覚悟 -02-
「つーわけで、だ。俺が暫くお前の面倒を見ることになった」
「はい。よろしくお願いします」
食事を終え、先に家を出た羅砂に続くように皆も用意を始めた。長期任務がどれほどかかるかは分からないが、戻り次第サクラを迎えに来るということだった。
(それにしても、サソリさんの所で厄介になるのか。何か変な感じ)
各自武器を背負い、玄関先で別れたサクラの元に現れたサソリは面倒臭そうに頭を掻きながら歩き出す。サクラはそれに続きながら、再び我愛羅から借りた襟巻をぐっと押し上げる。
「つかよぉ、小娘」
「はい?」
名前を呼ばれて顔を上げれば、いつもとは違い、割と真面目な表情をしたサソリと目が合った。
「お前、最近坊ちゃんとえらく仲がいいみたいじゃねえか」
「そう、ですか?」
探りを入れて来いとでも言われたのだろうか。サクラを見つめる瞳はいつもの碌でもない上司の瞳とは違い、底が見えない色をしている。
「お前が何を企んでるのかは知らねーが、あんまり深入りすんじゃねえぞ。坊ちゃんに」
「……どうして、そんなこと言うんですか?」
テマリやカンクロウならともかく、何故彼の親族でもないサソリに釘を刺されなくてはならないのか。不満を抑えて尋ねれば、サソリは視線を前へと戻す。
「勘だよ、勘」
「何ですか。それ」
誤魔化すにしたってもう少しマシな言い訳があるだろう。そう思わないでもなかったが、それ以上サソリがそのことに関して口を開くことはなく、サクラもまた口を噤んだ。
そして黙々と二人が足を動かした先、見え始めた一軒家の前でサソリが「おい」と声をかけてくる。
「アレが俺の実家だ。祖母と大叔父が住んでる。そこに暫く俺とお前との四人で住むことになるが、何か質問はあるか」
「えっと……ご両親は? いないんですか?」
てっきりサクラはサソリの両親の所に厄介になるのかと思っていた。だが先程の紹介では祖母と大叔父だけだという。それを不思議に思って問いかければ、サソリは何でもない話をするかのようにあっさりとした調子で「いねーよ」と答える。
「俺が餓鬼の頃戦争で死んだ。だから親はいねえ」
「あ……ご、ごめんなさい」
サクラも父親を戦争で亡くしている。何故サソリの両親が健在だと思い込んでいたのか。慌てて頭を下げれば、サソリは「別に気にしてねーよ」と頭を掻く。
「こんなご時世だ。大半の奴が親なんて亡くしてる。俺だけじゃねえよ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
言葉に窮するサクラではあったが、サソリは気にした様子もなくサクサクと足を進め、辿りついた家屋の玄関の玄関を開ける。
そこは風影宅のように、大きくて立派な家だった。
「おいババア! 小娘連れてきたぞ!」
「ちょ、ちょっと、サソリさんッ」
幾ら自分の祖母だからと言ってババアはないだろう、ババアは。慌てたサクラが一歩足を踏み出せば、途端に軸足に何かが引っかかる。
(ん? 何かあったっけ?)
思わず前のめりになった体を押し留め、何の警戒心も抱くことなく足元に目を向ければ――。
「ぎっ、」
ギャアアアアアア!!!
