互 -03-
今まで沈んでいたばかりのサクラが珍しく明るい表情で出勤してきたことに、周囲の人間は僅かばかり驚いた。正直一時はサクラの方が入院したほうがいいのではないか、と噂が立つ程の落ち込みようだったのだが、今日は嘘のように颯爽と院内を行き来し、手際よく業務をこなしている。
「実力はあるけど、メンタルでの浮き沈みが激しいのよねぇ、春野さんって」
「しょうがないわよ。まだ十代でしょ? 多感な時期なのよ」
「でも仕事なんだから公私混同しないでほしいわ」
後ろでコソコソと陰口を叩きあっている看護婦に、今までのサクラなら嫌な気持ちを抱いていただろう。だがその日は全て聞き流し、忘れることが出来た。
全て吐きだしてすっきりしたのと、我愛羅が自分を見捨てずにいてくれたことが原因だろう。
そう考えると妙な気もしたが、心が軽くなったのは事実だ。いっそのことこのまま鼻歌でも歌えそうだ。と洗ったばかりのシーツを干していると、「あのぉ、」と声を掛けられ振り返る。
「す、すいません、実は迷ってしまいまして……。ここは、何処ですかね?」
病衣を纏ったひょろりとした男にサクラは瞬き、すぐさま「入院病棟は向こうですよ」と渡り廊下で繋がっている棟を指差す。すると痩身の男は「そうですか」と申し訳なさそうに表情を崩し、頭を下げた。
「一緒に行きましょうか?」
「いえ、大丈夫です。お忙しい所すみませんでした」
壁に備え付けられた手すりを頼りに歩く男の背を眺め、サクラは足早に車いすを取りに行き、男を呼び止める。
「どうぞ」
「え、あ、すみませんっ」
申し訳なさそうに頭を下げた男は額に大量の汗をかいていた。まだ歩行が難しいのだろう。そう判断していると、男はポケットに仕舞っていたハンカチで汗を拭いつつ、車いすに腰かけた。
「ご迷惑おかけしてすみません」
「いいえ。お気になさらないでください」
仕事の一端として男に話しかければ、男は傀儡部隊に所属しており、戦で足を負傷したため長いこと入院生活を送っているとのことだった。
後方で傀儡を扱う人間でもこうして負傷するのだから、相当な手練れが相手だったのだろうか? そう考えたが、実際は違った。
「いえ、この怪我は我愛羅様の攻撃に巻き込まれたんです」
「え?」
目を見開くサクラに、男は困ったように眉尻を下げる。その顔は少しばかり青かった。
「我愛羅様は砂を操られるでしょう? 敵を砂に埋める術を使った際逃げ遅れまして……。片足を潰されたんです」
「そ、んな」
しかし思い返してみれば、我愛羅は戦においては非常にシビアであった。
サクラが参加した戦でも、サソリやカンクロウたちがいると知りながらも大技を繰り出し、逃げ切れなければ己の実力不足だと切り捨てた。例え仲間であっても片足を潰すことに躊躇はなかっただろう。情報を守るために負傷した男を殺そうとする我愛羅なら想像に難しくない。
(でも、そうだよね。私も初めは我愛羅くんに仲間を殺されたのに……何で今はこんなにも頼ってるんだろう)
忘れたわけではない。
だが月日が経つにつれ、あの惨劇は徐々に色褪せていくようだった。自我を守るために本能が記憶を封印しつつあるのかもしれない。自分のことで精一杯になっていたとはいえ、それはあまりにも薄情に思えた。
「あ、ここで大丈夫です。すぐそこが病室なんで」
「ぁ、そうですか。お気を付けて」
「はい」
車いすから立ち上がり、手すりに掴まり頭を下げた男と別れる。
だがその心は先程とは違い、再び沈み始めていた。
(私、もしかして忘れつつあったのかしら……忘れていないと思っていても、夢にみることはあっても、それでも少しずつあの時感じた恐怖も屈辱も、忘れているのかしら?)
