長編U
- ナノ -

覚悟 -07-



 我愛羅がサクラを迎えに来た夜、星は見えなかった。もし星が出ていればそれを口実に我愛羅と共にいられただろうが、生憎空は味方してくれなかった。
 我愛羅と共にいるには理由が必要だ。そうでなければ納得出来ない男に、サクラは言葉なく甘えることが出来なかった。

(でも迎えに来てくれた。任務から戻ってきたばっかりだってサソリさん言ってたのに、私のこと、迎えに来てくれた)

 会いたいと思った。何でもいいから話がしたいと思った。声が聞きたいと思った。
 サソリやチヨたちと一緒にいるのが辛く、痛む胃を抑えていた時に「我愛羅が迎えに来たぞ」と教えられた時は天にも昇る思いだった。
 改めて荷物を纏めるほどサクラは多くの荷物を持ってはいなかった。だから直前まで眺めていた資料を鞄の中に突っ込むとすぐさま部屋を飛び出した。今思い返せば親を待ち続けた子供みたいだったと思う。それが少しばかり恥ずかしいとは思ったが、我愛羅にはバレていないだろう。だからすぐにその思いは打ち消した。

(それに言葉は不器用だったけど、私のこと、心配してくれた)

 言葉はぶっきらぼうではあったが、確かに我愛羅はサクラのことを気にかけていた。
 『本当に何もなかったのか』と聞かれた時には思わず弱音を吐きそうになったが、これ以上甘えてはダメだと線引きし、一歩引いた。途端に我愛羅は何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言わず閉口した。
 気まずくはなかったが、それから何を話していいか分からず終始無言を貫いてしまった。我愛羅も口を噤んだままだったし、お互い探り探りのまま言葉を発することなく家に着いてしまった。

 とはいえ、自分にとって『本当の帰る家』ではないはずなのに、我愛羅と共にこの家に戻った時不思議な程に安堵したのだ。
 夕飯の支度をするテマリに、疲れた顔をして皿を出すカンクロウ。彼らを目にした瞬間、彼らから『久しぶり』と『おかえり』の言葉を掛けられた瞬間――確かに胸の奥底がじわり、と熱を持ち、あたたかくなった。

(変なの。木の葉に戻ってきたわけでも、お母さんのいる家に戻ってきたわけでもないのに。すごく……安心した。肩から力が抜けるのが分かったわ)

 サソリの実家で食べた食事は緊張のせいで味がよく分からなかったが、テマリが作った料理は美味しいと思った。
 我愛羅はやはり口にはしなかったが、サクラの目の前で食事をした。たったそれだけのことなのに、質素な料理が益々美味しく感じた。腹ではなく心が満たされたようだった。

 ――それが、不思議だった。

(流されちゃいけないって、思ってたのになぁ……)

 一人で寝転がるベッドは昨日まで寝ていたサソリの実家の物と何ら変わりはない。それでも自分の匂いが移り始めたベッドの方がやはり安心する。そして何より、隣の部屋に我愛羅がいるという事実が一番違った。

 ――本当に、自分は我愛羅に甘えている。

 そう思いはしたが、どうにもできなかった。だがこの気持ちはサスケに抱くモノとは違う。それは断言出来る。
 だがそれ故か、我愛羅の傍は不思議と落ち着いた。同じ異性のはずなのに、サスケやナルト、カカシといる時とはまた違った心強さを感じている。
 勿論彼らの事は頼りにしていたし、いつも心強く思っていた。だがそれとは何かが違うのだ。我愛羅の傍は。サクラが木の葉にいた時に感じたどの感情とも違う。これは一体何なのか。
 サクラは目を閉じながら考える。

(何でだろう……。どうしてこんなにも、我愛羅くんにだけ……)

 初めに抱いた感情は『憎しみ』と『恐怖』だった。
 目の前で仲間を殺され、蹂躙され、無理やり攫われた。あの時の悪夢のような一夜は今でも夢に見る。だがそれでも――人と言う生き物は良くも悪くも慣れるものだ。
 夢に見ても、ふと思い出すことがあっても、当初に比べ動揺することもなくなっていた。

(何て薄情なんだろう、私。こんな私が帰ったところで、きっと受け入れられるはずないわ。ううん。いのたちならきっと受け入れてくれる。でも、それは今と何が違うの?)

