻に籠り続けた男の本音を引きずり出し、誰も受け入れなかった我愛羅の意識を変えた。
 目を合わせただけで『殺されるかもしれない』と思わされた瞳は穏やかになり、無機質だった声にぬくもりが宿るようになった。

 それこそ、朝食の席では羅砂に睨まれるサクラを心配そうに見つめていたのだ。あの『人を殺すためだけに生きていた』かのような我愛羅が、だ。
 他者を否定し、見下し、傍に寄ることすら憚れる雰囲気を纏っていた男はもういない。いたのは一人の少女を心配する、年相応の少年だった。

 そんな今までにない弟の変化を、この二人は誰よりも如実に感じ取っている。そしてまた、サクラがそこに辿り着くまでにどれほどの辛酸を舐めたのか。苦しい立場にいたのか。知らない二人ではない。
 カンクロウの言葉にサクラはぐっと唇を噛みしめると、頭を下げて礼を述べた。

「ありがとうございます」
「でもな、サクラ。今私たちが勝手にお前を連れ出すわけにはいかない。我愛羅の所在も掴めていないし、里だけでなく国も大荒れで傾いている状態だ。これ以上混乱させるわけにはいかないんだ」
「ああ。でも見殺しにはしないじゃん。我愛羅を見つけ次第すぐ迎えに来るから、それまでは辛抱して欲しいじゃん」

 実際これから国がどうなるか、どう出るのかは分からない。次の戦の準備は既に始まっている。非常に危うい状態だ。
 忍たちも心身の疲労や不満がピークに達しているし、これ以上負担を掛ければいつ爆発しても可笑しくはない。常に患者と接してきたサクラは言葉にせずともそれを汲み取り、神妙に頷く。

「分かりました。何のお力にもなれず、すみません」
「謝ることなんてないよ。むしろサクラのおかげで我愛羅が何を思っているのか知ることが出来た。礼こそ言えど、頭を下げられる謂れはないよ」
「全くじゃん。つーか現状手は貸せねえから、俺たちの方が頭下げなきゃいけないじゃん」

 肩を竦めるカンクロウにテマリも「そうだな」と微苦笑を浮かべる。だがサクラは首を振ってそれを拒否した。

「いいんです。私こそ、ありがとうございます」

 例え我愛羅のことがあるからとはいえ、二人は常にサクラを『対等な相手』として接してくれた。言葉に耳を傾けてくれた。誰も味方がいないと思っていたが、ここにもいたのだ。分かりづらいだけで、確かに存在していた。それだけで心強い。
 それに今は砂忍として登録されているが、サクラの心は未だ木の葉にある。口にせずとも敏い二人は察しているだろう。それでも『信じている』と言ってくれた二人には頭が下がる一方だった。

「じゃあ私たちは行くよ。仕事もあるし、眠らせた看守もそろそろ起きるだろう」
「何かあればまた忍び込むじゃん」

 二人の言葉に頷けば、終始黙っていた子供たちも口を開く。

「我愛羅兄ちゃんの姉ちゃんと兄ちゃんなら信じてやってもいいぞ、コレ!」
「我愛羅さんのこと、絶対に助けてくださいね!」
「サクラさんのことも忘れないでくださいね!」
「みんな……」

 子供たちの言葉に二人は驚いたように目を丸くしたが、すぐさま「勿論だ」と頷いた。

「我愛羅もサクラも、必ず助けるよ。ま、お前たちはついでだがな」
「ちぇっ! つれねーんだぞ、コレ!」
「ガキがませたこと言ってんじゃないよ」

 笑うテマリに木の葉丸も歯を見せて笑うが、カンクロウに「そろそろ行かねえとヤバイじゃん」と袖を引かれ、踵を返す。

「じゃあな、サクラ。暫く不便だろうが我慢してくれ」
「また来るじゃん」
「はい。お気をつけて」

 牢を出て行った二人の背を見送るサクラに、木の葉丸が声を掛けてくる。

「我愛羅兄ちゃんさ、無事だといいな。コレ」
「うん。そうね。きっと大丈夫よ。きっと――……」

 我愛羅のことを思えば胸が痛む。どうか無事でいて欲しいと、乱暴な目に合っていませんようにと、切に願う。
 だがサクラには今我愛羅がどこにいるのか、どのようにして囚われているのかが分からない。だからこそ無性に不安になる。

 それでも子供たちには不安を見せぬよう微笑むと、再度刃を取り出し枷に宛がった。
 何かしていないと不安で心が押し潰されそうだった。