胸に手を当て、半年前のことを思い出す。たった半年しかたっていないのに、もう一年ぐらい此処にいるような気分だった。
(……でも……)
自分だって今は木の葉を裏切り、砂忍として働いている。ナルトに向かってクナイを放ち、皆に背を向けこの里に帰ってきたのは他でもない自分だ。今更どうして我愛羅を責めることが出来るだろう。
例え逃げることが出来ずとも、ただ『助けて!』と一言言えばよかったのに。それをしなかったのは自分だ。幾ら胸に呪が刻み込まれているとはいえ、砂隠にいることは本意ではないことは伝えられたかもしれないのに。
「我愛羅くん……」
孤独に負けそうになったから手を伸ばした。一人が嫌で、寂しくて、里に帰りたいから利用しようと近づいた。
だが仲間を殺し、サクラを木の葉から引き剥がしたのは我愛羅だ。
そして砂隠の忍になると決めたのはサクラ自身だ。例えそうする以外に選択肢がなかったとはいえ、それでも決めたのは自分自身なのだ。
(どっちが本当の我愛羅くんなんだろう……)
他者を殺すことに躊躇しない我愛羅が本当の姿なのか。それとも血の匂いを落とそうと一人静かに手を洗い、自室で星を眺める姿が本当なのか。
サクラには分からなかった。
(私に優しいのも、もしかして風影に命令されているから? でもそれならどうしてもっと早くにそうしなかったんだろう)
初めの頃の我愛羅は、それこそサクラを拉致した時と変わらぬ態度であった。鋭利で冷たく、無感情。
だが少しずつサクラと接するようになり、言葉を交わし、共に食事を摂るようになった。少しでもいいから自分に慣れてくれと心の隙間に入り込むようになってからは、不器用ながらも優しさを見せるようになった。
自分のために寒い中一晩中扉の前に座っていたり、任務が終わったばかりで疲れているだろうに迎えに来てくれた。
殺そうとして出来ず、泣いて縋った自分を突き放すことなく襟巻や外套を貸してくれた。
そんなことが、命令だからと言って出来るような男には思えなかった。
(それに我愛羅くん、言ってたわ。“お前も一人になっていたんだな”って……それって我愛羅くんも一人だから、私の言葉に耳を傾けてくれた、ってことでしょ?)
我愛羅から貰った宝石は今でも肌身離さず持っている。おまじないとしてではなく、今は『お守り』として持っているようなものだった。
(信じて、いいのかな……? いいよね? 我愛羅くん――)
ぎゅっと握りしめた胸の奥、傷む思いに項垂れる。
仲間を殺し、いつかは復讐するのだと誓った我愛羅に心が傾きつつある自分。サクラは我愛羅を心の底から信じていいものなのか、分からなくなっていた。
◇ ◇ ◇
我愛羅はその日非番であった。任務も見張りもない。
だからこそ暇を持て余しており、ふと「サクラの仕事が終わるまで散歩にでも行くか」と思い立つ。
趣味の少ない我愛羅ではあるが、それでも全くの無趣味というわけでもない。時には里を出て砂漠を歩くこともある。
その行為に特に意味はなかったが、広大な自然の中を歩いていると不思議と荒んだ心が落ち着くのだ。
そして時には砂漠に住まう生物を見ることもある。
流石に毒蜘蛛や蠍、毒蛇などには気を付けるが、その他の砂漠に咲く植物や毒を持たない生物を垣間見ることで密かに癒されていた。
(オアシスにでも行ってみるか)
オアシスに住まう人間はあまり我愛羅のことを知らない。一尾の人柱力が砂隠にいることは知っていても、それを封印されているのが誰でどんな容姿かまでは伝わっていないのだ。
そのため我愛羅が足を運んでも怖がる人物は少ない。中には我愛羅を知っており恐れる者もいたが、何もしなければ問題は起きなかった。
(今日は天気もいい。風も穏やかで砂も殆ど飛んでいない。砂嵐は来ないだろうな)
雲の流れや砂の飛び具合で砂嵐が来るかどうかを判断し、砂に乗ってオアシスを目指す我愛羅の腹の底で獣が退屈そうに欠伸をする。
『おい我愛羅ァ』
(……何だ)
