互 -05-
それからは大して大きな事件もなく、割かし穏やかに日々が過ぎていった。
我愛羅は人目を盗んでは大蛇丸と共に情報を交換し、時には自来也とも顔を合わせた。初めはどこか硬かった雰囲気の三人も次第に打ち解け、今ではすっかり砕けた調子で軽い雑談を交えることもある。
その変化の理由はひとえに我愛羅自身のものがあるが、年長者の二人は何も言わず、ただ我愛羅が発言しやすい空気を作るよう心掛けていた。
そうして砂嵐が活発に起きるようになった春先のある日のこと。我愛羅は自来也が連れてきた人物に目を丸くした。
「ほ、かげ……殿」
「やぁ、初めまして。波風ミナトです」
大蛇丸と自来也の会合は、時に風の国の辺境で、時に砂と木の葉の狭間の小さな土地で、時に火の国の末端でと様々な場所で行われた。だが我愛羅を交えるようになってからは出来る限り砂隠の外れか、もしくは風の国の末端で行われた。
我愛羅は大蛇丸や自来也とは違い、里に縛られている身である。そう易々と外に出ることは出来ない。だが今日は我愛羅が非番ということもあり、久方ぶりに風と火の国の狭間でそれは行われた。
そしてその場に自来也と共に現れたのが、我愛羅が唯一頭に名を刻んだ四代目火影、その人であった。
「すまんのぉ、大蛇丸。我愛羅。こいつがついて行くと言って聞かなくてのぉ」
「たまにはいいじゃないですか、先生」
困った教え子に頭を抱える自来也ではあるが、その実本当に困ったような雰囲気ではない。それに当の本人であるミナトも大して悪気なさそうに笑みを浮かべていた。
「そうよ、自来也。ミナトくんも気にすることはないわ。あなたみたいな色男がいてくれた方が私も嬉しいもの」
「ははは……」
普段仏頂面の我愛羅と腐れ縁の自来也に挟まれ辟易していたのだろう。ミナトの登場に大蛇丸は喜び、我愛羅はどうしたものかと視線を彷徨わせる。
だがそんな我愛羅の気持ちを読み取ったかのように、ミナトは我愛羅に向かって人好きするような笑みを向けた。
「君が我愛羅くん、でいいんだよね?」
「……はい」
初めて面と向かって相対する、他里の長に視線が泳ぐ。
無理もないかと自来也がその困惑する肩に手を置けば、我愛羅の子犬のような困り果てた瞳が自来也へと向けられる。我愛羅は既に自来也に対し警戒心を持っていなかった。むしろこんな自分にも気さくに接してくれる、尊敬すべき大人だと心を許してすらいた。
自来也もそれをしっかりと読み取っているため、初対面の頃とは違い、度々我愛羅の頭を撫でたり肩を抱いたりとスキンシップを図るようになっていた。
「なに、そう緊張せんでもいい。ミナトは別にお前さんと殺りあうために来たわけじゃあない」
「まぁ突然敵里の長が出てくれば身を固くするのも無理はない話よね。でも大丈夫よ。ミナトくんはあなたの敵じゃないわ」
「分かって、います」
自来也と大蛇丸、二人の忍に諭され我愛羅が頷けば、ミナトはよかったと破顔する。だが我愛羅には何故ミナトが笑ったのか理解出来なかった。
そんな我愛羅の不器用な人間関係を知っている年長者二人は労わるようにその細い肩を叩く。そしてミナトも、そんな二人に倣う様にして改めて我愛羅と向き合った。
「ほら、今日は何のアポもなく突然参加しちゃったから、悪いことしたな、って思ってたんだよ」
「いえ、それは、大丈夫です」
里長でありながら敵里の、しかも人柱力であり兵器として恐れられている人間に恐れることなく接してくる。危機感がないのか。と訝る気持ちも確かにあったが、その実隙のない空気に本能的に察した。
――この男は強い、と。
だからこそ自分を恐れないのかと判断し、同時に安堵した。
例え自分がいつか暴走したとしても、きっとこの男ならばサクラを守ってくれるだろうと思えたからだ。
「……あの、」
「ん?」
話し合いをすべく茶屋の一室へと向かう最中、意を決して話しかければ存外柔らかな視線が落ちてくる。
まるで夏の空を閉じ込めたような碧眼に、我愛羅は思わず萎縮した。
「…………」
「どうかしたかい?」
父親とは違う、初めて他里の長と言葉を交わすことに気付き我愛羅の舌が凍る。対するミナトは無表情で口を噤み、先を言わない我愛羅に暫し瞠目した後優しく目を細めた。