辺りをつんざくような絶叫に、先に家屋の中へと上がっていたサソリが駆け戻ってくる。
「どうした小娘!」
「いやああああああ! 手、手ぇええええ!!」
ぶんぶんとサクラが足を振る中、その足首を掴む血塗れの腕を見つけ、サソリは額を抑える。
「こんの……おいババア! 年甲斐もなくはしゃいでんじゃねえよ!」
「いやああああ! 取って取って取ってえええええ! サソリさん早く取ってよおおおお!!」
幾ら医療忍者とはいえ、流石にこういうのは怖い。怖いと言うか、気持ち悪い。
誰かに千切られたかのような血塗れの腕は、暴れるサクラの足首をぎゅっと掴んで離さなかった。
「ギャハギャハギャハ! 見事に引っかかったの〜! 木の葉の忍も形無しじゃの〜!」
「姉ちゃんよ〜、あんまり若い子からかうんじゃねえよ〜」
近くの部屋から聞こえてきた声に、サソリが「おい!」と声を荒げながら戸を開く。
「碌でもねえ悪戯してんじゃねえよババア! 歳考えろ! アホか!」
「なーんじゃ、つまらんのぉ〜。木の葉の忍は我が里の敵じゃぞ? サソリよ」
「こいつはもう木の葉じゃなくてうちの忍なんだよ! 忍者登録も済ませてある。勘違いしてんじゃねえよ、ババア」
「おい。そこの若い姉ちゃんよ〜、今取ってやるから動くんじゃねえよ〜」
「は、はいぃぃ」
部屋から出てきた老婆とサソリが派手に言い合う中、ひょろりとした背の高い老人がサクラの足元に膝をつき、血塗れの腕を慣れた手つきで取り上げる。
「大体な! これは風影からの命令なんだよ! 元捕虜だとはいえ、今じゃ立派にうちの医療忍者として働いてんだよコイツは!」
「なーにをそう必死になっとるんじゃ? もしかして惚れたのか? このロリコンめっ」
「ぶっ飛ばすぞ!!」
サソリと老婆の激しい口論にようやく落ち着いたサクラが視線を向ければ、血塗れの腕を掴んだままの老人が「すまねぇな〜」と話しかけてくる。
「姉ちゃんはまだあんたのこと信用してねえみたいでな〜」
「えっと、無理もない話だと思います。私は、元々は木の葉にいた忍ですから……」
自分の口から“元木の葉の忍”と口にしなければいけないのは胸が痛む。が、それでも苦笑いで誤魔化せば老人は「うーん」と唸る。
「木の葉にはいい印象がねえからな〜。こんな時世だから言ったところでしょうがねえ話だけどよ〜」
老人の言葉に何と答えていいか分からず返答に窮していると、ようやく口論が一段落したらしい。サソリが「おい!」と声をかけてくる。
「小娘、この碌でもねえ性格したババアが俺の祖母、チヨだ」
「これサソリ! もっと敬わんか!」
「は、はぁ」
ぽこぽこと皺が寄った手で孫の背を叩くチヨへと視線を向ければ、チヨはふん、とサクラから顔を背けてしまう。明らかに嫌われている。
「そんで今お前の隣にいる爺さんが大叔父のエビゾウだ」
「よろしくなぁ〜、若い姉ちゃん」
「あ、はい。サクラと申します。よろしくお願いします」
改めてサクラの足元から血塗れの腕を取り上げた老人ことエビゾウに頭を下げれば、エビゾウは特に気にした様子もなく軽くサクラに声をかける。エビゾウはチヨほどサクラに対し悪い印象を持っている様子ではなさそうだった。
「つーわけで、暫く介護生活になる」
「何じゃとサソ?! ワシはまだ現役ピチピチじゃぞ!」
「うっせえババア! 鏡見て同じこと言ってみろ!」
「ま、まぁまぁ……」
再び始まる口論にサクラが苦笑いすれば、エビゾウが「姉ちゃんよ〜」とチヨに向かって血塗れの腕を突きだす。
「失敗作だからってよ〜、こういう使い方は心臓に悪いだろうよ〜」
「ふん! なんじゃエビゾウ。お前もそこのくノ一の味方か?」
木の葉の忍がとことん嫌いらしい。チヨの言葉にサクラが困った顔をすれば、サソリは盛大な吐息を零し、意識を自分へと向けさせる。
「いいかババア。これはもう里での決定事項だ。この小娘はうちの忍、木の葉だったのは昔の話だ」
「裏切らんとは言い切れんだろう?」
チヨの言葉にサクラは唇を噛む。それは紛れもない事実だった。
「まーな。だが今の所そんな気配はねえ。あったとしてもうちの里から逃れられるわけねえよ」
「ふんっ、どうだかの」
不機嫌そうにサソリから視線を逸らすチヨと、そんなチヨからサクラへと視線を移すサソリにサクラは頭を下げる。
「今更何を言った所で小娘の処遇が変わるわけじゃねえ。風影ん所の三姉弟が戻ってくればまたそっちに戻す。暫くの間我慢しろ、ババア」
「ふんっ!」
サソリのぞんざいな説得にチヨは顔を背け、エビゾウから受け取った腕を胸に抱き歩き出す。
「小娘、ワシはまだお前を認めてはおらんからの」
「は、はぁ」
手荒い歓迎を受けたサクラではあったが、サソリとエビゾウに促され中へと足を踏み入れる。
