長編U
- ナノ -

互 -01-



 ミナトの元に自来也が訪れたのは、我愛羅たちとの密会を終えて数日後のことだった。

「久しぶりだのぉ、ミナト」
「お久しぶりです。自来也先生」

 ただでさえ長引く戦争で活力を失っていた木の葉が、今回木の葉丸たちが行方不明となったことで更なる疑心と不満で全体的にギスギスとした空気を醸し出していた。

(明るかった木の葉もこの数年で随分と変わってしまったものだのぉ)

 自来也は随分と人通りが少なくなった通りを眺めながら思う。しかし決して表に出す事なく、“いつも通り”を心がけてミナトの肩を叩く。

「少しやつれたみたいだの。男前に拍車がかかっておるぞ」
「はは……。だといいんですが」

 苦笑いするミナトの顔色はお世辞にもいいとは言えない。
 何せ里の責任は全てミナトにかかっている。終わらぬ戦争に引き続き、三代目の孫が行方不明となったのだ。幾ら忍といえど心がないわけではない。皆不安と行き場のない憤りを抱いている。
 勿論表立って糾弾することはないが、その実態を持たぬ矛先は常に視線となってミナトへと注がれていた。

「ここ最近、色々あったそうだの。正月も休めなかったか」
「はい。砂隠から奇襲を受け、俺自身数日寝込む羽目になりました。改めて砂忍の優秀さを実感しましたよ」

 サソリから受けた傷は浅いものではあったが、体中に浸透した毒は強力だった。綱手からもドクターストップをかけられ、心底歯痒い思いをしたものだ。何せ指一本満足に動かせなかったのだから、その思いはいかばかりか。
 師である以前に一人の忍である以上、自来也はその心情を深く理解する。だがミナトの苦労はそれに留まらない。

「その皺寄せでこの数日あまり寝ていなくて……。皆にも迷惑ばかり掛けていますよ」

 敵に逃げられた挙句負傷し、書類仕事すらままならなかったミナトは現在後始末に追われている。
 寝る間も惜しんで書類仕事をしているせいか、やつれた目元には隈が出来ている。それでも笑みを絶やさぬミナトに、自来也は下手に慰めることはせず「そうだろうの」と相槌を打つだけに留めた。
 しかし呑気に雑談をするために顔を出したわけではない。自来也は人払いをすると改めて茶を啜る。

「早速だがの、ミナト。その行方不明になった木の葉丸たちの行方が分かった」
「本当ですか! 先生」

 僅かに身を乗り出して問い質すミナトに、自来也は深く頷く。しかし浮かべる表情は硬く、決して喜ばしい報告でないことが読み取れた。

「あやつらは今、砂隠にいる」
「砂隠に? 何故……」

 ミナトが疑問視するのも当然だ。木の葉丸たちアカデミー生は戦争への参加を固く禁じている。そのうえ彼らの細腕では閉じた大門をこじ開け、抜け出すことなど不可能だ。
 だが現に木の葉丸たちは木の葉を抜け、砂隠にいるという。
 何故そんなことになったのか。誰が手引きしたのか。それとも門番が目を離した隙に出たというのか。
 考え込むミナトに、自来也は一度咳払いをして意識を戻させてから先日行った密会について話だした。

 それこそミナトが知りたがっていた『何故木の葉丸が砂隠にいるのか』『風の国と砂隠の現状』。そして『我愛羅も戦争を止めるために動いている』ことまで、持ち帰った情報を全て、余すことなく伝えていく。

「そうですか。一尾のあの子が……」
「ああ。ワシも最初は戦争を楽しんでいる子供かと思っておったのだが、実際は違ったの。大蛇丸の言う通り“話せば分かる子供”だったということだ」
「そう、ですか」

 ミナトも戦場で幾度も我愛羅の姿を目にしている。
 我が子とは対照的な凍てついた瞳。一切の容赦、情けを廃した徹底した攻撃。クシナとは違い、尾獣の力を存分に込めた技の数々には危機感を抱いていた。

 それに何より――我愛羅を初めて目にした時、あの小さな子供は明らかに殺戮を“楽しんでいる”ように見えた。
 玩具を壊すように相手を惨殺し、血を浴びながら暴れる様は人というよりも“化物”そのものだった。