「大丈夫だよ。言いたいことがあったら何でも言ってくれ。今は敵ではなく、ただ一人の忍として君の前にいるんだ。そう緊張しなくてもいいよ」
「で、ですが……」
渇いた口内で、上顎にひっつく舌を無理やり引きはがし言葉を漏らせば、ミナトは「大丈夫!」と笑って我愛羅の背を叩く。その手に他意は感じられず、ただ大きく暖かい掌だと思った。
「俺は一度でいいからちゃんと君と話してみたかったんだ。火影としてではなく、一人の忍としてね」
「ですが……俺は、あなたの里の忍を……仲間を……沢山、殺しています」
徐々に小さくなっていく声と下げられていく視線。ナルトより一回り小さな体はギュッと衣服を握り締め、何かに耐えるように額に汗を浮かべている。その子供らしからぬ憂いを帯びた苦し気な姿に、ミナトは密かに眉を寄せた。
自来也に聞いていた通り、我愛羅は疲弊していた。戦争に、兵器として人を殺め続けてきたことに。
そしてそのことに深く罪悪感を抱いている。
ミナトはこんな子供を戦争の道具として出さずいられなかったことが何よりも悔しく、また許せなかった。
「言っただろう? 今は火影としてではなく、一人の忍として君の前にいる、って。だからその話はなしだよ、我愛羅くん」
「…………はい」
だから心配することはない、とミナトが我愛羅の肩を抱こうと手を伸ばしたところでハッ! と目を見開き、懐からクナイを取り出す。そして間髪入れずにそれを後方に向かって勢いよく投げ飛ばした。
「誰だ!」
「ッ?!」
先を歩いていた自来也と大蛇丸もミナトの声に振り返る。だがミナトが投げたクナイは鉄の盾に弾かれ戻ってきた。
『ククク……。やっぱり火影って奴ぁ一味違うよなぁ……。なぁ、坊ちゃん?』
「サソリ?!」
我愛羅たちの足元目がけ、幾多の毒針が飛んでくる。
流石に自里の傀儡部隊の仕込みを知らぬ我愛羅ではない。三人が毒針を受けぬよう砂で盾を作り、ミナトと共に後退する。
(つけられていたか……!)
手練れとして名高いとはいえ、サソリの尾行に気付けずにいた自身に舌打ちをする。そしてその隣では、姿勢を低くしていたミナトが先程よりも更に険しい顔をして前方を睨んでいた。
何せ聞こえてきた声と嫌味のある話し方に覚えがあったからだ。
『やっぱりあん時殺っときゃよかったぜ。これだからガキとの任務は嫌いなんだ。お守なんて向いてねえんだよ、俺は』
「ん。やっぱりあの時の傀儡使いだね。また会えて嬉しいよ」
口の端を僅かに上げるミナトではあったが、未だに傀儡もサソリ本人も姿を現してはいない。姿の見えない敵に四人が背を預け合うが、突如我愛羅の足元が不自然に盛り上がる。
「我愛羅くん!」
「ッ!」
まるで墓石から蘇る亡者のように、勢いよく地面から突き出た傀儡の腕が我愛羅の足を掴む。
自身めがけて飛んでくる攻撃とは違う、死角からの腕の出現に我愛羅の砂も反応が遅れる。
「逃げろ!」
そしてそのまま我愛羅を地面に引きずり込む力を利用し、姿を現した傀儡の腹が大きく開く。
咄嗟に叫んだ我愛羅の声が届くよりも早く、そこから大量の毒ガスが放出された。
「チッ! 毒ガスか!」
「嫌な攻撃ね」
「気を付けてください二人とも! あの毒ガスは相当強力な物です!」
片足を地面に埋められ、傀儡の腕を破壊しようと腕を掲げた我愛羅の体が止まる。
一体どういうことかと視線を上げれば、我愛羅の背中。腰の中心に蠍の尾を催した傀儡の尾が刺さっていた。
『悪ぃな坊ちゃん。死にはしねえが、暫く動けなくさせてもらうぜ』
「き、さま……!」
理解した途端、体中を巡るチャクラの流れが止まり、全身に痺れが走る。
ただでさえ片足が埋まっているのだ。その状態では上手く立てるはずもなく、地面に倒れ伏すように傾倒していく我愛羅を傀儡の体が受け止める。
「我愛羅くん!」
ミナトが我愛羅を呼ぶが、我愛羅は体だけでなく舌も動かせず、声が出せないでいた。
先程の緊張で声が出せずにいた時とは違う。神経を侵す毒による反応だった。
(くそっ……! 父様はやはり俺を信じてはいないということか……!)
