互 -06-
捕らわれた我愛羅は風影の前に転がされ――ることはなく、何故か木の葉丸たちが幽閉されている牢とも違う、サソリが普段身を置いている施設の医務室に連れてこられていた。
「何のつもりだ」
「そいつぁこっちの台詞だぜ、坊ちゃん」
サソリに神経毒の解毒剤を打たれながらも、動けぬ体の代わりに言葉と視線で警戒心を露わにする。だが常人であれば青褪めるような鋭い眼差しであってもサソリからしてみれば威嚇する小動物と変わらない。
現に注射器を片付けながら呆れたように我愛羅を一瞥し、ニヒルな笑みを口元に浮かべる。
「里を裏切る覚悟は立派だが、警戒心が足りねえな。小娘に絆されすぎて緩くなりすぎたんじゃねえの? お前」
「…………」
道具を棚に仕舞ったサソリは、我愛羅を寝かせた寝台の近くにあった丸椅子に腰かける。その姿は不思議なほどいつもと変わらない。我愛羅が裏切り行為をしたというのに、だ。
そのうえサソリの声音や瞳、纏う空気からしても責める色はない。それがかえって怪しいのだが、サソリは改めることなくのんびりと足を組む。
「何故俺を風影様の元へと連れて行かない」
「はっ! ついに父親じゃなく風影と呼ぶか。嫌われたもんだなぁ、四代目も」
「質問に答えろ」
火影であるミナトたちといた時とは違う。警戒心と疑心を露わにした我愛羅の視線にサソリはふと思う。
(そういや我愛羅のこの目を見るのも久しぶりな気がするな)
近頃戦がなかったとはいえ、以前であればほぼ毎日のように見ていた。恐ろしいまでに狂気的な瞳を。
生まれた時から“兵器”として育てられ、戦場に出れば数多の死傷者を足元に積み重ねてきた。幼少期からずっと変わらず――いや、むしろ徐々に暗部向けの任務をこなすようになり、更に血の気配を濃く漂わせるようになった。
そんな男の修羅のような側面が久々に顔を出しつつある。
だがそれを恐れる男ではない。むしろこれで逃げていたら傀儡部隊の隊長など務まるはずもなく、また何年と続く戦に参加し生き続けるなど不可能に近い。そんな男だからこそ風影は我愛羅を任せたのかもしれないが。
「質問に答えろ、か。まぁいい。正直な話、大事なご子息に毒薬使ったなんてバレちゃあお咎め喰らうからな。減給されたくねえからお前の毒が抜けるまで待とうかと思ってよ」
「フン。これしきのことで風影様は咎めたりしない」
サソリの返答に我愛羅が無意識に視線を逸らせば、サソリは表面的には笑みを浮かべ――内心では「拗れてんなぁ」と呆れていた。
だがここで優しく慰めを口にする男ではない。サソリは敢えて挑発するように口角を上げ、我愛羅を睥睨する。
「ははーん? 大事にされていない、ってかぁ? 悲しいねぇ、坊ちゃん」
「別に悲しくなどない。俺はそんな柔な人間ではない」
いっそのこと殺気すら感じる強い眼差しで睨まれ、サソリは「おー怖い」と恐れるふりをしつつ椅子から立ち上がる。
当然我愛羅はそれに対し警戒を強めるが、未だ解毒薬が回り切っていない体は指一本として動かすことが出来ない。それに舌打ちしたい気持ちではあるが、我愛羅はただサソリを睨むだけだった。
しかしサソリはゆったりとした足取りで我愛羅のすぐ傍で止まると――その意識を再び“兵器”として戻すかのように――耳元で甘言にも似た毒を紡いでいく。
「だがなぁ、坊ちゃん。風影は言ってたぜぇ? 『お前が里を裏切るようであれば、構わず首を獲ってこい』ってなぁ」
「フン。貴様のような輩に殺られる俺ではない」
「おいおい。今の状況分かってて言ってんのかぁ? 思った以上に頭ん中ハッピーな野郎だな」
「黙れ。殺すぞ」
眉間に皺を寄せ、殺気を込めてサソリを睨む。だがそんな我愛羅に、サソリは歌うように囁き続ける。