 だからこそ、そんな子供が戦争を止めたいと思っていることに僅かながら疑問を覚える。
 あれだけ殺戮を楽しんでいた子供が、今更それを止められるのだろうかと。

 人を殺す行為はある種麻薬のようだ。
 『他者にできないことが出来る自分』
 その欲求を最も簡単に満たし、周囲に示す行為は『殺人』である。

 他人の血を見ることで母に抱かれているかのように安堵し、恍惚にも似たような表情を浮かべていた子供が、今更そんな“麻薬”から抜け出すことが出来るのか。
 疑問を抱くミナトに、自来也は「そう怖い顔をするな」と皺の寄った眉間を指摘するように爪先で弾く。

「うッ、」
「ミナト。お前の懸念もよく分かる。ワシとて初めは疑った」

 何の問題もなく密会を終えた三人ではあったが、実のところ自来也は我愛羅と別れてからもう一度大蛇丸と二人で話しあっていた。

「大蛇丸は薬師カブトに情報を集めさせていた。春野サクラと我愛羅、またその周辺人物についての」

 今回大蛇丸がカブトに調べさせたのは、サクラと我愛羅についてだ。
 元々我愛羅の情報は常時入るようにしてはいたが、ここ最近は滞っていた。そこでカブトは『サクラと我愛羅が同じ家に住んでいる』ことに着眼点を当て、姉兄や父親である風影、サクラの上司であるサソリやチヨ、バキのことまで徹底的に調べていた。

「とはいえ、相手は一筋縄ではいかん奴らばかりだ。相当苦労はしたようだがの。それでも優秀な男だ。聞けばあの一尾の子供は大分戦争に疲れているらしい。“兵器として扱われ続けたことに対し心が疲弊している”と大蛇丸が言っておった」
「兵器として――。成程」

 クシナは“器”として選ばれ、腹の中に九尾を封印した。だが我愛羅は“器”というよりも“兵器”としての役割が強い。故に道具として扱われ続けてきた。
 『戦争を有利にするための駒』として、あの年端もいかない子供は幼い頃から戦場に立たされてきたのだ。
 初めはそれでもよかっただろう。己が己らしくあれる場所が『戦場』にしかなかったのであれば、あの恍惚とした表情も、嬉々として人を殺める姿にも頷ける。
 だが人は成長するものだ。意思を持ち、己の頭で考えるものだ。

 幾ら鍛えられた体であっても疲労は溜まる。特に一尾は宿主の『睡眠』を著しく阻害する尾獣だ。生半可な心の持ち主であれば肉体を睡眠で労わることが出来ず壊れていただろう。
 だが“器”に選ばれたからこそ我愛羅はソレに耐えられた。耐えてしまった。
 つまるところソレは、良くも悪くも我愛羅の“成長”の妨げにはならなかったのだ。

 人は一つ経験するごとに己の中で『何が良かったのか』『何が悪かったのか』を無意識に考える。
 そして一つ一つ――例えいつか忘れてしまうことであったとしても――その経験を無自覚に糧にしてしまう。

 それにより、いつしか彼の少年は様々な疑問を抱くようになったのだろう。
 周囲の懐疑的な言動や態度に不信感を抱き、不安に苛まれながらも戦場に立つ。そうして周囲から向けられるお世辞にも『温かい』とは言えない視線に晒され、今まで見て見ぬ振りをしてきたことに想いを馳せるようになる。

 ――己の立ち位置。またその存在意義。
 忍といえどまだ子供。必ず人生で一度は考えるであろう『己とは』という議題に、遂に我愛羅は気付いてしまったのかもしれない。
 そうして辿り着いた“答え”が、『戦争を終わらせ“兵器”としてではなく“人として、忍として生きたい”』という、ミナトからしてみればあまりにも普通の――ありきたりな願いだった。

