周/廻 -01-
誰かを全身全霊で愛する時、体の内側から発せられるエネルギーは膨大だと思う。
質量と言うのか、想いの丈と言うのか。呼び方は人それぞれではあるが、まるで津波のように全身から溢れ、コントロールが利かない。だがそれを疎ましく思うことも、鬱陶しいと蔑む気も起らない。
ただ全身を満たすのは何物にも代えがたい幸福感と――この上ない充足感だった。
◇ ◇ ◇
閉ざしていた瞼を開けると、サクラは目の前に広がる光景に暫しフリーズする。
(私、何してたんだっけ……?)
瞬く視界の先、見えるのは翡翠の瞳を閉ざした男の顔だけだ。
男、と称するには些かあどけない寝顔ではあるが、それでも確かに目の前の男は眠っていた。
しかし我愛羅は不眠症だったはずだ。勿論人間なのだから完全に眠らぬ日々を過ごせはしないが、常ならばサクラが身じろぎするだけでも目が覚めるだろう。
だが横たわる体は呼吸に合わせて穏やかに上下し、纏う空気も柔らかく緩んでいる。
本当に眠っているのかしら。
疑問に思いつつもそっと指を馳せれば、乾いた頬に残る涙の跡に気が付き、そろりと撫でてみる。
目尻の柔らかい場所からゆっくりと。産毛の柔らかさを感じながら指を滑らせれば、閉じていた瞼がまるで蕾のように、ゆっくりと開いていった。
「……起きたのか」
「うん。起こしちゃった? ごめんね」
「いや……。いい……」
数度瞬いた後、我愛羅はサクラの指先にくすぐったそうに目尻を和らげ――心地よさそうに再度瞼を閉じる。
泣き明かした夜も開け、引いたカーテンの隙間から零れる光はまだ淡い。
ずっしりと瞼が重いのは泣き明かしたせいだろう。鏡を見ずとも分かる。昔であれば赤く腫れている瞼に恥じらいを覚えただろうが、今のサクラはそれに構うことなく、ただ我愛羅の頬を撫で続ける。
「ずっと起きてたの?」
一つのベッドの中で男女が向き合って横になっている。
傍から見れば恋人同士のようではあるが、依然として二人はそんな関係ではない。確かにどこか惹かれあってはいるが、それは恋心というよりも“同じ孤独を有する者”という認識の方が正しい。
しかし今では不思議なことにその意識も薄れ、ただ目の前にいる男が愛おしいだけだった。
それは母が我が子に向ける無償の愛情に近い。
現にサクラは全身でそれを感じている。指の先から足の先まで、余すことなくひたすらに相手に向かっている。
我愛羅にもそれが伝わっているのだろう。
触れる指先から、纏う空気から。
今まで他人を拒絶し続けてきた男が甘んじてそれを受け入れているのだ。それが何よりの証拠だった。
「いや……。多分だが、俺も僅かに寝ていた気がする。こんなことは初めてだ」
我愛羅が寝入っている間守鶴が暴れなかったことなど一度としてないのだろう。
何せ少しでも意識が遠のけば表に出てくる相手だ。我愛羅が深く寝入るなど、それこそ絶好のチャンスである。守鶴の性格を考えれば嬉々として暴れまわってもおかしくはない。
実際今まではそうだった。だからこそ我愛羅は極端に睡眠を拒み、眠ることを恐れ続けた。
それが今やサクラと共にベッドに寝転がり、例え僅かな時間であってもぐっすりと寝入っていたのだから驚きだ。更に言えばこの状態。
昔は少しでも油断すれば部屋も人も滅茶苦茶になっていた。だが今は――この部屋は勿論、里のどこにも傷どころか暴れた形跡一つなかった。
――守鶴は何もしなかったのだ。
我愛羅が寝入っていたにも関わらず。
そんな守鶴に『どういう心境の変化だろうか』と疑問に思う。
何せ守鶴は我愛羅に対して心を開いているようには見えなかった。
そもそも尾獣に心があるのかどうかも定かではない。
だが言葉を使い、個としての意識がある以上、最低限の“考え”や“思い”はあるはずだ。普段は深層意識に無理やり閉じ込めているから分からないが、自由になった途端暴れるのはその反動なのかもしれない。
だが今回は何故表に出てこなかったのか。
生憎とそれはサクラだけでなく、我愛羅にも分からない。