「バッカだなぁ、お前。誰も“お前の首を獲る”とは言ってねえだろ?」
「……なに?」
反吐が出るほど憎らしい笑みを浮かべるサソリを凝視する。それがサソリの作戦だとは露知らず、経験の浅い我愛羅はすっかり相手の話術に嵌りつつあった。
それが愉快でもあり、可哀想でもあり。サソリは内心では複雑な思いを抱く。
とはいえサソリも立派な“忍”だ。任務となれば心など必要ない。旧友の顔も、その姉のことも、今は記憶の彼方へと追いやり嗤う。
「少し考えれば分かることだろ。てめえが大事に大事にしている“花”を手折って来い、って意味だよ」
「――ッ!!」
今まで無表情だった我愛羅が、今ではこんなにも分かりやすく表情を変えている。本来ならば喜ぶべき変化なのだろう。だが今は、それを手放しで喜んでやることは出来ない。
「しっかし情けねえよなぁ。里の兵器と謳われたお前が、こーんな無様な姿を晒すなんてよ。芋虫みたいで可愛いぜ? なぁ、坊ちゃん。子猫のように首元くすぐってやろうかぁ? あ?」
「貴様っ――!」
揶揄するサソリの指先が、悪戯に我愛羅の顎下を撫でる。当然ながらそのような接触に喜ぶ我愛羅ではない。
全身から発せられる怒気に反応するようにざわざわと瓢箪の中に押し込められた砂が動くが、生憎とチャクラ封じの札を張られていたため、いつものように飛び出してくることはなかった。
「ククッ、そう怒んなよ。こんな無様な格好見られちゃ恥ずかしいだろ? 特に小娘にはな」
「……アイツには手を出すな」
解毒薬が効くまで時間がかかる。
それをいいことに好き放題口にするサソリに歯噛みすることしか出来ず、我愛羅は『体さえ動けばすぐにでも“殺してやるのに”』と憎悪に身を焦がす。
途端に腹の奥底で獣がのそりと尾を揺らしたが、それに気付かぬほど我愛羅の頭には血が上っていた。
「なぁ、坊ちゃんよぉ。そんなにあの小娘が大事か?」
「…………」
柔らかく問いかけてくる声音は毒そのものだ。じわじわと神経を侵し、脳を支配し、殺意を呼び起こさせる。特にサソリは今我愛羅が一番大切に思っている人が誰なのか知っている。
だからこそその声は不愉快でしかなかった。
「いいか? 坊ちゃん。俺様は優しいから、一つ、いいことを教えてやる」
サソリの指先が我愛羅の頬へと伸ばされる。
その乾いた作り物の指先は皮膚をくすぐるように、あるいは骨格を辿るかのように、または皮膚の下に走る血管をなぞるかのように――ゆっくりと形をなぞって喉元まで下りていく。
そうして浮き出た喉仏にまで下りてきた指先に、我愛羅は吐き気にも似た不快感を覚えた。
だが睨むように見上げた先にいたのは、今まで揶揄い交じりに己を睥睨していた男ではない。
存外真面目な顔をした、年上の男が我愛羅を静かに見下ろしていた。
「いいか、我愛羅。これ以上変なことすんじゃねえ。じゃねえとマジで小娘が罰せられるぞ」
「アイツは関係ない!」
覚えた吐き気を忘れるほどの必死さで抗議する我愛羅、サソリは僅かに目を細める。
如何に“兵器”として育てられても所詮は人。完全に肉体から感情を切り離すことなど不可能だ。ましてやまだ十代の子供だ。どうしたって周囲の影響を受ける。
戦場でどれほど武功を上げようとも、大量に人を殺そうとも、常日頃から監視し、制御下に置かなければ感情は育っていく。
生まれた自我を他人の手で消すことは容易ではない。ボタン一つでリセット出来る絡繰りとは違うのだ。育ち始めた感情も、幾ら摘み取ろうと思っても目に見えないものだから難しい。
だが決して綺麗ごとだけで生きていける世界ではない。
それを知っているからこそ、サソリには今の我愛羅が余計滑稽に見えて仕方なかった。そして同時に、それが如何に憐れなのか教えてやらねばならなかった。