 自来也も大蛇丸からその話を聞いたからこそ『我愛羅に本当の意味で賭けてみよう』と思えたのだと心中を吐露する。

「だが現状あの子供が砂隠にとって“最終兵器”でもあり“砦”でもある。戦いから退くことは出来んだろう」
「そうでしょうね」

 自分と同じように戦争を止めたいと思っている忍が敵方にもいる。それは我愛羅だけではないだろうが、ミナトにとっては十分な情報だった。

 例え小さな力であったとしても、纏まれば大きな力になる。
 己に出来ることは僅かであっても、皆がいれば叶うこともある。

 だからこそミナトは敵味方関係なく同士が欲しいと思っていた。
 我愛羅には幾人もの仲間を殺された。それを忘れるミナトではない。
 だが理由もない戦争に子供を巻き込んだのは他でもない、大人である自分達だ。その時点で文句は言えない。
 例え大切な家族を殺された憎しみを抱きながら生きる仲間を知っていたとしても。
 
「あの子の思いは決して嘘ではない。現に出来る限りのことはするつもりだと言っていたしの。これからは定期的に大蛇丸に情報を流してくれるだろうよ」

 里の仲間を殺してきた子供が、今では共に戦争を止めようとしている。
 時と共に子供が成長し、その考えが変わっていくことがこんなにも嬉しいものなのかと、ミナトは久しぶりに肩の力が抜けたような気になった。

「人は皆生きている限り変わる。必ずの」
「ええ……。そうですね」

 我愛羅が立ち上がったように、ミナトもまた立ち上がらなければならない。いつまでもうだうだと悩んではいられない。
 とはいえ、決して木の葉の状況は芳しいものではない。

「木の葉丸たちが砂隠に捕らわれていることは公言できませんね」
「そうだの。そうなれば益々戦争に火が付き止められなくなる。起爆剤としては十分だからの」

 サクラが里を裏切り、木の葉丸たちまでいなくなった。そして今は共々砂隠にいる。これがナルトたちにバレたらとんでもないことになりそうだな、とミナトは困ったように後ろ頭を掻いた。

「ところで自来也先生。サクラの方はどうなんです?」

 先程自来也はカブトがサクラと我愛羅について調べたと話した。だが今の所サクラの話は出ておらず、我愛羅が戦争を止めるべく動き出したということしか伝わっていない。幾ら裏切られたとはいえ、サクラはミナトにとって大切な里の一員でもあり、息子であるナルトの想い人だ。様子を知っておきたいと思うのは当然のことだろう。
 だが自来也は眉間に皺を寄せ、珍しく「それがのぉ」と困ったように言葉を濁す。

「綱手二号と呼べたサクラも今は相当参っているらしい」
「え? どういうことです?」

 良くも悪くもサクラは頑張り屋で、明るい子供だった。
 戦争中とはいえ笑顔を絶やさず、また努力を怠ることなく前に前にと歩む様は輝かしく、ナルトが惚れるのもよく分かると頷いたものだ。
 だからこそミナトにとってサクラがへこたれるなんてそう簡単に信じられることではなかった。

「そうは言ってものぉ、ワシもあくまで人に聞いた話でこの目で見たわけではない」
「それは、そうですが」

 とはいえ自来也とてミナトの気持ちが分からないでもない。
 愛弟子のナルトの想い人であることもそうだが、何より綱手の大切な弟子である。自来也とて全く気にしていないわけではなかった。

「やはり慣れん土地、しかも今まで敵だった里だ。そこで生きろと言われても難しい話だろう。特に今はまだ戦争中だしの」

 如何にサクラが笑顔を絶やさず努力を惜しまない性格であろうと、敵地で住まい、今まで仲間と称していた木の葉の忍たちと殺しあえと言われて平気なわけがない。
 それに幼い頃に父親を亡くし、母と二人だけで生きてきたのだ。一人残してしまった母親のことも心をすり減らせている一因だろう。
 顎に手を当てつつ、ミナトは先日目を通した報告書のことを思い出して自来也に報告する。

「カカシの話によれば、サクラは自らの意思で敵を助けていたと」
「ふむ。ならば戦争に直接参加せずとも、医療忍者として陰で活躍することになるだろうの。どちらにせよ木の葉の敵になったことに変わりはない」

 奇襲をかけられ、意気消沈したナルトとサスケを抱えて戻ってきたカカシは酷く疲弊していた。それでもやり場のない感情を抱えたナルトとサスケを諭し、報告書を事細かに書き上げ提出してくれたのは有難かった。
 それに目を通したのは退院してからであったが、サクラの寝返りを聞いた時には正直僅かではあるがカカシを疑ってしまったものだ。だが久方ぶりに家に戻り、暗い雰囲気を纏わせたナルトを目にした瞬間事実だと悟った。

