長編U
- ナノ -

周/廻 -03-



 我愛羅とサクラを連れ出し、誰も居なくなった羅砂の私室には重苦しい空気だけが残っていた。
 初めて、本当の意味で己の力で立ち上がり、道を切り開こうとした息子の道を自らの手で塞がなければならない。その苦しさと里長としての義務を天秤にかけた時――羅砂は迷った末、里を取った。

 我愛羅や加瑠羅に怨まれてもいい。
 あまりにも多くのものを背負う羅砂は、我愛羅のように全てを捨ててまで誰かを守るなどと口にすることが出来なかった。
 いや。単に臆病なのかもしれない。
 そう自嘲しつつ深く息を吐きだしていると、閉じていた扉が音もなく開いた。

「それがあんたの答えか」
「……サソリか」

 扉を開き、許可なく入室してきたのは暗部たちとはまた別に控えていたサソリである。
 ここ数日我愛羅を監視していたのはサソリだった。当然のことながら昨夜のことも知っている。我愛羅の叫びも、サクラの優しさも――そして先の会話も、全て耳にしていた。

「――俺を責めるか?」
「いいや。そんな権利俺にはねえよ。審判じゃねえし、神でもねえからな。ただあんたが後悔してなきゃいいと思ってよ」

 皮肉げに唇を歪めるサソリだが、その瞳は弧を描く口元に反し鋭く光っている。糾弾するのとは違う。『本当にそれでいいのか』と問いかけてくる強い瞳だった。
 だが羅砂はそれに答えるつもりはない。というより、何と答えていいか分からなかった。自分の判断が正しいと胸を張って言うことが出来ない。
 我愛羅の幼い、けれどひたむきな気持ちを無碍にすることが出来なかったように――。羅砂もまた、人間らしく悩んでいた。

「後悔のない道があると、本当にそう思うのか?」
「まさか。人間なんてどの道を選んでも後悔するって決まってんだよ」
「ならば聞くな。時間の無駄だ」

 サソリの矛盾する言葉に羅砂は疲れたように吐息を零す。だがサソリは気にすることなく、先程まで我愛羅が座っていた椅子に腰かけた。

「だがあんたは自分の気持ちをすぐに殺しちまうからな。長としては優秀だが、鑑にはなれねえ」
「それは人としてか? それとも親としてか?」

 皮肉な言葉に激昂することもなく、逆にどこか楽しそうに唇を歪める羅砂をサソリは胡乱気に見つめる。そして酷く苦々し気な口調で「分かり切った答えを聞くな」と吐き捨てた。
 羅砂の問いかけは既に答えが出ているのだ。サソリの中ではなく、羅砂自身の中で。

「……加瑠羅に合わせる顔がないな」

 どの道を選んだところで結局は後悔する。羅砂の不器用な生き方は、けれど里を守るためには必要なのかもしれない。
 羅砂は常に選ばねばならなかった。長として生きるか、父親として生きるか。我愛羅との関係はまさにその選択の連続だった。
 だがその度に羅砂は“里”を選んだ。命の天秤は、悲しいかな。一度として羅砂に“親としての矜持”を持たせてはくれなかった。

「あんたってバカだよな」
「……そうだな」

 風影に対しここまで舐めた口を利けるのはサソリかチヨぐらいだろう。流石血縁者とでもいうべきか。羅砂は軽く笑い飛ばそうとし、それが出来ないことに気が付いた。
 後悔は既に、始まっていたのだ。

「周りには家の事情で遅れるって言っておくからよ。必死に言い訳考えてこいよ」
「……ああ」

 サソリが部屋を出て行き、室内に静寂が戻ってくる。誰も居なくなった部屋で羅砂は深く長い息を吐きだすと、力尽きたように椅子に腰かけ、額を覆った。

「加瑠羅――」

 久方ぶりに震える喉が痛いと、そう思った。


 ◇ ◇ ◇


「じゃあ我愛羅の兄ちゃん捕まっちまったのか、コレ?!」
「うん……」

 木の葉丸たちと決して感動的とは言えない再会を果たし、とりあえず命に別状はないことを確認して安堵した。だがそれでも、驚く木の葉丸たちに向ける顔がないことに変わりなかった。
 しかし木の葉丸たちはサクラを責めることはせず、むしろ励ますように小さな手を伸ばし、身を寄せてきた。

「で、でも、サクラさんが悪いわけじゃないですよ! 我愛羅さんはその、残念でしたけど……。でも、我愛羅さんならきっと大丈夫です!」
「僕もそう思います。確かに我愛羅さんは敵だけど、悪い人じゃないと思ったし……」

 モエギとウドンの励ましに、我愛羅がどれほどこの年下の忍達に真摯な対応をしたのかが読み取れる。人質とはいえ彼らは我愛羅にとっては年下――更に言えば下忍である。
 そんな戦争を知らない子供たち相手に我愛羅は膝を折り、礼を持って接したのだろう。
 子供というのはある意味“鏡”だ。接する側の気持ちをそのまま反映させてくる。好意には好意を、悪意には敵意を示す。
 故に木の葉丸たちが我愛羅に対し向ける好意的な視線や言動に胸が締め付けられた。
 不器用だがまっすぐな男なのだ。我愛羅は。
 サクラは震えそうになる唇をぐっと噛みしめ、無理やり笑みを作る。