だからこそ「不思議なものだ」と続けてから寝返りを打ち、天井を見上げる。
その横顔は呆然としているようでもあり、拍子抜けしているようでもあり――またどこか、安心しているようでもあった。
「いつもならあの化物――守鶴が俺に話しかけてくるんだ。なのにアイツはずっと黙っていた。俺が眠っていても、意識の下で顔を合わせることも無かった」
「守鶴があなたを気遣った、ってこと?」
「さあ……。それは分からない。俺はあいつではないから」
サクラとて守鶴とは一度しか話しをしていないが、そんな殊勝な心掛けが出来るような相手には見えなかった。
だが現に我愛羅の体を乗っ取ることも、暴れることもせず大人しくしていたのだ。
守鶴が何を思ってそうしたのかは定かではない。だが我愛羅にとっては天地が引っくり返るほどの衝撃であった。
「不思議だ……。本当に。今までずっと空っぽだった胸の中が、今は何かで埋まっている気がする。……“満たされている”、とでも言うのだろうか。……上手く言えないんだが、何というか――すごく、あたたかくて……――気分がいい」
自身の胸を押さえる我愛羅の顔は穏やかだ。だが同時に、どこか困惑もしている。
初めて覚える充足感に驚き――けれどそれが嬉しいのだろう。
今まで見たことがない、どこか満たされた顔をする我愛羅の顔からはすっかり毒気が抜けている。まるで憑き物でも落ちたかのようだ。
そしてそれはサクラも同じだった。
ずっと傷ついていた。傷つくばかりだった。それが今では、胸に残っていた小さな尖りも、痛みも、傷も――すっかり塞がっている気がする。
我愛羅と心で触れ合い、初めて互いを真の意味で知ることが出来た。繋がることが出来た。
分かりあえたと思った瞬間、サクラの胸に溢れたのは純粋な愛情だけだった。
“この人が愛おしい”。“守りたい”。“守ってあげたい”。
サクラは我愛羅の母ではないが、きっと女が本来持ちえる『深い愛情』というものが開花したのだろう。それは衝動にも似ている。だが激情と呼ぶにはあまりにも穏やかな想いだった。
今まで感じていた哀しみも苦しみも全て塗り替えるような、心身を満たす充足感は知らずサクラを穏やかな気持ちにさせる。だから素直にそれを口にした。
「私も同じよ。何だか、本当にビックリするぐらい幸せなの。今までずっと辛くて、悲しくて、誰かに助けて欲しくて仕方がなかったのに……。今はそんなの必要ないくらい、気持ちが落ち着いているの」
「そうか……。では、俺と同じだな」
我愛羅の頬を撫でていた指を離し、そのまま二の腕から手首までゆっくりとなぞり、遂には手の平へと辿り着く。
上目で見上げれば我愛羅は暫し逡巡するような態度を示した後、そろそろと手を伸ばし、自らサクラの指へと触れた。
昨夜はどうにかして振りほどこうとしていた指を、今度は自分から重ねてくれた。
それが、嬉しくて仕方なかった。
「あったかいね」
「ああ……」
触れた指先から伝わる熱が心地好い。
微睡むように微笑みながら重ねられた指を撫で、そっと絡めて握ってみる。
「こうしててもいい?」
「お前が、そうしたいのであれば」
今までの二人では到底出来なかったであろう、大胆な行動ではあったが、我愛羅はサクラを拒むことも遠ざけることもなくそれを受け入れた。
だが今までまともに他人と触れ合ったことがない我愛羅だ。どこかソワソワとした落ち着かない空気を漂わせてはいたが、サクラは気にせず指を絡め、握りしめた。
――たった一晩。
長い夜を一人で超えてきた我愛羅の心はたった一晩で変わった。
押さえ続けてきた苦しみや、悲しみ。怒り。それら全てを吐きだしたからだろう。
悲しみばかりが溢れていた心は既に凪ぎ、今では穏やかな気持ちで世界を受け入れることが出来ている。
昇り始めた朝日の輝きがこれほどまでに美しく、暖かいものだと今の今まで思わなかった。
そう感じることが出来たのはひとえにこの少女のおかげなのだろう。と――今では素直に認めることが出来る。
「サクラ」
「なあに?」