「関係ない、ね。本当に随分とまぁおめでたい頭になっちまって。俺様泣きそうだぜ」
「ふざけるなッ」
「ふざけちゃいねえさ。俺ぁな、『マジ』と書いて『大真面目』と読ませるぐらいには本気で忠告してやってんだ」
サソリは珍しく平坦な口調でそう告げると、そのまま我愛羅の髪を掴んで持ち上げる。
「くッ!」
当然我愛羅は髪を引っ張られる痛みと、体が動かぬもどかしさ。そしてサソリの言葉に募る苛立ちのせいで険しい表情になっているが、サソリは構わず冷たい言葉を投げかけた。
「これ以上事態をややこしくしてみろ。てめえが知らない所でゆっくりと小娘の体を開いてやる。内臓がどんな色をしているのか、形はどんなものか、骨の位置から内臓の配置まで全部綺麗に写し取っててめえに見せてやるよ」
「や、めろ、」
喘ぐように抵抗する我愛羅を常ならば嘲笑うサソリではあるが、今回ばかりは彼も“本気”だった。――本気で止めねばならなかったのだ。我愛羅とサクラを守るためにも。
これ以上我愛羅が里を裏切る行為が目立てば――もし表沙汰になってしまえば。間違いなくサクラは処罰される。そうなると非道な風影のことだ。抗う我が子など歯牙にもかけず、サクラの命を奪うだろう。
今まではサクラが規律違反を起こしても我愛羅が庇ったり、負傷者を助けたことで有耶無耶にされてきた。だが今回ばかりは甘い処置などしていられないのだ。
何せ里の存続が掛かっている。
ならば風影は容赦なくサクラを切り捨て、我愛羅の心を完全に壊すだろう。
我愛羅を“一人の忍”として認めず、ただの“兵器”としてこれからも里に縛り続けるだろう。
それが容易に想像出来るからこそサソリは敢えて茨の道を突き進む。子供達に己の老婆心など悟られたくないが故の、天邪鬼で、酷く不器用なやり方だった。
「安心しなァ。開いたところで殺しはしねえよ。――ただ、傀儡になるだけだ。俺が持つ三代目風影のようになぁ」
「ッ――! 殺す!」
だがサソリの本心など怒り心頭な我愛羅に伝わるはずがない。
未だ動けぬ体を無理やり動かそうと憤る我愛羅に呼応するように、壁に立てかけられていた瓢箪がガタガタと音を立て――遂には倒れる。
だが栓は外れず、床に残った僅かな砂も思うように動かすことが出来ない。
そんな不甲斐ない己に我愛羅は自然と舌打ちするが、無理に体を動かしたせいでバランスが取れず、手を離したサソリの足元に転がり落ちてしまう。
「うぐッ!」
「はっはー! いい様だなぁ、坊ちゃん。マジで芋虫じゃねえか」
寝台から転がり落ちただけでなく、受け身すら取れなかったことが大なり小なり我愛羅にショックを与える。だが決してサソリに悟られぬよう、無様に転がりつつも睨むことだけは止めなかった。
「おいおい。そう怒んなよ。お前が里を裏切らなきゃいいだけの話だ。簡単だろ? 出来るだろ? 猿にでも出来ることが坊ちゃんに出来ねえわけねえもんなぁ? 小娘を傀儡にするわけにいかねえもんなぁ?」
「殺す。殺す殺す殺す殺す殺す!!」
「うははははは! 殺れるもんなら殺ってみなあ! この芋虫我愛羅がよ!」
「殺してやる! 貴様だけは絶対に、俺の手で殺してやる!」
血を吐くように呪詛を漏らす我愛羅に、サソリも好戦的な笑みを浮かべることでそれに応える。
「そうかよ。んじゃまあ、楽しみに待ってるぜ。坊ちゃん」
「っ、触るな!」
ぐしゃぐしゃと我愛羅の髪をかき混ぜてくるサソリにすかさず吠えるが、サソリはケタケタと楽しげに笑いながら「じゃあな」と手を振り医務室を出て行く。
どうやら本気で風影の元に連れて行く気はないらしい。
残された我愛羅は動かぬ体にギリギリと歯噛みし、その際バキッ、と音を立てて奥歯が欠けたことにも気付かず獣のように荒い息を零し続けた。
