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互 -07-



 我愛羅が医務室に転がっている頃、サクラは黙々と仕事をこなしていた。

(最近あったかくなってきたなぁ。砂隠って冬が去るのが早いのね。木の葉だとまだ肌寒い季節なのに)

 砂隠では木々自体見かけることがないから分からないが、木の葉ではようやく新芽が芽生える頃だろう。あるいは幼いながらも小さな葉が太陽の光を受けながらすくすくと成長し始める頃だ。サクラは仕事に向かう最中それらを見上げ、もうすぐかなぁ、と観察するのが好きだった。
 だが砂隠にはそういった、緑を茂らせる木々は少ない。砂漠に生える木は木の葉とは違い、背が低く、表面が乾いたか細い物が多かった。

(まぁしょうがないわよね。水も少なければ養分も少ない。砂がサラサラしているから根を張るのも大変だろうし、水分を貯めやすい多肉植物じゃないとすぐに枯れてしまう。本当に過酷な土地よね、ここって)

 つらつらと考えながらも足早に院内を歩き回り、与えられた業務をこなしていく。
 サクラはあの日以来、片足を潰された患者とは会っていなかった。

(我愛羅くんとの関係は良好だわ。でも、何か変なのよね。以前に比べて我愛羅くんの方が私から遠ざかっている感じがする。やっぱりまだ……ダメなのかな)

 サクラがこの数ヶ月で知ったことと言えば、我愛羅が酷く不器用なことと(手先というよりも生き方が、だ)好きな食べ物は『肉』。嫌いなものは『甘いもの』。これだけだった。
 そもそも我愛羅は自分自身のことを話すことがなく、またサクラ自身我愛羅の過去を人聞きではあるが多少知っているため、根掘り葉掘り聞くのは憚られた。
 結果的に話の中心はサクラになり、話題の乏しい我愛羅は短い相槌を打つだけで終わる。

(でも前より空気は柔らかいわ。嫌がってはいないと思う。でも、どうしてかしら。どうして、こんなにも寂しいのかしら)

 我愛羅に対する固定観念を捨て、我愛羅の本質を見抜こうと色眼鏡を捨てたサクラではあるが、反対に我愛羅の気持ちが遠ざかっていくようだった。
 サクラが一人で歩こうと立ち上がった故に身を引こうとしているのかもしれない。
 だが我愛羅が自身の手助けを不要だと思っているのであれば、それは間違いだと言ってやりたかった。

(私は本当の我愛羅くんが知りたいだけ。何をどう思って行動しているのか、本当はどうしたいのか。それを知りたいだけ。なのに、どうしてあの人は隠れてしまうんだろう)

 今までサクラにとって我愛羅は孤独な海だと思っていたが、最近は月のようだと感じていた。
 本当の姿が見たいのに、雲に隠れて姿を消すように本心を隠してしまう。甘えるサクラを包むかのような時もあれば、どこか暗い表情で一歩退く時もある。
 まるで月の満ち欠けのようだ。だからこそ未だに我愛羅が掴めずにいる。

(潮の満ち引きにも似ているけれど、毎日姿を変える分月の方が似ているわね。その時々によって違うから、本当の姿を見せるのを嫌がって雲に隠れるところなんて本当にそっくり)

 三日月は早くに沈んでしまう。だが満月は遅くまで天に昇り、太陽と入れ替わるようにして沈んでいく。
 我愛羅の見え隠れする心や、変わる態度にサクラは毎日月を見上げているような気持ちになっていた。
 だからこそ本当の我愛羅の姿が見えない。
 欠けた月も満月と同じ月であるように、どちらの我愛羅も偽りではなく本当の姿なのかもしれない。だが結局のところそれは憶測に過ぎず、掴めない男にもどかしい気持ちが募るばかりだ。

(聞いたところで教えてはくれないわよね。任務には守秘義務があるし、私を連れ去る任務には“木の葉に砂隠の恐ろしさを見せつけろ”とでも言われたのかもしれない。彼は任務であればどんなことでも遂行するだろうから。……でも、本当の所は何も分からないのよね)

 任務とあらば汚い仕事であっても全てこなす。それは忍として生きる以上絶対的に必要な心構えだ。我愛羅だけではない。
 だが少なくとも口下手な男の、更に数少ない言葉からそれらを読み取ることは出来た。しかしそれらの仕事を請け負った時我愛羅がどんなことを思うのか。流石にそれは教えてくれなかった。