「そうね! 私たちも我愛羅くんに頼りっぱなしじゃ木の葉の名が廃るわ! どうにかして此処から出ないとね」
「そうだぞ、コレ! 隙を見て逃げ出して、ついでに我愛羅の兄ちゃんも助けるぞ! コレ!」
「はい! 私も頑張ります!」
「僕も!」

 状況は決して楽観視出来るものではない。柵は頑丈だし、チャクラ封じの札は所狭しと貼られている。同様に手首に嵌められた枷はチャクラ封じの呪がかけられているため壊すことは出来ない。何より胸にはまだ呪印が残っている。
 だが羅砂がサクラを始末する可能性は低い。
 戦争が始まり、負傷者が出れば此処から出される可能性も高くなるだろう。しかしその間に何が出来るのか。

 忍ばせていたクナイは奪われたものの、靴底に張り付けていた小さな刃は残っている。カミソリのような慰め程度の物ではあったが、気力と根性だけは男にも負けないサクラだ。ここから出るためにはどんな苦労だって惜しむつもりはない。何せ時間はたっぷりあるのだ。少しずつ進めていけばいいと算段し、サクラは靴底から刃を取り出す。

「ん? サクラ姉ちゃん、何持ってるんだ? コレ」
「フッフッフ……。女にはね、隠し場所がいっぱいあるのよ」

 と言っても靴底に忍ばせていただけなのだが。サクラは構うことなく、器用にはぎ取ったそれを枷に押し当てたのだった。


 ◇ ◇ ◇


 一方我愛羅は地下牢よりも更に深い、重罪人が押し込められる特別監獄の中にいた。そこは身動き一つ出来ない、非常に狭い空間だ。
 更には手足の自由を奪うため、生き埋めのような格好にする特殊な仕様となっている。幾ら砂を操る我愛羅であっても一筋縄では出られない。まさに『一尾の人柱力を押し込めるため』の監獄であった。

(ったくよぉ、情けねえよなぁ、我愛羅)

 そんな特別監獄の中でじっとしていた我愛羅に話しかけてきたのは、例に漏れず腹の奥底にいる守鶴だ。普段ならば鬱陶しいと眉根を寄せる我愛羅ではあったが、今は時間がたっぷりとある。たまには付き合ってやるかと守鶴の悪態に反応した。

「仕方なかろう。どうせ大蛇丸殿たちと繋がっていることもバレているんだ。遅かれ早かれこうなることは分かっていた」
(開き直ってんじゃねえよ。つーかマジでどうするつもりだ? まさかこのままミイラになる、なんて言わねえよなァ?)

 半笑いで問いかける守鶴に「当たり前だ」と返す。が、現状この牢から抜け出すことは難しい。
 我愛羅の身を固める周囲の砂にはチャクラを乱す特殊な術がかけられているし、両腕には枷が嵌められている。これでは印も結べない。
 瓢箪は当然のことながら押収されている。そもそも、我愛羅を助けてくれるような仲間はいない。
 改めて鑑みた現状に『つくづく自分は一人なのだな』と思うと悲しくもなるが、分かり切っていたことなのでそれほどダメージもない。むしろ自分と関わることで『反乱分子』として処罰される方が大変だから、今はこれでいいとすら思っている。

(ま、俺様なら突破できるがな)
「だろうな」

 二進も三進もいかない我愛羅に、守鶴は自慢するように告げて来る。だが我愛羅の返答はにべもない。
 確かにここは『守鶴』を押し込めるための特別仕様となってはいるが、これで完全に収まる相手ではない。むしろ『少しでも時間稼ぎが出来れば御の字』程度である。
 そんな気休め程度の場所で力を誇示されても尊敬は出来ないし、そもそも守鶴の力を借りる気はなかった。

「お前の『暴れたい』という気持ちも分からんではないが、今はまだ時ではない。もう暫く待つんだな」
(あァ?! こんな狭っ苦しくて陰湿な場所に籠るつもりかよ?! てめえマジで頭バカになっちまったんじゃねえのかぁ?)

 駄々を捏ねる子供のように腹の奥底で暴れる守鶴に、我愛羅は吐息を零しつつ言い返す。「そう騒ぐな」と。

「どうせ戦争が始まれば俺たちの力が必要になるんだ。そうすれば自ずとここから出される時が来る。それまではじっとしているだけだ」
(カーッ!! この甘ちゃんがよぉ! これだから女に誑かされたって親父が嘆くんだよ、バーカ!)

 守鶴の悪態を右から左へと聞き流しつつ、我愛羅は動けぬ牢の中で数日前のことを思い出していた。

 ――サソリに会合を邪魔される数日前。大蛇丸に緊急招集を掛けられた日の事を――。