外装はどの家も似通ったものだが、内装や間取りはやはり違う。慣れない他人の家を、先を歩むサソリに続いて進む。
「部屋はここを使え」
「はい」
サソリに連れられたのは小奇麗に整った部屋だった。聞けば客室らしい。ある程度の物は揃っているらしく、諸々の説明を受けながら荷物を床に下す。
「詳しい説明はまた帰ってからだ。そろそろ準備しなきゃ間に合わねえだろ」
「あ、はい」
壁に掛けられた時計を見上げれば、そろそろ準備をして出なければ間に合わない時間だった。
サソリは「準備が整えば声をかけろ」と続け部屋を出ていく。ようやく一人になった慣れない部屋で、サクラは鞄を開けながらふうと息を零す。
(変なの。他人の家に変わりはないのに、何でこんなにも落ち着かないんだろう)
資料を取り出し、筆記具やファイルを引っ張り出す。講習に使う予定のそれらを手早く纏めるサクラは、今までとはまた違った心細さを感じていた。
(やっぱり私、彼に甘えてたのね。こんな所でも)
“他人の家”であることに変わりはないのに、我愛羅がいるのといないのとではこんなにも違う。テマリやカンクロウもサクラに友好的ではあったが、それはあくまで傷つけてはならない捕虜であり、道具であったからだ。今ではどうかは分からないが、我愛羅も初めは同じ理由でサクラの面倒を見ていた。
だが長期任務から帰省し、サクラの甘言に惑わされた我愛羅は徐々にだがサクラに対し優しさを見せるようになっていた。
そしていつの間にかそれに甘えるようになったのは、他でもない。サクラ自身であった。
(策士策に溺れる、とはこのことかしら。でも策なんてあってないようなものだったわ。初めから。上手くいくはずなんてなかったのよ)
いつの間にか心が揺らぎ、里を裏切ったことで不安定になった情緒は未だ落ち着きを取り戻さない。ぐらつく足場の上に立つサクラは、孤独を背負いながら準備を整えた。
「サソリさん、用意出来ました」
それでも笑うことは出来た。作り笑いではあったが、それでも誰かに対し笑いかけることが出来た。
逆に言えば、それぐらいしか出来ることがなかった。
一方、サクラがサソリと共にアカデミーに出かけている間、里を出た我愛羅たちは任務先である風の国へと足を踏み入れていた。
「……酷いな」
「ああ……」
眉根を寄せるテマリにカンクロウも頷く。
国は酷く衰弱していた。
(身を剥かれ、骨になった動物の死骸。痩せて蹲る子供。覇気のない老人や手足を失った大人たち。これじゃあ戦争に勝った所でまともに国は動かないだろうね)
弱り切った人民たちの間を抜け、町の状態を観察するテマリにカンクロウが声を掛ける。
「もうすぐで潜入先じゃん」
「分かっている」
先を歩くテマリとは違い、最後尾を歩く我愛羅は廃れた町を見回し、瞼を落とす。
あの町医者が生きていれば、己が殺さなければ、今頃この町の住民も助かっていたかもしれない。
先の戦の夜のように、サクラが手を伸ばしてきた時のように、医者やあの娘が住民に手を伸ばしていれば、この町の人間は救われたかもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎり、我愛羅の胸がズキリと痛み出す。
だが我愛羅には死者を蘇らせる力は勿論、苦しむ住民を助ける術も手立てもない。
兵器として存在する以外に何も出来ない。壊すだけしか能がない自分が酷く情けなかった。
「我愛羅、そろそろ着くよ」
「ああ」
テマリの声に伏せていた瞼を開ける。
今回の任務は国に潜む鼠を炙りだすことだった。
『国の中に火の国の縁者がいるとの報告があった』
風影から呈された書類には聞き覚えのない名前が綴られていた。
大蛇丸と薬師カブト。
どちらも火の国の縁者ではないかという報告が舞い込んで来たらしい。
『両名を見つけ次第捕えろ。だがもし向こうの方が上手であるならば、深追いはせず逃げ帰ること。今お前たちを失う訳にはいかない』
父親としての言葉か、それとも里長としての言葉か。我愛羅には分からない。実の父親であってもまともな接触をしてこなかった自分に、その言葉の真意が分かるはずもない。
「二人は変装の名人だと聞く。油断するなよ、カンクロウ。我愛羅」
「分かってるじゃん」
「ああ」
それでも己は動くしかないのだ。例えそこが闇の中でも、底がない沼地であったとしても。もがく以外に生を感じることなど出来ないのだから。
(所詮俺は兵器。殺すのが仕事だ。そして、それが生かされている理由だ)
踏み出した大地は硬く、そう簡単に揺らぐことはない。
自分の心とは違い、確固とした強さと基盤を持つ大地を踏みしめながら、我愛羅は大蛇丸と思わしき人物の跡をつけた。