(不器用とは違う。きっと言えないんだわ。自分の思っていることを素直に言える立場じゃなかったから、だから上手く表現出来ない。どんな言葉で伝えていいかが分からない。だから話す事自体を諦めている。そんな気がするのよね)

 だがそれに気付くのにサクラでさえ時間がかかった。これでは他者を拒絶している我愛羅の真意など誰も気付くことは出来ない。
 自らの行動により更に自身を孤立させている姿を思い出す。その度にサクラはやるせない気持ちを抱いた。

(私も自分で変わろうと思ったから気付くことが出来た。結局は自分の行動によって決まるのよ。誰かに好かれることも、嫌われることも。全部自分の行動が自分に跳ね返っているだけに過ぎないんだから)

 暗く、どんよりとした空気を纏う人に近寄りたいと思う者はいない。だが明るく朗らかな笑顔を見せる人には誰もが惹かれる。ただそれだけの話なのだ。
 我愛羅は他者を拒絶することによって自らを孤立させ、殻に閉じこもることで自我を守ってきた。だがその殻から出ようとしていた我愛羅が、何故か再び殻の中に戻ろうとしている。サクラにはそう感じられた。

(私はずっと独りだと思っていた。でも我愛羅くんがいてくれた。私を見てくれた。だから私も、我愛羅くんに向き合いたい。もっと、ちゃんとした形で向き合って、彼を知りたい)

 だが我愛羅はサクラから身を引こうとしているようにも見える。それでは何のためにサクラが立ち上がり、我愛羅に向かって歩み出したのかが分からない。
 拒絶とは違う。
 隠れるような、逃げるような。そんなもどかしい態度にサクラは四苦八苦していた。

(でも焦ったところでしょうがないわ。十年近く彼はああして生きてきたんだから。たった数ヶ月で変われるような簡単な話じゃない。それに、我愛羅くん自身がそれに気付かないと、きっと意味がない)

 サクラがあの患者を通して我愛羅を本当の意味で知ろうとしたように、我愛羅も自らが立ち上がり、サクラと向き合ってくれないとその心はずっと閉ざされたままだ。
 だからこそ月のように隠れてしまう。しかし幾ら手を伸ばそうとも、サクラの手では月まで届かないのだ。

(我愛羅くん……。あなたは、本当はどうしたいの?)

 見上げた空は青く、穏やかに雲が広がっている。それでもサクラの心は未だ晴れない。
 この空の下、どこかにいる我愛羅のことを思っては拳を握った。

 今のサクラは、もう独りだと思い泣くことはなかった。


 ◇ ◇ ◇


 解毒剤が効き、床に転がっていた我愛羅は古びたタイルに腕をつきながら立ち上がる。そうしてふらつく体を壁に手をつくことで支えながら倒れた瓢箪へと近付き、チャクラ封じの札を捩じ切るようにして引きはがす。

「――クソッ!」

 ずっしりと重い、砂が詰め込まれたソレを背負って歩き出す。
 その表情はいつになく険しく、また瞳は荒んでいた。

(俺のせいでお三方に迷惑をかけてしまった……! サソリの毒に侵されていなければいいが、あれではまともに話し合いが出来たかどうか……。それに俺の処罰はどうなるんだ? 父様は、風影様は俺をどうするつもりだ?)

 傀儡部隊長であるサソリを寄こしたということは、風影は会合を中止させるよりも我愛羅を奪還することに重きを置いたに違いない。
 あくまで傀儡部隊が場を攪乱したのは撤退しやすくするためだ。勿論サソリの性格上多少相手を煽る部分もあっただろうが、引き際を誤るような男ではない。
 現に我愛羅は争うことなくサソリに捕獲され、こうして放置されている。

 サソリは勿論のこと、風影の真意も読めない。だが現状戦争が終わっていないため、すぐさま首を飛ばされることはなさそうだ。それでも幽閉される可能性はある。
 我愛羅は気怠い体を引きずりながら施設から抜け出し、無意識に暮れはじめた空を見上げた。

(……監視はいない。刺客もいない。サソリは勿論、他の奴らのチャクラも感じない。……どういうことだ? 幾らなんでも『お咎めなし』とはいくまい。単に処罰を決めかねているのか?)