我愛羅にとってサクラは特別だった。
他の誰とも違う、初めて心から“守りたい”と思った相手。
泣き疲れて寝入ったサクラを腕に抱き、そっと横たえた時の気持ちを何と呼べばいいのだろうか。
溢れる涙が白い頬を滑り落ちる度に胸が詰まり、呼吸もままならないほど苦しくなった。
それなのに、恐る恐る抱き寄せた体はあたたかく、背中に当てた手の平から伝わる心音にどれだけ安心したことか。
我愛羅は今まで一度として抱くことが無かった“命を慈しむ”気持ちを再び噛みしめながら、繋いでいた手を離し、その手をサクラの背にあてギュッと抱き寄せる。
「……すまない。少しだけ、こうすることを許してほしい」
男女として抱き合うというより、子が母に甘えるような抱き方だ。そんなどこか切ない抱擁にサクラは目を細め、ただ「大丈夫だよ」と紡いでから目を閉じる。
――不思議だった。
あれほど恐ろしくて、あれほど流されないと心に決めていたはずなのに。今では心身からこの男の傍にいたいと願っている。
そんな己の心境の変化に少しだけ笑いそうになりながらも、サクラは黙って我愛羅の背に指を乗せた。
「ねぇ、我愛羅くん」
「なんだ?」
穏やかに抱き合う中、サクラはふと唇を開く。
サクラとて医療忍者だ。異性の体に触れた回数は少なくない。
だがこれほどまでに穏やかな気持ちになったことも、愛しいと思ったこともない。ナルトは勿論のこと、サスケにだって感じたことはなかった。
勿論サスケに初めて触れた時はドキドキしたものだが、その時の気持ちと今とでは全くの別物だ。分かっていながらも“それが心地好い”と思う。
サクラにとって我愛羅という男は異性としてではなく、初めて同じ人間として、他里の人間として、価値観の違う人間として、正反対から向き合った相手なのだ。
自分とは全く逆の位置に存在していた男。何もかもが自分とは対極的で、目にするすべてが奇異だった。その感情の動きや強さでさえ、理解出来なかった。
だが今は、違う。
我愛羅が内に籠っていた殻から出てくれば、その心は非常に繊細で、臆病で――それでいてとても無垢で、純粋だった。
他者を思いやれる心を持っていた。心の痛みを知っていた。だからこそ相手を傷つけまいと努力していた。出来る人だった。
――だが、それが許される環境ではなかったのだ。
心を殺すことでしか生きてこられなかった。修羅の道を歩むことしか許されず、抗うことは許されなかった。
それでも我愛羅は今、その道から脱するために足掻いている。無駄な血を流さぬよう、これ以上誰かを傷つけぬよう、一人で戦ってきたのだ。
そんな男を心底不器用だと思う。
他者に頼れず、甘えることも出来なかった哀れな子供。
だがその不器用さを愛したかった。支えてやりたいと思った。だからこうして今、我愛羅の全てを受け入れるように互いの体を寄せあっている。
「私、嬉しいよ」
我愛羅の腕の中は心地好い。
暖かくて、優しくて。まだどこか遠慮がちではあるが、その不慣れなところが愛おしい。
その思いを伝えるかのように見上げれば、我愛羅は猫のような目を皿のように広げ――次の瞬間には柔らかく綻ばせながら、「そうか」と小さく呟いた。
その声音は眼差し同様とても柔らかく、優しくサクラの鼓膜をくすぐっては柔らかな気持ちにさせる。
まだどこかたどたどしい変化ではあるが、今までを思えば大きな進歩だろう。こうして誰かと密に触れ合うことも、心中をさらけ出す機会もなかったに違いない。
だからこそサクラは穏やかに微笑み、間近にいる男の胸板に額を押し当てた。
(優しい音。少しだけ早くて、でもあたたかくて……。――生きてる音)
額を押し当てたが故に分かる心音を噛みしめるように味わいながら、二人はぽつぽつと言葉を交わしつつ起床する時間まで抱き合った。
そこには疾しさも厭らしさもない。ただ穏やかな時間だけが過ぎていく。
だが時は永遠に止まることはなく、どれほど願っても終わりは必ずやってくる。
名残惜しくも起床時間となってしまえば二人は離れるしかなく、互いに少しばかり寂しい気持ちを抱きながら起き上がった。