 ――あの我が子のように見てきた女の子が、自分たちに背を向け去ったのだと。
 そう、実感した。

「サクラはきっと、今とても辛い思いをしているでしょうね」
「そうだのぉ……」

 きっと誰にも頼ることが出来ないはずだ。
 戦争に参加しているとはいえ、それでもまだ十代半ばだ。一人で生きるにはあまりにも世界は冷たい。

「自来也先生」
「分かっておる。サクラのことも定期的に報告してもらうよう、大蛇丸に伝えておるから安心しろ」

 己の教え子の考えなどお見通しだ。と言わんばかりの口調に、ミナトは苦笑いし、同時に深く感謝した。


 ◇ ◇ ◇


 一方でナルトは未だにサクラの裏切りを受け入れられずにいた。

「カカシ先生もさ、ちょっと薄情すぎだってばよ」

 ようやくまともにチャクラが練れるようになり、演習場で螺旋丸の練習をしていたナルトが吐き捨てるように呟く。
 そんなナルトの背中側ではサスケが水場に向かって火遁の術の練習をしており、その台詞に顔を上げた。

「だがサクラが操られているようには見えなかった。自分の意思で俺たちに背を向けたというのなら、カカシの判断も妥当だろう」
「んなっ?! お前もサクラちゃんが『敵だ』って言うのかよ!」

 憤慨するナルトに、サスケは「違ぇよ」と顔を顰める。だが半分はカカシの意見に賛同していた。

「判断する材料が足りねえんだよ。サクラが寝返ったとしても、だ。アイツはきっと戦場に出ないだろう」
「サクラちゃんが医療忍者だから?」
「ああ」

 サクラが綱手の弟子になるまでは、第一ではなくとも第二前線には出ていた。
 しかし危なっかしく、力のないサクラでは周囲に劣る。そのためいつもナルト達がそれをカバーしていた。それに対しサクラが後ろめたい気持ちを抱いていたことを察せないサスケではない。

「サクラはあまり戦闘に向いていない。恐らく後方での支援、もしくは医療忍者としての参戦になる」
「でもよぉ、結局のところサクラちゃんが敵、って考えは持ってんだろ?」
「……半分はな」

 頷くサスケにナルトは唇を尖らせる。

「サクラちゃんが俺たちを裏切るわけねーじゃん! あんだけ俺たちのこと心配して、いつも怪我したら治してくれてたのによ!」

 戦争や任務で無茶をして怪我をする度、怒りながらも手当てしてくれたのは他でもないサクラであった。
 サスケとは違いスマートに物事を運べず、しょっちゅう小さな傷を作るナルトは心底サクラに感謝し、その度に惚れ直していた。だからこそサクラの裏切りが信じられず吠え続けるが、サスケは眉間に皺を寄せて「このバカ」と罵る。

「てめーの足元に向かって起爆札投げたのは誰だよ。忘れたのか、このウスラトンカチ」
「! そ、れは……そーだけどよ……」

 サスケが「避けろ!」と叫ぶ瞬間、サクラの手元から放たれたクナイには起爆札が括りつけられていた。それが何よりの証拠だとサスケは諭す。
 だがサスケも心の底からサクラの裏切りを肯定しきれないでいた。というより、ナルトと同じように“信じたくない”という気持ちの方が強い。

「まぁ、もしサクラが何らかの弱みを握られていて『そうせざるを得なかった』って言うなら話は別だがな」
「そ、そうだよな! 俺もそれが言いたかったんだってばよ!」
「嘘つけ、阿呆」

 人に向かって指を突きつけてくるナルトに顔を顰めつつ、サスケは未だに何の情報も入ってこない事に対し、僅かばかり苛立ちを抱いていた。

(サクラが俺たちを裏切る? まさか。ありえねえ)

 サクラが自分に対し少なからず何らかの好意を抱いていた事をサスケは知っている。
 自分たちに背を向けた時でさえ、サクラが後ろめたい気持ちを抱えていることは読み取れた。
 だが現状終戦していない今、サクラが砂隠から解放される可能性は低い。サスケは「面倒なことになった」と騒ぐナルトを無視して空へと視線を向けた。

 そこには冬らしく、色素の薄い青空が冷たく広がるだけだった。