 自身が罰せられることは苦ではない。だが密会をしていたせいで木の葉に、ミナトたちに迷惑をかけることだけは避けたかった。
 “兵器”である自分に、敵である自分に触れようとしてくれた人たちを傷つけたくなかった。

 だが風影である父親が知らないはずがない。

 我愛羅に気付かれることなく尾行出来る人間などサソリを除けば数えるほどしかいないのだ。そのうちの誰かを使ってずっと監視をしていたに違いない。
 遅くともそれは木の葉丸と接触した時からだろう。だからこそ我愛羅は木の葉丸たちにもその矛先が向かなければいいと思う。
 今や我愛羅にとって木の葉丸たちも守るべき存在であった。

「くっ、」

 解毒剤が効いてきたとはいえ、それでも痺れは全身に残っている。
 上手く動かない足は火縄銃で打たれた時のように引きつり、もつれ、ついに砂に捕えられて膝をついた。

「はぁ……はぁ…………クソっ!」

 まともに立つことも、歩くことも満足に出来ない。不甲斐ない自分につくづく嫌気がさす。
 サラサラと風に飛ばされる砂に爪を立てながら拳を握りしめれば、突如目の前に小さな足が飛び込んできた。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 幼い声に俯けていた顔を上げれば、そこにはまだ額当てもしていない小さな子供が立っていた。
 食糧難でもあるため子供の体は少々痩せてはいたが、大きく丸い瞳は恐れることなく我愛羅を見つめている。
 そんな子供に我愛羅が数度瞬けば、今度は一瞬で子供が宙に浮いた。

「も、申し訳ありませんでした! 我愛羅様! ほら、行くぞ!」
「あ! 待って、おとーさん!」
「ぁ」

 子供の頭を無理やり下げさせ、足早に去って行く男の顔には見覚えがない。それでも額宛をつけていたことから自里の忍だということが分かる。
 そして逃げるように去り行く背中には拒絶と恐怖が如実に漂っており、小さな子供は必死に我愛羅が倒れていたことを告げていたが、父親と思しき男が聞き入れることはなかった。
 その背を地に膝をつけたままの我愛羅は呆然と見送り――悟った。

(……そうか……。これが、“俺”か)

 戦争を止めさせようと歩き出したにも関わらず、結局自分のせいでミナトたちに迷惑をかけてしまった。
 自分さえいなければ姉兄から母を奪うことも、父から妻を奪うこともなかった。己が兵器であったがばかりにミナトの仲間を殺し、サクラの仲間を殺し、二人の心を傷つけた。
 そしてその兵器の力を扱えなかったばかりに、里の皆に畏怖され、孤立した。

 ――結果が、今の親子だった。

(俺は何のために生まれ、何のために生きているんだろうな……。他人を傷つけることしか出来ない。自分も、他人も、誰一人として救うことは出来ない。俺は本当に……――必要とされている人間では、ない)

 乾いた砂が風の吹くままに流れていく。
 己の気持ちと共に風化していくように、風が砂を攫って去って行く。

(木の葉丸たちも結局俺が“兵器”と知らなかったから話しが出来たんだ。知っていれば言葉どころか視線すら合うこともなかっただろう。俺の人生に価値などない。意味も――ない)

 力尽きたように地面に倒れる我愛羅に声をかける者はいない。

 背負った瓢箪が重い。風に乗る砂が皮膚を叩いていく。ゴウゴウと煩いぐらいに強い風が吹けば、途端に髪は乱れ、砂が肌を刺していく。
 だが全てどうでもいいと思った。このまま死んでもいいとすら思った。どうせ自分が死んだところで誰も何も思うまい。少しでもそう考えてしまえば、途端に全てがどうでもいいことのように思えた。

「あの、大丈夫ですか?」
「…………?」

 だが倒れる我愛羅にかけられる声がある。一瞬幻聴かと思いはしたが、その声は再度我愛羅に意識があるかどうかを確かめるように呼び掛けてくる。
 だからうっすらと閉じていた瞼を開けて相手の姿を確認すれば、先程逃げ去った男とはまた違う――しかし同じように見覚えのない男が我愛羅に向かって手を差し出していた。