無視してもよかったが、どうせオアシスに辿り着くまで時間はある。少しは話し相手になるかと返事をすれば、退屈そうな獣が怠そうに口を開く。
『戦はまだ起きねえのかよ。暇すぎて体がなまりそうだぜぇ』
(国が動かない限りこちらが動くことはない。暫くは待機のままだ)
『ケッ! まどろっこしいなぁ。俺たちがサクッとぶちのめして来ればいいだけの話じゃねえか。軍人なんて非力な奴らがいねえといけねえのかよ』
闘争本能が騒ぐのだろう。文句を垂れる守鶴に「まったく」と額を抑える。昔の自分ならばその意見に賛同したかもしれないが、今ではその文句を聞き入れることはなかった。
(こちらにも色々ある。俺たちは命令が出てから動けばいい)
『だがお前は戦争を止めようって考えてんだろ? どうするつもりなんだよ、我愛羅』
守鶴の問いかけは当然だ。現状砂隠で最も力を持ち、戦争の勝敗を決める要として存在しているのが我愛羅だ。その我愛羅が里を裏切れば風の国の敗北は決まったも同然。そうなれば確実に砂隠が危うくなる。
我愛羅の裏切りによって里が存続出来なくなる可能性は高く、自分の命を差し出せばそれで罪が流されるほど我愛羅がしようとしていることは生易しくない。
何せ里を裏切ることは里に住まう全ての忍の首を括ることと同義なのだ。そう簡単に赦されるものではない。
『それに、だ。止めたところでまた戦争は起こるぜ? 人間なんてそんな奴らばかりじゃねえか』
(…………そうだな)
守鶴の考えは我愛羅にも理解出来る。人など所詮私欲のために争うものだ。それくらい知っている。
領土が欲しい。資源が欲しい。金がしい。そんな理由で人は争う。我愛羅からしてみれば心底どうでもいい理由で沢山の血が流れていく。
そのための武器が我愛羅自身ではあるが、もう利用されるだけの人生は御免だと思った。
(だが俺はもう殺したくはない。戦争だからと言って他人を殺すのはもうイヤだ)
『ケッ、甘っちょろいこと言ってんなよ、我愛羅』
我愛羅の思いに、腹の底の獣の瞳が細くなる。いつもの茶化すような嘲るものとは違う、硬質な、鋼のような冷たい声だった。
『てめえは“化物”だ。“兵器”だ。今更人間ぶって媚びて何になる? 尻尾振ってんじゃねえよ』
(俺の発言をどう捕えようが貴様の勝手だ。だが俺は人間だ。そして砂隠の“忍”だ。他の誰がそう思わずとも、俺自身がそう思っている)
自分が自分を肯定せずにどうして生きられようか。
例え自分自身を信じることが出来ずとも、自分が“化物”ではなく“人”であり“忍”であることに誇りを持ちたかった。
そして何より、自分に歩み寄ってくれた二人の女に申し訳が立たなかった。
(俺を“人”だと言ってくれた。この手で殺めてしまったが、そう言って俺に触れてくれた。医者の娘も、サクラも。だから、俺はその言葉を信じる)
非力な手を取り微笑んでくれた。話しかけてくれた。
医者の娘もサクラも、怪我をした我愛羅を心配し、薬を塗り、包帯を巻いてくれた。その些細な優しさが、何よりも暖かかった。
(だからお前に何を言われようと、俺は戦争を止める。そのために首を刎ねられようが串刺しにされようが構わない。俺の命などあってないようなものだからな)
『ケッ、つまんねー奴になったな、お前』
(何とでも言え)
突き放すようにそう告げれば、守鶴は再度舌打ちし、沈黙した。
どうやら我愛羅の態度が癪に触ったらしい。だが我愛羅もオアシスに辿り着いたため、それ以上詮索することはしなかった。
(しかし随分と廃れたな。やはり戦争の影響か)
昔は小さいながらも栄えていたオアシスも、今では随分と寂しい姿を見せている。
衣服も食料もまともなものが存在していない。あっても値段は高く、そう買い手がつかないのだろう。時間つぶしに訪れたとはいえ、あまり見るものはないな。とウロウロしていると、店と店との間、狭い空間に小さな店が展開されていることに気が付いた。
(こんな場所に店などあったか?)