その瞳はまるで狂気に呑まれていた頃のように殺意に塗れ、暴れ狂う激情に腹の底の獣が楽しそうに嗤い声を上げていた。
◇ ◇ ◇
そんな、ある意味では“兵器時代”に我愛羅を戻すことに成功したサソリは、現在その足で風影邸へと赴いていた。
「おう、旦那。坊ちゃん捕えて来たぜ」
「そうか。ご苦労だったな」
書類を片付けていた羅砂は、サソリを見ることなく労わりの言葉を投げる。だがサソリがそれに対し文句を垂れることはなく、むしろ風影の許しもなく手近な椅子をひっつかむとそれに腰かけ、背もたれに体重を預けた。
「しっかしよぉ、まさか坊ちゃんをまた“殺戮兵器”に戻すとは、なかなか酷なことするじゃねえか」
「里のためだ。アレのために皆の首を飛ばすわけにはいかん」
「そーかよ。風影様は大変なこって」
悩む素振りすら見せず、淡々と言葉を返す羅砂にサソリは視線を窓の外へと投げる。
磨かれたガラス戸の向こうには青々とした空が悠然と広がり、白い雲が気持ちよさそうに腕を広げている。
だがその下に住まう人間は窮屈な世界で生き、碌でもない見栄と意地と権力によって生かされている。そう思うとサソリは全てが滑稽に見えて仕方なかった。
「……ま、命令なら逆らわねえけどな」
実のところ、サソリは生前夜叉丸と親交があった。流石に親友と呼べるほど親密な付き合いはなかったが、居酒屋で顔を合わせれば言葉を交わす程度の仲ではあった。
そして我愛羅たちの母親である加瑠羅とも、幾度か言葉を交わしたことがある。だからこそあの姉弟には思うことがあるのだが。
(いいのかねぇ、これで。夜叉丸も加瑠羅様も、我愛羅を兵器にすることに反対していたはずだぜ。それでもあんたはてめえの息子を兵器として、これからも“風影”として息子を見るつもりかよ)
サソリにとって基本的に他者はどうでもいい存在であった。流石にチヨやエビゾウは親族なのでないがしろには出来ないが、それ以外など大した思い入れもない人物ばかりだ。
だが夜叉丸と加瑠羅が愛した子供たちだけは――二人の願いもあってか、サソリにしては珍しく懐に入れている方だ。
勿論一から十まで全て面倒を見るつもりはないが、せめていなくなった二人の分まで三姉弟のことを見ていくつもりではあった。
だがそれを知らぬ風影はサソリに「我愛羅を監視し、捕えて来い」と命令を下し、サソリは“忍”としてその任務を受理した。
そして我愛羅が間者たちと顔を合わせたところを狙って奇襲をかけ、見事捕えた。
が――サソリは我愛羅の、火影に胸中を吐露した時のあの泣きそうな声を、その柔らかな心を、『久しぶりに見たな』と思ったのだ。
「……なァ、風影様よ」
「何だ」
未だに一度たりともサソリを見ることなく、書類を捌く羅砂にサソリはぼんやりと天井を煽ぎ見ながら口を開く。
その一言はサソリにとって、自身を顧みるような言葉でもあった。
「後悔しても知らねえぞ。ちゃんと顔見て話せる時に話しとかねえと、いなくなってからじゃ何の意味もねえからな」
「……分かっている」
――分かってねえよ。
サソリは一瞬そう口を開きかけたが、結局何も言わずに立ち上がる。
嫌な仕事にはもう慣れた。長く生きた忍としての教えがそれ以上の発言を咎めたのだ。
「じゃあ俺は帰るぜ。坊ちゃんに俺を殺さねえよう釘さしといてくれや」
「何をしたんだ、お前は」
「さーな」
問いかけてくる羅砂を適当に躱し、サソリは風影室を後にする。
そうして扉を閉める際に投げた視線は施設の向こう、一つの岩崖へと向けられていた。
「……久々に行ってみるか」
そうして風影邸を出たサソリが足を向けたのは、何の草木も茂っていない渇いた岩崖だった。