「僕に診せて下さい。きっと治してみせますから」
「……おまえ、は……」

 困惑する我愛羅に男は笑う。その穏やかでありつつもどこか胡散臭い笑みに思うところはあったが、我愛羅は「もうどうでもいいか」とすべてを投げ出すように男の肩を借り、足を動かす。

「ふむ……。とても強い毒が打たれていますね。末端にはまだ症状が残っているようです」
「そうか……」

 男に連れられ辿り着いたのは、風よけのある路地裏の一画だった。誰も住んでいない家屋も残るその場所で男は手早く、しかし隅々まで診察していく。
 そうして我愛羅の指先や足先に触れては反応を伺い、一つ頷いた。

「解毒剤は打たれているみたいですね。もう暫く安静にしていてください」
「そうか……。分かった」

 相手の名前を聞くことすら億劫ではあったが、我愛羅は虚ろな瞳を男に向けて数度瞬く。だがどれほど記憶を探っても、やはり砂隠では見たことのない顔だった。

「……失礼だが、名前を伺ってもいいだろうか」

 まともな礼が出来るわけではなかったが、せめて出来うる限りの謝礼はしたい。そう思い問いかければ、男は先程とはまた違った笑みを口元に浮かべた。
 それも随分と胡散臭くはあったが、やはりどうでもよかった。

「僕はカブトです。薬師カブト。大蛇丸様の部下ですよ」
「大蛇丸殿の……?」

 目を見開く我愛羅の虚ろな瞳に光が戻る。
 カブトはそれを確認すると目を細め、上司が気にかけていた一尾の人柱力に頷いた。

「今回の件は大蛇丸様が揉み消すよう、風影に伝書を飛ばしました」
「そうか……。大蛇丸殿は今国に潜んでいるのだったな。ならば父様は俺をそう簡単に罰せない、か」
「そういうことです」

 カブトの説明に大体のことを把握した我愛羅が呟けば、カブトは大蛇丸からの伝言を告げる。
 今回のことは揉み消すということ。そして情報の提供はこれからも願うこと。そして最後に、これから行われるであろう密会についてカブトは口を開いた。

「申し訳ありませんが、今後は密会への参加はお控えください。きっとこれからあなたには沢山の監視がつく。それらを全て振り切ることは困難でしょうし、今日みたいにすべてを大蛇丸様が揉み消すのは難しいですから」
「ああ、分かっている。ご迷惑をおかけして申し訳ないと、そう伝えてくれ」

 よろよろと、再度壁伝いに立ち上がる我愛羅に向かってカブトは手を差し伸べる。だが我愛羅は「結構だ」と手を振ってそれを断った。

「――カブト殿」
「はい?」
「あなたにも、迷惑をかけた。申し訳ない。……それから、手を貸してくださり、感謝する。助かった」
「……いえ」

 軽く頭を下げ、歩き出す我愛羅にカブトは後ろ頭を掻く。
 今まで我愛羅を観察してきたカブトではあったが、ここまで疲弊し、また虚ろな姿は初めて目にした。このままでは幾分か危ないか、と思ったところで、カブトの足元にクナイが飛んでくる。勿論カブトはそれを躱していたが。

「貴様、何者だ」
「おっと。見つかってしまいましたか」

 上方から聞こえてきた声に顔を上げれば、面をつけた忍が二人――カブトに向かって臨戦態勢に入っていた。
 そんな相手を一瞥し、カブトは「早速お出ましか」と口の端を緩める。しかしその明晰な頭脳は既に脱走経路を組み立てており、刺客をものともしていなかった。

「失礼ですがあなた方に構っている暇はありません。それでは」
「待て!」

 懐から煙幕を取り出し、飛び交う風に乗せて上手く爆発させたカブトは颯爽とその場を後にする。すかさずその後を二人の忍がついてきたが、敵を撒くことに慣れているカブトは道中仕掛けてきたトラップを幾つも展開させ足止めし、見事姿を眩ませることに成功した。

(我愛羅くん、彼は今とても危うい状態ですね。今後も気を付けて見ておかないと)

 とにかく先に報告だ。カブトは心中で算段をたて、大蛇丸が潜む風の国に向かって乾いた大地を踏みしめた。