「今日も一日頑張らなきゃ、だね」
「ああ。そうだな」
また今日が始まる。変わり映えしないような、それでいて二度と戻ってこない一日が始まる。きっといつかは『当たり前』になる日々を、これからもずっと続けていくのだ。
それこそが未来を作っていくのだから。
二人はそれぞれ背を伸ばしてから立ち上がり、冷えた床に足をつける。
そこでふと考える。
こうして我愛羅の部屋で冷えた床に足をつけたのは何度目だろうかと。
だが考えたところで正確に思い出すことは出来ない。それほどまでにサクラはこの部屋で我愛羅と顔を合わせ、共に過ごしてきた。
食事を摂り、言葉を交わし、顔を合わせ、星を見上げた。
考えれば考える程、ここまで深く接した異性はいない。いつだって周囲には同期や教師といった異性はいたが、我愛羅に対して抱くような気持ちはなかった。
――寂しい。苦しい。悲しい。辛い。
――愛しい。守りたい。傍にいたい。支えてあげたい。
背反する気持ち。
だがどれもが本当で、本気だった。
初めてだった。
我愛羅と出会ってからサクラは自分の中に眠る沢山の感情と向き合った。
恐怖も、憎しみも、怒りも、悲しみも、不安も、痛みも、孤独も。そして自分の内側に眠っていた際限のない愛情も。そのどれもが我愛羅によって花開かれ――今は我愛羅にだけ向けられている。
それを考えると益々己の対極に位置していた男を不思議に思う。
固まった体を解す後姿は比較的小さいが、頼りないわけではない。少ない食料と不自由な生活の中で、それでも逞しく生きている。砂漠の乾いた土地に植物が懸命に根付くように、我愛羅もまた懸命に生きている。
確かにサクラにとって一種不思議な存在ではあるが、やはりどうあってもこの男が愛おしいのだ。そう思い至ると、サクラは無意識にその背に触れようとした。
――が。伸ばした手はすぐさま後ろへと回る。
何故なら部屋を出ようとした我愛羅が扉を開けた瞬間、石のように固まったからだ。そしてその原因はと言うと――
「…………早く用意をして降りてきなさい」
我愛羅が扉を開けた先。廊下に立っていたのはテマリでもカンクロウでもなく、我愛羅の父親でもあり風影でもある羅砂であった。
これは固まる。むしろ固まっても仕方がない。
羅砂は羅砂で扉を開けた先にいた我愛羅の背に見えたサクラに驚いたのだろう。僅かに間を空けてから言いたいことだけ言ったかと思うと、速やかに階段を下りて行った。
それを我愛羅の背中越しに見送った後、サクラは未だ扉を開いたままの状態で固まる我愛羅へと声をかけた。
「えーと……その……。とりあえず、平常心よ! 平常心!」
なんとか励まそうと頑張ってはみたが、ぽん。とその背を叩いた瞬間、固まっていた体はあっけなく傾き、我愛羅の丸みを帯びた額が『ゴン』と鈍い音を立てて扉へとぶつかった。
◇ ◇ ◇
『口から心臓が出てきそうだ』と何とも恐ろしいことを呟き、分かりやすくへこむ我愛羅をどうにか励まし、用意を整えてから二人はリビングへと降りる。
そこには既に羅砂が食卓に着いており、テマリとカンクロウもどことなく気まずそうに朝食の用意を進めていた。
「おはようございます」
意を決してサクラから声をかければ、羅砂以外の二人がすぐさま顔を上げ反応する。
「お、おう! おはよう。我愛羅、サクラ」
「おはようじゃん」
「ああ……」
基本的に羅砂は朝食を共にしない。というのも、時世のせいか昨夜片付けた仕事も早朝にはまた溜まっているようで、それを片付けるべく早くに出勤するのだ。
休日もあってないようなものである。
たまの休みも殆ど書斎に籠っていたり、出かけたまま夜まで戻らないことが多い。だからこうして朝食の席に羅砂がいることはかなり珍しいことだった。
それは偏に昨夜の件が原因だろう。
この家が一般的な家屋に比べて広い構造をしているとはいえ、皆忍だ。耳は良い。昨夜叫んだ我愛羅の本音は皆に届いていただろう。あるいは泣き明かした二人の声も聞こえていたかもしれない。