 我愛羅に甘えている今と、いのたちを頼ろうとしている自分に改めて恥じ入る。これでは何の成長もしていない。折角チヨが叱ってくれたと言うのに、未だに自分は蹲ったまま立ちあがれずにいる。

(ああ……そうか。そういうことか。私、何て嫌な女なんだろう。だって、きっと我愛羅くんなら私のこと――“殺してくれる”って、そう信じてるんだ)

 この数日間の事を思い出していたせいか、唐突に気付くことが出来た。

 それは“木の葉の面々”では決して出来ないこと――。そう。サクラを“殺す”ことだった。

 考えれば腑に落ちる。何せサスケやナルトは――特にナルトは、サクラを“殺す”ことなど出来ないはずだ。
 カカシはサクラを敵と認識したが、それは“敵だから殺す”のであって、サクラが願ったところで“殺してはくれない”と思うのだ。
 だが我愛羅ならばきっと、血の匂いは嫌ってはいるが、サクラが願えば“殺してくれる”と思った。辛いから助けて欲しいと手を伸ばせば、その手でサクラを殺してくれると、そう思ったのだ。

(だから私は彼に甘えているのね。いざとなったら“殺して”って頼めるから。死を、彼を逃げ道にできるから。私って本当――)

 寝返りを打つベッドはシングルで狭いはずなのに、何故だか無性に広く感じた。
 一人で横たわり、時計の音だけが響く部屋は寂しく、酷く虚しい。まるで虚無の海に身を投じたかのように、サクラの全身を闇が蝕んでいく。

(ああ……――本当に、嫌な女)

 そう思いながらも立ち上がり、ドアノブに手をかける。
 今まで一度たりとも手放したことのない、シズネに教わった毒薬を塗ったクナイを忍ばせながら、冷えた廊下に足を乗せる。隣の部屋まで距離なんてあってないようなものだ。
 サクラはひたり、ひたりと冷たい廊下の上を素足で歩き、沈黙を保つ扉の前で足を止めると、深く深呼吸をした。


 ◇ ◇ ◇


 どれほど時間が経っただろうか。眠れぬ夜を数えることを辞めた我愛羅はぼんやりと天井を眺めていた。
 そんな中隣の部屋から扉の開く音がし、暫くしないうちに我愛羅の部屋の前で気配が止まった。

『……我愛羅くん、起きてる?』

 抑えられた声音ではあったが、その声は確かに我愛羅の耳へと届いた。
 何かあったのだろうか。不思議に思いつつ我愛羅が返事をすれば、扉の向こうから再び控えめな声がする。

『あの……そっちに行ってもいいかな?』
「……構わん」

 やはり何かあったのか。
 不安を覚えつつも扉を開ければ、寝間着姿のサクラがもじもじと心許なげに立っていた。

「疲れてるのにごめんね」
「いや。どうせ眠るつもりはなかった」

 苦笑いするサクラに気にすることはないと遠回しに告げ、中に入るよう体をずらせば、サクラは「お邪魔します」と告げてから足を踏み入れる。

「今日は、星……見えないね」
「ああ……」

 立ったままのサクラに頬を掻き、星を見ないならどこに座らせればいいのか迷う。机の上は片付いているし、椅子だって汚れているわけでも壊れているわけでもない。だが何となくそこに座らせるのは居心地が悪く、結局ベッドに座らせることにした。
 何となくそこが定位置な気もしたのだ。食事時以外でサクラが部屋にいるのは星を見る時だけだから。その時は星が一番良く見える、特等席ともいえるベッドに座らせていた。だからそう思ったのかもしれない。

「お前こそ、眠らなくていいのか」

 何を話せばいいか迷った我愛羅ではあったが、自分とは違い普通に睡眠をとることの出来るサクラが眠っていないことに疑問を抱く。寝巻を着ているのだから寝るつもりではあったということだ。何か問題でもあったのかと危惧したが、サクラはただ「眠れなくて」と眉尻を下げ、足元に視線を落とした。

「迷惑かな、とは思ったんだけど……」
「いや……どうせ俺も朝が来るまで何もすることがなかった。気にするな」

 それは事実だ。
 普段ならば書物を読んだり星を眺めたり、軽くストレッチをしたり忍具の手入れをしたりと雑務も行うが、今日みたいに疲れて何もしたくない夜や、物思いに耽る夜もある。
 ただ今日は疲れつつも物思いに耽る夜ではあったが、その原因が自ら部屋を訪れてくれたのは僅かに有難いと思った。