傍目から見ればそこは岩肌を風に削られ、徐々に砂へと姿を変えていくだけの哀れな存在だ。そのてっぺんまで来ると、サソリは「よいせ」と腰を据える。
(そういや随分と長いこと来てなかったなぁ。最後に来たのはいつだったか……。ああ、そうだ。あいつ――夜叉丸と話して以来だから、五年以上は前か)
ビュウッ、と砂塵交じりの風がサソリの髪をかき混ぜていく。そんな悪戯な風に目を細めながら、サソリは目下に広がる自里を眺めた。
(今更だが、マジでうちの里小せぇなぁ。ま、こんな砂漠に囲まれた土地じゃあしょうがねえか)
胸中であれこれと一人ごちながらも、サソリは黙って頬杖を付きながら数度瞬く。
その脳裏には夜叉丸と様々な言葉を交わした日々が思い起こされていた。
◇ ◇ ◇
サソリと夜叉丸は決して“親友”と呼べるような間柄ではなかったが、それなりの交友関係はあった。
居酒屋に入れば共に酒を傾け、任務とあらばよく顔を合わせた。そして夜叉丸が風影の片腕として働くようになってからは、その子息についてよく話を聞かされたものだった。
『テマリ様は女の子なんだけど、とても好奇心旺盛で、すぐどこかに行かれてしまうんだ』
『へぇ、それじゃあ目が離せねえな。つかその間加瑠羅様は何してんだよ』
テマリが産まれて間もない頃の話だ。初めて姉と共に子育てを始めた夜叉丸は相応に苦労していた。しかも自分の子ではなく姉の子の面倒を見るなど、貧乏くじもいいところだ。
それでも真面目で根が優しい夜叉丸は文句一つ言わず、日々子守に励んだ。とはいえ如何に優秀な忍といえど子育ては専門外だ。毎日毎日、イレギュラーな出来事が続けば疲労も愚痴も堪る。
それでも生まれたばかりの赤子が徐々に大きくなり、首が座り、四つん這いを覚え、物を掴み立ち上がり、自力で歩き出す頃には風影すら負けるほどの親ばかならぬ親戚バカになっていた。
『それがねえ、姉さんは大体危ない目にあわないようだったら笑って見ているだけなんだよ』
『おいおい。危機感なさすぎんだろ』
幾ら普段から柔和な空気を醸し出しているとはいえ、流石にそれは危機感なさすぎだ。と珍しくサソリが正論を持って咎めれば、夜叉丸は苦笑いしつつ酒を煽った。
『でも姉さん曰く“歩くことは大事なこと。知ることは大事なこと。自分で触って、見て、体験することが大切なんだから、それを初めから奪うのはよくないこと”なんだってさ』
『気持ちはわかるけどよぉ……。加瑠羅様のアウトラインが俺には分からねえ』
『うん。それは僕もだよ』
理解不能だと顔を顰めるサソリに夜叉丸が苦笑いする。その横顔は姉である加瑠羅によく似ていた。
(そういやカンクロウについてもあーだこーだ言ってたなぁ。しょっちゅうテマリに泣かされて、寝小便で地図描いてたんだっけか? あれには笑ったなぁ)
テマリが大きくなるにつれ、加瑠羅の腹が再び膨れだした。
その新たに芽生えた命に喜んだのは、他の誰でもない。親戚バカ代表である夜叉丸だった。
『テマリ様に“妹か弟、どちらが良いですか?”って聞いたんだ。そしたらテマリ様、何て答えたと思う?』
ニコニコと、あるいはデレデレと。緩んだ顔で――子供のように笑って語って聞かせてくる友人に、サソリは『さあな』と興味なく答えてやる。だがそんなつれない反応にも負けず――というよりむしろ気付いてすらいなかったのだろう。夜叉丸は嬉々として当時の様子を語りだす。
『“私が守るからどっちでもいい!” だって! ちっちゃい体で胸を張ってさ。格好よくて、思わず「はい!」って起立しちゃったよ』
『はは、相変わらずテマリのお嬢は逞しいな。こいつぁ将来女傑として名を馳せるぜ』
『ははっ。かもね。でもテマリ様はお可愛らしいところもあるから、将来は絶対美人になると思うんだけどなぁ』