全くもって気まずい。
それは羅砂以外の全員が抱いた感想であったが、皆空気を読んで口にすることはなかった。
とはいえ皆子供でもある。羅砂のように平常通りの態度を貫くことは難しく、どこかぎくしゃくとした態度で空気は硬かった。
実際問題、テマリやカンクロウから投げられる視線が痛い。
だがここで逃げるはくノ一の恥。サクラは「よし」と内心だけで気合を入れると、台所に立っていたテマリへと近付いた。
「テマリさん。何かお手伝い出来ることあります?」
「え?! あ、い、いや! ないぞ! あとはもう飲み物淹れるだけだから! あ、あんたはほら、先に座ってな!」
「え? でも……」
「別に気にしなくていいじゃん。ほら、我愛羅も突っ立ってないで早くこっちに座るじゃん」
一見落ち着いた体のカンクロウが二人に着席を促すが、その目は完全に泳いでいた。
ああ、居た堪れない……。
先程までの穏やかな気持ちはどこに行ったのか。今では別の意味でキリキリと痛み出す胃を抑えながら席に着く。途端に羅砂の瞳がすいと動き、サクラを映した。
「……なんでしょうか」
「……いや」
羅砂の瞳は一言で言うならば“疑っている”。
我愛羅とは何もなかったのか。過ちを犯していないか。それを確認しようとしているのだろう。
だが二人は断じてそんな仲ではない。友人と呼ぶにはあまりにも奇異ではあるが、恋人と呼ぶにはまだ幼すぎる。
純粋と言っていいかは分からないが、我愛羅から邪な気持ちは感じなかったし、サクラもその手の感情は抱いていない。強いて言うならば家族に向ける愛情に近いと言っていい。例え我愛羅がそういった感情をサクラに抱いていたとしても、素直にそれを向けてくるとは思えなかった。
何せ我愛羅はようやく自身の本当の気持ちに素直になったばかりである。一足飛びに己の欲を満たすとは、どう考えても思えなかった。
「じゃ、じゃあ皆席に着いたことだし、食べるか」
気まずさの中、精一杯の明るさを持ってテマリが言葉をかける。しかし羅砂を除いた全員が『まともに味が分かるわけがない』『むしろ喉を通る気がしない』とも考えていた。
それでもサクラから視線を外した羅砂が「いただきます」と手を合わせれば、皆それに従った。
(き、気まず〜……)
カチャカチャと食器がぶつかる音以外に聞こえるものはなく、普段は美味いと思う料理の味ですらよく分からない。
元より物資が少ない世界だ。味つけに関する贅沢は言わない。けれどここまで食べ物を無味に感じたことはあっただろうか。
いや、ない。
そんなくだらないことを考える余裕すらなく、ただ機械的に食事を進める。すると再び羅砂の瞳がサクラへと向いた。
「…………………………」
「…………………………」
完全に疑われている。まるで肉食獣に狙いを定められた被食者の気分だ。
隣に座す我愛羅も気付いているのだろう。チラチラとサクラと羅砂に視線を寄越しては戸惑う気配を漂わせてくる。だがそれはテマリとカンクロウの比ではない。一番身の置き場に困っているのは間違いなくこの二人だ。
問題を抱えた弟と元捕虜に加え、今では謎の威圧感を放つ父親がいる。
胃が痛いのは自分よりも二人かもしれない。どことなくサクラが現実逃避していると、羅砂がついに口を開いた。
「春野サクラ」
「はい」
「それと、我愛羅」
「はい」
「後で私の部屋に来なさい」
き、キターーーーッ!!
思わず内心で叫ぶサクラではあるが、悟られぬよう平常心を装い神妙に頷く。対する我愛羅も同じように返したが、珍しく全身で“気が重い”と語っていた。
そしてテマリとカンクロウに至っては完全に食事の手が止まっている。
もしかしたら吐きそうなぐらい精神的なプレッシャーを感じているのかもしれない。
二人には心底『申し訳ない』と思いはしたが、サクラは「もう腹を決めるしかないか」と口の中に溜まっていたものを飲み下し、まだ湯気の立つ湯呑へと手を伸ばした。
ずずっ。と強かにお茶を飲むサクラとは違い、砂の三姉弟は完全に石化していた。