疑問に思いつつも扉を開け、中に足を踏み入れてみる。店内は薄暗かったが、それでも飾られていた様々な衣装は目を引いた。
(これは――ドレス、だろうか? 美しいな……)
まるで芸人や踊り子が纏うような煌びやかな衣装を見つめていると、奥の方から「いらっしゃい」としゃがれた声が掛けられる。
そちらに視線を向ければ、長い白髪を後ろで三つ編みにした一人の老婆が椅子に腰かけ、穏やかな表情で我愛羅を見つめていた。
「男のお客さんたぁ珍しいね。迷い子かい?」
「いや、」
正直に「初めて目にした店だから気になった」と告げれば、老婆は「そうかい」と頷き、沢山の皺が刻まれた目元を和らげる。
年老いてはいたが、昔はさぞ美しかっただろうと思うような艶やかな笑みだった。
「これは、踊り子の衣装だろうか」
「そうだね。そこらへんに置いてあるものは大体そうさ。普通のはこっちだよ。さあ、いらっしゃい」
手招きされ、近づく我愛羅に老婆は微笑む。その、写真で見る母とは違った優しい笑みに我愛羅は無意識に警戒心を解いていた。
立ちあがると存外背の高い老婆は、ピンと伸びた背筋に髪を垂らしながらゆったりとした足取りで店内を進む。その細い体躯に纏う服も、民族衣装なのだろう。白い袖口以外は濃い紫色に染められた生地は絹のように光沢を帯び、煌びやかだ。そして胸の部分や腹部にも細かな刺繍が施されており、こんな錆びれた場所で店をやっている割に裕福なのだろうか。と我愛羅は不思議に思う。
そんな老婆に続いて存外奥行きのある店内を進めば、踊り子たちの衣装とは違う、落ち着いた衣服が並ぶ一角に来て老婆は足を止めた。
「ここら辺が普通の服だよ。外套なんかはあっちだ」
「どうも」
店内には我愛羅以外の客はおらず、何も買わずに出るのは少々忍ないな。と辺りを見回す。
今時珍しくしっかりとした生地で作られた衣服はそこそこ値段が張るが、それでも買えない代物ではない。
(そういえば、サクラにはいつも俺の使い古しばかり渡しているな)
別段嫌がっている素振りはなかったが、それでもやはり人としてお古は嫌だろう。だが今は戦時中。新しいものを揃えるのは難しい。しかしここでなら我愛羅の有り金でもどうにか出来そうではあった。
「……御店主、女性に衣服を贈りたいのだが……」
流石に頼むのは恥ずかしかったが、我愛羅は贈り物など得意ではない。加えて女物だ。どれを選んでいいか分からなかったため、結局老婆に助けを求めた。
これ程までにすんなりと他者を頼ったのは正直初めての事だった。
しかしそんなことを知る由もない老婆は、居心地悪そうな我愛羅に向けて楽し気な笑みを浮かべながら近づいてくる。
「そうかいそうかい。お相手の子は“いい子”かい?」
「? 良い子か悪い子かで言えば良い子なんじゃないか?」
老婆の言っている意味が正しく伝わらず、首を傾ける我愛羅に老婆は目を瞬かせてから豪快に笑う。それはチヨとはまた違った、子供のような無邪気な笑い声だった。
「あっはっはっはっはっ! はー、そうかいそうかい。良い子悪い子普通の子、っていうやつね。ひゃー、あんた面白い子だねぇ」
「……初めて、言われました」
目尻の皺に涙を溜め、笑う老婆に背筋がむずむずする心地を覚える。他人とあまり関係を結んだことのない我愛羅からしてみれば、人懐こい老婆の対応はむず痒かった。
「そいじゃあ私が選んであげましょう。その“いい子”はどんな子だい?」
「……薄紅の髪をした、肌の白い女です」
「あらそぉ。じゃあ綺麗な色が映えるだろうねぇ」
「はあ……」
老婆は丁寧に衣服を並べ、あれはどうだこれはどうだと尋ねてくる。
しかし我愛羅からしてみればどれを着ても似合いそうな気がしてよく分からず、髪が薄紅で瞳が翡翠色で……。と逃げるように説明し、結局老婆が選んだものを購入することに決めた。
「そうそう、さっきの“良い子悪い子普通の子”の話なんだがねぇ」
「はい?」
購入した衣服を丁寧に包みながら話し出す老婆に、我愛羅は出された茶を口にしつつ相槌を打つ。サクラと共に過ごすようになってから、我愛羅は店で出される茶も口に出来るようになっていた。あるいは相手がこの老婆だからなのかもしれないが。