我愛羅を信じ、サクラや木の葉丸のことを任せていたならばサソリがこの場にいるはずがない。
やはり初めから自分は信じてもらえていなかったのだ、と悟る頃には傀儡に閉じ込められ、周囲を暗闇が包み込んでいた。
「全く、別嬪でもない男に熱烈な挨拶をされても嬉しくないのぉ!」
「それに傀儡が相手なんてやり辛いわね。術者を見つけなきゃ後何体出てくるか分からないもの」
蔓延する毒ガスの奥から飛んでくる傀儡の仕掛けを交わしながら言葉を交わす二人と共に、ミナトも素早く視線を走らせる。
我愛羅を捕えた傀儡は再び土中に潜り、毒ガスを吐きだした傀儡は同時に吐きだした黒煙により姿が見えない。飛んでくる仕掛けも方向性がなく、相手が同時に数体の傀儡を操っていることが読み取れた。
「自来也先生、大蛇丸さん、正直な話、俺は相手に一度負けています」
「何?! お前がか?!」
「あら。そんなこともあるのね」
驚く自来也にミナトが頷けば、黒煙の向こうからくつくつと笑う声が響いてくる。
『俺的にはいい毒を使ったつもりだったんだがなぁ……。気に入らなかったか?』
「いや、正直危なかったよ。君とはもう二度と戦いたくないな、と思うぐらいにはね」
『そいつぁどうも。嬉しいぜぇ、また会えてよぉ!』
「くっ!」
四方から飛んでくる毒針とは違う、多大な関節を持つことにより鞭のように動く傀儡の腕がミナトたちに襲い掛かる。だがそれは地面に手をつくや否や関節部を開き、そこから再度毒針を飛ばしてくる。
「ちと量が多すぎるんじゃあないかのぉ!」
「よくもまぁ、物資不足のこの時世にここまで針を仕込めたものね!」
「本当、嫌な相手ですよ!」
足元に飛んでくる毒針は避けつつ、他はクナイで弾いていくがその量は凄まじく、次の一手に移ることが出来ない。その間にも黒煙は徐々に風に流され引いて行き、ついに晴れたかと思うとそこに傀儡の姿はなかった。
「……逃げられたか」
「そうだの」
「みたいね」
足元に散らばる、数えるのも億劫な程の毒針を見下ろす。
情報を得られなかったこともそうだが、我愛羅が連れ去られたことが何よりも痛かった。
「大蛇丸様!」
「カブト、あなた何してたの」
大蛇丸は自来也たちと会合する間、カブトに周囲を警戒するよう言いつけていた。それがあっさり破られるとはどういうことかと尋ねれば、カブトは「申し訳ありません」と頭を下げる。
「突然傀儡部隊に襲い掛かられまして。部下と共に交戦していました」
「つまり、単独ではなく部隊で我愛羅をつけていたということだの」
「そう……。それで? その傀儡部隊はどうしたの?」
大蛇丸の問いかけに、カブトは粗方傀儡は壊せたが、術者を見つけることは叶わなかったことを報告する。
更に傀儡部隊はすぐさま撤退を始め、追うにも毒ガスに阻まれたことを告げれば大蛇丸はそう、と頷いた。
「風影の命令でしょうか」
「当然、そうだの」
「自分の子供に監視をつけるなんて、風影らしいと言えばらしいわね」
卑屈なやり方で我愛羅を監視する羅砂の行動を大蛇丸が皮肉れば、ミナトは翳していたクナイを仕舞い、肩を落とす。その表情には苦い思いが滲んでいた。
「申し訳ありません。俺がしっかりしていれば……」
「気にすることはない。我愛羅のことは気になるが、ワシらだけで砂隠に忍び込む訳にもいかん」
「そうね。特にミナトくんは敵対中の里長ですもの。危険すぎるわ」
「…………」
他里の忍を殺したことに罪悪感を抱いていた、ナルトと歳の変わらぬ少年を守ることが出来なかったことが悔しい。しかも一度ならず二度までも、あの傀儡使いにはしてやられたのだ。幾らミナトとはいえ笑ってはいられない。
それに決して自尊心が高い方ではなかったが、里長として、一人の忍として、男として。負けっぱなしは流石に堪えた。
「我愛羅くんは、どうなると思いますか」
「折檻――で済むといいんだがの」
「とにかく、私は今風の国の縁者として紛れ込んでいるから、今回の件は揉み消すよう提言するわ。先に失礼するわよ」
「ああ、頼んだぞ。大蛇丸」
「行くわよ、カブト」
「はい」
我愛羅の件が公にならないよう、かつ大ごとにならないよう釘を刺す為大蛇丸は風の国に向かって駆け出す。その背を見送ってから自来也はミナトへと視線を移した。
「我愛羅のことは大蛇丸に任せよう。例えワシらが忍び込み、我愛羅を連れ出すことに成功したとしてもそれが得策とは言えんからの」
「……はい」
我愛羅が連れ去られたのは自分の責任だと言うように神妙に頷くミナトに、自来也は大丈夫だ、とその背を叩く。
「風影とて今この時期に我愛羅を牢に閉じ込めたりはせんだろう。暫くは我愛羅との会合は無理かもしれんが、大蛇丸に情報は行くはずだ」
「……だといいんですが」
頷くミナトに自来也は口角を上げたが、内心では不安を抱いていた。
我愛羅の思いを風影が汲み取り共に戦争を終結させるために動くか、はたまた国に進言し益々戦争という名の火に油を注ぐか。自来也は計りかねていた。