『お? 光源氏計画か?』
『バカッ! そんなことするわけないだろ?』
徐々に思い出してくる懐かしい記憶に笑いそうになっていると、カンクロウの幼い頃の話を思い出し、ついに吹き出してしまう。
『聞いてよサソリ。今日カンクロウ様が鋏でカーテンボロボロにしちゃってさ』
『あーあ。やっちまったなぁ』
『うん。それでちゃんと叱らないと、と思って。その場に姉さんがいなかったからさ』
『おぉ。教育係としてちゃんと働かねえとなぁ』
『うん。だけどカンクロウ様が何度も「ごめんなさい」って謝りながら泣くものだから、どうしよう。って悩んでたんだけど、そのうち「ごめんなさい」って繰り返し続けたせいか最終的には「ごめんください」になっちゃって』
『ぶっは! どこにお邪魔したんだよ、カンクロウの坊ちゃんはよ!』
『フフッ、本人も“ごめんください、ごめんください……あれ?”って首を傾け始めちゃってさ。もーダメだった。許しちゃったよ』
『だははは! 何だそれ! お前も坊ちゃんもダメダメじゃねえか!』
あの話は微笑ましくもありバカらしくもあり、色んな意味で笑ったもんだと思い返していたが、我愛羅が腹に宿った時のことを思い出せば自然と緩んでいた頬も引き締った。
『……サソリ』
『あ? んだよ。辛気臭ぇ顔してよ。給料下がったのか?』
『違うよ。姉さんの、お腹にいる赤ちゃんのことだよ』
『ああ。そういや三人目だっけか。それがどうかしたのかよ』
『うん……。まだハッキリと決まったわけじゃないんだけど、もしかしたら――次に生まれてくる赤ちゃんは、“守鶴の器”になれるかもしれない。って話が出たんだ』
『――――なん、だと?』
生まれてくる赤子が器として適切かどうかハッキリと判断出来るわけではない。それでも流れるチャクラによってある程度の診断は出来る。
その結果、当時加瑠羅の腹に宿った我愛羅は“器”として目をつけられた。
夜叉丸も加瑠羅も生まれたばかりの赤子に守鶴を宿らせることに反対したが、里の為だと言われれば言葉に詰まった。
『赤子に守鶴を、ね。成功する確率はどれくらいなんだ?』
『正直低いよ。最悪赤子が死ぬ』
『……そうか』
だが我愛羅は産まれた。未熟児としてではあったが、しかと産声を上げ五体満足で産まれてきた。そして“器”として“兵器”として、育てられることになった。
(坊ちゃんだって望んでああなったわけじゃねえ。夜叉丸も言っていたが、本来坊ちゃんは加瑠羅様の御子息らしく天真爛漫な性格のはずだった。……まぁ、守鶴さえいなけりゃの話だがな)
だが悲劇とは重なるもので、我愛羅を産み落としたことで加瑠羅は還らぬ人となってしまった。
母に抱かれることなく産まれた我愛羅は夜叉丸によって育てられたも同然で、羅砂は殆ど我愛羅に構うことはなかった。
(そもそもあの人不器用すぎんだろ。何で三人も子供こさえといて未だに不器用なんだよ。バカじゃねえのか? それとも経験値が足りねえのか? ガキがいねえ俺ならともかく、もう少し器用に生きられただろうがよ。それでも忍かっつーの)
内心で詰りはするが、実のところサソリとて分かってはいる。
羅砂は里を守ることに必死だったのだ。今も昔も。
だが世間を知らぬ子供たちにとっては関係のない話だ。そのうえただでさえ父親は滅多に帰ってこない。そんな中、心の拠り所とも呼べる母親を失えば寂しいに決まっている。そんなこと考えずとも分かるだろうに。
実際サソリも幼い頃に両親を失っている。当時のことを思い出せば如何に優秀な忍であり、心を殺すことに長けているサソリといえど痛むものはある。
だからこそ放っておけないのかもしれないが、サソリにとってそこは重要ではない。大事なのは『あの三人をどう導いてやるか』だ。