この変化には実のところ我愛羅自身が一番驚いている。だが同時に、どこか喜ばしい変化であるとも自覚していた。
そんな中老婆は皺の寄った細長い指をテキパキと動かし、一着ずつ丁寧に袋に包んでいく。
「こういう店で“いい子”って聞かれたらね、自分にとって大事な女の子のことを指すんだよ」
「大事な、女の子」
いまいちピンと来ていないような我愛羅の声に老婆は「鈍い子だねぇ」と苦笑いし、同時に「まだ若いし、初心なのかもしれないね」と意識を改めてから言い方を変える。
「ようは“好きな女の子”さ」
「すっ、――げほっ!」
思いもよらぬ台詞だったのだろう。勢いよくむせる我愛羅に、老婆は再び声を上げて笑いながら背を擦ってやる。それでも話を辞めることはなかったが、その声音は揶揄うというよりも、どこか慈愛を含んだ優しいものだった。
「何をそんなに驚くことがあるんだい? 男と女がいりゃあ、そういう気持ちを抱いたって可笑しくないよ」
「だ、だが、俺と彼女はそういう関係ではなく、もっと、こう……」
肉体的ではなく精神的な繋がりを持った関係なのだと、どうにか説明すれば老婆は「そうかい」とまた笑う。
「まぁそれも一つの“愛のカタチ”さね。だけどよく覚えておきな。男と女は別の生き物だ。例え相手の言葉を理解出来たとしても、思考や思想までは理解出来ない。言葉の意味として理解は出来ても、心が納得いかないなんてことはザラにある。珍しいことじゃない」
それは男と女だけでなく、ある意味では人間であれば誰にでも当てはまることだろう。
男同士であったとしても、女同士であったとしても、また家族であったとしても。分かり合えないことはある。それを、我愛羅は身に染みてよく分かっている。
だからこそ頷けば、老婆は「よしよし」と素直に頷いた茜色の頭を無造作に撫でまわす。
「そうは言っても、だ。昔から“一夜限りの夢”なんて言い回しもあるぐらいだ。たった一夜、されど一夜。愛した男と、あるいは女と契るってェのは、いつの世も浪漫があるものなのさ」
「は、はあ……。そういうものなのか……」
正直まだ十代である我愛羅には過激にも聞こえる話ではあったが、経験豊富な老婆は呵々と笑うだけだった。
そして気付けば手元の包装は既に終わっていた。
「ま、ここでのことを言えば『男が服を贈るのは好きな女の子に』って相場は決まってんだよ」
「うっ。な、何故そんな意味合いに……?」
噎せたせいか、それとも別の理由か。いつもよりほんのりと頬を染めた我愛羅が問えば、老婆はニヤリと人を食ったような笑みを浮かべて我愛羅を見返す。
その真っすぐながらもどこか妖艶とした空気を感じる瞳は、まだ心が幼い我愛羅の何もかもを見透かすような――どこまでも深い色をしていた。
「そんなの、脱がせるために決まってるじゃあないか」
「なっ!!」
思わず席を立った我愛羅の、完全に染まった頬を見上げ笑う老婆に悪意はない。
だが我愛羅は今からこれを贈ろうとしているのに何という入れ知恵をしてくれたんだ。と心中で叫ばずにはいられなかった。
「といっても今回お兄さんが買ったのは外套と襟巻だけだ。本気で脱がせたいならその下を買わないとね」
「そ、そんな疾しい気持ちなどあるものか!」
走る動揺を隠しもせず、声を荒げる我愛羅などそう見られるものではない。だがそんなこと知らない老婆はただ笑うばかりである。
これほどまでに他人に茶化されたのは初めてだ。といつもより熱を持った頬を擦っていると、包装を終えた衣服を老婆が手に取る。
「まぁでもねぇ。男と女は何があるか分からんもんだ。もし少なからず大事に思ってんなら、大事にしておやり」
「……分かっている」
丁寧に包装された衣服を差し出され、未だ赤い頬をそのままにそれを受け取る。
両腕にかかる柔らかな重みが、どこか新鮮だった。
「またいらっしゃいな」
「……考えておく」
余計な入れ知恵をされたせいか、むくれる我愛羅に老婆は穏やかに笑ってからその背を押す。
皺が寄った小さな手ではあったが、その背に押されることは何だかとても心強かった。
我愛羅は買った衣服を胸に抱え、脱力してから歩き出す。
何だか今日は酷く疲れた。
日もまだ落ちていないのにそんなことを思いつつ、里に向かって足を向けたのだった。