「…………」
「…………」

 だがそれ以上会話が続くことはなく、また何を話せばいいか分からない我愛羅は口を噤んでしまう。
 第一サクラと殺してしまった医者の娘ぐらいしかまともに我愛羅と接触を図った人間はいなかったのだ。あまりにも経験値が低すぎる。どうすればいいのかと悩んだ末、結局はサクラをベッドに横たわらせることしか出来なかった。

「我愛羅くん?」
「もう寝ろ」

 どうしていいか分からなかった我愛羅は“サクラを寝かせる”ことで逃げようとした。
 自分のベッドに彼女を寝かせるのはどうかと頭の片隅で考えはしたが、嫌なら勝手に出ていくだろうと判断し、毛布を掛けてやる。つくづく『任務に出る前に干しておいてよかった』と思った瞬間だった。

「ふふっ、我愛羅くん、何だかお母さんみたい」
「……そう、か」

 母親がどういうものか知らない我愛羅ではあったが、小さく吹きだして笑うサクラを見ると悪い意味ではないのだろう。だが遅れて返事をしたせいか、サクラは「あ」と声を上げ、続けて慌てたように「ごめんなさい」と謝罪する。

「悪気があったわけじゃないの」
「いい。それぐらい分かる」

 それに悪い意味ではないならそれでいい。
 少しでもいい。楽しそうに笑うサクラを見て安心したいのだ。出来る限り、彼女には泣いて欲しくなかったから。

「でも、本当に私がベッド使ってもいいの? 我愛羅くんは?」
「ここでいい。大して寒くもない」

 眠ることも出来ないしな。
 問いかけてくるサクラにそう答え、我愛羅はベッドに背を預け床に腰を下ろす。どうせ眠れないなら座っていようが立っていようが変わらない。
 床の上だろうと椅子の上だろうと大して差がない我愛羅からしてみればさほど気にすることではなかったが、サクラは「ええ?!」と声を上げながら僅かに体を起こす。

「そんなところにいたら風邪引いちゃうわよ!」
「あまり大きな声を出すな。それに風邪など引かん」

 我愛羅の指摘にサクラは口元を抑えるが、風邪を引かないという我愛羅に疑いの眼差しを向ける。だが我愛羅はそれを無視してサクラに背を向けると、「いいからもう寝ろ」と告げてベッドに背を預ける。サクラの明日の予定が分からない今、あまり遅くまで起こしておくのは気が引けた。

「でも、本当にいいの?」

 背中から聞こえてくる声に「構わん」と答える。それに嘘はなかった。

「そう……。じゃあ、おやすみなさい。我愛羅くん」
「……ああ」

 おやすみ。とは心の中だけで付け足して、もぞもぞと蠢く気配を背中で受けつつ腕を組む。
 自分以外の呼吸音が聞こえることが不思議で、少しくすぐったいと思った。

「……我愛羅くん」
「何だ」

 背中からかけられた声は小さくか細い。だがサクラは暫し沈黙した後、「やっぱり何でもない」と続け、大人しく目を閉じる。
 我愛羅はそれには何も返さず、ただ静かに座っていた。

 日付を跨いだばかりの、静かな夜だった。


 ◇ ◇ ◇


 ――まただ。

 サクラはもう何度目になるか分からない惨劇を繰り返し夢で見る。

 あの蒸し暑い夏の夜。彼に仲間を殺された惨劇を。
 伸ばされた白い腕を取ることが出来ず、先程まで人間だったはずの肉塊と血だまりが足元を流れていく。悪夢のような、現実だった記憶の欠片。
 あの時伸ばせなかった腕は今では自由に動くのに、やはり自分は夢の中でもあの腕を取ることが出来なかった。助けを求める腕が、地獄に手招きする骸のように蠢き、惑わそうとする。

(――夢……)

 嫌な汗を背に掻きつつ、目覚めたサクラの視界は暗い。まだ夜は明けていないようだった。
 重い瞼を数度瞬かせれば、視界の端に見慣れた背中が写る。

(そっか……私、彼の部屋にいるんだった……)

 すん、と匂いを嗅げば自分のものとは違う他人の匂いがする。我愛羅に借りた襟巻とはまた違う、我愛羅自身の匂い。
 サクラはもぞもぞと動いた後、振り返らぬ背中をぼんやりと見つめた。

(何でかな……初めの頃は彼のこと憎くてしょうがなかったのに、今ではそんな気持ち殆ど湧いてこない……むしろ、甘えて、縋って、頼ってる)