所詮親などいたところで滅多に顔を合わせないのであればいないも同然である。ただ“存在している”だけで、姿が見えない亡霊と何も変わらない。
『サソリ』
『んぁ? 何だ、夜叉丸か』
そしてあの日――。傀儡を作っている最中、珍しく仕事場に訪れた夜叉丸にサソリは顔を上げた。
当時施設には沢山の人間が残っていた。何せ午前中まで砂嵐が里を襲い、作業が進んでいなかったからだ。だがそんな忙しい時に夜叉丸が顔を出したのは初めてと言っても過言ではなかった。
『――少し、話せないかな』
『……いいぜ、ちょっと待ってな』
普段とは違う、硬い雰囲気の夜叉丸に何かを感じた。
だからこそサソリは仕事を中断し、その誘いに乗ったのだ。普段ならば風影の命令でもなければ絶対に断るようなことだった。
『話って何だよ』
『うん……。実は、我愛羅様の事なんだ』
夜叉丸が『誰にも聞かれないように』と選んだ場所は、草木も何もない――寂しい岩崖の頂上だった。
花どころか野草の一本も咲かない。露わになった断層から歴史を読み取ることは出来ても、命あるものを産み出すことはない。そんな歴史の墓場の上で、二人は揃って里を見下ろしていた。
『……もしもの話なんだけどさ』
『おう』
『もし、僕が死んだら――。我愛羅様のこと、見ていてほしいんだ』
『はあ?! 何バカ言ってんだ、お前』
夜叉丸は風影の片腕を務めていた。実際相応の実力を持った男である。
幾ら夫人の親族とはいえ、コネでそれが務まるほど安易な仕事ではない。正直サソリは傀儡が無ければ勝てるかどうか怪しい相手ではあった。
だからこそ夜叉丸が『死』を匂わせる発言をするとは思えず、耳を疑った。
だがそんなサソリに夜叉丸は曖昧に笑うと、一方的に『約束だよ』と告げたのだ。
それが今でも、サソリの頭に残っている。
(“姉さんの想いを無駄にしたくないんだ”――か。ったく、面倒なことばっかり押し付けやがって。あの家族は本当によぉ)
死んだ加瑠羅が我愛羅を守っていることを、サソリは夜叉丸から聞いている。
守鶴の器にすることを最後まで反対していた加瑠羅の、言葉ない抗議だということに羅砂も気付いていることだろう。
だがそれでも、羅砂は夫としてでも父親としてでもなく、風影として生きる道を選んだ。
どこまでも不器用な、身を粉にして働く男の選択だ。それを悪いことだと、悪だと断言することは出来ない。
(悪いとは言わねえ。悪いとは言わねえがよ。このままじゃあ後悔するぜ、風影の旦那)
決して口にすることはなかったが、サソリとて我愛羅を再び“兵器”にすることには思うところがある。これでも陰ながら夜叉丸と共に我愛羅の成長を見守って来たのだ。
我愛羅は決して覚えていないだろうが、まだ血の通った両腕があった頃、その小さな体を抱いたことがある。
泣き喚く赤子のおしめを変え、夜叉丸がミルクを作る間ゆらゆらと体を揺らしながら家の周りを歩き回ったこともある。
傀儡の腕を慣らす意味も込めて作った不格好な人形で、即興の人形劇を見せてやったこともある。
あの時のキラキラとした幼い瞳を、サソリは夜叉丸の代わりに覚えている。
――だが所詮は忍。命令されれば応える以外に道はない。友との約束を守ることの出来ない不甲斐ない自分自身を、サソリは持て余していた。
(“殺してやる”、か。本当に殺されても文句言えねえな、こりゃ)
先程よりも強く吹いた風がサソリの頬を叩き、髪を乱す。そうして僅かな力でも徐々に岩肌を削っていくその風に、サソリは目を閉じてから地面に寝転がった。
(悪ぃな、夜叉丸。俺には風影の旦那も、我愛羅も救えそうにねえや)
広がる晴天は未だ青く、瞬くサソリの瞳を青く濡らした。