 振り返らぬ背中は呼吸に合わせて静かに動く。あれだけ恐ろしくて憎かったはずなのに、今では誰よりも頼りにしている。

 今では木の葉を裏切ると決めたあの瞬間から――砂隠の忍になることを選んだ瞬間から既に我愛羅に復讐することを諦めていたのではないかと、そう考えてもいる。
 心のどこかで自分では出来ないと、守鶴と取引をしながらも思っていたのかもしれない。

 実際あの日から一度としてサクラは守鶴と話をしていない。

 我愛羅が眠らないと意識の入れ替えができないというのもあるが、それでもサクラは守鶴に会ったところで話すことは何もなかった。
 利用すると決めたのに。今では心を許しつつある。ミイラ取りがミイラになったようなものだと己を嘲笑いながら、サクラは忍ばせていたクナイに指を馳せた。

(もし今彼に襲い掛かったら、彼は自己防衛として私を殺してくれるかしら)

 逃げていると分かっている。もう木の葉の仲間に顔向けできないことから、里を裏切ったという事実から逃げたくてしょうがなかった。これ以上、この馴染みのない里で生きていける気がしなかった。

(今なら、きっと――)

 クナイに手をかけ、そっと柄を握りしめる。硬い感触が酷く懐かしく感じた。
 そしてゆっくりと毛布の中から腕を出し、振り返らぬ背中、心臓めがけてクナイを振り下ろす。

 だがその切っ先は我愛羅の体を貫くことも、衣服に刺さることもなかった。

「……どうして、抵抗しないの?」

 サクラは我愛羅の絶対防御が働き、その力で殺されるものだと思っていた。
 我愛羅が操っていると分かってはいるが、時には別の力が働いているかのように動くあの砂が、サクラをあの夏の夜のように握り潰すのだと思った。
 だがサクラのクナイは砂に阻まれることはなく、毒薬を塗った鋭い切っ先がその背に宛がわれている。少しでも力を入れればそのまま我愛羅の身を貫くことが出来そうなほど、その切っ先は我愛羅の肉体を正確に捉えている。
 実際呼吸に合わせて緩やかに動く背から、クナイの先から伝わるその動きから、我愛羅に『抵抗する気がない』ことが読み取れた。

「……お前こそ、俺を殺さなくてもいいのか?」

 少し間を置いてから聞き返された声はいつもと変わらなかった。
 己がサクラに殺されるはずがないと自負しているような不遜な声音でも、責めるような声音でもない。ただいつも通り落ち着いた、サクラの行動の理由を問いかけるだけの平素と変わらぬ声だった。

「だって、」

 我愛羅なら“殺してくれる”と思っていた。
 現実で、夢で、何度も繰り返し見たあの惨劇のように。何のためらいもなく自分のことを殺してくれると思っていた。だが実際には指先一つ動かさず、未だにサクラに背を向けている。無防備な背中が、何よりも恐ろしかった。

「――死にたいのか?」

 振り返らぬ背中から問いかけてくる声は落ち着いていながらも硬い。
 サクラは目の奥が熱くなるのを抑えようと必死に目を瞑り、唇を噛みしめた。啜った鼻からは濁った音がする。泣かないと決めたのに、サクラの心は今にも折れそうだった。

「俺に、お前を殺せと、そう言うのか」

 ようやく振り返った我愛羅の瞳は、あの夜のように冷たくはなかった。
 けれどどこか物悲しく、寂しげだった。自分と同じ、あるいはそれ以上の孤独に耐えてきた男の瞳だとは思えないほど、その翡翠の瞳は哀しい色を湛えていた。

「が、あらく、うっ!」

 いつかのように、我愛羅の腕が伸びてサクラの首に宛がわれる。そのまま起き上がったベッドに再度押し倒され、首を抑え付けられる。
 だがあの時ほど力は入っておらず、ただ触れているだけのような力加減だった。

「……死にたいのか」

 再度問いかけられ閉じていた瞼を開けると、我愛羅は静かにサクラを見下ろしていた。
 だがその瞳は――いつ雫が落ちてきてもおかしくはないほどに――深く、悲し気に揺れていた。

 煌めく水面とも違う。それは月の光を受けて寂しく佇む、孤独な海とよく似ていた。

「だって……もう、嫌だよっ……!」

 我愛羅の瞳に、問いかけに、サクラは目を逸す。

 もう嫌だった。苦しいのも、悲しいのも、辛いのも。全部嫌だった。逃げ出したかった。この里の人間を助けることも、木の葉の仲間を裏切ることも、全てが嫌になった。自分には何も出来ないと、そう思った。

「どっちにも行けないの……! 砂隠にも、木の葉にも――もうどこにも帰れないの! でも一人は嫌なの! 寂しくて、辛くて……! でも、誰も助けてなんかくれない」

 身勝手だと思う。我儘だとも、駄々を捏ねる子供のようだとも思う。
 それでももう耐え切れなかった。便器の中に胃の中の物を全て吐きだすように、サクラは思いの丈を我愛羅にぶつけ始める。

「誰も私のこと知らないくせに、分からないくせに、好き勝手言いたいことだけ言って期待して、出来なかったら諦めて! 私にどうしろって言うのよ!」

 サクラの頭の中は滅茶苦茶だった。
 この里で起きたことや体験したことだけでなく、幼少の記憶から初めて戦争に参加した日のこと、父を失って茫然自失とした日々、母と喧嘩した記憶までが混ざり合い、絡み合った糸のようにぐちゃぐちゃになってサクラの心を蝕んでいく。

「私は何でも出来る人間じゃない! 何も出来ないのよ……。誰も助けてあげられない、助けることなんて出来ない……。弱くて、泣き虫で、臆病で、狡くて、卑しくて、汚い女なの……!」

 憎いと思った男に手を伸ばす――。
 自分へと伸ばされた、縋りつくように伸ばされた白く細い腕を取ることが出来ぬまま、目を逸らす。
 圧し掛かる期待に胃が痛み、自分が誰も信用していないのに信用されていないと分かれば勝手に傷つき涙する。

 ――そんな身勝手な自分が嫌で、大嫌いだった。

「皆嫌い! 風影も、テマリさんも、カンクロウさんも、サソリさんもチヨさんもエビゾウさんも自分も、皆、皆……大っ嫌い!!」

 堪えていたはずの涙はいつしか横に流れ、震える喉が我愛羅の手の平に当たるが気にしなかった。
 腹の底から叫ぶように上げた声にはついに嗚咽が混じり、サクラは両手を掲げ己の目を塞いだ。
 全てを吐きだした心は空っぽになり、孤独にも似た空虚だけが胸に残っていた。

「……そうか……」

 我愛羅は何も言わなかった。ただそれだけ呟いて、サクラの喉元から手を離した。
 見上げた瞳は――凪いだ海は、どこまでも凪いだままだった。

「お前も、一人になっていたんだな……」
「ふっ……うっ……」

 我愛羅の手がサクラの頬へと伸ばされる。一瞬その手を払いのけようと目元から手を外したが、結局はその手を受け入れた。
 硬い指先が心臓を撫でるようにそっと目元を滑っていく。夜の大気に冷えた、冷たい指先がサクラの熱を持った目元を瞬間的に冷やした。

「――すまない」

 何故我愛羅が謝るのか、サクラには分からなかった。
 だが問いかけることも出来ず、サクラはただ泣いた。漏れそうになる声を必死に噛み殺しながら、それでも泣いた。体中の水分が、血液が、全て涙に変わって出ていくかと思った。そうしてそのまま死ねたらいいのに。と、そう思った。

「もぅっ、やだよぉ……」

 泣くのも、苦しいのも、辛いのも、悲しいのも。全部嫌だった。

 我愛羅は何も言わず目元から手を離しベッドを降りる。再度向けられた背中はまた何も言わなかった。結局我愛羅も、サクラを助けてはくれなかった。

「助けて……ねぇ、助けてよ……」

 伸ばされた腕を掴めなかった自分の腕が、今度は仲間を殺した男へと伸びていく。しかし服を掴んだその指先は、我愛羅に握り返されることはなかった。

「たすけてよ……!」

 額を当てた背中が穏やかに動く。呼吸の音に合わせるように、心臓の動く音がする。
 溢れる涙は、我愛羅の服に染みていった。

「……たすけてよ、があらくん……」

 服を握りしめた手は、我愛羅の心には届かなかった。
 だがサクラはそこから手を離すことが出来なかった。サクラにとって我愛羅は、もう利用しようと近づいただけの男ではなかった。

「――たすけて……」

 熱くなった目の奥が痛い。
 擦り続けた目元も、啜りすぎた鼻も痛かった。

 けれど全身から力が抜けていったサクラはそのまま再び瞼を閉じ、我愛羅の背に額を当てたまま眠りについた。
 握り締めた指先は、最後まで我愛羅の服を掴んで離すことはなかった。